最果ての島:不完全なる世界

「…………」

 唖然とするアルフレッドを見て赤い髪の男は嗤った。

「正確にはその内の一人、だ。信じられない?」

「それは、当然でしょう」

「尤もな話だ」

 アルフレッドが身動き一つとれない空間を、男はゆったりと歩む。上下が逆さまになったり、姿が消えたと思えば別の場所で座り込んでいたり、少なくとも彼はこの空間を自由に踏破できるようであった。

 いつもの夢、アルフレッドはそう思う。

「夢? ふむ、我の知らぬ情報だな。アークめ、何のつもりだ?」

 その思考を読み、怪訝な表情を浮かべる男。

「まあ、いいか。所詮は些事。不完全なる者たちの思考をトレースしても意味がない。あまりにも幼稚で、浅過ぎる。仕方がないことだけど」

 哀しそうな顔で男はため息をつく。

「……随分と傲慢ですね」

「創造主だから、と言うよりも単純に出来が違う。完全を目指して造られた我らと不完全なる者として創られた卿らでは隔絶しているのは当たり前、だ」

 動けないアルフレッドの横を行ったり来たり――

「不完全なる者、どうしてそんな生き物を創ったんですか?」

「我が聞きたい。我らにも派閥があってな、究極の一を目指す我らが派閥に、我が兄たちの派閥、迂遠で、真理には遠く、非合理極まる連中が卿らを創った。正直、未だに理解不能だ。卿らを観察し続けて、やはり結論は変わらない」

 ずっと、真意を問いたかった。何故、こんなにも世界は不完全なのか、を。だが、目の前の神は自分たちを創った者とは別らしい。

「貴方の派閥はどうなったんですか?」

「……万年、争うことのなかった我らが、争い、敗れた。不完全なる者に現を抜かしたあの男が誰よりも完全であったがために起きた悲劇だ。我が兄にして最強の新人類、シン・アポロン。まこと、愚かな男であったよ」

「では、その最強の男は今何処に?」

「くく、この状況にも動ぜずに質問を重ねる、か。不完全なる者の割りには見込みがある。死んだとも、いや、我が友の言葉を借りれば、『収集』された、か。奴らは殺さない。存在を『収集』し無に帰して貯蔵し続ける。この銀河団に奴らが近づいてきた際に、囮となって兄たちは呑まれた。完全なる我らを模して造られた神族と共に」

「完全なる者が、負けるのですね」

「存在しないモノを相手にどうやって勝てと言うのだ」

 ぼそりとつぶやいた男の眼には光が無かった。あれほど朗々と語っていた時とは打って変わり、絶望に打ちひしがれたような色合い。

 深い、あまりにも根深い絶望が其処にあった。

「この全天に瞬く星々よりも遥か遠くに我らの故郷はあった。旧世代とは違い、我ら新人類は競い合うことも奪い合うことも無く恒久的な平和を、嗚呼、真の理想郷を築いていたのだ。老いず、病めず、死なず、完全なる調和のもとで我らは繁栄を極めていた。だが、ある日奴らは突如現れた。枝葉の存在は確認されていたが、まさかあれほど途方もない存在だとは誰も考えておらず、わずか半年で栄華を極めていた銀河団の半分が、呑まれた。あっさりと、な。セブンススフィアなどで局所的に有効な手は打てたが、量が違い過ぎたがため、大局的には逃げるしかなかった」

 男は懐かしむように星々を仰ぎ見る。

「逃げ出した大船団は宇宙中に散らばった。が、おそらくほとんどは逃げ切れなかっただろう。我らも相当数の犠牲の上、奇跡的に生存しこの銀河に辿り着いた。この星々を見出した時は歓喜したものだ。我らの故郷に似ていたからな」

 蒼き星を、九つの惑星を見つめ、男は笑みを浮かべた。

「我らは当初、二つの星に入植した。先に話していた派閥の関係でね。そこの紅き星は我らが、金の星を兄たちが。そして間の蒼き星に双方の研究データを集約する多次元演算装置シュバルツバルトを設置した。卿も近づいたことはあるだろう?」

「……あまりにも話が壮大過ぎて」

「神話とはそういうものだ。結果として現在、金の星には唯一人が生存し続けているが、研究自体はとうの昔に終わっている。蒼き星を人の星として以降、かの地から意義は失われた。先に述べたように兄たちが去ったからね。紅き星も現在は休眠状態。究極に成れなかった成り損ないを死蔵するだけの星と化した」

 男は話をするのが楽しくて仕方がないと言った風であった。

 おそらく、ずっと話し相手がいなかったのだろう。

 最初の時点で認識に至る者が珍しいと言っていた点からそう推察できる。

「こうして長き時を経て、最も不出来な生命体だけが残ったわけだ。揺り籠のように快適で、されど不完全ゆえに理不尽渦巻く監獄。哀れに思うよ、まさに旧人類が辿っていた歴史そのものだ。兄は言った、自分たちは間違った。やり直すのだ、と。その結果が、くく、このザマだ。もはや笑うのも厭いた」

