最果ての島:長い旅の果て

 アルフレッドは静かに目を開ける。目の前には心配そうな顔で自分をのぞき込むイェレナ、アテナ、困惑しながらも遠巻きに眺める騎士たちがいた。

 戻ってきたのだ、夢の世界から。

「……選択は成されたようであるな」

「……はい。貴方のおかげです、アークさん」

 アークは「そうか」と小さくつぶやきかすかに微笑んだ。

 土気色の貌にもはや生気はなく、あれほど頑強で強靭であった肉体は、ただの一晩で夢から覚めたかのように細く、脆くなっていた。

 いや、おそらくはこの一晩だけ全盛期に持って来ようと調整していたのだろう。この一夜が奇跡、執念の結果であって老いたアークの真実は今なのだ。

「アル、眼、大丈夫!?」

 イェレナが珍しく狼狽しながら問いかけてきた。アルフレッドは困惑しながらも眼のあたりをさすると、何かが乾いて凝固したような感触を得る。

「起きる少し前に溢れ始めて、血でもないみたいで、その、全然、分からなくて、ごめんなさい。私、何も出来なかった」

「あはは、いいんだよ。もう全部終わって……少し前?」

 アルフレッドははたと気づく。確かに夢の中とは言え手応えはあった。だが、今もって測りかねる上位存在を確実に仕留めたと言い切れるほど、彼は楽観的ではなく嫌な予感が身を侵す。あんな奇跡は二度とない。

 様々な縁が絡み合った結果なのだから。

「アークさん、俺!」

 よろめきながら立ち上がるアルフレッド。アークとの戦闘で想像以上に消耗していたのか身体は重いが、選択を決めた以上後顧に憂いは残さない。

 そのアルフレッドを――

「もうよい」

 アークが止める。今にも死にそうな彼が立ち上がって――

「あ、アークさん!? 駄目ですよ、無理しちゃ」

「ガハハ! もうよいのだ。全て終わったことである。我も、そして卿が選んだ以上、あの者もまた、終わる時が来たのだ。新しい時代と共に」

「……え?」

「あやつは人の情念を軽んじておった。我が何故ガルニアに極力近寄らなかったのか、嫉妬深き我が好敵手がやり場のない情念をどこにぶつけるか、など考えもしなかっただろう。ゆえに滅ぶのだ。天を挫くは愚行也、である」

 最愛の妻を失って、あの力に極力頼らず、相手から己の心を閉ざす術を見出し、心身を上位存在に侵されながらも彼は来る日のために積み重ねた。

 全てに意味を持たせるために。


     ○


 エクセリオンの刃は虚像を通して己を保存するハードにまで甚大なる被害をもたらした。先に鎖が崩れたから生き延びられたものの、このままでは滅ぶのも時間の問題。長き時をかけて修復し、次に備える。遠回りだがそれしか――

 そう思いながら自らの保存場所である聖域に辿り着き、神なる男は愕然と宙に漂う。樹齢千年をゆうに超える木々が生い茂っていたはずの場所は、焼かれ、断たれ、見るも無残な姿に変えられていた。

 やり場のない怒りをぶつけるように、無意味かつ非生産的な行い。

 そもそもこの地にはシュバルツバルトと同様動物除けのシステムが組み込まれている。ゆえに聖域として人々は忌避し立ち入ることを避けていたはず。

 そもそも目的があったアレクシスはともかくさしたる目的を持たないアークやヴォーティガンなどが躊躇いなく踏み込んだのが重大なエラーであった。

「な、何故、何故だ!?」

 そして自らを納める小さな湖、否、深部の本体より涌き出る流体型演算装置である泉は、やけくそのような量の土砂で埋め立てられていた。

 ちょっとした小山の如し異様がそれを成した男の感情、その大きさを表していた。何に対して怒ればいいのかも分からない。何を憎めばいいのかも分からない。愛する人を失いその対象を憎めるほど男は戦士として若くはなかった。

