幕間:こけら落とし
一人の少年が世界の果てで喪失を得た。
そして三人での旅は終わりを告げ、次なる一歩に向けて彼らはガルニアを出る。
別れ道への旅。終わりの決まりきった旅路。
その間も世界はにわかに活気づいていた。
○
イヴァン・ブルシークとサンス・ロスは互いの得物を構え向かい合う。
「我が主の名を騙る貴様は何者だ!?」
「我が主?」
「サンス様。あの小僧も相当使えますが」
「ああ、取り巻きも強いな。だが、今はどうでもいいことだ」
黒衣の剣士、サンス・ロスはイヴァンを睨む。
その圧に取り巻きたちは冷汗を流すが、イヴァンは揺らがずに構え続ける。
「アルフレッド・フォン・アルカディアを知っているのか?」
「ああ。その問いで確信を得た。知っていて黄金騎士を騙るのか?」
「……暇だからな。いずれ再度まみえた時、見定めるつもりではあるが、今のところは俺の主候補だ。ゆえに、箔付けをしている」
「……貴方も、アルフレッド様を」
「貴様如きと並べられる筋合いはないがな」
「今は、な」
サンスはイヴァンの自信に満ちた笑みを見た。おそらくそれは己が武から滲み出るものではない。武力で言えばそれなりに開きもある。
ならばその自信の源泉、背後の集団にあるのだろう。
「貴様はあの御方に何を捧げる?」
「武力と財力。私はそのために商会を立ち上げたのだ。人材派遣商会をな」
「人材、派遣。なるほど、面白い」
サンスはイヴァンの意図に気づき、その強かさに使える男であると認識を改めた。平和の時代における営利団体が極々自然に武力を集める方法。
それが彼の出した答え。
ブルシーク商会の融資を受けて自身の商会を立ち上げたイヴァン。この平和の御時世、常に私兵を抱え込み続けるのは貴族にとっても負担が重く、人件費を削減したいのが大勢の考えであった。其処を突いた隙間産業。
人材派遣商会である。必要に応じて武力を貸し出す商会。彼らが間に入ることでシチュエーションに応じた人材を必要な時だけ手に入れることができる。商会所属の武人に対してイヴァンやハンナによる高等教育も施し、貴族の護衛や傍仕えも可能な人材へ仕立て上げることでさらに広範囲の需要を網羅した。
だが、急成長するイヴァンの目的は公然と武力を確保することであり、全てはアルフレッドが自由に引き出せる武力集団を形成すること。
それも無理なく、可能であれば利益も出せれば文句はない。
「……光るものはある。研鑽を積め。いずれ合流する道もあるだろう」
「そう願うべきか、願わぬべきか、いずれ、また」
少年の光に魅せられた者と少年の可能性に期待する男はすれ違う。
だが、二人の胸中には再びまみえる予感があった。
仲間か、敵か、今はまだ分からないが。
○
エスタード南部の底を仕切る大山脈を越えた先、獣としてしか生きられなかったニンゲンという種が跋扈する地獄に彼らはいた。
「……ぐっ!? 何と、醜い音か」
顔を歪めるは盲目の槍使いであるオルフェであった。対するは狂気を全身で表す種族以外全てが異なる獣。飢えた獣と同じ鼓動、息遣い、人間を相手にしている気がしないのだ。耳に入ってくる情報、そして槍で突いた触感。
「ギヒャアッ!」
「貫かれながら、だと!?」
音が、振動が、吐き気を催す。
「しっかり殺さなきゃ駄目だよぉ」
ごうん。肉が潰れた音、骨が砕けた音、全てかき消すほどの風切り音。いや、これを風切り音と言っていいのか分からない。空気を圧し潰したような音なのだ。狂気すら寄せ付けぬ圧倒的破壊力。
「あっちの子と同じで筋は良いよぉ。でも、此処の連中は綺麗に死んでくれないから、きっちり殺し切ろうねえ。頭を潰せば死ぬよぉ」
キケ・カンペアドールはこん棒を振り回し破壊の嵐を巻き起こす。
肉が舞い、臓腑が乱れる。
キケが単独で敵を蹂躙する傍ら、味方側の中でも一際若い二人の戦士は顔を歪めながら戦っていた。強くなるために義勇兵に志願した。強くなるために死地が必要だった。だが、これはあまりにも想像を超えていたのだ。