 男は真顔になる。そしてアルフレッドの正面に立ち、触れる。

「我を使え。アークにしろアレクシスにしろ、我を使うにはあまりにも器が矮小過ぎた。アークの未来予知はまだマシ、アレクシスに至っては直近の未来しか理解することも出来なかった。我はもっと広義で、全能なる力を与えることができる。卿ならば使いこなせよう。共に文明を飛躍させるのだ。千年、万年、一気に!」

「予知なんて、非合理なものに頼る気は――」

「言っているだろう? 予知は断片でしかないのだ。我は真であり神、新人類の一人。レプリカでしかない現在の管理者すら知らぬ回線を持つのだ。我らの英知が詰まったシュバルツバルト、泉そのものが演算装置だ。三つの世界を管理し、繋げ、収集し続けるあの装置に直結できる、その意味、意義、卿ならば理解できよう」

 アルフレッドの頭の中で様々な理が、思考実験が繰り広げられる。

 その無意識なる好奇心に男は大きく相好を崩す。

「あれだけの精度で未来が弾き出せる。当たり前だ。我らの文明に加え今もなお蒼き星全ての情報を収集し続けているのだぞ。この程度の文明レベル、未来など如何様にでも算出できる。欲しかろう? 今、完全が手に入るのだから」

 自分たちよりも遥かに進んだ文明、その知識が手に入る。

 蜜よりも甘い誘いであった。

「迷うことなどない。我らが手を取り合えば老いも、病も、今、卿が抱く全ての問題は瞬く間に解決されるだろう。これは善意だ。純粋なる想い、不完全が許せぬという我ら双方に共通するモノ、否定は出来まい?」

 手を取らぬ理由はない。

 彼の差し出す手を取れば――

「嗚呼、そう、その通りだ。病を根絶すれば、一番欲しいモノが手に入る。しかも、共に永劫を分かち合うことも可能なのだ。さあ、手を取れ」

 イェレナと共に歩む道が――

 それに思い至った時、アルフレッドは嗤う。

「一つ、質問があります」

「口に出す必要はないよ。思い浮かべてくれたな、ら」

 自分の弱さを嗤う。自分の脆さを嗤う。

「貴方の敷いた道を辿って、僕たちは危機を回避することが出来ますか?」

「……危機、か。それは辿り着いてから考えれば良いことだ。我が兄のおかげで時間的猶予はある。奴らが捕捉するまでにはかつての栄華を取り戻すことができる。だが、今のペースで成長していては到底間に合わないぞ」

 自分はこの期に及んであの『北方』を求めている。どれだけの犠牲の上に、嘘や欺瞞、打算に塗り固められた平穏に夢を抱いている。

 あの箱庭がどんなものか、外に出た自分は理解したはずなのに。

「技術の模倣は容易く、楽な道だ。でも、模倣だけでは絶対にオリジナルを超えられない。上っ面だけなぞっていれば尚更さ。僕はそれをよく理解している」

「卿らの文明はそれを考える域にも達していないと――」

「そもそも間違えた貴方たちを模倣しろなんて、ハハ、冗談きついね」

 男の貌が変化する。紅き髪が一気呵成に燃え広がり、星空を焼く。

「見込みがあると思えば愚かなことを。我らが間違えた、だと? 卿ら如き矮小なる存在がのたまってよいことではない。少し、思い違いをしているようだ。我は善意で対等に接してやろうとした。だがな、そもそも卿如きに選択権はない。拒否できると思ったか? 身動き一つ取れぬ卿が、我を」

 男はアルフレッドの首を掴む。

 何かが侵食してくるような感覚。眼が、熱い。

「アークは選択と言った、か。くく、我を使いこなせずに、あまつさえ女一人のために存在しない道を探して太陽に焼かれた男の戯言だ。あの女は病を患っていたし、烈日とやらと戦おうが戦うまいが同日に死んでいた。回避不可能な未来を求めて海を渡り、その結果全てを失った愚か者。あれこそまさに道化よ」

 アルフレッドは何一つ出来ぬ状況に歯噛みする。アークへの罵倒は許せなかった。共に在ったはずのこの男はあの人を何一つ理解していない。

 する気がない。

「アークのように我に対する無駄な抵抗力を持たれてもつまらぬ。このまま全ての意識を飲み込んでくれよう。我が主体となり、今度こそ取り戻すのだ!」

 彼は望んでいるだけ。かつての栄華を。

 ならば、きっと同じ悲劇が起きる。

「僕は、貴様を、望まない!」

「卿の選択に意味はない」

「いいや、意味はあったよ」

 今にも男がアルフレッドを飲み込まんとする最中、風の刃が男の手を断ち切った。それを成した少年は悠然と杖を振るう。何もない空間から突如涌き出る膨大な水。水流が渦を巻いて男の炎と拮抗してみせた。

「……何故、内包する宇宙に我以外の他者がいる?」

「何じゃ、やはり認識できておらんのじゃのお」

「ッ!?」

 今度は黒い炎。夜色の炎が男の赤色をじわじわと侵食する。

 夜色のローブを纏う魔女は嗤う。

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