最果ての島:最後の一勝負
伯仲する剣と剣。
アルフレッドとメドラウトは盤上ではなく剣を携え対峙していた。先日見せた戦いよりも明らかに汚い攻防。流れるように美しく終着まで導かれかけていた戦いとは打って変わり、双方の狙いを外し、騙し、互いに泥臭く戦う。
そこに彼らは戦場を見た。
「そうそう。年上だからって気兼ねしなくていいんだぜ。君の場合、そろそろ届かなきゃ永遠に届かないだろ? 本気で挑戦する気なら、今、越えてみな!」
噛み合わない、噛み合わせない。意図を掴ませず、釣り餌の意図を掴ませる。されど、互いに容易い餌にはかかってくれない。
視線、剣先、握る手の力み、足先の挙動、立ち位置。
見れば見るほどに考えが張り巡らされている。
これが騎士メドラウトの剣なのだ。かつて王会議の折、白騎士に負かされたことで手に入れた合理の剣。それを己がモノとして、今に至る。あの出会いを返そう、などと殊勝なことを考えていたつもりはないが、それでも今日はそればかりを考えてしまう。
肉ばかりを見ていた眼は、俯瞰を取り戻し地形も含めた全体を見ている。相手の剣を見切った後は自分の中で組み立てて、相手にそれを当てはめようとしていた傲慢さも消えた。無論、それが通じる相手であればそうするのが一番いい。
相手を操り、負担を抑えて倒す。彼には必要な技能だろう。
だが、それが通じない相手もここから先、出てくるかもしれない。そんな時、その癖がこびり付いたままでは勝てるものも勝てなくなってしまう。
彼は一度天性であるそれを失いかけ、この地でメドラウトを相手にそれを取り戻した。ただの天性であれば失えばそれまで。
だが、一度独力で手にしたものは忘れない。
(さあ、何百戦も重ねた力、僕に見せてみろッ!)
メドラウト気合の一閃。本当に腹が立つ話ではあるが、その道を諦めてから騎士王の血が表に現れ、体格に見合わぬ剛剣も手にすることが出来た。目の前の少年に明確に勝ると言い切れるのがそれでは、何とも歯がゆいモノではある。
されど手を抜く気はない。本気を超えねば意味がない。
アルフレッドは完璧な姿勢で受けたが、それでもやはり崩れてしまう。
それを見逃さぬのがメドラウトなりの優しさである。咎めることで伝えるのだ。ここがお前の隙だ、お前の甘さだ、と。
重なる連撃。誰もが勝負の終わりを予期した。
「コォ」
完全に崩れた体勢を見て、メドラウトは勝負手を放った。騎士王が得意とした上段からの袈裟切り。相手が受けられぬ体勢にある中で、相手の受けごと踏み潰す力の剣で沈めんとする。やり過ぎだ、騎士が止めに入ろうとするが――
少年が蒼き雰囲気を放つ。
(馬鹿言えよ。僕より強くなった奴に何で遠慮しなきゃいけないんだって話だ)
その袈裟切りが空を切り、皆が絶句する。
崩れた体勢、何もせずとも背中から倒れる状況から、アルフレッドは袈裟切りの軌跡、その側面を剣先にて射抜いてみせた。その剣先は寸分たがわずメドラウトの剣の腹を捉え、あるはずのない衝撃は容易に剣の軌道を変えた。
そこからもまた絶技。剣を打った衝撃を利用し、身体を空中で回転させ、剣を持っていない方の手を地面に打ち込み反動で身体を持ち上げ、足を組み替えそのまま片手で支えることで何とか身体を制御化に置く。
そして身体は後ろに向けたまま、背後のメドラウトの喉元に剣を添えていたのだ。打ち下ろしによって前かがみになってなければあんな姿勢で届くはずもなかった剣。自分で窮地を演出したのか、窮地をアドリブで乗り切ったのか、それを窺い知ることは出来ない。
窺い知れぬ満点の笑み。不動の、鉄の仮面を少年は取り戻していた。
霧散する蒼。上手く使ったものである。
「お見事」
「ありがとうございました」
あまりにも鮮烈なる決着に自然と騎士たちは拍手をしていた。メドラウトの強さがこれでもかと出た戦いで、アルフレッドが勝ったのだ。まだ二十歳にもなっていない少年が、ガルニア最強クラスの、いや、ローレンシアでもトップクラスの武人に勝利した。
それはまさに快挙であり、新たな時代を予感させるには充分な出来事。
「――でも親子ですね。最後の一撃、アークさんにそっくりでした」
「うげ。それ本当? うわー、最悪だぁ」
「あはは。いいじゃないですか」
「絶対嫌だね」
決着後も嫌な雰囲気一つ流れていない。勝った方も負けた方も、ただ一度の勝利に揺らいだりしない。内心、そう思っていたとしても上に立つ者ならば吐露すべきではないのだ。喜びも、悔しさも、全ては仮面の底に。
「この短期間で、アルフレッド殿はどうやってここまで強くなったのですか? 我らにもそれは出来ることなのでしょうか?」
我慢できず、若き騎士がアルフレッドに問う。
困り顔のアルフレッドに代わって主君である男が口を開いた。