「寝てりゃあいいだろうがよォ!」
普通なら昏倒するはずの顎への一撃を受けてなお、獣は涎を撒き散らしながら攻めてくる。足にもキテいる。動けないはずなのに、動くのだ。
「く、そがァ!」
ドンと大地を踏みしめ、拳士ラウルは顔面を拳にて粉砕する。過剰防衛、頭が潰れてなお、彼らの身体は前進しようとする。
「んだよ、これェ」
「ラウル!」
此処はルール無用の戦場。ローレンシアのようにお行儀のよい戦士は一人としていない。奇襲などされる方が悪い。オルフェが割って入らねば、隙を見せたラウルは死んでいた。しかし、その事実にうな垂れている余裕はない。
「あっちでキケ殿が敵のボスとやり合っています」
「どっちも怪物だねえ。人が出していい音じゃないでしょう、これ」
「ええ。ですが今は」
「分かってるよぉ。こいつらの相手をしなきゃだねえ」
オルフェとラウルは背中合わせに立つ。
『『何故貴方(あんた)が!?』』
共に根は違えど理由は同じ。あの日、アルフレッドを見たことで彼らは強さを求めた。そうして流れ着いたのだ、この地獄へと。
「ふー、ロンじい、見ててくれよ! 俺が天下無双だァ!」
狂気の群れ。肉が裂けようと骨が折れようと、常に食うか食われるかの環境に身を置き続けてきた彼らは生来リミッターが緩い。飢えによって個々の肉体レベルはローレンシア側の方が上だが、その強さは差を容易く凌駕してくる。
肉が千切れ、骨が軋み上げる。
顔を歪めながらも盲目の槍使いは笑みを浮かべる。
「やはり世界は醜い。かの地を離れて色々視てきましたが、此処の獣など可愛らしいほど世界は汚れている。あの二人は、保護されるべきだ! 私の手で」
食べるものの無い環境で生存してきた人喰いのニンゲン。学も智もなく彼らは狂気によって食うか食われるかの戦場に身を投じ続ける。
そんな怪物どもを相手取るのだ。
「「殺すッ!」」
自分たちも怪物に成るしかない。
全ては自分たちのエゴのために。
「ギィ?」
「ああ、獣でも気になるんだねえ。いや、獣だから、かなぁ」
キケの全力を受けてなお拮抗する巨躯。いったいどれほどのたんぱく質を喰らえばこの環境で巨躯を維持できるのか、キケは考えたくも無いと頭を振る。
怪物であろう。この地には怪物しかいない。
「まだ、ゼナには、はえェなァ!」
牙を剥き出しに、キケ・カンペアドールもまた本性をさらけ出す。
怪物どもの饗宴はまだまだ続く。
○
ヴァルホール王国の王都は海に面した海運都市である。船を使って主にガリアスとエスタードを海路で繋げる中継地点。たかが中継地点、されど中継地点。陸路では難しいモノも海路ならば、とサンバルト時代から変わらぬ繁栄を見せる。
そこに一人の男が戻ってきた。漆黒の衣装に鮫の如し眼光。
海が育てた狼の子である。
「おっ、フェンリス坊ちゃんお帰りぃ」
「殿下をつけろってんだろ、スコール陸師」
「俺の右腕を返してくれたらいくらでもつけるのになあ」
「悪いが返す気はねえよ。時代は海だ。そしてこの男は海でこそ生きる。そもそもテメエにハティはもったいねえだろーが。サボり魔が」
「全くです」
この場の誰よりも美しく軍服を着こなすハティと呼ばれた男が、ちらりとスコールに視線を合わせて微笑む。スコールも同じ笑み。
「誰が引き立ててやったと、まあいいや。んで、ヴァイクとの追いかけっこは楽しかったですか? こっちはこっちで色々あったんですけどね」
「まあな。ほとんどはカスに毛が生えたようなもんだったけど、結構やれるやつもいたぜ。ヴァイクも捨てたもんじゃねえよ」
「だはは、海の民をカス呼ばわりとは」
「俺は天才だからな。一等賞を目指してねえ奴はカスだ。っつーわけで稽古、付き合え。最近調子よくてよ、カスじゃ相手にならねえんだ」
「ハティじゃダメですかねえ」
「剣じゃカス。一等賞目指してねえだろ?」
「俺も目指してないですよぉ」
「カマトトぶんな。そろそろ本気出させてやんぜ。逃げんなよ?」