 殺された方が悪いのだ。戦場では。ならば何を憎む。

 全ての始まりを、本当の騎士王はもっと、烈日をも超える逸材だったと男は考えていた。眼前に絶望を突き付けられてなお、総合力では勝っていたと確信があった。かつての騎士王になる前の時代から好敵手であったがために誰よりも信じていた。

 だから、それを汚した何かに八つ当たりをせねば気が済まなかったのだ。

 あの男が去った以上、何かにぶつけねば気が済まなかった。

「ふざ、けるな。くそ、この泉にどれほどの価値があると思っている!? シュバルツバルトほどではないが、代替として稼働させるには充分な性能を有しているんだぞ! それを、たかが不完全な、未開の、くそ、くそ、くそ!」

 たかが土くれ。しかし、虚像である男にとって伝導体を喪失した無機物であるそれは分厚い壁であった。ハードに戻れねば修復は出来ない。修復できねば今もなお進む虚像の崩壊を止めることすら出来ない。男は舐めていた。

 彼らに何ができる、と。

 アークは準備していた。自らに心を閉ざす術を得てから。全ての行動に意味があったのだ。五感情報であれば盗み見ることも出来る。ゆえに核心には近づかず阿呆のように放浪を繰り返した。全ては、この日のために。

「アーク・オブ・ガルニアスゥ!」

 男は初めてその男の名を感情と共に叫んだ。

 崩れゆく身体。エクセリオンの刃が刻んだ綻びから本体が崩れ、それによって虚像である己も崩れていく。もはやそれを止める術はない。

 土くれを掘り起こそうとも肉体がなければそれも適わない。全能であるはずの存在が、まともな機能も持たない生物に敗れ去る。

「……いやだ、死にたくない」

 死が遠かった。天命を超越し死なぬ肉体を得て万年。誰も彼もが死の痛みなど忘れ去った時に奴らは現れた。死なぬ自分たちが無へと収集される恐怖に怯え、逃げて、こんなところまでやってきた。

 ここまで逃げられたのだから大丈夫。またあの日々が戻る。そう信じていたのに、兄たちはその道を選択せずにあるはずの無い方策を模索し続ける。星の守り手であった偉大なる兄に初めて反発した。今まで通りでいいじゃないか、と。

 究極の一になど本当は興味ない。

 だって勝てるはずがないから。あの兄でさえ僅か一隻の船しか守り切れなかった。万物の霊長、全能なる原初の炎。誰よりも気高く、美しく、強かった兄。彼で無理ならば仕方がない。逃げ続けよう。そしてその先で穏やかな日々を享受して、また見つかりそうなら逃げれば良い。こんな星を守る必要なんて皆無。

『――俺たちは間違えた。痛みを知らず、喪失に耐える心を失った我らは、ある意味で退化してしまったのかもしれない。やり直さねばならないのだ。我らの到達点とは別の到達点に辿り着けるように。いつか、本当の答えに』

『だからって兄さんが囮になる必要はない! 兄さんたちが作った神族でいいじゃないか。こんな、こんな連中のために何故!?』

『いつか、お前にも分かる日が来る。さらばだ、最愛の弟よ』

 兄を自分から奪ったクズどもが許せない。

 だが、そのクズが無為に死んでいくのはもっと許せない。兄の死には意味がなければならないのだ。だから不完全な彼らを導いてやろうと思ったのに。

 全てが消える。潰える。

 彼らの発展ペースでは間に合うわけがない。

「クソ、どもが。精々、足掻けばいい。無駄な足掻きだ。兄さんが勝てなかったやつらに、貴様ら程度が勝てるはずないだろう。ああ、畜生。こうなるなら、僕も、収集されて、おけば、そうすれば、兄さ、ん、と――」

