最果ての島:敗北の経験値
何度も重ねられた敗戦。一手五秒の制約がこれほど重く感じることになろうとはアルフレッドは思わなかった。普段であれば十分だと思っている。ストラチェスは初期陣形によって相手の意図が分かりやすく設計されているから。
だが、メドラウトは読み難い平易な陣形ばかりを用い、一戦の中で多様に変化させてくるのだ。あと二行、いや、一行でもなければ最初の優位で逃げ切れるのに、気づけば不利に、あっという間に劣勢へと追い込まれ、詰む。
「ありません」
「じゃあもう一戦」
「休憩は?」
「無いに決まってるじゃん。ささ、若いんだから頑張れー」
序盤の立ち回りから見ても彼のストラチェス自体、最新の研究がなされているわけではない。悪くはないが定跡から外れており最善ではない、という手が散見された。それでも盤面が複雑になってきてからが強い。
自分の得意分野が通じない。中盤、終盤が得意だったはずなのに、気づけばガリアスで得た知識をフル活動して序盤で逃げ切ろうと考えてしまう。
されど広い盤面がそれを許さない。こんなにも盤上を広く感じたのも初めてである。それでもやはり己は負けず嫌い、ただで負けたくはない。
その一心で踏み込んだ強烈な一手も――
(効いているのか?)
表情一つ変えず即座に切り返してくる。五秒考えさせるつもりが、一秒もかからず返されてしまい、またも思考の時間が削られる。相手の思考時間を利用していたアルフレッドにとって何よりも厳しい対応。
(……あそこに打ち込まれるときつい。逆側でけん制して――)
一瞬の戸惑い、弱みを僅かにでも零したが最後。
「はい、残念」
誘いに乗ることも無く急所を突かれ、あれよあれよと――
「得意で、勝つ気だったっけ? 今、何戦何勝何敗だったかなぁ?」
「数えるまでもなく全敗ですよ!」
「あはは、怒ってるでしょ? ねえ、怒ってる? 怒った?」
ケタケタと笑うメドラウトの盤外戦術にアルフレッドは顔を真っ赤にしながら駒を崩していく。時間さえあれば、盤面がもう少し狭ければ、言い訳ばかりが頭を駆け巡る。それでも負け続けていることに変わりはなく、勝てない現状は続く。
「はい、今日はおしまい。彼女に慰めてもらいな」
「……ご指導、ありがとうございました!」
いつもの笑みはすでにボロボロ。取り繕う余裕もない。剣で負けても、体力で負けても、力で負けても、どこか彼には余裕があった。知力、自分にとって最後の砦があったから。だから取り繕えていたのだと理解させられた。
「失礼します!」
メドラウトの部屋から退出し、用意された二人部屋へ向かう。
どたどたと部屋に戻ると読書中のイェレナがいた。机には何故か温かい料理が用意されており、むしゃくしゃしながら食事を取るアルフレッドを彼女は物珍しそうに眺めていた。食事を終え、イェレナの膝に飛び込むアルフレッド。
「……びっくり」
「俺もびっくりだ。負けることがこんなにも悔しいなんて、思わなかった」
膝に顔を埋めるアルフレッドの頭をイェレナが静かに撫でてやる。彼が弱さを見せるのはそれを知るイェレナとアークぐらいのもの。こうして無様を晒せるのは、もっと酷い醜態を世界の片隅で見せてしまった彼女のみ。
「普通皆経験してる」
「俺だって負けたことぐらい沢山あるさ」
「そう? あんまり見たことない」
「パロミデスに負けた。アークさんにだって沢山負けてる。暗殺者の人にも負けたし、ゼノさんキケさんにも負けた。ストラチェスならリディアーヌ様にも負けたんだ。あの時はそんなに悔しいとは思わなかったのに、今は、腸が捩れそうだ」
「ぱろ、誰?」
「……友達」
「会ってみたい」
「絶対ダメ。モテるんだ、彼」
「ならやめとく」
イェレナは知っている。この少年は決して皆が思うほど強くはないのだ。身体が繊細である以上に心が繊細に出来ている。必死で歯を食いしばって生きている。今まで見てきた全てが、彼らによって直接、ないし間接的に散った者たちが彼に怨嗟を、助けて欲しいと囁き続けている中で、立っている。
壊れそうな身体と心。あの時、猶予を求めたのは弱さであった。足りない、何か大きな土産が必要、それを探すための旅、などと言い訳しても己が心は知っている。もう少しこの旅を続けたかった。背負う時間を延ばしたかった。
でも、猶予は着々と削れている。
「……ねえ、アル」
「何? イェレナ」
「ガルニアに来てからも沢山本を読んだけど、こっちの医療は民間療法に毛が生えた程度で、それはそれで面白いんだけど、あまり、身になってない。一番進んでいたのはアルミアだったけど、それもネーデルクスの数世代前の知識が多くて」
「……不満?」
「少し。アルは沢山勉強してるけど、私は置いてけぼりだから」
「そんなことないよ。俺も、停滞してる」
