最果ての島:ガルニアの流儀

 アポロニアの教えは一言で言えば感覚的、であった。

 まずもって彼女の中で武が一切言語化されておらず、人に伝える際にそれは顕著に表れていた。こう振る、ああ振る、実践より他の教え方を持たない。

 つまり――

「集中だ」

「…………」

 実践できる武であれば理解する余地はあるが、内面の話になると本当に彼女の中でのみ完結しており、何一つ伝わってくるものがない。

 というよりも伝える気があるのか疑問に思うほどである。

「自身の中を空っぽにしろ」

「…………」

「それは何も考えていないだけだ」

「え、と、二つには何の違いが?」

「全部違う」

「……は、はい」

 頭の中は疑問符だらけ。とにかく集中しようとするも何に集中すればいいのか分からない。空っぽと言われたのでそうしたら何も考えていないと言われる始末。そうしているのだから当たり前だ、とアルフレッドは思う。

「あまり集中できていないようだな」

「すいません。その、アポロニア様が踏み込んだ時のことを教えてくれませんか? ほんの少しでも、何か取っ掛かりが欲しくて」

「ふむ。敗走して、島に戻り、悔いていた夜だったか。自らの愚かさが、存在そのものが疎ましく、消えてなくなりたいと願っていた時、だったと思う」

 あまりにも重い話を平然と語りだすアポロニア。

「我が騎士の期待に応えられなかった惨めな敗北者。無価値、虚ろ、亡霊のような心地で彼岸を跨いだ。そのまま進めば消えて無くなれる。予感に胸が躍った。だが、同時に我が騎士が背後で見つめるのだ、我が王は逃げ出すのか、と」

 そして、あまりにも感覚的、もはや夢想の世界である。

「今なお踏み止まっているのはそれが理由だ。私自身だけであれば留まる理由など無いからな。もし、やり直せるのであれば、話は別だが」

 理解が追い付かない。

 自罰的な感性が必要なのだと、自らの後悔をあげつらって罰してみるも嫌な気持ちになるだけであった。彼岸とやらの意味も分からず、ただ小一時間目を瞑っていただけ。足もしびれてしまいイェレナとアークに弄られ倒された。

「すまないな、口下手なのだ、許せ」

「いえ、感覚の話ですから。なかなか伝わり辛いこともあると思います」

「気晴らしに稽古でもするか。私はどうも、戦う以外で教えられぬらしい」

「ありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂きます!」

 剣を握りしめ颯爽と外に出るアルフレッド。その背を見つめながら微笑むアポロニアもまたそれに続く。柱の影、恨めし気、もとい羨ましそうに二人の稽古を見つめるアテナの姿があった。その背後ではアテナの悶々とした様子を肴に酒を酌み交わすガングランやアーク、その他大勢の騎士たちもいた。

 結構、悪質な兄貴分たちである。実の祖父も同様。

 外では――

「悪くない攻めだ。緩急があり、幾重にも嘘を張り巡らしてある」

「……それならもう少しきつそうに受けてください、よ!」

「ふ、きついからこうやって受けているのだ」

 蒼き雰囲気をまとうアポロニアの受けは常人には理解し難いものであった。普通の剣士であれば面、ないし線で受ける。いや、どんな初心者も熟練者も同じであろう。だが、彼女は点で受けていた。切っ先だけで上下左右の打ち込み、突きも交えたコンビネーションを捌き切るのだ。ありえない、普通じゃない。

 彼女の剣は経験則に裏打ちされた実戦で鍛え上げられたもの。普通の剣士よりもずば抜けた読みと精度であるが、肉体を知る己に比べると明らかに初動が遅い。遅いから無理をする必要が出てくる。無理をしているのも分かる。

 引いて、力が乗せられない状況で、少しでも拮抗させるために切っ先で受ける。面よりも線、線よりも点。道理ではあるのだが――

(リスク度外視、かよ! 空かす可能性をこの人は考えないのか!?)

 点で受けるということはほんの少しでもずれたら、そのまま攻撃が素通りしてくるということである。だから誰もやらない。力は伝えやすいが、そんなリスクを許容できるものなど誰もいないだろう。

 まして自分も相手も人間、精密ではないのだ。

「陛下の剣も凄まじいが、それを強いる少年の剣も素晴らしいですね。同世代として思うところはありますか、アテナ」

「……あの体躯で、あそこまでやれるのは凄いです。でも、あのクソ狼と比べると正直今一つな気がします。とても強いとは思うのですが」

「現段階であればクソ狼君が負けると思いますけどね」

「まさか!? あれは化け物でした!」

「比較する相手が陛下でなければ彼も化け物に見えますよ。手札の数、それらを切るセンス、図抜けています。将来性で言えば、段違いでしょうが」

 ガングランはガルニアでも有数の実力者である。若手の中ではトップ。上の世代を交えても五指には入る実力者であろう。

 何よりも狼の子をガルニアで唯一負かした男なのだ。

「さて、私に勝てるかどうか。分からん殺しされそうだなぁ」

 へらへらと笑う兄貴分に不満顔のアテナ。騎士ならば負けそうなのにへらへらするな、と言いたげな表情である。非常に分かりやすい。

「今は、です。私ももう少し強くなるでしょうし、狼の子は今と比較にならぬほど強くなっているでしょう。彼は、そろそろ天井です。持たざる者の悲哀、この程度の差であれば努力せずとも埋まります。それが才能の残酷さ」