ピリつく大気にスコールは苦笑いを浮かべる。
元々才能は桁外れだった。父という圧倒的壁にもめげずに挑み続ける心根も大したものである。母親たちの教育もあって同世代には敵なしであった。
しかし、ここに来て何かが、変わったのだ。
明らかに強さが増している。そして、何かに怯えているように見えた。
僅かな、かすかな気配。成長か、それとも――
「ドーン・エンドで坊ちゃんと同世代の奴らを見たぜ。マジで何人か良いセンいくと思う。でも、格別だったのは黄金の気配――」
フェンリスの眼がギラリと光る。スコールはそれを見て「あー、当たっちゃったかあ」と内心びくびくしつつ、やはり刺激せずにはいられなかった。
「アルフレッド・フォン・アルカディア」
「カスだ。才能がねえよ。戦士にとって一番大事な、こいつがな!」
自らの『身体』を拳で打ち付けて優位を誇示するフェンリス。
「あーあ、やっぱりかあ」
明らかに意識していた。本当にどうでもいい相手の名前などこの男は覚えない。その分有能な者への記憶力は抜群なのだが。
「んだよ?」
「いいですよ。やりましょうか。本気で」
スコールの眼が薄く見開かれる。自分に向けられたことなどほとんどない本気の視線。天獅子、己が父、彼らとの稽古でしかこのサボり魔は本気を出さない。
ようやくここまで来たとフェンリスは笑う。
「あー! お兄様が糸目に取られたぁ」
そんな緊迫の雰囲気をかき消す存在が強襲してきた。
「ゲェ!? 王女殿下」
スコールはか細い目をさらに細めて面倒ごとからの脱出路を模索する。
「わりいなハティ」
フェンリスは自分の右腕であるハティを彼女の前に差し出した。
「ハティ様!?」
可憐な乙女は狼が如し加速でイケメンに飛び掛かる。
「フェ、スコォォォオル!?」
差し出した主君はすでに姿を消し、スコールもまたすたこらさっさと逃げ出す。結果としてこの国における正当な血を継ぐ乙女の突進を受け、色々なものを吐き出しそうになりながらも男ハティ、笑顔で紳士的対応を貫いた。
ヴァルホールの民は王宮にて巻き起こる喧騒に相好を崩す。
賑やかな連中が帰ってきた、と。
「そう言えば母ちゃんは?」
「そっちなら野暮用。まあ、腐れ縁らしいですぜっと」
「なんのこっちゃ?」
フェンリスは腹違いの妹から逃げながら首をかしげる。
○
一応ガリアスに位置する寂れた村。其処のさらに隅っこに謎の家屋があった。
草まみれで異臭が立ち込める近づき難き場所。
そこに最近では珍しくなくなった来訪者が現れた。
「俺ァ弟子育成中だから暇じゃねえってんだろーが!」
それを追い返すべく村の医師、ユラン・キールは薬草をすり潰す棒で来訪者を出迎える。殴り倒す気満々なのは医師として如何なものか、と思わないでもない。
「……随分変わったじゃん、ユラン」
ユランは来訪者を見て棒を落とす。
「……ニーカか? おま、髪」
「いつの話してんだよ。あたしはずっと短髪だっての」
「あとしゃべり方も」
「ケケケ。幻滅したかよガリ勉お坊ちゃん」
「ハッ、舐めんな。見ての通り、不良通り越して浮浪者一歩手前の俺がたかが髪の毛が短くて男言葉のニーカなんかに驚くか! ……本当にニーカなのか?」
「驚いてんじゃねえか!」
「う、まあ、思い出とのギャップがな、強烈過ぎて」
「お互い生きてるなんて驚きだね。どっちも家から出て好き勝手やってんだから、当時からすると信じられない話だ。で、単刀直入に用件言うけど、最近来てる連中と同じ。エル・トゥーレにあんたの腕が欲しい」
「あの男とつるんで一国の王妃になったようなお前さんが、何で連中の小間使いみたいな真似をする? 誰の差し金だよ」
「エアハルト・フォン・アルカディア。腕と理性が両立する医家が足りないんだと。腕の立つガキばかり集めてみたけど、平気で禁忌を踏み荒らしていく輩ばかりでバランスが崩壊寸前。何とかその辺の手綱を握れる人材をご所望さ」
