最果ての島:旅立ち

「ここが聖域跡、ですか」

「陛下、一介の騎士に敬語など、人目が無いとはいえ」

 メドラウトと老いた騎士がかつて聖域と呼ばれた場所を訪れていた。

「人目が無いんだから構わないですよっと。サー・ヴォーティガンが留守を任せた騎士だ。それだけで敬うに値すると思いますけどね」

「随分評価が変わりましたな」

「……あー、ほら、昔は生意気でしたので」

「誰にでも若気の至りはあるモノです」

「なら、これもそれですか?」

「ええ、まあ」

 彼らの眼前に広がるのは焼け死んだ森の躯。苔が覆っている部分もあるが未だ炭化した巨木の亡骸は哀愁を誘う。人と比べれば何十倍も生きた木々を、一人の男の妄執が焼き尽くしたのだから人という生き物は業に満ちている。

「大陸から戻ってきて、我らの傷も癒えぬ内にブリタニアの騎士総出で聖域を焼き尽くす旨の命が下りました。主命ゆえ異を唱える者はおりませんでしたが、それでも皆は疑問に思ったはずです。何故、と。せめて傷が癒えてから、と」

「口に出さなきゃ意味ないですよ」

「でありますなあ。しかも聖域、我らよりも上の世代からすれば正気の沙汰ではありません。最初は皆躊躇しておりましたが、ヴォーティガン様自らが物凄い勢いで油をバラまき火をつけて回っていたもので」

「付き合わないわけにはいかなくなったわけですかぁ」

「たはは。ただ、森が燃える景色は、罪深いと同時に何故か、供養に思えました。何となく、この火を見て先に逝った者たちの慰めになれば、と。まあ、ヴォーティガン様はヤケクソなだけだったかと思われますが」

「まあ、ガルニアの騎士は堅物の癖に派手好きですからねえ」

「そうですな。で、燃やし尽くした後は泉を埋め立てると騎士総出で土木作業が始まったわけです。これまた罰当たりだと臆する者がいたのですが」

「またも?」

「ええ。ヴォーティガン様が鬼の形相で土砂をぶちまけ始めたので、まあ、主君が働いている横で騎士がのんびりするわけにもいきませんから。我らもヤケクソですな。途中で楽しくなってきまして、このように少々盛ってしまいました」

「盛ったって大きさじゃないですけど?」

「ははは、誰が言ったか名も無き墓標、です。森ごと燃やし尽くした送り火と泉を潰して造った墓で、ヴォーティガン様も気が済んだのか全員撤退させ、そこから我らは長い休暇を頂いたのです。私など、未だ休暇中ですし」

 老いた騎士が柄を握り潰しそうなほどの力で握りしめている様子を、メドラウトはあえて指摘せずにヤケクソ仕立ての景色を見つめ続けていた。

「あれ以来、あの御方は心を閉ざされました。誰一人遠征の件も聖域の件も触れません。市井も含めて、怖かったのでしょうな」

「なるほど、ようやく合点がいきましたよ。騎士王不在のガルニア、大国ブリタニア王の狂行ともなれば、誰も彼も触れたくないですし、僕ら下の世代が知らぬわけだ、と。こんな何もない場所、聖域目当てじゃなければ用ないですしね」

「聖域の件に触れず、時が止まったかのような無為な日々を経て、全てを忘れようとヴォーティガン様は考えておられたのかもしれません。あの日、突如ブリタニアの玄関口に現れた大炎。『どちら』をあの御方が女王陛下に見出したのかは分かりかねますが、もう一度、と夢を見てしまったのでしょう。色々、と」

「くく、色々、ですか」

「貴方方お二人はきっと、ヴォーティガン様にとって本当の意味で救いでした。陛下から末期を聞いて、ふらりと現れたガリアスの武人たちの賛辞を聞き、我らは相好を崩したものです。嗚呼、最後に『大騎士』は帰ってこられたのだと」

「……どっちも格好良かったさ。まさに、騎士だった。生き様も死に様も」

「私がお伝えしておきます」

「いつか自分で伝えるとも。二人の騎士がくれた命を満喫した後で」

「承知致しました」

「君も早く死ねると思うなよ? 僕は年寄り使いが荒いので有名なのさ」

「……承知」

「ガッハッハ! あれ、今、何か、似てた?」

「瓜二つかと」

「と、歳だ。この前もアテナに加齢臭がって言われたし、親父臭い冗談がきついって妻にも言われて、こ、このままじゃ僕のクールなイメージが」

「ご安心ください。もうとっくに崩れております」

「……何か当たり強くない?」

「楽に死なせて頂けないようですので」

「そりゃあごもっとも」

 二人の騎士もまたかの地を去る。もはやこの地には何もない。神秘的な全ては一人の男のヤケクソによって滅ぼされていた。

 その確認によって全ての決着が成る。


     ○


 アークの墓の前にアルフレッドとイェレナ、アテナの三人がいた。

「まだ、手に残っているよ。貫いた感覚が」

「うん」

「きっと、消えることは無いんだろうね」

「うん」

「ねえイェレナ」

「うん」

「愛してる」

「うん」

「驚かないね」

「知ってるから。私も愛してる」

 後ろでアテナが顔を真っ赤にしておろおろしているが、当の本人たちは平静そのものでアークの墓、簡素で無骨、飾りっ気のない彼らしい墓を見つめていた。

「アークさんも、そしてアークさんの弁を信じるなら父上にも、うん、僕は二人にも愛されていた。気づいちゃうとね、本当に笑えるほどわかりやすかった。たぶん僕が考えるよりもずっと父上は僕に対して不器用だったんだ」