 必死になってアポロニアに食らいつくアルフレッド。よくぞあの歳で磨き上げたものだとガングランは心の中で褒め称える。だが、同時に透けて見えるのだ、すでに限界近くまで高めた肉体。伸びしろは、もう、ほとんど残っていない。

 明日なき努力、彼は何を想い剣を振るうのか。

「でも、足掻く姿は美しい、そう思いませんか?」

「……少しだけ、ですが」

 彼は足掻く者。狼の子とはまた違う輝きにアテナは少しだけ、当てられた。


     ○


「芳しくないようであるな」

「そうですね。何か切っ掛けさえつかめたら、とは思うのですが」

「取っ掛かりが見えぬ、と」

「はい」

 皆で円卓を囲い質素な夕餉に舌鼓を打つ。最低限の使用人、西へ進撃しローレンシアを揺るがせた女王の食事風景には見えなかった。

「教えられることは全て教えてある。会得できるかどうかは彼次第だ」

「教えるのが下手糞であるなぁ」

「父上に似たのだ」

「母親似であると思うぞ、たぶん。我そこまで酷くないもん」

「どう思う、ガングラン」

「……アテナはどう思いますか?」

「もが!? んぐ、んごごご!?」

 いきなり話題を振られ驚愕のあまり食事をのどに詰まらせたアテナ。苦しむ姿を愉悦の表情で眺めるガングラン。まあまあのクソ野郎であった。

「詰まらせたみたい。背中、拝借」

 ぬるりとアテナの背後に回るイェレナ。大きく振り被って――

 ドン、と大きな音が城に響く。あまりの破壊力に白目を剥くアテナ。その正面に座っていたアルフレッドは笑顔のまま虹の放物線を浴びる。

 鉄の笑顔に揺らぎ無し、というか硬直していた。

「……慌ててしまった。反省」

 イェレナ、力加減を誤る痛恨のミス。忘れがちであるが彼女はあのゼナと力比べをして互角の勝負を繰り広げる力もちであった。最近では力加減も体得し、日常生活での誤りこそなかったが、緊急事態となるとまだまだ甘かったのだ。

「ごめんね、アル」

「俺は良いよ。それよりもアテナさん、大丈夫かな?」

「気絶してるだけ、だと思う。お部屋まで運んでくる」

「うん、俺も顔洗ってくるよ」

 まさかの珍プレー続出に身を捩るほど笑うガングランとアーク。騎士の国は畜生の国でもあった。本当にひどい話である。

 三人が退席し、笑いの波が引いた二人の騎士。これほどの事態に揺らぐことなく食事を取り続けているアポロニアもどうかしている。

「アテナを案内役にガルニアを案内させたいのだが」

「その心は?」

「神のみぞ知る、であるな」

「なるほど。アテナとアルフレッド殿が共にあるのは良い影響を与えると思うのですが、如何ですかな、陛下」

「構わん。どちらにせよここで得ることはあるまい。教えられることは教えた。見せるべきものは見せてある。あとはあの子次第、だ」

 アポロニアもまたすでに役目を終えたとばかりに一切の執着はなかった。娘の変貌ぶりに一抹の寂しさを覚えるも、それでも此度に関してはそちらの方がスムーズであるので言及は避ける。これでやるべきことは全て、終わるのだから。

「では先んじて鷹を飛ばしておきます。無用な争いにならぬように。まあ、アテナがいるのであれば問題ないでしょうが。彼女は一番厄介なあの国で最も顔が利きますので。旅路は穏やかなモノになるはずです」

「おお、そういえばあの男の領地を引き継いだのであったな」

「ええ。上手くやっていらっしゃいます」

「うむ。よきことである」

 先んじてガングランが席を立つ。父に似ず何とも小器用に立ち回る男だとアークは内心苦笑する。己と同じく自らの領地を身勝手に捨て、放浪の末同じ相手に二度敗北して戦死した男の息子。それなりの苦労は、あったはず。

「戦場でのあやつを見れば父上の感想も変わろう」

「……心を読むでない。まったく、ただ真っ直ぐに生きておればよいモノを」

「娘に愚者を望むか、笑えぬ冗談だ」

 ひりつく室内、食事を終えた二人が視線を合わせることはない。

「色々と聞きたいことがある」

「わかっておる。あの子らが旅立ったら、全て話そう」

「ならば、よい」

 感情の無いアポロニアを見てアークは頭を掻き毟る。自分の選択が彼女を生ける亡霊とした。果たして何が正しかったのだろうか。どんな選択であれば彼女が、自分が、全てのものが満足のいく答えに辿り着けたのだろうか。

(愚かであるな。この眼に、そんな力はないのだ)

 変わり果てた娘の存在こそ、己にとって最大の咎であった。

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