最果ての島:メドラウト・オブ・ブリタニア

「やあ、僕も混ざっていいかな?」

 騎士も、娘であるアテナも彼の到来に唖然とする。

「構いませんよ。高名なサー・メドラウトの剣が拝見できるなんて光栄です」

「大したことないさ。本業は指揮する方だしね」

 アポロニアほどではないがガルニアに戻ってきてからメドラウトはほとんど剣を握っていない。少なくともこちら側にいた騎士にとっては初見である。アテナにとっても駄々をこねて教えてもらった時に見た程度。

 それなりの相手との戦いは未知数である。

 アルフレッドとメドラウトが対峙する。

「さ、やろうか」

 軽く正眼に構えるメドラウト。

「胸をお借りします」

「勝つ気満々で言っても説得力ないなあ」

 動き出しは、両者同時。無駄のない足運びからの袈裟切り。

 中空で同時に爆ぜる。

「やっるー」

「どうもです」

 そこから連続での打ち合い。無駄がなく合理的な剣筋にガルニアらしさはあまり見受けられない。どちらかというとローレンシア、否、白騎士の剣に似ていた。無駄を削ぎ落とし残ったシンプルな機能性が冴える。

(うん、強い)

 だが、勝てないとは思わなかった。技に関しては自分の方が上。身体能力は相手が勝るが勝利への射程圏内ではある。

「鉄の笑みだね。でも、剣には出てるぜ?」

「何が、ですか?」

「勝てると思ったろ?」

「いえ。良い勝負になるな、と思っただけですよ」

「……僕はそう思わないけどね」

 騎士たちが「おお!」と歓声を上げる中、打ち合いを重ねて相手の情報が出揃ってきた。無駄がなく合理的、剣の筋も理解した。ここから捲る、そう思ってアルフレッドは幾重にも用意した詰み筋を施行する。

 そして、メドラウトの言葉の意味を理解する。

 否、理解させられた。

(……何だ、これ?)

 詰ませようと思ったら、明らかに先回りして詰み筋を潰してくるのだ。

 動き出しが読まれているなんてレベルではない。動く前からやりたいことを見透かされているような感覚に陥る。肉体を知る己よりも早く、機を掴む。

(動き出しじゃない。どこで、読んでいる!?)

「戸惑いはもっと明け透け、か。剣の呼吸は隠すべきだ。分りやす過ぎて逆に罠かと思っちゃうよ? もしかしてその通りだったり? 怖いなあ」

「……ぐっ」

 罠ではない。実際に戸惑っていただけで、思考する時間を得るために時間稼ぎの剣を振るっていただけ。巧くそう見えないよう立ち回っていたつもりだったが、眼前の相手には筒抜けだったのである。

 その上での皮肉。嫌な相手であった。

「技は自分が上。肉体の差も許容範囲。なら、何処で自分が負けているんだって思っている。実に傲慢だ。頭が良いのは自分だけだと思っているね」

 囁くように、先ほどからアルフレッドにだけ聞こえる声でメドラウトは語り掛ける。人を馬鹿にしたような笑みを浮かべながら、相手の芯を抉る。

「君、無意識に思考という分野では自分が一番だと思っているんだよ。確かに才能はある。その歳で考える癖がついているのは偉い。でも、遅いし自分本位だ」

 ズッ、とアルフレッドにだけ分かる重圧が双肩にのしかかる。

「ま、悪いのはローレンシアやガルニアに蔓延る脳みそ筋肉野郎どもだね。その程度で満足させてしまっている。可哀そうな話さ。磨けば光るのに、磨く必要性を感じさせていない。とても不幸で、それでも君は幸運だった」

 ようやくアルフレッドは理解した。全部、読み切られていたのだ。けん制の一撃から、足捌きから、コンビネーションの初弾から、詰み筋まで読み切って指している途中で流れをぶった切る。

「ぐっ、同じタイプならゼノさんだって――」

「ゼノ? 誰それ? 名前の感じからエスタードの武人かな? でも、エスタードならサンスぐらいでしょ、強いの」

「あっ――」

 相手の戦力を完全に見誤っていた。絶対勝てるとタカをくくっていた分野。思考という面で完全に上を行かれている。今まで戦った相手の中ではゼノが一番であった。勝手にアルフレッドは闘争面で自分と互角、僅かに上の彼を天井にしていたのだ。その認識の誤りが、今の窮地を作った。

「エルビラも強いけど君は知らないだろうし。色々もったいないよね、いい時代だって皆言うけどさ、分かりやすくないから若者には難しい時代だよ。乱世なら君はもう少し早く気付けたはずだ。そしてレノーのように、すぐ化け物に成れた」

