最果ての島:真実
静けさ覆う湖畔の古城に喧騒が舞い降りる。
「ぶ、ブリタニア王! いくらご姉弟とはいえお約束無しでは」
「構わないよ。姉さん、そんなの気にしないでしょ」
「し、しかし、ブリタニア王とアークランド、いえ、ガルニアスが安易に接触されますと、ガルニア全体にとって大きな刺激になりかねません」
「ガルニアスがブリタニア王になった時点で意味ないでしょ、それ」
「今の陛下は『大騎士』が認めたブリタニア王なのです。以前のように秘密裏に参られるのであればともかく、こんな大所帯で来られては」
「騎士たちが行くって聞かなくてね。僕、人望ないから」
「そ、そんな、ブリタニアの騎士が騎士道に背くことなど――」
メドラウト・オブ・ブリタニアが騎士団を率いて堂々とアークランドの、ガルニアスの領地を跨ぐなど一昔前であれば事件、ふた昔前ならば大戦争の前触れでしかなかった。今でさえブリタニアの民がガルニアスの縁者に並々ならぬ悪感情を抱いているのは明白であり、そこがメドラウト王の難しいところであったはず。
それなのに当の本人がこうも揺さぶる振る舞いをすれば、敗戦によって鎮静化しているガルニアの何処で火がつくかわかったものではない。
ただでさえ余所者たちが暴れている昨今であればなおの事――
「随分と騒がしいのお、メドラウトよ」
「これはこれは随分老けられましたな、父上」
彼らこそが静かであらねばならなかった。
「あまりにも久方ぶり過ぎて、積もる話も沢山ありますよ」
その規範となっていた男が、こうして大勢を引き連れて城の周辺を囲わせている。まるで包囲し、蟻一匹逃がすまいとしているかのようであった。
どさりと対面のソファーに座る男の眼に、親愛の情など浮かんでいない。
「じっくり親子の会話を交わしましょうか」
アークは枯れた笑みを浮かべる。
「よかろう。凡て話そう」
メドラウトもまた微笑みながら、
「姉さん、貴女も同席すべきだ。この男が全てと言ったのだから」
英雄であった姉に着席せよと促す。
「……そうだな。ガングラン、卿はどうする?」
「遠慮しておきます。私は自らの感情で焼け死んだ男を知っています。この身にはその血が流れている。私がそれを注ぐ相手は今の家族で充分。どうぞ、ご家族での対話をなさってください。私は決定に従います」
「そうか。私は卿がそれに飲まれることは無いと思うがな」
「未来を知れば変わるかもしれない。それが怖いのです」
ガルニアにいる者であれば口にせずとも耳に挟んだことがある噂。ガングランとて承知している。そして彼は、その怖さも理解していた。
「待たせた」
「ガングランは聡いね」
「ゴーヴァンの息子らしい。あれも求められた騎士像を演じつつも合理的に物事を見る男であった。よく感情が先行するランスロとやり合っておった」
「殲滅を是とするのも結果として被害は少ない、か。合理的かつ豪胆であるな、父上が引き連れし二振りの剣、太陽騎士」
「二人とも脇道にそれすぎ。それとも触れたくない? 恐い? きちんと事実確認をするのがさ。でも僕は問うぜ。まずは、噂の真偽についてだ」
「……アルは、どうだったか?」
「いい子だね。優秀だし、実に僕好みだ。きちんと自分の限界を知ってなお、超えるべき目標を理解しているから、父と同じ奇跡を……話そらしたね? ちゃんと旅立ったよ。適当に理由をこねくり回して南へ向かわせた。戻ってくるのは、もう少し先だろうね。景色は良いし、良い思い出になるよ。ま、何にもないけどね」
「それがよいのだ」
「爺にはね。さ、そろそろ本題に入ろうぜ、アーク」
ひりつく大気。その強さにアポロニアはピクリと反応する。
「似ておるな。かつて我が、我が戦友が、いや、ガルニア中の騎士が目指した高み、大ヴォーティガンに。ガルニアの覇者に成る器を備えながら、強烈な選民思想ゆえに統一王に成れず、否、成る気すらなかった怪物に」
「だから、のらくらしてんじゃ――」
「我がこの眼を得たのは、丁度、急いていた頃であった。どれほど積み上げても縮む気がせず、負けてばかりであった。息子であった小ヴォーティガンと並べられる始末。嗚呼、そうであったな、あの日も、あれと小競り合いを――」
突如始まった『本題』。
「古い聖域、年寄りは誰も近づかぬ森でな、陣取り合戦をしておった。互いの間で先達が手を付けていない土地が無くなり、功を急いていた我らはそんな辺鄙な場所の取り合いに興じていたのだ。愚かであり、若かった」
(聖域、いったい何のことだ?)
