最果ての島:ガルニアス
アルフレッド一行はとうとう最果ての島、ガルニアへと降り立った。
静かな場所であると思っていたが、どうにも様子が異なるようで先ほどからあちこちで鬨の声が上がっていた。戦場の血生臭さは感じ取れないので血は流れていないのであろうが。よく分からない熱気に包まれていた。
「何者ですか!?」
その中から一騎、紅い鎧をまとった騎士が近づいてきた。
訝し気な視線ではあるが敵意は見受けられない。
「やあ初めまして。私はアレクシス、旅をしております」
「初めまして。ガルニアの騎士、アテナ・オブ・ガルニアスです。そこで模擬戦をしている騎士たちの一人です」
ガルニアスという名を聞いてアレクシス、もといアルフレッドは背後を振り返った。眠たそうに眼をこするアークもまたガルニアスなれば、縁者である可能性がある。幸先のいい旅路であるとアルフレッドは思った。
「何か?」
「いえ、実は、何を隠そうこの御方もまたガルニアスなのです」
「うむ」
「そんなはすはありません。ガルニアスの名は父上が捨てたので私一人のはず」
「ふえ!?」
騎士王アーク、驚天動地の衝撃が走る。
「曲者、ですね。ひっ捕らえます!」
馬から降り立ち剣を構える少女。どうすべきかを思案していると、遠くからまた一騎、騎士が近づいてきた。
「サー・ガングラン、曲者です」
「……アテナ。騎士王殿絡みで御父上の言葉を信じてはいけません。あの方も素晴らしい君主なのですが、どうにも根に持つきらいがあるようなので」
涼やかな笑顔で一人の騎士が降り立つ。背が高く、精悍な顔つき、すらりとしたフォルムだが中身はぎっしりと肉が詰まっている。
こちらもひと目でわかる強者であった。
「ガングラン・オブ・ウェールズと申します。騎士王、アーク・オブ・ガルニアスとお見受けいたします。こうしてお目通りが叶うとは思いませんでした」
「ウェールズ、ゴーヴァンの子か! ふはは、似ておらぬな!」
「父を知る者からもよく言われます」
「え、では、真のガルニアス、なのですか?」
「不敬ですよ、アテナ。厳粛にアーク様と呼ぶか、親しみを込めておじいさまと呼ぶか、どちらかにしなさい。どっちにしても面白いから」
「う、うう、ど、どうすれば」
「……何ぞ知らぬうちにガルニアも随分面白くなったのお」
「実り豊かでもなく、何か特別な名産があるわけでもないので、せめてユーモアぐらいは、と研鑽しております。主に私とアテナがですが」
「わ、私はしておりませんよ! ガングランがいつも引っ掛けるから」
「おや、サーをつけ忘れてますよ」
「う、うあああああああ!? 私は騎士失格だぁ!」
「ね、面白いでしょう?」
出会って数分もしない内に馬脚を現したポンコツ騎士とそれを弄って遊ぶ腹黒騎士。とんでもない場所に足を踏み入れたな、とアルフレッドは苦い笑みを浮かべていた。頭を抱えて内省する生真面目な姿を見ていると笑うのも気が引け――
「ガッハッハッハ! 実に面白い!」
腹を抱えて笑う騎士王の姿があった。まあまあ畜生である。
「おじいさま、ということはメドラウトの子か。こちらもあまり似ておらぬな」
「伯母様に焦がれておりますので」
「ほお、アポロニアに、か。して、あの娘はどこにおる? 先ほどは遠方から高みを見物と洒落込んでいたようであるが」
「はて、我らは見ておりませぬな。アテナはどうですか?」
「う、うう。見ておりませぬ。あの意地悪な狼に向かって塩をまいていたところでしたので。きっとあの男は二度とこの地にやってこないでしょう」
「胸を張って言うことですか、まったく。塩は貴重なのだと何度言えばわかるのですか? 馬鹿なのですか、貴女は」
「ま、まあまあ、彼女も頑張ってますのでこの辺りで」
仲裁に入るアルフレッド。このままでは延々とガルニア漫才を見せつけられると踏んでの打算的な仲裁であった。
