最果ての島:獅子たちとの別れ
「アルフレッドししょう!」
「アルフレッドさん!」
二人の生徒を含めて、アルフレッドに剣を教わりたいと申し出る者は想像よりも多かった。伝統と革新、武に関して彼らは非常にバランスの取れた国民性なのかもしれない。変わることを恐れず、さりとて過去を無下にせず、彼らは進む。
「漫然と鍔迫り合いをするんじゃなくて、次の仕掛けの種をまく。少しでも有利な位置取りを、力ではなく頭で取る。前進も、後退も、全ては次への布石だ」
常に考える剣。レオンヴァーンの教義には無い剣である。今、アルフレッドが教えていることの全てを彼らは実戦の中で自然と身に着けていく。歴戦の戦士からすると当り前である。しかし、若者、実戦経験の少ない、皆無の者たちにとっては未知の話である。
技は型だけではなく、繋ぎ、組み合わせ、考えることは無数にある。
「剣先を隠したり見せつけたり、その、どういう意図があるのでしょうか?」
若き雌獅子。いずれは指南役を継ぐと目されている少女の質問。
アルフレッドはそれに微笑む。
「すごく良い質問だよ。隠すのは単純で、相手に意図を探らせないため。考えて動く手合いにとっては判断材料を渡さないことが重要だ。でも、考えない相手にとって剣先を隠すのはあまり意味がない。強い人には色々いるけど、本当の怪物は相手に意図なんて関係なしに我を押し付けてくるからね」
「なるほど。では、見せる理由は?」
「そういう人をコントロールするため、だよ。剣先を見せて、意図を晒すことで相手にその状況下での最善手を取らせる。そして、俺たちはそれだけを潰せば良い。最善とはいえそれだけなら、応手も容易いでしょ」
「……なる、ほどぉ」
「考えない強い人は経験則で最善手を指す。だから、俺みたいな賢しい剣士にとっては美味しい相手だ。多少格上でもコントロールできれば食える。世の中にはコントロールしてもどうしようもない人もいるし、考えないくせにこっちの誘導に引っ掛からない超感覚の持ち主もいるんだけどね。まあ、極々一握りの化け物の話さ」
アルフレッドの眼が彼らに言う。
君たちは違う。ならば、君たちは考えるべき側なのだと。
「ご指導、ありがとうございます。早速、一戦願います」
「うん、やろうか」
最初は物珍しさから観戦しに来ていた者たちも、気づけばアルフレッドの一挙手一投足、彼の語る言葉に飲み込まれていく。
特に若き者ほど、新しい彼に惹かれていくのだ。
「つぎはぼくであります!」
「その次は私です!」
「俺もお願いします!」
「私も!」
「あはは、順番順番」
その様子を見守るレオンヴァーンという家を守る雌獅子たち。
「私みたいなのは良い餌だな」
「私たち、でしょう。古い戦士ほど腕っぷしを誇り、力で切り拓かんとするものです。操られていることにも気づけないでしょうね」
「ユーフェミア。レオンヴァーンの有望な者を幾人か彼に帯同させるよう取り計らえないでしょうか? 出来れば、雌」
「指南役が彼の剣を持ち帰れば全体が向上する、と」
「ええ」
「彼に取り込まれるだけだと思いますが」
「その時は雄を送り込み力ずくで引っ張ってくればいいでしょう?」
「……えげつねえな、ほんと」
「それが獅子の在り方です。まさか、外に出て毒されましたか?」
指南役の眼、ユーフェミアへの強い愛憎が込められた視線。本来、ユーフェミアがやるべきだった役目を押し付けて彼女は外に出た。現指南役である彼女もまた外への興味があったことを知りながら――
「考慮しておきます。ただ、今ではありません。時は来ます。必ず」
「根拠は?」
「雌獅子の勘、と言いたいところですが、騎士王の言伝にありました。獅子の習性は既知なれど、今は焦るべからず。時は来る、と」
「……全てはガルニアスの掌の上、ですか」
「今は踊るが吉、でしょう。流れに逆らっても良いことはありませんよ」
「さすが、負けて帰ってきた者の言うことは違いますね」
「それと同じことを、かつて私はローエングリンに吐き捨てました」
今は後悔している。その貌にはありありと自責の念が刻まれていた。それを見て指南役の女性も顔をしかめる。ユーフェミアで通じなかったのであれば、おそらく自分でも同じだった。いや、もっと酷い結果になっていたかもしれない。
単独戦であればともかく、集団戦で彼女に勝る者など誰もいないのだから。それこそ彼女の兄、ユーウェインくらいのものであった。
ユリシーズが戻ってくれば話は別なのだろうが。
「……外に出す者の選抜は任せます」
「貴女の中で出すことは決まっているのね」
「其処にとびっきりの餌が転がっていて捕食せぬのは獅子にあらず」
「……承知致しました」
伝統と革新。新たな風が吹く時に、獅子がそれを見送るなどありえない。ただし、今ではないのだ。彼はまだ旅の途上、王になる資格を得ていない。
彼はまだ孤独ではないから。
唯一人、山巓に立つ覚悟が備わっていない。
「そのための餌、それほどの大器、ということだ」