メドラウトはそんな土地の存在を知らなかった。現ブリタニア王が知らないのである。だが、話の腰を折るほどではないと彼は沈黙を貫く。
「小さな湖、いや、泉、か? どちらでもよいか。我はヴォーティガンと打ち合いをする中でうっかり落馬しての。ぽちゃんと落ちた」
「なるほど、それは窮地だ」
「何で窮地なんだよ。泳げばいいだろ?」
「「我らは泳げぬ」」
「……胸張って言うことかよ。いい年の爺さんとおばさんがさ」
しゅんとするアーク。感情の抜け落ちた表情であった女傑が――
「……ふむ」
かすかに見せた殺気をメドラウトは見逃さなかった。
「死んだと思った。冗談ではなくてな。存外深かったのもあるし、若気の至りか、その、重装備であったのだ。馬が嫌がるほどに」
「だっせえ」
「若さである。水の中で我は得体の知れぬモノが眼に入り込んだ感覚を得た。対話をした気もするが、その時は混乱しておってな。情けない話だが好敵手であったヴォーティガンに引っ張り上げられ、一命をとりとめたのだ」
「……ダサすぎんでしょ」
「ヴォーティガンにも言われた。好敵手が溺れ死んだなど父に説明できるか! 死ぬなら地上で俺に殺されて死ね、と。ちなみに仕切り直しの一戦は我が勝った」
「それまたダサいな。お互いに」
「それ以来、不思議なものが見えるようになった。人の命、その揺らめきが見えるようになったのだ。最初はよく分からなかったが、それを完全に理解したのは大ヴォーティガンに挑戦した時であった。誰もが力不足と止めた。自殺だ、と友であり先達であったペリノアにも止められた。焦りが、我に悪手を打たせたのだ」
ガルニア最強への挑戦。その高さを若き彼らが知ることは出来ないが。
「我が炎が、本当によく揺れた。些細な選択一つで火が消える。当時の我が勝てる相手ではなかった。だが、この眼は万が一を導き出してしまう」
「ああ、それがガルニアスがブリタニア王に勝った日、か」
ガルニアを震撼させた一大事件。大ヴォーティガンを若きガルニアスが討ち取ったという信じ難き偉業。誰もが最初は誤報であると思った。
それほどに男はガルニアで突き抜けていたのだ。
「死にたくないと願いながらありとあらゆる選択肢を浮かべ、気づけば相手の灯が消えていた。それを信じ遮二無二突き進み、我は勝利した。感無量であった。この力は無敵だと思った。誰よりも優れ、ゆえに神は我にこの力を与えたのだと。選ばれた、と我は愚かにも考えてしまった。実に、愚かであったとも」
アークは苦渋と呼ぶにはあまりにも重苦しい表情で床を見つめる。心底悔いていた。あの日、勝ってしまったことと間違った確信を抱いてしまったことを。
「同じように勝ち続けた。味方の火が燃え盛り、敵の火を消せばいいだけ。何と容易い戦場か、瞬く間に我はガルニアの頂点に立った。ヴォーティガンは絶対に我を認めなかったが。まあ、当然であろうな」
「本当、なのか?」
「事実だ。慣れてくると火を見れば大体の寿命が分かるようになった。短慮であったが、ああ、ペリノアとヴォーティガンには伝えてしまった。これも悔いである」
その名に二人は反応してしまう。
どちらも、自分たちのために死んでいたから。
「一つ、聞いていいかい?」
「構わぬ」
「僕らの天命を、その力で操作したことはあるか?」
「……ある」
「最初の一つが、僕と姉さんを不自然に離したことか?」
「……そうだ。あのままでは卿の命は三年も無かった。病か、別の理由か、それは分からぬが、離さねば死んでいたのは事実である」
メドラウトはギリ、と歯噛みする。
「で、離した結果、僕はいつまで生きる予定だった?」
「それを聞いてどうする?」
