最果ての島:嫌な主君

 アルフレッドのメドラウトに対する印象は、賢人というよりも飄々とした皮肉屋といった具合、はっきり言うと嫌な人、であった。謁見した際も、騎士も交えた宴席でも、周囲をいたずらにかき回し、かき乱していく様は、アルフレッドでなくともぞっとしないものがある。昔からメドラウトに付き従う騎士と生粋のブリタニア騎士との軋轢。ひりつくような空気感の中、彼だけは笑いながら――

「皆でダンスでもしようか? 男同士とか面白すぎるねェ」

 丁寧に全員を逆なでしていくのだ。

 娘であるアテナは胃が痛むのか終始顔を歪めている。双方の騎士も主命とあらば逆らわず相手を睨み殺さんばかりの形相で音楽も無いのに踊り始める。

 それを見てケタケタと笑う彼は嫌な主君であろう。

「何故、このような無意味なことを?」

「ん? あいつらが『やる』からだよ。笑えるだろ?」

「……もっとやりようはあるでしょうに」

「じゃあ君がやりな。僕はね、ガキっぽい意地っ張りにも騎士っぽい見栄っ張りにも、付き合うほどお人好しじゃない。王であって親じゃないんだよね」

 彼らの険悪な様子を鼻で哂う王は明らかに不満げであった。

 その理由をアルフレッドは理解している。その上で何故こんな悪手を彼が指すのか、少年には理解が出来なかったのだ。

 もっと手っ取り早く治める方法はあるのに――

「アテナが可哀そうだ」

「それこそどうでもいいね。騎士ごっこをしているお姫様なんてさ。辛くなったらいつものように姉さんのところにでも逃げ込めばいい」

「貴方はそれでも――」

 メドラウトの眼に浮かぶ奇妙な光に気圧されるアルフレッド。

「君さ、少し傲慢が過ぎるよ。本気で王になるつもりだったら餌を与えるんじゃなくて餌を手に入れさせな。そして上納させる。王は与えるものじゃない。奪う者の頂点に立つ者のことだ。あの男の息子がそんなことも理解してないのか?」

「今、それは関係ないでしょうに」

「本当にそう思ってる?」

 全てを見透かす眼。まるで父と対峙した時の、遮るものは何もないはずなのに分厚い何かを感じるのだ。見えない壁のようなものが遮っている。

 自分だけではなく他者も含めて――

「あの男に無駄な手が無いように、僕もそう心掛けているつもりだ。悪手に見えるなら見逃している筋があるか、君が圧倒的高みにいるか、そのどちらかだよ」

 メドラウトはその身を翻す。

「嫌われて、ぶち壊して、それが必要な状況もあるのさ」

 そのまま彼は騎士たちが険悪に踊っている状況を放置して、宴席を一人抜け出していく。ただただ憎しみを募らせるだけの行動。王は人気商売である、そのはずなのに彼は真逆を征くのだ。その意味が、分かるのに、分からない。

「もう十分でしょう。陛下は退席されました」

「……アルフレッド殿、御見苦しい所をお見せいたしました」

「いえ、心中お察しいたします」

「かたじけない」

 場を収めて、アルフレッドは明日以降の算段を組み立てる。ガルニアは武を重んじる土地柄、力で統一させてしまうのが手っ取り早い。

 やるべきことは一つ。彼らに力を示し、魅せつけること。

 自分を中心に想いを一つにしてしまえば集団の統制など容易いものである。


     ○


 アルフレッドはこの地に来てから何度となく繰り返してきた騎士たちとの『交流』に取り掛かる。必要なものは剣一本、それだけで彼らにとっては口よりも目よりも、雄弁に物語ってくれるのだ。ガルニアでの共通語こそ――