「武人がさ、ただの一戦で化けることはよくあることだよ。でも、それは積み上げた先の話であって、積み上げていない者が数日で化けることなんて絶対にありえない。変わりたいなら、それに見合う努力をすべきだ。ただ闇雲に剣を振り、日課をこなすだけの修練を僕は努力とは呼ばないけどね」
暗に彼は言い切る。今のお前たちでは無理だ、と。
「……はい。精進致します」
「是非、頑張り給え」
ヴォーティガンの騎士たち。こちら側に残された彼らの多くはメドラウトが好きではなかった。実力はあるのかもしれないが、理不尽で無意味なことばかり強いるし、その実力も自分たちにはほとんど見せてくれない。
「じゃあ、今日の夜、最後に一戦指そうか」
「望むところです!」
「最後だから時間制限なしにしよう」
「いいですね」
何を考えているのかが分からなかった。今も分からないまま。
それでもアルフレッドとの戦いで騎士メドラウトの力を知った。分からないことだらけではあるが、力を貴ぶガルニアにおいて彼は尊ばれる資格を有している。
それだけは明らかであったのだ。
だから――
「……ここ、僕の部屋なんだけど?」
夜、騎士たちはメドラウトの、王の私室に押しかけてきていた。
「承知しております!」
「普通、王の部屋に無断で入って来るかね?」
「ありえません!」
「でも、君たちはそうしたわけだ」
「はい!」
「自分の意思で?」
「はい!」
愚直に、恥ずかしげもなく、彼らは自分の意思で学びに来た。王と騎士、あるべき姿を超えてどうしても彼らは知りたくなってしまったから。
「く、くく、あっはっはっはっは! いいよいいよ、減るもんじゃないし、好きに見てけばいい。男二人のボードゲームなんて見物してもつまらないと思うけど、君たちが必要だと思ったのなら、まあ、いいんじゃない?」
騎士たちがぎゅうぎゅう詰めの室内。熱気は嫌でも跳ね上がる。
「邪魔?」
「いえ、それっぽくていい感じです」
「そ、なら、このままやらせてもらうよ」
お互い陣形は現行のストラチェスにあるまじきフラットな形。原初の軍将棋、初期陣形が無かった時代に先祖返りしたような布陣である。
相手にやりたいことは見せない。情報は、晒さない。
「「お願いします」」
その瞬間、謎の凄味が室内どころかブリタニア全土に広がっていた。
まさにこの魔城の主に相応しき雰囲気。対抗する少年もまた歳に見合わぬ雰囲気を醸しだしてはいる。だからこそ際立つ、男の威容。
「そういえば物真似ばかりで『僕』を見せてなかったから、最後くらい見せつけてやろうかなって思ったんだ。勝ち逃げ、させてもらうよ」
アークランドをローレンシアの中心で支え続けた男。その戦歴は決して輝かしいものではない。多くの勝利があったが、同時に多くの敗北があったのだ。歴史書には一行、載るか載らないか、その程度であろう。
「いい時代だった。僕程度の将がうようよしてた時代さ」
彼らは簡単に言う。表に出ているような兵法は全て押さえて当たり前だと。其処からがスタートラインなのだと平気で言い切る生き物なのだ。それらを噛み砕き、平易に、かつ多くを兵士に叩き込むのがどれほどの労苦か。
丹精込めた兵士を一戦で失うこともある中で、どれほどの根気強さを持っていたか。アルフレッドは剥き出しのメドラウト越しにそれを見る。
この城に似合いの圧力を放ちながら、冷静な展開。敵味方を圧しつつ、将は極めて冷静な証拠である。こんな当たり前の中、彼らは戦ってきた。
この厚みが当たり前の世界で――
「本当に、いい時代だったよ。姉さんには悪いけど」
戦場の悪意、血生臭い空気が充満する。その匂いの発生源は盤上、中盤戦に至り混沌と化した戦場によって生まれたものである。
だが、本当は違うのだ。これは盤上ではなく、二人の指し手によって生まれた空気である。駒たちは彼らの手足であり、彼らの意図を代弁するもの。
「だってこんなにも、戦争は美しいからねェ!」
戦争を愛し、戦争に愛された者。相思相愛の怪物たち同士でしか描けないモノがあった。同じ視点を持つ者同士でしか理解できない芸術。歴史書に乗ることなどない、後世に残すことなど出来ない、人の命を使ったアート作品。
平和な時代、居場所がなくなってしまうのも無理はない。剥き出しのメドラウトを見れば痛いほどわかってしまう。彼の欲は戦争でしか満たされない。剥き出しの命が爆ぜる輝きでしか己を満たせない。ストラチェスなど手慰み。経済戦争、外交合戦とて、彼らにとっては唯の代替行為に成り下がってしまう。
同じ闘争であっても、原理原則が同じでも、直接人の命、血潮という絵の具を使って大地というキャンバスに絵を描く欲求には代えられない。
だから彼は自らをガルニアへ封じた。この先の時代、自分のような歪んだ性質を持つ者が先頭に立つべきではないと理解していたから。
戦乱の世で先頭に立ってきた者たちが抱える闇。