「私にはそう見えない。ねえ、アル。ガルニアの次は、何処に行くのかな? そこには新しい知識があるのかな? 最近ね、少しだけ、思う」
無言でギュッと縋りつくアルフレッド。その頭を「よしよし」と撫でながら彼女はふと思う。本当に不思議な関係だな、と。
王様と医者の卵同士。本来重なるはずのない人生が重なった。
重なるはずの無い道が重なった。
それはいつか必ず破綻する。互いが自身の野望を追う限り。
「俺さ、次の人生は医者に成ろうかなって思ってるんだ」
「じゃあ私は王様になる」
「「ぷ、あはは」」
そして二人とも、それを理解しながら共に在るのだ。
とても不思議で、とても切ない関係性。
泡沫の夢である。
○
「疲れてますね」
「ん、ああ、ほんと、いい育て方してるよ」
メドラウトは私室で妻と食事を取っていた。
「剣もそうだけどあらゆる物事を結び付けて考える癖が叩き込まれてる。親としてもあの男には完敗だね。ま、強くするのが子の幸せとも思わないけど」
「貴方はアテナにあまり教えたがりませんものね」
「あの子は僕らじゃなくて姉さんに似てるから、僕が教えるよりも僕みたいなのを仲間にして考えさせる方が向いているんだよね。一人で全部出来ちゃったら味消しだろ? それに今の視野じゃ戦争を教えても戦争にしか使えない。それじゃあ本当に意味がないのさ」
「なるほど、全然分かりません」
「あはは。はっきり言うねぇ」
「それが私の甲斐性だと思っておりますので」
メドラウトは無言で肩をすくめる。
彼女との出会いは荒廃した聖ローレンス跡地であった。放心していた信徒たちに仕事を与え、とりあえずアークランドとして再建事業と日々の雑務をやらせていた。自殺者は後を絶たず、支配者として頭を抱えていた頃――
『辛気臭い顔で食堂に来ないでください。邪魔です』
『僕が誰だか分かってる?』
『知りませんし興味もありません』
真っ赤な髪をひとまとめにして皆の食事を作る女性と出会った。聖ローレンスの元信徒、それなのに彼女は黙々と己の職務を遂行していた。色々不幸が重なっていたあの時期に、彼女の仕事姿は心穏やかにさせてくれた。
それに、何よりも料理が上手い。ぴか一で。
「相変わらず料理、上手いね」
「それも私の甲斐性です」
「気性も相変わらずときた。君の料理はガルニア一、って言われてもあんまり嬉しくないんだろうけど、さてさて、彼はちゃんと料理を味わえるかな?」
「いつも通りには作りました。あとは個人の好みでしょう」
「いやいや、そうじゃなくて、料理を味わう余裕はないだろうなって思っただけ」
「いじめ抜きましたか?」
「人聞きが悪いね。可愛がりだよ、可愛がり。人は此処なら勝てるって強みがあるとそれ以外で負けても意外と平気なんだ。挫折も苦難も、柱があれば耐えられる。彼はそこをへし折られることに慣れていない。知識の有無でなければ尚更ね。父親とは長くそういう触れ合いをしていない。話を聞く限り唯一の負けはリディアーヌだが、僕があの女の立場なら序盤ストラチェス研究の知識である程度差をつけて、片鱗こそ見せつけるも曝け出すことなく幕を閉じる。本当の敗北は与えない」
「何故ですか?」
「将来の敵になるのは目に見えているからね。自分の手元で首輪でもつけない限り、彼女の立場ならそこを刺激することなんて出来ないさ」
あの悔しがりようからも慣れていないのは明白。それもそうだ、とメドラウトは思う。今の自分ですらひやりとする場面が幾度かあった。対局を重ねるごとにあれだけ早くても吸収することを怠らない。
知識の保管庫に終わらない応用力がある。
「そこいくと僕はもう戦う気が無いから、優しく教えてあげるのさ。知識の有無で終わらない、本当の『此処』の強さってやつを」
ちょんちょん、とメドラウトは己のこめかみを指差した。
「ついでに僕の気晴らしにもなる」
「そうですね。あの頃みたいに生き生きされていますから」
「……ハハ、そうだね。僕は、嗚呼、戦争が大好きだったから、さ」
アークランドを支えた男の脳裏に浮かぶのはいつだってあの日々であった。
戦争に次ぐ戦争。規模が拡大すればするほどに自分の身体が大きくなる錯覚を覚えた。手足が伸びて、まるで地平を埋め尽くすほどの自分が戦う。
それも同じ領域に立つ怪物どもと。
人の命を使って描く芸術。彼らは自分を人でなしだと認識している。その上で彼らは己がエゴと共に戦争を描くのだ。
美しく、精密で、朱色に彩られた地獄絵図を。
「さて、明日はどんな戦争を描こうかな」
ローレンシアが男を変えた。戦いの日々が男に自分を理解させた。
そして好敵手たちとの命による語らいが、彼を怪物にしたのだ。
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