 彼らは絶望を選択した。ざまあみろと泣き笑いながらシン・プロメテウスは長き、本当に長き生涯を今、終える。

 こうしてまた世界から神話が一つ崩れ去ったのだ。


     ○


「我は選択を卿に押し付けた。強い力なのは間違いなく、我でなければ上手く扱うのかもしれない、とその考えを捨て切れなかったのだ。許せ」

「俺も迷いました。きっと、これからたくさん後悔すると思います。あの時、彼の手を取っていたら救えた命がきっと、それこそ山のようにあるはずだから」

 アークは力のない腕でアルフレッドを抱く。

「あはは、剣の柄がお腹に当たってますよ」

「ガハハ。当てておるのだ。と、時間はない。ふむ、もうあまり感覚も無くてな、だが、伝えねばならぬことがあり、イェレナの力を借りて永らえた」

 アークの眼に宿る光は穏やかで温かなものであった。

「卿は父親のことをどう思っておる?」

「え、と、尊敬してますけど」

 いきなりよく分からない方向からの質問に戸惑うアルフレッド。

「では、父親は卿を、どう思っていると感じるか?」

「そ、それは、その、正直、分からないです」

 アルフレッドの脳裏に焼き付く旅立ちの日。暗殺者を差し向けられ、あまつさえ本人が出向いて立ちはだかってきた。最期のオストベルグ兵は確実に殺しに来ていたように思える。試練と言うにはあまりにも殺意が高過ぎた。

 だから、口ごもるしかない。

「で、あろうな。だがな、あの日、我らが出会った場所に卿の父もいたのだ」

「え?」

 そう、思っていた。

「卿が戦っておる傍で、まあ、酷い顔をした男がいた。弓を構え、今にも矢を射りそうになるのをこらえながら、見守っておった」

「そ、そんなはず、そもそも、意味が」

「我らが二人乗りで追撃をかわせたのも、卿が気絶したのを見計らい動いた白騎士のおかげである。これが欠けたピース。全ては白騎士が用意した作劇、それを我が横から掻っ攫った、ということだ。卿ならば、これで充分であろう?」

 情報が出揃えば全てが判明する。

「先んじてアルカスに入り込んでおったユリシーズが我の役割を担うはずであった。対価は知らぬが、まあ、双方にとって安くはあるまい」

 安堵と得心が心を溶かす。ずっと抱え込んできたものがこみ上げてきそうになるのを、少年はぐっとこらえていた。

「正式に外へ出せば他国は構える。アルカディアの第一王子として迎え入れられ、彼らの見せたい現実以外見ることは叶わなかっただろう。ゆえに複雑な段取りが必要であった。これが白騎士が、卿の父が芝居をうった理由である」

 嗚呼、好かった。引っ掛かりはあるが、それでも――

「もう一つ、理由がある。これは、我のみしか知らぬ事実であるが、これほど性急な手を打った理由ならば、我にはこれしか考えられぬ」

 点が繋がり見えてきた絵。それは信じるに足る推論であった。

 それでもまだ、これほど急いだ理由は見当たらない。されどそこにも意味があるとすれば、全てに意味を求めるのならば、アルフレッドの胸中に一抹の不安が過る。そしてそれは考えるほどに大きく、確固たるものへと変貌する。

 最後の一欠けら。急いだ理由、それは――

「……父上は、もう、長くないのですか?」

 アルフレッドは顔を歪めながら、辿り着いてしまった答えを口に出す。メドラウトやアポロニアは驚愕に目を大きく見開いていた。

「ああ」

 アークの解にアルフレッドは臓腑をえぐり取られた気分であった。吐き出しそうなほどの、喪失感。愛憎入り混じる父親への巨大な想いが、

 アルフレッドの心を切り裂く。

「何故それを伝えた!? 伝えるべきではなかった。知っていたとしても、せっかく呪いを振り切ったんだ! それは、その解は、知るべきじゃなかった!」

 メドラウトはアークを責める。

「一欠けらの懸念も残さぬため。あの男は継承を憎しみにて為そうと考えておる。卿に憎まれ、民に憎まれ、それが白騎士の脚本であろう。それが最も、手っ取り早く、血も少なく、何よりも卿が傷つかぬ道であるからだ!」

