最果ての島:王の片鱗

 翌日も続く一手五秒の超早指しストラチェス。

 ボードゲームなど触れたこともない騎士たちも異常に気付き始める。自分たちの主である王の部屋から吹き荒れる鉄の、血の匂い。錯覚なのは分かっているが、それでも思い浮かべずにはいられない戦場の薫り。

「母上、その、何をされているのですか?」

「戦争です。お父さまのお仕事ですよ」

「で、でも、部屋じゃ剣も存分に振れないはずですが」

「あとで母と覗きに行きますか。ちらとですが」

 そしてそれは少しずつ膨れ上がっている。ガルニアでもよくあるサイズ感が、気づけばガルニアでも滅多にない巨大な戦場へと化ける。

 とてつもない早さで繰り広げられる戦。

 腹の底で響く馬蹄。耳をつんざく戦士の咆哮。

 悲鳴と絶叫が入り混じった戦士にとって、騎士にとって甘美なる音楽。

「……さらに、でかくなるぞ」

「何が、起きている?」

「……ガルニア最強の将を寄越す、ですか。ヴォーティガン様、貴方はいつも言葉が足りませぬ。歴代、とつけて頂きたかった。それとも、アポロニア殿はメドラウト様よりも上なのですか? 聞きたいことが、たくさんありまする」

 とうとう老騎士をして未知数の領域へ――

 もはやガルニアの枠に収まる戦争ではない。

「――将ってのはさ、それぞれ色がある。君はエルビラ、リディアーヌに似ているね。豊富な知識であらゆる戦術を使い分けるタイプ。相手によって戦い方を変えられる柔軟さはあるけど、その分兵士にも指示に応える優秀さが求められる」

「…………」

「もう一つはこれぞって武器をここぞってタイミングで使う将。応用は効かないし、相手も分かってる。大体、ひと山いくらの将が編み出した戦術と共に興隆するって印象だけど、何でも出来る奴がこれを持ってるとまあ厄介。ヤン・フォン・ゼークトって言うんだけどね。ほんと、厄介極まる将だったなあ。底も見えなかったし。いつもへらへら笑ってやがったしよォ」

「…………」

「ただ、一番やってて嫌いなのは、敵の嫌なところだけを突いてくるタイプだね。少し落ちるけどフェンケちゃんとかたまぁにヒヤッとさせられたものだよ。ま、穴掘りカールに仕留められる前に一度だけやり合ったディエースの方がヤバかったけど。あれは天性だね、嫌われ方を心得てるって感じ」

「…………」

「集中してる? 今、いい感じだもんね。もしかしたら初勝利、あるかもしれないなあ。ここは大事にいきたいところだねえ」

「……じきに、嫌でもその口、閉ざしてみせますよ」

 盤上を冷静に睥睨しながら手つきに殺意を乗せ、駒を打ち込む。先ほどから時間をかけずに指し回すアルフレッド。メドラウトもほとんど時間を使わないことで、一戦の時間がとてつもなく短縮されていた。

「おー、こわ。ちなみに僕は、それら二つの複合だ。突出したものはないけれど、彼らの多くを学んで取り込んだ。得意分野では敵わないさ、そりゃあね。僕は子供の頃から本に囲まれて育ったわけでもない。蛇蝎の眼があるわけでも、これぞという武器、まあ戦術アポロニアは置いといて、あるわけじゃない」

「だから、先ほどから色んな方の模倣をされているのですか?」

「そそ。今は黒騎士、道徳、倫理観を母親の腹の中に忘れてきた邪道の指し手。彼は全ての複合だ。驚異の成長力で、知識を取り込み、元々備わっていたんだろうね、相手のウィークポイントを突く指し回しに、ここぞで使う、邪道」

「……ぐっ!?」

 魔術師のタダ捨て。明らかな誘い、されど甘美なる圧倒的駒得。

 読み切るには時間が足りない。情報も何もかもが足りない。

 それでもアルフレッドは迷いなく魔術師を、差し出された手を突っぱねた。

「残念でした。今回は取るのが正解っと」

「……くそ」

「せっかく顔に出なくなったのに、駄目だぜ。負けそうな時ほど平静を保つんだ。勝ち筋はあるのか、何処で損切すべきか、頭はどこまでも冷たく、ね」

「負けましたッ!」

 明らかな悪手であっても指し手次第で妙手に見えることもある。情報も時間も制限されている中、疑心暗鬼に陥ろうが選択をしないわけにはいかない。

 将は正しかろうと間違っていようと選択する義務があるのだから。

「もう、一戦!」

 ギラギラと燃える瞳。ズタボロにされて、培ってきた自信全てを粉砕されて、そうしてこそようやく見えるものがある。繊細で、自分を弱いと思っている少年の中に在る熱量を見よ、かの英傑たちと何が違う。