「マーシアの連中が俺の情報を売ったか。道理でこんな辺鄙な場所まで色んな連中が足を運んでくるわけだ」
「外科ならキール家のガキが頭三つほど抜けていたってマーシアの爺共が黒騎士に強請られながら白状してたぜ。ありゃあ後日死んだな、心労で」
「ったく、で、話も聞かずに全部追い返してた俺に、縁があるお前さんが選ばれたわけか。つーかなに、立候補でもしたのか?」
「馬鹿野郎。あの二人をなめるな。マーシアの連中でさえほとんど知らない繋がりをどっかで仕入れてきて依頼されたんだよ。医術に関してはヴァルホールは後進国だし、今後の関係づくりのためですって言われたら、断れねえ」
「え、えげつねえな。噂には聞いてたけど」
「エル・トゥーレのバランサー、何て言えば聞こえはいいけど、あれはただの黒幕だ。しかも黒幕に徹するから性質が悪い、悪過ぎる」
満面の笑みで『依頼』するエアハルトを思い浮かべながらニーカはため息を重ねた。お国のためとはいえ王妃がやる仕事かよ、と凄く考えていた。
「申し出は分かった。だが、今はまだ無理だ。寂れた村だが人はいる。色々あって積み上がってた怪我人は減ったが今度は病人が増えてきやがった。村のガキを捕まえて鍛えているが、モノにするにはあと何年かかることか。請け負った責任もあるんでな。他を当たってくれ」
「また逃げんのか?」
「ァア!?」
一瞬で両者は一触即発の雰囲気になる。
「医家の免状を持たぬ者が患者を診てはならない」
「……今は、関係ねえだろうが」
「そうだな。でも、取り返しのつかないことだ」
「医術ってのは大概取り返しがつかねえんだよ」
「だからテメエが必要って話だろうが。あたしもこんな形で、気づけば王妃だ。目先の話ばかりじゃ進まねえ。たくさん、仲間を切り捨てても来た。それが上に立つ者の、力を持った者の責任だろうが。逃げんじゃねえよ、自分の力から」
「……言葉、汚過ぎだろ、お前」
「ふん。何十年経ったと思ってんだよ」
「そうだな、その通りだ。もう、何十年も経ったもんなぁ」
「そんなんだから独り身なんだよ」
「うっせえ。娘が巣立ったばっかりだわ。超美人だからな、ビビるぜ」
「んなわけねーじゃん。鏡見て来いよ」
「昔は俺も美少年だったっつーの。おま、めっちゃモテたんだからな」
「ハハ、おっさんの武勇伝はきちいな」
「だな。わーったよ。引継ぎは急ぐ。なるべく早く、向かう。それで良いか?」
「しゃあねえな。まけといてやるよ、昔なじみの顔を立ててな」
ユランはその返しに苦笑する。
「ほんと、何もかもあの頃とは違うな。小汚いチビのガキがヴァルホールって国の王様になって、あんなに綺麗で清楚だったニーカが、男みてえに」
ニーカの拳がユランの腹に突き立ち転げまわる男を、弟子が踏んづけて「す、すまねえだ」と慌てたところ、棒に転んで引っ繰り返って、その棒がニーカのおでこを直撃し三人まとめて倒れ伏すという面白い光景が生まれた、のは余談である。
「……まあ、いつかは腹をくくる日が来るとは思ってたんだぜ」
「この汁まっず!? え、何か言った?」
色々あってとりあえずユラン特製の健康にとても良い謎汁をしばく幼馴染の二人。色合いからしてまずそうだったが、飲むと想定よりもさらにまずくてニーカはげんなりする。何故、この男は平然とぐびぐび飲んでいるのかが分からない。
「ん、ああ、まあ、いい出会いがあったって話。まだ十代のガキが、甘ったるい言葉を吐きながら現実に打ちのめされて、それでも前に進もうって旅立った。あれを見ちまったらな、大人の俺が何もしないわけにもいかねえって、思った」
「ふーん、十代、ねえ。あたしのガキも同じくらいかな」
「たぶんな。もしかしたらライバルになったりして」
「バーカ、うちのガキは特別製だよ。あの子には二人の母親がいる。だから二倍強いのさ。あたしたちがそう育てた。あとは、視野がもう少し、ねえ」
「あれも特別製だよ。白騎士の、な」
「……おう、どういうことだオラ」
突如現れた自分たちの世代の頂点、狼の仇敵の名にニーカは目を白黒させる。