 死人同然の男とは思えぬ力のこもった声。

 アークの眼に浮かぶ色は最後の炎を燃やしていた。

「だが、それはアルフレッド・レイ・アルカディアの物語ではあるまい。結果は同じであれ、筋書きを知って踊るか、知らずに踊らされるか、二つには隔絶の開きがあろう! 知らねばならぬのだ。この子はもう、準備が出来ておるのだから!」

「……父上」

「ここまでは白騎士の脚本を我が掠め取り、我が願いも併せて我の脚本とした。卿にとっては試練の連続であったろうが、あくまで我と白騎士、二人の想定通りである。当初は我もそれで良いと思っていた。最善とすら考えておった」

 アークは静かに腹に突き立った剣を力任せに抜く。癒着した部位がみちみちと音を立てて千切れ、僅かに残った血と共にそれは抜き放たれた。

「なっ!?」

「だが、卿の器は我らよりも上である! 筋書きを押し付けるは容易い。されど、この者が書く筋書きこそ我は見たい。全てを知った上でどこまで征けるか、其処に我らの予想だにもしなかった最善があるやもしれぬ」

 アークは血を吐きながら微笑み、アルフレッドに剣を差し出した。

「我らの想像を超えよ! そして卿の脚本によって世界を導け。辛く、困難な道程であろうが、継承はあくまで最初の一歩。その先を見据える時が来た! もはや卿は子供にあらず。あの時、誰かのために立ち上がった日に卿は騎士となった。されど、今日に至って未だ卿は騎士のままである。その先に至るには誰もが納得する奇跡が、功績がいる。さあ、難題である! この平和の時代、卿は何を成す!?」

 アルフレッドはそれを宝物のように柔らかな手つきで受け取った。

「ご期待ください。必ずや、アークさんの度肝を抜いて見せます」

 その解にアークは満面の笑みを浮かべた。

「うむ。我はいつでも見ておるぞ」

 そしてゆっくりと崩れ落ちる。それをアルフレッドが抱き留めた。

「ガハハ! とうとう爺の最後っ屁もここまでときた。いやはや、戦場で散った皆には申し訳が立たぬな。二人の子供に囲まれ、孫まで見ることが出来た。そして、最後を卿に看取られるのだ。これほどの幸せがあろうか」

「アーク、さん。俺は、僕は――」

「ほれ、すぐ揺らぐ。されど、我はそれを嬉しく思うのだなあ。度し難きエゴ。人様の天命を操り、多くを捻じ曲げて今に至る。悔いにまみれ碌な死に方をせんと思っていたが、なんとまあ人生は分からぬものだ」

 アークはアルフレッドの頬を撫でる。弱々しく、今にも消え入りそうな、力のない手つき。されどその指先から伝わる歴戦の証はまさに騎士王。

「すまぬ、アポロニア。すまぬ、メドラウト。我のエゴが卿らを縛った」

「いいさ、ま、長生きしたかったし、今、結構幸せだからさ」

 メドラウトは歯を食いしばりながら言葉をこぼす。

「……私は私の選択によって此処にいる。父上が気に病む必要はない」

 アポロニアの眼にも薄っすらと光が湛えられていた。

「すまぬ。本当に皆、済まなかった。罪深き我が満ち足りた末期に至ることを、許して欲しい。くく、ヴォーティガン辺りは許すまいなあ。そろそろ長年の決着もつけねばならぬ。嗚呼、謝罪がてら、騎士の語らいと洒落込もうか」

 アークは幸せそうに微笑み――

「……見ておるぞ」

「はい、見ていてください、アークさん」

 涙でぐしゃぐしゃになったアルフレッドの笑みを見て、幸福と安堵と共に――

「うむ。では、先に征っておる」

 天命を操り、天命に操られ、最後に天命を征した男――

「よき、旅であった」

 騎士王アーク・オブ・ガルニアス、墜つ。

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