世界を見てきた彼女はぽつりとつぶやく。数多くの英雄、特にウェルキンゲトリクスやウィリアムとの遭遇は衝撃であった。敵であったから、なおのこと彼我の差が明確に見えたのだ。愛する者のために唯一つ天に立つ男。
それ以上に恐ろしかったのは――
「あの男の息子というのは妥当と言うべきか意外と言うべきか」
誰よりも峻厳に、何者よりも孤高に、誰一人寄り添うことの許さぬ絶対の高みへと到達した本当の怪物。目の当たりにした大軍への恐れなどなかった。あの男さえいなければ時間を稼いでやろうと、食い下がってみようと思えたかもしれない。
だが、後方で馬に駆る彼を見ただけで心がへし折れた。
そして同時に理解したのだ。あの男がアポロニアを、アークランドを、歪なる彼らを終わらせてくれる、と。その確信は正しく、今も素通りさせたことに関しては何一つ悔いてはいない。彼女の悔いは二つだけ。
ローエングリンと『あの日』、それだけである。
○
「ししょおおお!」
「ユーウェイン、いつかまた会おうね」
「ぜったい、やぐそくでありますー!」
(なんて可愛い生き物なんだろう。持って帰りたい)
アルフレッドたちは数日レオンヴァーンで滞在し、次なる地へと向かうべく獅子たちと別れの挨拶をしていた。号泣するユーウェインを抱きしめるアルフレッドの頬は緩み切っており、ある意味で鉄壁の笑顔をまんまるのちびっこが破壊したことになる。まさに破顔、緩み切っていた。
「……研鑽を積み、いつか、その」
「うん、また会おう」
「……はい」
いずれ指南役を継ぐと目されている少女はかすかに頬を赤らめていた。イェレナはそれを見て、今日の夜は健康にとても良いが凄まじく苦い薬草類をふんだんに使った料理にしようと固く心に誓う。アテナは熱でもあるのかな、と特大の疑問符を浮かべ、目の前をちょうちょが通り過ぎていったのでそちらに意識が向いた。
「次はアルミア王国へ向かいなさい。先日、その道中を掃除したばかりです。比較的安全な旅路になるかと思います」
「ありがとうございます、ユーフェミア様」
「いえ。私たちも大いに学ばせて頂きました。いずれ、この地でなくとも道が交わることもあるでしょう。その時はよろしくお願い致しますね」
「ええ。お待ちしております」
アルカディアに来るのかな、ぐらいの認識であったが、後に意図を理解した時にこの段階から仕込んでいたのか、と驚くのは少し後の話である。
「アルミアを越えればいよいよかの国です。アークランドが瓦解し、縮小した今、ガルニアで最大の国家に返り咲いた大国、ブリタニア」
「私の父上が統治している国ですよ!」
ちょうちょを握りしめてはにかむアテナ。
「……ブリタニアは少し、ガルニアにおいて特殊な国家です。統一こそ成し得なかったのですが、長くガルニア最大の国家として君臨してきた大国。誇り高く、少々選民思想が強い傾向にあります。まあ、彼女と一緒であれば問題ないでしょう。腐ってもプリンセスですから。腐っても、です」
「……不思議な話ですね。宿敵であったガルニアスの血統が大国ブリタニアの玉座についている、というのも。外側の俺ですらびっくりしますよ」
「私も不思議に思いました。まるで死期を知っていたかのように、全ては最初から御膳立てされていたのです。あの男にもあったのかもしれません、騎士王の宿敵である大騎士ヴォーティガン・オブ・ブリタニアにも、未来を見通す眼が」
メドラウト・オブ・ブリタニア。敗走してガルニアの地に彼らが戻ってきた時点で、その準備は全て為されていた。誇り高く、ともすれば排他的な国民がメドラウトを受け入れたのは、ひとえにヴォーティガンの、偉大なるブリタニアの王最期の命令であったが為である。
「まずはブリタニアの王に会ってきなさい。きっと貴方とも話が合うと思いますよ。ガルニアには珍しい智将タイプですから。ローレンシアでも黒騎士や王の槍、レノーとも交戦し良い勝負をしていましたよ」
「あはは、さすがに知っていますよ」
「最終戦争では私同様全然活躍できませんでしたがね」
「……毒吐かれますね」
「ふふ」
鮮烈なる獅子の国。強さを是とする彼らの純粋さをアルフレッドは好ましいと思っていた。シンプルゆえに強固、分かり易くていい。
だが、後に彼は知る。
純度が高ければ高いほど、反転した時に世界は一変するのだと。頂点に立つ者の悪意一つで群れの方向性が確定してしまう危険性。
今はまだ、彼は知らない。
ちなみにレオンヴァーンの国境を抜けるまで有志の若者たちが、アルフレッドたちの護衛を買って出てくれた。
『必要ないですよ、あはは』
と言っていたアルフレッドも国境付近では真顔。
「くそ、お前のおばさんどうなってんだよ!」
「やめろよかーちゃん!」
「誰かうちのおねえちゃんを止めてェ!」
若獅子と雌獅子の死闘を横目に彼らは次の目的地を目指す。
「逃がすかァ!」
「逃げてェ!」
悲鳴と怒号を背に――
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