最果ての島:嘘と真

「何故ですか!? 何故、俺たちが戦わなきゃいけないんですか!」

「それが天命! 宿命ゆえよ! 我は一度として口にしてはおらぬぞ、卿の道の是非を。卿の覇道が往く先に我ら騎士はおらぬ! 戦士はただの兵士に成り下がり、誇りは露と消えん! 騎士王が何故それを看過できようか!」

 信じられない気分であった。彼がそんなことを考えているなど、それこそ露とも考えていなかったのだ。アークなら自分を理解してくれているし、後押ししてくれる。そんな理由もない確信があったのだ。

「ドーン・エンドで何を見た? エスタードで何を知った? そしてこのガルニアに流れ着いた哀れなる者たちを見て、何を想った?」

 アークの圧が高まる。

「闘技場もそう、見世物として生きるしかない闘技者たちを卿に見せるため、我は誘ったのだ。どうやら、あまり卿の琴線には触れなかったようだがのお」

「そ、それは――」

「どこまで行っても卿は白騎士の息子。充分に理解できた。我は白騎士を討ち、戦の世を取り戻さんとするために卿を育てていたが、それもここまで。これだけ見せてなお、卿の眼に彼らは救う対象とは映らなかったのだからなァ!」

 大気が震える。騎士王の怒り、打ち震えるほどの憎悪。

 彼は初めから誰の道に対しても是非を示さなかった。だが、是非が無かったわけではない。思うところが無かったわけでもない。

 関与すべきでない、ゆえにここまで彼は口を閉ざしてきた。

「卿らが切り捨てる対象を我は愛しておる。なれば、戦うは必定也!」

 ここまでの言葉は偽らざる本心である。

 騎士王アーク・オブ・ガルニアスにとって新時代はあまりにも遠過ぎたのだ。時代が一周、二週、周回遅れになり、自らを旧き者として口を、手を、全てを縛ってきた男の本音。彼らは正しいのかもしれない。正しいから勝ったのだろう。

 されど、正しいから死ねと言われたモノが――

「剣を抜かぬのか? それとも無手でも我になら勝てると?」

 黙って身を差し出すとは限らない。

 急速に変わった世界、その歪みがドーン・エンドを産んだ、否、ドーン・エンドを必要とした。あれがなければ今頃、世界は多くの火種を各地に内包するおぞましき惨状となっていただろう。それを力で征さば、また新たなる歪を産む。

 今のガルニアもそのための機構。

「驕っておる」

 それは正しい在り方なのか。ただの一時しのぎではないか。

 今のアークが示すは――

「あっ――」

 片隅で生きよと断ぜられた者たちの慟哭である。

 力ずくの加速、膂力を速力に変換し、大地が抉れるほどの破壊を持って駆け出す。稽古では見たことがなかった、獣じみた破壊的突進。

 その勢いを加えたシンプルなる袈裟切り。

 アルフレッドはその一撃に、ただただ無心で抜かされてしまう。

 反射的に繰り出した居合い術。相手の破壊力に対応するために限界を超え、後出しで合わせる最速なる斬撃。無心ゆえ、手心一つない。

 だが――

「ぐっ!?」

 吹き飛んだのは、アルフレッドの方であった。多少練りが甘かったとはいえ発勁も込めている剣を、吹き飛ばす怪力。

 アルフレッドの知らないアーク。この場の、本当に一部の古参しか知らない騎士王の本領。大ヴォーティガンが去った後、若き彼が戦歴を重ね巨大な連合軍を形成する頃には、誰もが口を揃えて彼をこう呼んだ。

 『ガルニア最強』と。

「抜いたか。では、参るぞッ!」

「アークさん!?」

 凄まじい破壊が産む速さと力。振るわれる剣は特別な工夫は無くとも一撃一撃が重く、振りも鋭く隙が無い。巨躯でありながらコンパクトに振り抜き、力を余すことなく伝え、より破壊力を底上げしていたのだ。

 技の繋ぎも無駄がない。目新しさはないが、普段稽古で見せていた大振りや派手で隙もあった剣に比べるとあまりにも違い過ぎる。

 これが騎士王、勝負の場での、戦場でのアーク。

 優れた剣才と卓越した身体能力。一定ラインを越えた戦術理解に、類稀なる勝利への嗅覚。如何に強力な眼をもってしても、流動的で変化著しい戦場では素早く答えに辿り着かねばならない。一対一であればなおのこと。