「ウォォォオ!」

「やるね」

 剣での語らいなのだから。

 それを城の中から一人ストラチェスに興じながら眺めているのはこの国の王、メドラウト・オブ・ブリタニアであった。

「若いのに年寄りみたいな剣だなぁ。本当はもっと上手く捌けるだろうに、わざと力で拮抗しているように見せている。考え抜いた剣だ。僕好みではあるけどね。ま、ガルニアではウケない。だから、荒さも出してるわけか」

 メドラウトは本日の仮想敵を黒騎士にして指す。無論、黒騎士アンゼルムとストラチェスをした経験はないが、戦場での語らいならばあの七年、存分に堪能した。リディアーヌ、ヤン、エルビラ、かの地では対戦相手に事欠かなかった。

「にしても、随分と丁寧に戦うものだ。上半身ではがっつり受けているように見えて、下半身できっちり流している。完璧でないと気が済まないのか、それとも、そうしないといけないのか。どちらなのだろうね?」

 彼らとの格付けはついぞ決まらなかった。負ける気はないが、絶対に勝てる確信は得られなかったのだ。おそらくそれが戦術家の限界。

 ストラチェスと同じ。絶対を戦術家では作れない。素人相手であればまだしも、多くの戦術を修めた戦術家同士が平手で指せば必ず勝敗は揺れる。

「ハハ、愚問か。神は残酷で、完璧を許さない。誰にでも欠けはある。欠けてないものなんかない。それがこの世界で、それが人間だから」

 凄まじい速度での指し合い。彼らとの戦術合戦は楽しかった。鍛え上げた兵士に戦術をしみ込ませ、手足のように操って描いた戦場は、まるで巨大な生き物が殺し合っているように見えたから。巨大な絵画、壮大な物語。

 それが凄まじい速さで模様を変えていくのだ。僅かな逡巡すら命とり。判断に時間はかけない。最善を最短で駆け抜ける。

 そうやって初めて拮抗。

 かの地でしか描けなかった戦場の芸術があった。

「……まったく、暢気に心酔しちゃって。本当はお前の役目だぞってきつく叱りたいけど、甘いんだよなぁ、僕」

 眼下で汗を流す一人娘の姿を見てメドラウトは苦笑する。

「この国、いや、ガルニア全体に巣くう王と騎士の関係性、かくあれと定められたルールが生み出した歪さ。主君に逆らう騎士はクソだけど、主君に逆らえない騎士はもっとクソなんだよね。特にこの国はひどい。さっすがサー・ヴォーティガンの御国だ。僕に押し付けてさ、いい気なもんだよ。いつか文句言ってやる」

 たん、と凛とした駒音を最後に盤面が固定される。

 つまりは終局。

「久しぶりに運動でもするかな。一応、誰がこの国の王かって示しとかないと、今後の教育に差し支えるからねえ」

 立ち上がったメドラウトは剣を握り飄々と歩き出す。

 立ち上る雰囲気は歴戦のそれ。先ほどから猛烈な速度でこなしたかつての強敵たちとの死合いで取り戻した勝負勘。平手であれば白騎士をも凌駕する怪物どもと渡り合ってきた自負がある。結局最後は、平手にはさせない男が盤上を引っ繰り返して勝利を根こそぎ奪い取り、戦術家が日の目を見ることなどなかったが――

 自分たちの戦場に引っ張り込めば、などとあの日敗北した傑物たちは皆思う。そうすることの難しさは充分に分かっているつもりで、彼が勝者であることに疑いなど微塵もないけれど、それでも、と思わぬ者はいないだろう。

 それを証明する機会は戦乱の世が明けた以上、永遠に来ないが。

 それでも残り火は此処にいる。

「いっちょう揉んでやりますか。私怨もちょびっと込めて、ね」

 空白の七年を支え続けたアークランドの大黒柱。白騎士によって日陰に追いやられた届かなかった者たちの一人。だが、その手は間違いなくかかっていたのだ。

 戦場の芸術家として、黒騎士らと並ぶ将の怪物。

 その力は個の闘争においてもいかんなく発揮される、かもしれない。

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