「ケケケ、さーてな。今頃どこで何してんのやら。上手くやってるかねぇ」
まさか愛し合う関係になっているとは露とも思っていない父親。
それを知った時、男の少年への評価は反転する、のはもう少し先の話。
○
別れ道に在った小さな宿場町。
多くの旅人が立ち寄り、それなりに賑わっていた場所も今は灰色の残骸が横たわる廃墟と化していた。己が無力に膝を突くイェレナ。珍しく感情をあらわに、無力と世の無情を噛み締めながら号泣する。
それを横目にアルフレッドは静かに己の手を見つめていた。足元に横たわるこの宿場町唯一の生き残り、だった少女。その首を手折った感触を確かめるように。
「こんな、症状、知らない。何で、生き残れたのに、何でェ!?」
「病気が進化したのか、何らかの合併症か、俺にも分からない。まさか、君と別れる前に、もう、後悔することになろうとはね。俺たちは、無力だ」
黒い斑点が灰色、白っぽくなり四肢に欠損が顕れる。
黒き死神の猛威に晒されながら生き延びた少女は白き死神によって再度宣告を受ける。理解が及ばぬ以上、アルフレッドに出来ることは優しい言葉をかけてあげて、優しく、極上の笑みを浮かべながら、天へと送ることだけであった。
「イェレナ。そろそろ燃やすよ。あまり長居するのも、良くない。君に倣って俺も重装備だけど、それでも完全に防げるわけじゃないんだ。何よりも、彼女のそれを俺たちは知らない。未知の病を俺たちがキャリアとして広めるのは」
「わかってる!」
「わかってない! 彼女は、最後わかっていながらも俺の笑みに合わせて笑ってくれたんだ。安らかな笑みで……その想いを汲み取らなきゃいけない。こんなところで無駄にするほど安いのか? イェレナ・キールの大望は!」
「……ごめん、自分で、立つから」
奇跡が目の前にあった。宿場町たった一人の生き残り。すぐさま保護して出来得る限りの処置を施し、回復し始めていたのだ。
その矢先、病状が一変し、奇跡はより絶望を色濃くした。
「あの手を取っていたら、救えた命だったかもしれない、な」
絶望の淵に立たされながら、それでも彼女に手を差し出すことは出来ない。それは彼女の道を踏みにじる行為であり、その甘えはガルニアに捨ててきたのだ。
「ここでお別れだ。症状が表れないことを確認するまで人里には近づかない方がいい。俺もそうする。もう少し、いい別れ方をしたかったけどね」
「……大丈夫。舐め合いを、する気はない。私は、大丈夫」
「健闘を祈る。今日の犠牲も糧に、心は、共に」
「私は今日を、この旅を忘れない。何度負けても、何度勝っても、決して。さようなら、アルフレッド・レイ・アルカディア。ずっと、愛してる」
力強く立ち上がるイェレナの姿に弱さは、なかった。
「永久に。今日を、君を、この旅を、忘れない」
炎がまた一つ立ち上る。小さな灯、奇跡によって生まれた新たなる絶望。創造主が何を想おうと、どんな意図があろうと、やはり気に食わないし許せない。今ここで全てに後悔しながらも綺麗ごとを吐いた己も大嫌い。
とうとうアルフレッドはただ一人になった。
そしてここからが始まりなのだ。
「様子を見ている暗殺者、そろそろ良いんじゃない?」
アルフレッドが物陰に視線を向ける。その眼に、温もりはない。
「あのお坊ちゃんが、随分と複雑な貌するようになったな」
「やはり貴方でしたか。足音が随分と小さかったので」
「普通は聞こえねえはずなんだけどな」
物陰から現れたのは元闇の王国、ニュクスの駒であった東方からやってきた男、黒星であった。極めて小さな足音、目の前にしてなお薄い雰囲気。
「自分が強くなって初めて、見えるものもある。強い、ですね」
「ハッ、随分強く成ってんじゃねえか」
「それなりに積みましたので。戦いますか?」
「冗談。俺も、丁度やることなくてな、暇だしでっけえ狼煙が上がっている場所に足を向けてみたわけよ。そしたら、修羅場に出くわして途方になぁ」
