最果ての島:ぶらり旅のすゝめ

「アテナさんとぶらりガルニア周遊の旅ですか!?」

「すでに私は荷造りを――」

「――私は行程表を作成いたしました!」

「……俺がアポロニアさんと稽古をしている間にいったい何が」

「私たちは昨日の夜に言われましたよ」

「そう。顔を洗っている時にガングランが来て教えてくれた」

「何か、仲良いね、二人とも」

「色々ありましたので」

 遠い目になるアテナ。昨日の一件が傷になっているのだろう。冷静になると傷ついたのは自分なんだけどな、とアルフレッドは思わないでもなかったが口に出さなかった。女の子を傷つけてはいけないというニコラ教育の賜物である。

 早朝の稽古を終え、何も掴めぬまま旅に出よ、とアークらは言っているのだ。ガングランまで絡んでいる以上、アポロニアが知らぬわけではないだろう。こんな中途半端な状態で放り出されてはあまりに気持ちが悪い。

 そう言いたくなる気持ちをぐっとこらえる。

(今までの人が優し過ぎたんだ。いや、アポロニアさんだって十分に優しい。これだけ見せてくれた、試させてくれた。そのおかげで大分、あの状態のことは掴んできたし。肝心の踏み込み方は全然分からないけど)

 何をしても捌かれるのを良いことに、ありとあらゆる攻め筋を試した結果、あの蒼い雰囲気のことがおおよそ掴めてきていた。

 通常の状態との最大の違いは全ての動作、その精度にあった。通常状態では十回に一回しか成功しないことでも、あの状態であればほぼ確実に成功する。それも深さ次第だと彼女は言っていたが、出来る可能性さえあれば再現出来てしまうのだ。

 同時に出来ないことは出来ないまま。技の起こりを彼女が何処で察知しているのかも観察したが、そのタイミングは全て同じであった。其処が彼女の経験則から相手の挙動を判断する最速の地点なのだろう。

 其処に関しては自分の方がどんな状態であれ早い。

(凄い集中力、って感じだ。まあ、状態が分かってきても踏み込めないんじゃ意味ないけどね。手札を多く持つ俺向きなんだ。出来れば、手札に加えておきたい)

 フェンリスを見てなお募る焦燥感。時間は自分のアドバンテージをどんどん削り取っていく。早く強くならねばいけない。誰よりも早く、容易くは追いつけない場所へ。それが出来ないのであればすぐにでも剣を置く必要がある。

 出来ることならばやるべきだが、出来ないと判断すれば手を引くべき。その損切もまた時間制限がある。先延ばしにしていては次につかえてしまう。

「アルフレッドさん? どうされましたか?」

「俺はもう少し、此処に残ろうかと」

 せめて何かを掴むまでは――

「それこそ無意味だ。試したいことは全て試したはず」

 ゾクリ、気づかぬ内に背後に立っていたアポロニア。近くのアテナ、イェレナも気づいていなかったのかびっくりしている。

「私はどうも教えるのが得意ではないらしい。これ以上、何かを伝える気にもなれぬ。私からの学びはない。世界から学べ、今まで通りに」

 アポロニアはアルフレッドを突き放す。冷たくはない。だが、その眼にはすでに執着はなかった。彼女の中では終わったことになったのだろう。

 ただでさえ消え入りそうな雰囲気が、さらに薄くなった気がした。

「俺は、踏み込めると思いますか?」

「……知らぬ。だが、一つだけ教えてやろう。貴公の骨、肉質は、残念ながら父よりも劣る。全てが繊細。あれは貧弱な素体であったが無茶に耐えうる奇妙な頑強さがあったからな。剣才では上に立つだろうが、到達点は、父にも及ぶまい」

「……はは、狼どころか、父にも届かない、ですか」

「剣に縋るなら、腹をくくれ。握るか捨てるか、踏み込むか否か、だ。いつまでも握りしめておると、気づけば手放せなくなっておるぞ。そうなってしまえばもはや手遅れ。分不相応の報いを受けるのみ、だ」

 無感情であったアポロニアの瞳にうっすらと、されどくっきりと感情の炎が揺らめいていた。これこそ彼女が此処に止まる理由なのだろう。

 捨てられなかった弱さ、握り続けるほどの才覚を持たなかった己への憎しみ。

 果たして己に手を伸ばす資格があるのだろうか。

 この怪物でさえ届かなかった山巓に。

「まあ、早期決着ならば芽はある。ローレンシアに進出した段階であれば私に勝てる同世代は皆無だった。青貴子相手は難儀しただろうが。とにかく、そういうことだ。誰よりも早く大陸を焼き尽くせばいい。それだけのこと」