 彼にはそれを使いこなすセンスがあった。

 いや、もっと言えば、現場でそれを使いこなしていた彼は異常なのだ。

 本来あの眼は事前の準備にこそ力を発揮するものゆえ。

「悪いが、戦となれば加減は出来ぬぞ」

 若き騎士、もはやそう呼べぬメドラウトらの世代ですら騎士王の猛攻に小さくない戦慄を覚えていた。敗残の将、実戦での彼を知らぬ者は記録でしかアークを判断できない。

 無論、外に出る前の逸話は残っていたので平凡であるとは思わなかったが、かすれ果てた伝説にまでこれほどの力が残っているなど、誰が想像出来ようか。

 速く、強い。シンプルなる強者。その上で無駄を徹底して排している。

 アルフレッドにとっての天敵。

「驕りは身を滅ぼす。侮りは自らを錆びさせる」

「あな、どっていたわけじゃ」

「では、その狼狽は何だ? キケと我にそれほど大きな差があると思ったか? ディノは知らぬが、剛力で知られたチェと我、さほど差はなかったぞ」

 勝負の場での騎士王。キケと同じように実体よりも巨大に見える。

 圧が、凄まじい熱量が、

「……なるほど、これが戦場での父上か」

 アポロニアを彷彿とさせる大火が、世界を焼く。

「今まで、手を抜いていたんですか?」

 アルフレッドの顔には弱々しい笑みが張り付いていた。信じたくない事実。最初から全てが仕組まれており、自分が使えないと判断した際に、己の手で処分できるよう調整して稽古していたのであれば、あの日々は全て嘘になる。

 無間砂漠を初めて見た時の感動も、地獄を潜り抜けて再会した時の安堵も、其処からの全てが、何もかもが偽りであったとすれば――

「今の我が答えである!」

「……んだよ、それ」

 アルフレッドの貌に、もはや鉄壁の笑みは無かった。仮面は崩れ落ち、その下に揺蕩う弱き彼が表に出ていたのだ。父も母も嘘ばかり、王子という嘘が無ければ近づきもしない嘘の友人たち、この上、この人にまで裏切られたなら――

「僕を、よくも、騙したなァ!」

 獣の如し咆哮。それを聞いてアークの貌がかすかに歪む。

 脳裏に打算はない。アルフレッドという少年にとって最も危険な状態である、思考停止。裏切られ、傷つけられ、全部が陳腐に思えた。

 この旅に意味はなかった。そう思うと――

「殺してやるよォ!」

 愛憎とは表裏。それが深ければ深いほど反転した際にも同じ深度となるのだ。愛に飢えている少年がそれを得て、奪われた。

 しかも与えた張本人の手で。

 紅き閃光と化してアルフレッドは駆け出す。肉体の限界を度外視したリミッターの解除。今回は狂気によって痛みを超えてみせた。

「……馬鹿野郎」

 メドラウトは突貫するアルフレッドを見てぽつりとこぼす。

 力に秀でた者にそれでぶつかるなど、愚の骨頂である。それを理解せぬアルフレッドではないだろう。此度に関しては、それほどに深かったのだ。

 アークへの想いが。思考を捨てさせるほどに。

「ずァ!」

 そしてそれら全てを騎士王の一撃が吹き飛ばした。円陣を組む騎士を割るほどの速度でアルフレッドは宙を舞う。というよりも飛翔する。

「こんなものか」

 たとえ彼が生涯を賭して肉体を鍛え続けようとも永劫埋まらぬ差。相手の長所を自分の短所で倒そうとするものであろう。

 不可能。誰もがそう思う。

「……アル」

「もう、無理だ。ごめん、イェレナ。僕、無理なんだ。本当があると思ったから、踏ん張れていたけど、でも、無いんだよ、それが。じゃあ、全部嘘なら、僕が抗う意味って何? 父も母も友人も、誰も信じられないのにさ」

 吹き飛ばされ、倒れ伏すアルフレッドのそばにイェレナが駆け寄っていた。アテナはそれを呆然と見つめることしか出来ない。あれほど輝いて、悩むことなんてない、全部持っていると思っていた少年の弱さ。

 誰も何も言えない。彼はまだ二十歳にもなっていない少年なのだ。

 零れる涙は痛みの大きさを表している。彼を知る者であればその愛の大きさに、純粋さに、目を背けてしまいそうであった。

 それでも唯一人――

「私がいる」

「……でも、君だって僕のもとから去る」

「それは貴方も同じ。隣にいたって、貴方は遠のくだけ。私もアルと同じ。病は憎いけど、患者さん全てが愛おしいわけでもないし、愛せるとも思えない。私も嘘つき。でも、一つだけ嘘じゃない。私は貴方と並ぶために戦うの」