「貴方は良い人ですね!」
「……君も、もう少し色々と気を付けた方がいいと思うよ」
「何か言いましたか?」
「いえ、何も。綺麗な髪の色だねって思ってさ」
「……うふふ、そうでしょうそうでしょう、伯母様と同じ色なのです!」
ルンルン気分で馬に跨るアテナ。あまりにもチョロすぎてアルフレッドは頭が痛くなってしまう。田舎育ちの純朴さか、都会の擦れた女性たちを見てきた弊害か、誰かが守らねば即座に騙されそうな純粋さである。
「スケコマシ」
「ふ、普通のこと言っただけだい!」
イェレナのじとっとした視線にアルフレッドは怖気を覚えた。
「私が案内致します。我が伯母、アポロニア・オブ・アークランド様の下へ」
「ふむ、幸先良いのである」
「ですね」
「スケコマシ」
「……髪の色、綺麗だね」
「もっと心を込めて言うべき」
「それこそスケコマシだよ、まったくもう」
幸先の良い出会い。二人の騎士との出会いがこの国最初の一歩であった。
○
「伯母様! どこですか伯母様!」
湖のほとりにある小さなお城。かつて小さな部族であったガルニアス最初の居城こそここであったのだ。綺麗にされており、人が住んでいないわけではないのだが、何故か人の匂いが欠けている、とアルフレッドは思う。
「大変です。伯母様が行方不明です!」
「待っておれば勝手に帰って来るであろう。しかし、懐かしいものである。このような城をまだ使っておったのか。とっくに廃墟と化しておるものと思っておったぞ、ガッハッハ!」
ソファーにずでんと沈み込む騎士王。船旅で疲れたのか今にも眠りそうである。別のソファーに座るイェレナもうとうと、アルフレッドだけが興味津々で辺りを見回していた。調度品などガルニア独特の形状の物が見受けられる。
閉ざされた島国ならではの特殊な文化。
「興味深いか、白騎士の息子よ」
「ええ、とても。……えっ!?」
いつの間にか隣に立っていたのは、アテナが探している伯母、戦女神と誉れ高き女王アポロニア・オブ・アークランドであった。
「ぬっ!?」
「伯母様!? いつの間に」
信じ難いのはその存在感の希薄さ。巨星にまで数えられた女傑にしてはあまりにも希薄に感じられた。言葉を発するまで気づけなかったほどである。
いや、言葉を発されてなお理解するのに戸惑ってしまった。
「久方ぶりであるな、アポロニアよ」
「御父上も健勝で何より。メドラウトが愚痴を言っておりましたよ。来いと言ったのに一度もこちらへ来なかった、と」
「本当か?」
「幾重にも包まれた言葉を紐解くと、そう聞こえたまでです」
「……話半分に聞いておくのである」
親子の再会というにはあまりにもあっさりとしたものであった。互いに踏み込むべきところは弁えているという印象。大人の再会である。
「お初にお目にかかります、アポロニア陛下」
「敬称など不要だ。辺境の島国、その中の小さき国家の盟主だ。貴公の方がよほど敬うに値する。そうであろう、アルフレッド・フォン・アルカディア」
「今はアルフレッド・レイ・アルカディアと名乗っております」
「……ふむ、其処に何の意味があるのか、私の知るところではないが、どうやらそれなりの死地を潜ってきておるようだな。表へ出よ」
「……はい!」
アポロニアの誘い、その意味を理解した瞬間、アルフレッドの顔に笑みが宿った。父の宿敵の一人であった女傑の力を知るまたとない機会。
残さずに平らげてやると好奇心溢れる笑顔である。
「アポロニア様が剣を抜かれるのか。いつぶりでしょうか? アテナ」
「……わ、私だって稽古をつけて頂いたことがないのに! それに、う、嘘をついていました! アレクシスって言ったのに! 嘘つきは泥棒です!」
「始まり、ね。あはは、でも、面白そうだ」