 アルフレッドは思い出す。

 このプレッシャーは、この感じは、リディアーヌとストラチェスを指した時に似ていた。いや、おそらくあれは手心が加えられていた。ゆえに気づけなかった。

 本気の、智の英雄の強さを。

「足りないなあ、同種の、強い相手との戦いがさ」

 それを武に落とし込む戦い。自分の得意が、負けている。

 ゆえに技で勝とうとも肉体の差が重くのしかかる。気づく前は許容範囲だと思っていた差が、今は断崖絶壁のように感じられる。どれだけ揺さぶろうとも、複雑な組み合わせを試そうとも、小動もしない相手に何ができるというのか。

「ッ、オォ!」

 せめて力だけでも――発勁を込めた一撃。

「おお!?」

 ようやく、揺らいだ。苦境の中、掴んだ勝利への糸。

「持ってるなあ。でもさ、切り方が下手くそだぜ」

 次の一撃は、ふわりといなされる。白騎士の剣とどこか似た剣。まるで雲を切ったかのような手応え。それを力いっぱい受けてやる、という構えからやられてしまえば、体勢を残すことなんて出来っこない。

「切り札は切り時に切らなきゃね。これ、ガリアスのロランってやつが使ってた剣のパクリ。面白そうだから練習してたんだよね。こっそりと」

「ぐ、あ」

 完全に、がら空きの背中を晒してしまう。

「どうする? 終わらせとく?」

 メドラウトの言葉、背中越しに向けられた情け。絶対に勝てる状況。あとは剣を向けるだけで勝負は決する。そのタイミングで、こんな言葉を投げかけられてしまえば、もう、アルフレッドは止まれない。

「勝つッ!」

 生粋の負けず嫌い。極限でこそ人の本性というのは透けるもの。普段そう見えない者が真逆であるなどザラなこと。

 限界を、超えて無理やり体勢を立て直す。距離を取りながら。

「……くっく、馬鹿だな、君」

 その動きは完全にアルフレッドの限界を超えていた。紅き雰囲気、一瞬だけ超えて立て直す。勝つために、勝ち続けると決めたから。

「こんな場末は負けていいんだって」

 距離を取り、さあ、仕切り直しだ。その瞬間、豪速で飛来したメドラウトの鞘がアルフレッドの額に直撃した。あまりにも想定外の衝撃に、一瞬、思考が途切れる。その一瞬で、メドラウトは距離を詰めて、静かに首筋へと剣を添えた。

「はい、僕の勝ち」

「な、なんと卑怯な」

「鞘を投げるなど、聞いたことがないぞ」

 外野の騒ぎなど意に介さずメドラウトは飄々と微笑む。

「最後こそ締まらなかったが、互角のいい勝負であった」

「父上もアルフレッド殿も素晴らしい勝負でした! 最後は騎士としてどうかと思いますが。出来ればその、格好良く決めてほしかったと言いますか」

「あっはっは。勝負に卑怯もクソも無いよ。勝ったもん勝ちさ」

 娘の言葉を笑い飛ばすメドラウト。

 その横でアルフレッドは愕然としていた。終始上手く戦えていなかったのに、外野にはいい勝負として映っていた。いや、メドラウトにそう見せられていたのだ。おそらくはわざと、アルフレッド、客人に傷をつけぬため。

 それほどの差があった。今まで想定してこなかった差が。

「ちょっと顔貸して。君らはもうちょっと頑張りなよ。こんな若い子でも健気に頑張っているんだぜ? ローレンシアには僕なんかよりも強い化け物がうじゃうじゃいるんだ。手、抜いても良いけど、もしもの時は後悔しないようにね」

「ぎょ、御意!」

 呆然とするアルフレッドをひょいと抱え、メドラウトは修練場を後にする。王の姿が見えなくなると騎士たちは先ほどの勝負について語り始め、議論は熱を帯びていく。強さこそガルニアの騎士が尊ぶモノ。

 あの二人は尊ぶべき対象である。

「さすがの強さであったが、最後は如何なものか」

「だが、勝ってこそ、でもあろう」

「格好良くはありませんが、それでも勝ちは勝ちだと思います」

「うむ、其処に揺らぎはあるまい」

 その光景を見てメドラウト直参の騎士たちはため息を吐く。

 外を知る彼らと知らぬ者たち、その差は大きいのだ。少なくとも今の勝負が互角に見える時点で、メドラウトという男の強さが見えていないのと同義。

 それはメドラウトが死闘を繰り広げた智将たちとの戦いも理解できないということであり、今の彼らではローレンシアの水準に届かない証左でもあったのだ。


     ○


「いやー久しぶりの戦い。楽しかったねぇ」

「……完敗でした」

「君が反省すべきところは其処じゃないでしょ」

 メドラウトの私室にアルフレッドは二人っきりであった。先ほど赤い髪の美しい女性が紅茶を持ってきてくれただけ。「美人な嫁でしょ」と自慢げに語っていたのも朧気である。完全敗北、今までにない脱力感が身を包む。