「……え?」

「戦い続けることが、本当の意味でアルの隣に立ち続けることだってわかったから。私の、それが本当の望み。アルは、違う?」

「……違わない」

 別の意味でアルフレッドは涙が溢れそうになっていた。ずっと、求めていたものが目の前にある。そしてそれはいつか自分の前から消えるものだと思っていた。でも、違うのだ。それは離れていても、否、離れているからこそ隣り合う。

 二人は進む者。進み続ける者。どちらかが歩みを止めない限り、それが別たれることなどない。神ですら引き裂けぬ、二人だけの世界であるから。

「それは、とても嬉しい」

「僕もさ」

 アルフレッドは再び立ち上がる。涙をぬぐい、きちんと己が足で立つ。

「アークをきちんと見て。私は三人の旅が嘘だったとは、思わない」

「ありがとう、イェレナ。気合、入れてくれる?」

「どーん」

 どこまでも無表情で、語る言葉もどこか冷たい。でも、アルフレッドは知っている。その手の熱量を、彼女の瞳の奥にある情熱を。

 何よりも背中に炸裂した『痛み』が思い出させてくれた。

 自分は一人じゃないのだと。

「ちょっと強過ぎない?」

「気付けだから。死ななければそれも含めて治してあげる」

「……本当に、君に会えてよかった」

 アルフレッドは熱を帯びた笑みを彼女に向けて、そして冷たい王の笑み、鉄壁の仮面を装着する。喜劇の王、この惑いもまた物語を盛り立てるネタ。

 滑稽なる王は悠然と円陣の中に戻る。

「女の助けが無ければ戻れぬ程度の覚悟か?」

「そんなもんでしょ、男って」

 その発言にガングランは「あっはっは!」と腹を抱えて笑った。ユーフェミアも苦笑いしていた。メドラウトなどバツが悪そうにしている。

 愛が人を狂わせることがあれば、愛が人に正しき道を示すこともある。

「この旅で俺は沢山のものに出会いました。そしてそれは貴方がくれたものです。嘘でも真でも、俺は全部喰らって先に進みます。だから――」

 アルフレッドは「コォ」と浅く、されど深き呼吸の最中、思考をフル回転させ相手との攻防を、枝分かれした未来をすさまじい速度で演算していく。

 未来予測、予知とも呼べる域に達した瞬間――

「ありがとうございました」

 蒼く清涼なる雰囲気が放たれた。そこに黄金も入り混じる。

「感謝など、無用。我が勝利に揺らぎはない!」

 またしても爆発的な加速力で迫るアーク。だが、今度はアルフレッドも揺らがない。後方に下がるではなく、あえて前方へぬるりと間を潰す。

「驕りは、何でしたっけ?」

 剣先にて捉えるは剣の腹。沈み込みながら相手の横薙ぎに合わせて、下段からすくい上げるように突いてみせたのだ。轟音をまといとてつもない破壊力と速度を帯びた剣を点で捉えるなど不可能に近い絶技である。

「ぬゥ!?」

「侮りは、ッ!?」

 体勢を崩したアークに不可避の追撃をかけようとするアルフレッドが停止する。沈み込んだことで負荷がかかった膝に鈍痛が奔り、集中が途切れかける。

(まずいな、さっきのあれだけで、もう、膝が)

「ぬんッ!」

 崩れた状態からの力任せの大振り。自分がやればへなちょこにもなろうが、アークがやるといっぱしの攻撃になるのだから不公平なものである。

 それを足を使うことなく『機』を捉え、剣でそらしながら互いに距離を取る。

「……要らないわけじゃない。目安にはなるし、そうだな、分けるか」

 アルフレッドは瞬時に頭の中で思考を分割する。

 痛みに対して正常に痛いと信号を出す区画とそれ以外を分けたのだ。

 これで痛みが集中を妨げることは無くなった。いや、厳密には無くなったわけではないし、万全であればより好ましいのだが。

 おそらくこの先、自分はこの痛みとも戦い続けることになる。今の内に慣れておく必要があるだろう。痛みの中でも揺らがずに戦い続けるために。

「……仕上がっておるわ」

「でしょう? 貴方が俺を此処まで導いた」

「今は、悔いておる」

「哀しいです。それは、本音に見えますので」

 アークは一瞬、虚を突かれたような表情になったが、すぐさま騎士王の仮面を被り直し、再びアルフレッドと向き合う。

 両者、もはや迷いはなし。

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