「ぐぬぬ。追いかけましょう、サー・ガングラン!」
「心得ました」
もとよりそのつもりだ、とばかりに駆け出す二人の騎士。アークも「よっこらせ」と立ち上がり重たい足取りで追いかけていく。イェレナは――
「あ、本だ」
本を見つけて勝手に読み始めていた。
あまり武芸には興味がなかった。
○
アポロニア・オブ・アークランド。彼女の戦歴は栄光に満ちている。少なくとも表向きではジェドを、ウェルキンゲトリクスを、多くの英傑を打ち倒してきた戦の女神である。そもそもとして騎士の国家ひしめくガルニアを制覇しただけでも十二分な戦果であろう。その女傑が今、剣を抜いて目の前にいる。
アルフレッドは笑みを消すことが出来なかった。父とヴォルフ、其処に並び立つ女王の武が如何ほどのものか、気になっていたのだ。
「……では、征くぞ」
「はい!」
女王が一歩踏み出した瞬間、景色が一変する。ただ一歩を踏み出しただけ、剣を振り上げてもいないのに、彼女の放つ雰囲気が塗り替えたのだ。
凄まじい熱量、先ほどまで薄いと感じていた存在感が、今は父やヴォルフを超えるほどの炎となって押し寄せてくる。
「ハハ、化け物だ」
アルフレッドもまた即座に居合いの構えを取る。今の自分が持てる最大戦力、ウォーレンの必殺を吹き飛ばした発勁を用いた居合い術。
「俺と頂点の距離は、どうだ!」
煌く白刃。斬った、その確信は幻想と共に消える。
「な、に!?」
揺らめく陽炎。圧倒的な火勢と速力、まさかそこで止まる、止まれるなどアルフレッドの想定外。居合いが陽炎を断ち、本体はゆらりと再度加速する。
(ヴォルフさんの加速とも違う。なんて、緩急だ)
ヴォルフのような破壊的な緩急ではなく、滑らかで、揺らめくような緩急。まさに炎の如し動きである。似ている手合いで言えばミラに当たるが、彼女のそれは才能にあかせたもので、女王のそれは積み上げた戦歴が産んだもの。
同じ緩急でも使いどころと次への繋ぎが段違いである。
「ぐっ」
「さあ、来い」
あらゆる持ち駒を駆使して距離を詰めようとするも、アポロニアとの距離は決して埋まることは無い。激しく、時にしなやかに、彼女は舞うように攻め立ててくる。格上、其処に間違いはない。自分よりも遥かに強い。
だが、届かないほどではないとも感じていた。
そう遠くない未来、彼女にならば追いつける、そう思ってしまった。
「……ふっ、こんなものか、と思ったな?」
「い、いえ、そんなこと。現に俺、負けそうですし」
「事実だ。私は武に関して、明らかに一枚落ちる。貴様の父にも、黒き狼にも、獅子にも、よく分からぬデカブツにも、劣る。それが私だ」
立ち止まったアポロニアの顔には深い悔恨が刻まれていた。剣を持つ手が震えている。いったい何が、彼女をこれほど傷つけているのだろうか。
手に残る衝撃、女性とは思えない手応え。
間違いなく頂点に近い所に彼女はいる。
恥じることなど何も無いのに、その眼は自分を責め立て続けていた。
「随分鍛えこんでいる。その歳でよくぞそこまで達した。私が初めて白騎士と会った時よりも些か若かろう。それなのにあの時点の白騎士よりも強い。黒狼もあの時点では私よりも下であった。貴公より、やはり下に感じる」
「……それは褒め過ぎですよ」
「成長曲線の違いだ。別に褒めてはおらんよ。天井は、低かろう?」
痛いところを突かれてアルフレッドは苦笑する。
「私も低かった。おそらく私はこの島を出た時点からほとんど武力に変化はない。私も貴公と同じ、早熟の部類であった」
(……そりゃあ父上もヴォルフさんもビビるだろうなぁ。完成する遥か前に完成した怪物が現れたんじゃ。昔話も歯切れが悪くなるわけだ)
ふう、と息を吐きまたしても存在感が薄くなるアポロニア。
「……もう終わりですか?」
「いや、そのつもりはないが?」
「……一応、間合いなんですが」