「アークがあの二人に対して不器用だったみたいに?」

「たぶん、そうだね。ってか天獅子は過保護でしょ? 普通もっとさ、フリーで目立たない人つけるよ。一応あの人、ヴァルホールの将軍だよ」

「私、あまり知らない」

「そ、そっかあ。まあ、父上が不器用だって話。下手くそな芝居までして、いや、ミラの安否を確認しなきゃだけど、たぶん大丈夫。あの人の娘だし」

「ミラって誰?」

「友達だよ」

「男の子?」

「女の子」

「ふーん」

「あれ、もしかして妬いてる?」

「アルはばかたれ。己惚れ屋」

「……酷いなあ。でも、己惚れてもいいかなって思えたのは、この旅のおかげだ。アークさんのおかげなんだ。僕は、途中式を知らなきゃ、答えを信じられない性質だから。まだ集めていない情報はあるけれど、それは戻ればすぐに分かる」

「アルカディアに戻るの?」

「いずれはね。戻ってすぐわかる程度の情報にこだわっている局面じゃない。ここからは最短を征く。アークさんに恥ずかしくない旅にしてみせる」

「……アル」

「ヴァイクを利用して暗黒大陸に渡るよ」

 アルフレッドの頭の中には暗黒大陸までの絵図が幾重にも組み上がっていた。ただし、其処から先は未知の世界。ローレンシアでもほとんどそれを知る者はいないだろう。革新王やヴァイクの頭領が断念した世界。

 容易い道ではない。それでも――白騎士を上回るためには彼の想像を超えた奇跡が必要なのだ。それはローレンシアには無いから。

「なら、お別れ。私はエル・トゥーレに行く。最新の医術に触れて、それを発展させて見せる。それが私の最短だから」

「……知ってるよ」

「うん」

「辛いなあ」

「私も」

「僕の手の届かないところを、頼むよ」

「任された」

 ぐっとサムズアップするイェレナ。その男前っぷりに笑いが込み上げる。

「何で、二人は愛し合っているんですよね!? その、大人の関係でもあるわけで。何でお別れする必要があるんですか!?」

 きょとんとする二人。

「手を繋いだ男女が、その、一緒の部屋に入れば、私でも察しが」

「マッサージのことかな?」

「膝枕かもしれない」

「それは言っちゃダメな奴!」

「アルは膝枕が大好き」

「だから駄目だって!?」

「え、でも、愛して」

「うん。でも、子供は作らないよ。可能性すら許せない。だって彼女は医術に身を捧げるんだ。男と違って女は子づくりで身体機能を制限されるからね」

「だから交尾はしない。其処に割く余力を残したくない」

 アテナは当たり前のように言い切る二人を見て怖気が走った。人並み以上の努力をしてきた。人並み以上の意識は持ち合わせている。

 だが、本当に道を貫く者というのはかくも隔絶しているものなのだ。

「其処まで、何で、やれるんですか?」

「誰かがやらなきゃいけないからね。そうしてきた人を僕は、俺は知っている。知ってしまった。だから、俺がその繋がりを断つわけにはいかない」

「一番の理由は――」

「アルがそうするから」「イェレナがそうするから」

 余人の立ち入れぬ関係性。愛を超えた愛による絆。

 前進し続ける車輪。片方が止まらぬ限りもう片方も止まらない。

「ダサいでしょ?」

「……私には、分かりません」

「うん。それで良いと思う。俺たちは狂人なんだよ、たぶん」

「……ただ、尊いものであると思います。きっと、私が見てきた何物よりも」

 アテナが地面に膝をつけてアルフレッドとイェレナに首を垂れる。

「我が剣を二人に捧げます。二人の騎士として、今は未だ未熟なれど研鑽を積み、必ずお役に立って見せます。本気です」

 彼女の眼に宿る炎を見てアルフレッドは苦笑する。狂気は伝播する、とは誰が言った言葉であろうか。彼女もまた狂人への道へ一歩踏み込んでしまった。

 踏み込ませてしまった。

「強制はしない。でも、君がいつか来るならば拒む理由も、ない」

「ありがとうございます!」

 歯を見せて笑う彼女を見てアルフレッドは思う。自分たちが出会わなければきっと彼女はローレンシアに戻ることは無かっただろう。この世の果てで慎ましやかに暮らしていたかもしれない。片隅で今のように笑っていたはず。

 それを言うならば自分とイェレナも、出会わなければきっと彼女は大望を抱くことも無く父の手伝いを、自分は父の目論見通り憎しみによって打倒を目指していたかもしれない。それも世界にとっては悪くない結果だっただろう。

 されど、最高ではない。

「さて、別れ道まで送るよ」

「まずは海」

「だね」

 ここまで来たのなら妥協はしない。

 最高を目指す。最善を目指す。そして、最短を生み出す。

 決意と共にアークのマントを翻してアルフレッドは征く。受け継いだ想いと運命に抗い抜いた男の背中、本当は弱い自分を繕うための小道具。

 されど、弱い己を生涯繕い切ったなら、隠し通せたなら――

「さようなら、アークさん」

 そこには強かったという歴史が残る。否、残すのだ。

 アルフレッドは導き手のいない道を歩み始める。ここから先、本当の意味で轡を並べる旅の仲間は存在しない。常に一歩先へ。

 自分にとっての導き手であったアークのように。

 自分は全てにとっての導き手たらん、と。

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