 アポロニアは苦い笑みを浮かべながらアルフレッドにエールを送る。時間は有限、自分たちであればなおのこと。だが、勝ち筋がないとは言わない。全員に勝つのは難しいかもしれないが、同世代と括れば勝機はある。

「ただし、戦乱によって鍛え上げられることもあれば、平和によって磨かれるものもある。こと尋常なる一騎打ちはその括りだろう。狼の子を見れば分かる。父親か、それに類似する者か、よく鍛えられていた。私ほどのアドバンテージは望めない。それだけは肝に銘じておくといい。それでも征くのなら、止めはせぬが」

 戦争世代に幼少期から鍛えられた世代。

 ある意味で一番おいしい世代であったのだ、彼らは。

 若い世代の平均はべらぼうに上がっているだろう。需要が激減し武人の数が減り、上澄みだけが残り、そこに先人たちが注力しているのだから。

「茨の道だな」

「……覚悟の上です」

「好い顔だ。あの男ならひょいと捨てそうなものだが、息子は抱いて天を目指す、か。その分不相応さ、嫌いではない」

 そのまま歩き去らんとするアポロニア。ふと、振り返り――

「深呼吸をするといい。深く深く、自分を見つめた先に、世界が在る」

 意味深だが、理解不能な発言と共に去っていった。

 分からないことだらけである。だが、一つだけ分かったことがある。

 最期の一言で、本当にアポロニアは伝えきったのだ、と。もはやこの小さき城に、今のアルフレッドにとって有用なものはない。

 ゆえに彼らは旅に出よ、と言うのだ。

「準備、しよっか」

「医学書よりも難しい」

「安心してくださいイェレナ! 私もちんぷんかんぷんです!」

「安心した、ありがとうアテナ」

「えへへ、どういたしまして!」

「……退屈だけはしない旅になるだろうなあ」

 しみじみとつぶやくアルフレッドであった。

 彼女たちを見ていると何だか自分がちっぽけなことで悩んでいるなあと思えてくるのだから不思議である。教えてもらったこと、見せてもらったことを噛み砕き、己がモノとするのは旅をしながらでも出来る。

 煮詰まって停滞するよりも余程有意義であろう。

 前向きに考え、アルフレッドもまた旅の支度にとりかかった。


     ○


 騎士王アーク、お留守番の巻。

 アルフレッドとイェレナに激震が走る。三度の飯よりも旅が好き、東奔西走好き放題各地を渡り歩いてきた男が、久方ぶりの故郷であるガルニア周遊の旅についてこないと言ったのだ。これには旅の仲間である二人もびっくりである。

「正気ですか!?」

「病気の疑いがある。診察させて」

「我は正気であるし至って健康体である!」

「じゃあ、まずは目を診ます」

「あ、信じとらんな。なんか最近、我、あんまり尊敬されておらん気がする」

「自業自得だ、父上」

「……昔はあんなに可愛く可憐であったのに、行き遅れてしもうたか」

「……心に決めた相手がいるのでな」

「我、知らんのだが、その話!? 誰ぞ、何処の馬の骨ぞ!?」

「言わぬ。それに叶わぬ。何よりも、私の愛の行き着く先は殺し合いだ。残念だが狼と違い、あの男はそれほど戦いが好きではないらしい」

「「ぶふぉっ!?」」

 父と息子が同時に噴き出した。

 そんなこんなでちょっとした混迷の中――

(異常が、無い。痛がっているそぶりはあった。何らかの症状は出ていると思っていたのに、本人の申告通り至って健康。じゃあ、あれは、いったい?)

 騒ぎを無視してアークの状態を見るも問題は見受けられなかった。もちろん、目に症状の出ない痛みはある。頭から来るものや鼻から来るもの、耳から、もある。全てをこの場で診察できるわけではないし、本人が健康だという以上、本人が感じる症状から推察するのも困難である。

 つまり現状、

「なに、イェレナそのポーズ?」

「おてあげ」

「わーお。すっごくかわいいね」

「……ごめん、許して」

 お手上げであった。

「アルフレッドよ」

「何ですか、アークさん」

「息子に会ったら、その、この城にて待つ、と伝えてくれるか?」

「承知致しました」

「まあ、来なくても構わぬとも付け足してくれ」

「それは承知致しかねます」

「何故であるか!?」

「何故でしょうねえ」

 そのまま取っ組み合いに発展する老人と少年。「ムキー」と照れ隠しをしながら暴れ回る困ったお爺さんをニコニコと力ずくで止めようとするお孫さん。

 少し変わった関係性であるが、そんな風に見えた。

「……残酷だな、父上」

 その果てを悟っているアポロニアは静かに、目を瞑った。

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