それを抑制している彼らだからこそ――
「……強いや」
真の実力者であるのだ。一対一では負けたとしても戦争で負ける気はない。その矜持が圧巻の指し回しを産んだ。戦争を模した遊戯、それでも伝わってくる。
戦争への執着と巨大なる誇り。
「負けました」
「ありがとうございましたっと。ま、ざっとこんなもんよ」
準巨星、そう呼ばれた歴史に埋もれゆくであろう二番手たち。歴史に輝くは一番手のみ。改めてアルフレッドは知る。歴史の厚みを。
「本当に、強かったです」
アルフレッドの言葉にメドラウトは苦笑する。
「うん、まあ、平手ならって僕らの誰もが一度は考えたよ。でもね、結果が全てだ。戦場に固執した僕らよりも盤外で全部引っ繰り返した君の父上の方が強かった。僕らはそんなに強くない。それが戦場の真実だと思うよ」
「そんなことはありません!」
「事実を曲げちゃいけない。僕らは敗北者。学ぶべき部分はあるかもしれないけど、そのまんま模倣するだけじゃ第二第三の敗北者が生まれるだけだ」
ちらりとメドラウトは騎士たちに視線を送る。
「いつだってブレイクスルーってやつは認識の外からやってくる。戦場の外側から戦場を征した男を征するなら、たぶん、その答えは戦場には無いんだろうね。ゆえに僕らは永劫彼には勝てない。勝つ気もない。だって僕らは戦争がしたいんだ」
アルフレッドには理解できない。これほど優秀な人が外側を求めない理由が。でも、理解できないからといって切り捨てることもしない。
人は多様で、きっとそう在るべきだから。
「なら、メドラウト・オブ・ブリタニアが白の王に勝つなら、どうしますか?」
「今の話聞いてそれを振る?」
「今の話を聞いたから参考までに、と。だってメドラウト様は思いついたとしてもやる気がないとおっしゃられましたし」
「……あー、そうなるか。んー、まあ、正直思いつかないけど、ローレンシアの中で探そうとは思わないね。かといってガルニアじゃあ……ピリッとしないよね」
「中では、勝てないですか?」
「テイラーが無ければなあ、勝負にもなるんだろうけど。少なくともあれが白の王と共にある内は経済戦争で勝負にもならない。今、ローレンシアでテイラーの後追いが如く総合商会が増え続けているけど、あの手のやり口は一番じゃないとね」
「ああ、そうだったなあ」
自らも席を置いたことがある巨大商会。今なお肥大化し続け、あらゆる分野に参入し圧倒的資金力を背景に市場を荒らし尽くすローレンシアの雄。
世界中に張り巡らされている物流網。無駄なく無理なくあらゆるモノを流動させ、それによって合理的にコストを削り、普通の商会にとっては暴力的な見積もりを叩きつけることができる。もはや商人にとって天災にも等しい存在。
「何とかして一部でも引き剥がせれば食らいつける可能性も多少は」
一瞬、脳裏にニコラの顔が浮かんだが――
(あ、算盤を弾いて問答無用で弾き返される気しかしない)
あっさりと没案となる。
「僕らの想定を、白の王の想定を超えなきゃずぶずぶのテイラーを一部でも引き剥がすことなんて出来っこない。ローレンシアの外に答えを求めてみるくらいぶっ飛ばなきゃ。無間砂漠を越えてみるとか面白いんじゃない? 無謀でさ」
笑い飛ばすメドラウト。
お手上げ降参とばかりにだらしなく椅子に沈み込む。
「……外」
だが、アルフレッドの脳裏には別の解が浮かんでいた。父の想定を上回るのならば、父を超える方法を模索するならば、その影響下を外すのは理に適っている。
そしてそのヒントをすでに少年は手に入れていた。
無謀なことには変わりなく、取っ掛かりすらない状況ではあるが――
「まあ、頑張りなよ。君との戦いは結構楽しかった」
「はい。俺もです」
メドラウトとアルフレッド、二人の間でしか見えない景色がある。同じ地平に立った者同士だけの共感覚。
「君なら大丈夫だ」
くしゃくしゃとアルフレッドの髪を撫で回すメドラウト。
「あ、ありがとうございます」
困惑しながらとりあえず感謝を述べるアルフレッド。それを眺めながらメドラウトは誰にも見えないところで笑顔を引っ込めた。
(君は、大丈夫なんだ。問題は、あの男が何を考えているのか。そっちこそ僕が見極めるべき案件だと思うね。君はもう少しガルニア旅行を満喫するといい)
この少年を使って何をするつもりなのか。
どんな意図があって共に旅をしているのか。
見極めた中で、少年の中に騎士王の意図は見出せなかった。だが、メドラウトは知っている。知らぬ振りが出来る年齢でもない。
あの男に意図が無かったことなどなかった。全てに意味があるのだ。
それを知り、必要であれば排除する。
その見極めと実行は大人の役目であるとメドラウトは考える。
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