「やることないなら俺の手伝い、しませんか?」
「俺は高いぜ?」
「今は路銀程度しか持ち合わせがありません。出世払いでお願いします」
アルフレッドの立場で出世払いは少しばかり笑えないし、本人がどういう意図を込めて言ったのか、分からないほど黒星は愚鈍ではなかった。
「白の王は盤石だぜ?」
「それを覆しに行きます。まずはヴァイクと仲良くなって、次は暗黒大陸の皆さんと仲良く成ろうかな、と。だから、強い駒が要るんです」
「面白そう、ではあるな」
「面白いですよ。俺が脚本家なので」
(老師が消えちまう前に残した、向かうべき道。ラウルのガキは何に出会ったのかね? で、俺は結局振出しに戻る、か。まあ、悪くねえや)
アルフレッドが差し出した手。拒まれることなど微塵も考えていない。
黒星は「暇つぶしだ」と強がりを言い放ってその手を取った。
「黒星だ。東方の武人で、暗殺術も少々使う。最近師匠が『突然』消えちまって、まあ、目標を喪失した感じだ。面白い内は一緒に遊んでやるよ」
「アルフレッド・レイ・アルカディアです。何でも出来ます」
「……嫌味な野郎だな」
「事実ですから」
傲慢なる黄金の王と口の悪い黒き従者。目指すは北。
王自らが脚本を担当する喜劇の幕がようやく開ける。
○
「何じゃあ! 何でこがいなガキにしてやられとる!?」
「お嬢! あいつら、マジでヤバいです。俺らまんまと一杯食わされたんですよ。商船に偽装して、獲物の振りをして、よりにもよって海で俺たちヴァイクに、海の民に喧嘩吹っ掛けてきやがった。いかれてやがる!」
海に浮かぶ一隻の船。小さくとも品のいい船にはひと気はなかった。先に同業者に襲われたのかと思えるほどに。調査のために出した部下は全て拘束されて甲板に転がされていた。弓を使おうにも彼らを盾にされると手が出せない。
「ふざけんなじゃ! わしらはヴァイクじゃぞ!」
「ええ。なので会いに来ました。仲良くなろうと思いまして」
「売っとるんか!?」
「喧嘩、好きでしょう?」
ちょんと拘束した海賊の頭を蹴飛ばすアルフレッド。海賊船の女船長の貌が見る見ると朱を帯びていく。美しい顔が台無しだ、とアルフレッドの追い打ちによって状況は決定的なものとなった。激昂と共に開戦される正面衝突。
五十人近くの戦闘員を有する大海賊船に挑むはただ二人の男。
金色の騎士と黒き拳士。
「さあ、最短を征こうか」
路銀程度しかなかった彼らがどうして商船を所有しているのか。そもそも乗組員が他にいないのは何故か。乗組員がいない船がこんな海域まで出てくるのは、よほどの凪であっても難しい。
いるはずの乗組員はおらず、彼ら二人だけが此処にいる。
されど今、その理由を問う者もそんなことを気にする輩もいない。海賊の面子を虚仮にしたスカした男を蹂躙しようとロープを伝って海賊たちが小さな商戦に飛び乗ってくる。布をかまされた拘束された者たちが呻く傍らで――
「やるぞ、黒星。足場は気にするな。次はあっちの船を取る」
「承知!」
金と黒の拳風が吹き荒れる。
王は最短を征く。もう迷わない。明確な刻限こそないが、それゆえに少しでも早く決着をつけるために最短で最高の結果を目指す。
条件は二つ、可能な限り早く、白の王の想定を超えること。
ローレンシアの誰もが驚嘆する奇跡を、伝説を創る。
これは英雄譚であって英雄譚ではない。英雄たちは物語を作ろうとしていたわけではなく、彼らの道がたまたま人の心を揺さぶる物語になっただけ。
アルフレッドは英雄譚を創るために道を切り開くのだ。この初志は英雄にあらず。謀略の徒であり、脚本家でもあり、自らの演出の下、英雄を演じる彼はもはや道化であろう。それで良いのだ。そう在るべきなのだ。
彼の物語は全て、逆算によって紡がれるのだから。
目指す先は一つ、憎しみではなく愛によって継承を果たすこと。
王殺しである。
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