「勝たなきゃいけないところでの無理はいいよ。すべきだ。でも、負けてもいいところでの無理は、すべきじゃない。負けず嫌いなのはいいけどね。何回かそれで失敗しているでしょ。心当たり、あるんじゃない?」

 アルフレッドの脳裏にキケとの再戦で無理をし、ゼノらに叱責された記憶が甦る。勝つべきところと負けていいところ、妥協はしたくないが、確かに今日の一戦は後者に当たるだろう。相手は格上、ローレンシアから遠く離れた場所。

 負けを良しとは出来ないが、負けていい条件はそろっていた。

「発勁ってのは面白かったね。レスターやゲハイム連中が狂気や薬で到達した領域をコントロールしてるのも面白かった。負担を押さえてる、って感じ?」

「……はい」

「それでも、『残る』からあまり使わないんだよね?」

 メドラウトの指摘にアルフレッドは俯く。それは肯定と同じであり、アルフレッドが皆に秘匿しようとしてきた事実であった。発勁にしろ限界突破にしろ、上手くやればやるほどに負担は激減していくが、それでも自らのガラス細工の如し身体は消耗を蓄積していく。自覚はあった。だから、出来るだけ抑えてきたのだが。

「ローレンシアにしろガルニアにしろ、確かにどいつもこいつも骨に鉄でも溶かしこんでるのかっつーくらい頑丈だしな。僕も一時期悩んだ時期はあったよ。ま、結局加齢でクソ野郎の血が目覚めて頑丈には成ったけど」

「小さいだけなら救いはあったんです。瞬発力も、持久力も、子供の時は劣っているなんて思わなかった。今だって性能だけなら、負けてない。同じ体格なら、なんてよく思い浮かべます。まあ、今日はそれ以前でしたけど」

「あはは、反省は置いといて、アテナからガングランや姉さん評は聞いてたから、逆に驚いたよ。肉質は悪くない。むしろ良い方だ。速いし、強い。同じ体型ならトップクラスの身体能力を持っているよ。問題は体格の上積みが出来ないほどの繊細さ、だね。消耗が抜けない、蓄積する。普段の戦いに制限を設けるほど脆い」

「……わかっちゃいますよね」

「本当に神様は残酷だね。なまじ才能を与えるから時間と労力を費やすも、上限に近づくにつれ致命的欠陥が見えてくる。見える頃には遅いってのにさ。天賦の才に故障しやすい身体、本当に意地が悪いや」

 メドラウトの見立て通り、アルフレッドの身体は脆いという欠陥を抱えていた。元々頑丈ではないと思っていたが、居合い術での限界突破を体得した段階で確信した。ウォーレンたちが長年平然と使っているこの術理でさえ、自分の身体には負担となり、小さくとも蓄積している感覚があった。

 ゆえに練習も、実戦での使用も制限せざるを得ない実情があったのだ。

「ま、頑丈な連中でもあの薬で数戦もすればガタガタになっていたし、使わないに越したことはないね。薬自体は切り札としてありだなって思ってたんだけど、姉さんは絶対に許可しなかった。あれを使った連中の末路を見てなお、姉さんの騎士は命令とあらば迷いなく使う馬鹿ばかりだったからねえ」

 しみじみとつぶやくメドラウトの眼には複雑な色が浮かんでいた。その真意をアルフレッドが推し量ることは出来ない。

「とりあえず独特な戦い方の理由は分かったよ。でも、今日の負けはそれ以外の部分だってのは理解しているよね?」

「そう、ですね」

「この部分で君は負けたことがなかった。そりゃあそもそも智勇揃った人間なんてローレンシアでも希少で、しかもその大半が今も現役で『戦争』をやってる連中ばかり。敵に塩を送る馬鹿はいないって寸法さ。でも、僕は違う。僕はもう終わった人間で、暇つぶしに塩を塗りたくるぐらい訳ないのさ」

 話している最中、メドラウトはいそいそと職人に作らせた特注のストラチェスを広げ、アルフレッドに椅子に腰かけるようジェスチャーで指示する。

「ストラチェス、出来る?」

「ええ、まあ。得意だとは思います」

「上々。僕らは頭で戦う人種だ。戦争も、一対一も、こういうボードゲームも、根本的には同じなのさ。一手五秒の早指し、早さは力だ。今まで求められてこなかった力、頭脳労働の将ってやつを勉強させてあげる」

「……一手、五秒ですか」

「そ、面白いぜ」

「勝つ気で行きます」

「もちろん。でも、たぶんしばらく負け続けると思うよ」

 この手のゲームはアルフレッドが得意とするところ。ローレンシアでも有数のストラチェス大国であるガリアス最大の都市ウルテリオルでも勝利した。

 ガルニアで盛んに行われているとは思えない遊戯。

 舐めてかかる気はないが、負ける気はなかった。

「さ、戦争を始めよう」

 だが、すぐに思い知ることとなる。戦争を一対一に転化できる男が盤上に戦場を描くことなどわけはない、と。

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