 眼が言っている。

『俺は強い。俺は勝つ。俺が勝つ!』

 と。

「陛下、お茶が入りました」

「ああ、そこに置いといてくれ」

「冷めているものはお下げしておきますね」

「頼むよ」

 駒を並べている間も、戦型を書いている時も、部屋中に張り詰める空気感が和らぐことは無い。二人の視界には今、唯二人だけがあった。

 いや、二人とその手足、それを動かすフィールドのみが。

「…………」

 二人の視界にアテナはいない。

 それが、彼女にはとても堪えた。とても、悔しかった。

「さあ、やろう」

「お願いします」

 頭は冷静に、瞳の奥に熱を帯び、手足に殺意を込めて――

 静かに、されど高らかに、今、アルフレッド・レイ・アルカディアは戦乱の世を駆け抜ける。小さな盤上の中に蠢く『彼ら』を――見る。


     ○


 一日ぶっ続け、夜通し止める間もなく続いた膨大な戦争。

 百戦、二百戦ではきかない戦歴はそれらを戦争とカウントしてもいいのであれば、もはや歴戦を超え老練の域に達しつつあるだろう。

 無論、あくまで矮小化した模擬戦でしかない。実際の戦争と比較すればあまりにも狭く、理不尽も、揺らぎも少な過ぎる。が、ゆえにあえて設定した一手五秒という縛り。この理不尽ですらあらゆる状況が絡み合う実戦に比べると生ぬるい。

 それでも相手がそれを味わい尽くした者であったなら、

(……俯瞰、出来ているね。さっきから僕のことをしっかり見てる。指先の機微、呼吸、鼓動の音まで、よく視えている。それでいいよ、答えを弾き出すための全てを逃すな。自分の中だけでは出ない解も、相手の思考すら利用すれば辿り着けるかもしれない。可能性を広げる。確率を上げる。絶対はない。だから――)

 その者が戦場を演出しようと力を尽くしたのなら、

「……素晴らしい」

 それは確かに戦場で、この小さき盤上で戦争を伝えることが適う。

 ぽつりとメドラウトがこぼした言葉を、アルフレッドは聞いているのに聞いていなかった。考える時間が足りない。自分にもなく、相手も与えてくれない。だから急いだ。今までにないほどの速度で頭を回す。

 深めるでも、広げるでもなく、早める。

 今までにない速度域。徐々に頭が適応し、超早指しにも慣れてくると、頭の中に余裕が生まれる。その余裕をどう使うか。持て余していた才能、必要なかったから使っていなかった部分を引きずり出し、考える。

 自分の力、経験、記憶、過去。『武器』が少なかった頃、自分は相手をたくさん見ていた。相手を見て、相手のやりたいことをあらゆる角度から読んでいたはずだった。

 今は多くの『武器』を得て、自分がやりたいように相手を動かす術も得た。

 楽に勝てるようになってしまった。強くなって弱くなった。

 それを脱ぎ捨て、本当の『自分』を取り戻す。

 蒼き彼岸。されどそれに飲まれることなく彼の黄金は『個』を誇示し続ける。世界そのものである『全』に踏み込みながら、揺らぐことなき『個』。

「……負けました」

 メドラウトが見えていなかった筋。この一瞬、間違いなく彼は自分の上に立った。自分が凡人とは思わないが、それでも『本物』の才を前にするとそう思えてしまう。きっと、それは多くの者が巨星を前にして理解させられた差。

 生涯埋まらぬ才能という絶壁。

「今、すげえ、いい感じでした」

「うん。最高の一局だった。文句なし、だ。初勝利おめでとう」

「僕、視野、狭くなっていたんですね」

「肉体の起こりを見て最短最速の先読み。そりゃあ便利さ。極小の発勁を組み込んだ剣に、ここぞで使う刹那の限界突破。もちろん強い。見せてもらってないけど居合い術もたぶん凄いんだろう。でも、君の強みは違うだろ? それらは思考の道具、前までの君はそれに使われていたんだ。使いこなしているつもりが、ね」

「一手の読みに終わらず、先々まで見通す、視野」

「そう。君なら相手の視線、手先の遊び、地形、立ち位置、肉体の起こりも含めて、全てを深めれば誰よりも先まで絶対に近いところまで弾き出せる。楽をするなよ、全力で戦え。そうすれば君は誰よりも強くなれる」

「ここを使う分野ならば、ですね」

 ちょんちょんとこめかみを指すアルフレッド。

 それを見てメドラウトは笑う。

「どうだった? 将って人種は?」

「面白かったです。皆が知っている知識を全て修めた前提で、こんなにも色んな顔がある。悪手と分かっていても相手の嫌がることを優先する人や、最善手を極めんとする人、あと、言葉で惑わせようとしたり、ふふ、本当に、面白、かったぁ」

 そのまま「ぐう」と椅子に座りながら眠るアルフレッド。

 メドラウトは軽く伸びをして相手が眠っているのを確認し、

「あああああああ、しんどー」

 ため込んでいた疲労を吐き出した。

「王の器を見極めよ、か。何でアルカディア王国の王を僕が見極めなきゃならねーんだよって思ったら、そういうことかよ」

 すやすやと気持ちよさそうに眠る少年を見つめながら、哀れみの視線を向けるメドラウト。王の器、その王が何を指すのか、彼は理解してしまった。

 その先にある避け難い未来をも。

「合格だよ。このガルニアを管理する者として、次の覇者はこの子でいい。子狼も悪くなかったが、これを見てしまえば……見劣りはするさ」

 黄金の王。その明日を、片鱗を、先ほど見た。

「……どんな気持ちなんだろうね、ウィリアム・リウィウス。この子を一番最初に見つけてしまったはずの、僕らの時代の覇者よ」

 メドラウト・オブ・ブリタニアは朝日射すバルコニーに立つ。黄金の朝焼けはこんな魔城をも美しく染め上げる。あの少年と同じ色。

 おそらくは次の時代の色。

「いつか、君に聞いてみたいよ」

 その言葉は黄金に呑まれ、虚空に消えた。

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