「ずっと引っ掛かっていることがある。僕はそれを知らずには終われない。言えよ、明らかに、不自然だった。どいつもこいつも、だ!」
「……最終戦争と呼ばれる戦、その最後にて散るはずであった」
「ふざけるな!」
剣を抜き放ちアークへと振りかかるメドラウト。その剣をアポロニアが剣の腹を突いて弾き飛ばす。アルフレッドの絶技と同じ、違うのは『機』の深さ。
当たり前のように刹那を突く深淵なる蒼。
「何故、止める?」
「サー・ヴォーティガンの天命もまた同じ日であったか?」
「……うむ。我も、忘れておったがな」
「それが答えだ。受け止めよ、サー・メドラウト」
アポロニアの眼がメドラウトを貫く。視線が穿つのは分からないふりをする己自身。分かっていたのだ。あの不自然な用兵。迷いなく相手の死角を突き、万に一つとしか思えないタイミングで黒獅子を穿ったあの瞬間に。
「……勝手が、過ぎるだろ。なんだそれ、全部、全部お前らの掌の上かよ!? 僕は、あの男に嫌われていたはずだ。なのに、何故!?」
「あの男が嫌うのは認めている相手だけだ。どうでもいい相手は相手にもせん」
「何だよ、それ」
「生かす価値があると思ったのだ。其処に関して、我が関与しているのは遥か過去に、あの男に天命を告げたことだけである。まあ、充分過ぎるが」
「……そうかい。くそったれ」
どさりとソファーに沈み込むメドラウト。全てに合点がいった。それによってやるせなさは募ったが、それでも知らぬままよりも良かったと思う。
「私は、いつだ?」
アポロニアの問い。
「剣を、握らせた日だ」
アークの言葉にアポロニアは「やはりか」とばかりに微笑む。
「剣を握らなかった私はどうだったのだ?」
「……最終戦争よりも後、炎が極限まで高まり、散る予定であった」
「く、くく、あっはっはっはっはっはっは!」
突然笑い始めたアポロニア。姉が此処まで感情をむき出しにするさまなど、英雄王との一件以来初めての事であった。それほどの狂笑。
「くひ、くひひ、そうか、負けるか、私の最善でも届かぬか。やはり、あの男は、本当に愛しいな。嗚呼、そんな未来があった。そして負けて、あの男の道、その一部として死ねた。くふ、そうか、そうだったのか」
「白騎士とは限らないさ」
「限る! 私がそう確信しているのだ!」
アポロニアは凄絶なる笑みを浮かべていた。
かつての女王。騎士たちの女王であり、戦女神と謳われし最強の女傑。
カリスマの権化たるかつての姿を――
「我を許せぬか?」
「かつての私ならば。だが、今は別に構わぬ。それに、私が極限まで燃え盛ったのだ。ならば、それによって生み出された屍はおそらく、最終戦争とは比較にならぬ。十万、二十万、もっとか? 私は殺していたぞ、敵味方問わず」
戦争の申し子。戦に愛され戦を愛した女。
「世界にとっては最善であった。父上が成そうとしていることも、そうなのだろう? あの子を連れてきた。そして、おそらくは父上の命は」
「察しがよいな。うむ、我が天命、残り僅かである」
「……そうか。で、あの子に何をさせるつもりだ?」
メドラウトの問いにアークは哀しげに微笑む。
「試練と継承、選択を与える」
アークの眼から零れる血。真紅に染まった眼の奥に、何かがいる。
「……ようやく本当の本題だな。全部話してもらうよ」
「試練は察しが付く。だが、継承は聞き捨てならぬ」
その何かを宿しながら――
「最初からそう言っておる。凡て、だ。とくと聞け、我が命の使い道。身勝手なる願いと愚かな我が唯一、胸を張って正しいと言い切れる末期を!」
アークは語り始める。それを二人の子供は静かに――聞いていた。
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