「知っている」
「俺は今、剣を収めました。先ほどお見せした剣です。死にますよ?」
「出来るものならば、やってみよ」
アルフレッドは一瞬、アークの方を見る。頷くアークを見て腹をくくった。外した上で寸止めなど出来るはずがない。彼女がどうにかする、それを信じて放つしかなかった。戸惑いはある。見た目、すでに戦う者のそれではなかったから。
「臆したか?」
挑発に乗ったわけではない。それでも彼女は、ここでアルフレッドが必殺の一撃を放つ以外の選択肢を設けるつもりは無いように見えた。
だから、放つ。至上の一撃を。
動き出しの瞬間、一陣の風がアポロニアの髪を撫でた。ふわりと舞い上がるその中にひと房、蒼き髪が混じっていたのだ。アークはそれを見て絶句する。
「まさか、何故、アポロニアが」
刹那、女傑の周囲が静寂に満ちる。
全身から蒼き炎と化した温度の無い光が溢れ出した。
「まだ、蒼い。貴公の父より優秀だが、白騎士であればこの勝負、絶対に乗らなかっただろう。手札を見せた上で、誘われているのだから」
居合い術によって放たれた剣。それが中空で押さえ込まれていた。
アルフレッドの剣を押さえ込んでいるアポロニアの剣。それは剣先で薄い剣の刃を押さえるという針の穴を通すかのような技であった。ありえない光景である。死を招く一撃を前にいったいどんな生物がこれほどの極限に至れるだろうか。
発勁と外しを交えた刹那の芸術ゆえ、その一撃は狙った地点をずらされると大きく力を損なってしまう。発揮する前に押さえ込まれたならば味消し。そんな刹那を見抜き、穿てる人間など存在しない、狼の王でさえ難しいと断言するだろう。
だが、此処にいたのだ。
「そんな、馬鹿な」
それが出来る者が。
「アポロニア」
父が零した己が名、アポロニアは感情の無い瞳で父を見る。
「皮肉にも剣を捨てて、戦場の女王であることを辞めて、私は剣が上手くなった。強くなったとは言わぬぞ。これもまた私の求めた強さではない。戦場でこんなものクソの役にも立たぬ。満足か、父上、私はこうして生き恥を晒しておる」
髪の青みが少し、広がった。
「それ以上踏み込むでない! 人に戻れなくなるぞ!」
「私にそれを求めたのは、父上であろう? 何故私に剣を握らせた? 旗でも握っていた方がよほど向いていただろうに。本当に、無様だ、私は」
「……それは」
アポロニアは強くなった。彼岸に踏み込んだ彼女は個人戦であれば頂点に並び立つ資格を得ていた。だが、戦争であれば先のギルベルトたち同様、今の彼女では戦局に影響を及ぼすことは出来ないだろう。
生きた屍、それでも此処に在るのは女王の矜持。
「案ずるな、征かぬよ。我が騎士たちが世界の一部になるなぞ、望むと思うか? ここで生き永らえ、明日に繋げるまで私は消えぬ。心に残る僅かなかがり火、これがある限り、な。白騎士の息子よ、戦争にて勝利を掴みたいのであれば、戦術を磨け。笑顔を磨き上げよ。個人の闘争にて勝ちたいのであれば――」
アポロニアはアルフレッドを見つめて微笑む。
儚げな、今にも消え入りそうな笑顔。
「早熟の天才、その活路は此処しかないぞ。極限の集中を超え、刹那にて勝機を掴め。暴力の単純明快さは、私たちには縁遠いものだ」
才能の限界。己も感じる、世界の理不尽。それを知る彼女だからこそ――
「お願いします。俺に、踏み込み方を教えてください」
「……感覚の世界だ。私のそれが役に立つかどうかは、保証せぬ」
「それでも、知らぬより知っていた方がいい」
好奇心に満ち溢れた眼。知識の獣である少年を見て――
「ふふ、何だ、ちゃんとあの男の息子だな」
かすかではあるが初めて熱を帯びた笑みを浮かべていた。
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