幕間:噂話Ⅲ

 エアハルトとアンゼルム、二人が王宮内を歩くだけで大きな騒ぎになっていた。特にエアハルトに関しては現王との政争もあり、腫物のような扱いになってしまう。本人はそんなことはどこ吹く風、肩で風を切って歩く。半歩下がって追従するアンゼルムも周囲の視線など気にも留めていない。

「久しぶりよのお、兄君」

「これはこれはクラウディア王妃。お久しぶりにございまする」

 エアハルトはわざとらしさ全開で恭しく頭を下げてみせる。

「好きにやっておるようで何より」

「王位継承権って重しが無ければ、そりゃあ気楽さ。王妃様も息苦しい王宮から離れてみると良い。巷にはお前を一番に想ってくれる男で満ち満ちているぞ」

 エアハルトの言葉。特に最後の一節の意味を理解する者は少ない。クラウディアの表情が一瞬だけ歪み、背後にいる王子がぎろりとエアハルトを睨みつけた。ただ、それだけ。誰も気づかぬ一瞬があっただけ。

「では、私は陛下に用がございますので。失礼いたします」

 エアハルトはにやにやとクラウディアの横を通り過ぎ、アンゼルムもまた一礼をして付き従う。王位と言う重荷が失われ、身軽に、自由になったことで生き生きとかつてとは異なる雰囲気のエアハルト。

 周囲はそのギャップに戸惑うばかりであった。

「お久しぶりです我が王」

「エアハルトにアンゼルムか。久しいな」

 ウィリアムの執務室。すでに人払いを済ませた部屋には三人しかいない。

「お元気そうで」

「皮肉だな。まあお前の立場であれば仕方ないか」

「いえいえ、むしろ感謝しているぐらいです。七王国時代の中堅国家アルカディアの王であればいざ知らず、ローレンシアの盟主として君臨するにはいささか力不足。今の貴方を見ても、心の底からそう思ってしまう」

 エアハルトの眼には大いなる哀れみが浮かんでいた。頂点の悲哀、近かったからこそ分かってしまう。もうとっくに限界の身体を酷使し続けて、難局をいくつも乗り越えてきた。今だって相当辛いだろうに、そんなそぶりすら見せない様子が逆に痛々しい。

「……それで、何の用だ?」

「御子息の件、お耳には?」

「入っている。色々やっているみたいだが……それがどうした?」

「アンゼルムと何故アルフレッド様を外に出したかなる議題を考え、答え合わせをしたく参った次第です」

「お前たちは暇人か」

 呆れ顔のウィリアム。

「ええ、それなりに。やることはやった上の余暇活動ですよ陛下。私とアンゼルムは優秀なのです。御存じでしょう?」

 対して悪びれることなく笑みを浮かべるエアハルト。その不遜な態度に苦笑するアンゼルム。様々な枷がない場所、彼らにとってエル・トゥーレは非常に良い環境であることはその様子を見るだけで理解できる。

 ウィリアムは軽く手を広げて「どうぞ」と促した。

「ずばり、陛下はアルフレッド様を王にしようとしている。外に出したのはその一環、見聞を広め、精神的、肉体的に成長させ、各地で名を残し、誰もが驚くセンセーショナルな帰還を果たす。勇者アレクシスの名を借りて、彼の歩みを辿るとは洒落たプロデュース。君らしいようで君らしくない気もするが、どうだろうか?」

「さてな。ただ、一つ言えるのは、余はあれの道行きに何の手も加えていない。そうするつもりであったが、あれの引力がより正しい道を引き寄せたようだ」

 二人はあてが外れたことではなく、この演目がウィリアムの演出でないことに驚きを見せる。つまり、彼は今、自らの手で、足で、考えの上でこの状況を生み出しているのだ。もちろん、最初は導き手を引き寄せたのだろう。アレクシスの近くに騎士王の影がちらついているのは彼らの耳にも入っている。

 だが、その導き手が用意されたものではなかった。その事実は驚嘆に値する。

「なかなか、大きな器を持っているようだね」

「かもしれんな。いずれ、余も喰われかねん」

 白の王を喰らう。その意味を違えるほど目の前の二人は愚かではない。

 後継者として、王として、彼を担ぎ上げる。その手順は中々困難な道のりであろう。アルカディアの正統なる血を持つ第二王子。武家としてアルカディアの一時代を支えた不動の血統なる第三王子。そして麗しの名門貴族の流れをくむ第四王子。やはりその中に置いてテイラーという歴史浅き血統では正当な評価は得られない。

 政争を避けるためにも、もし彼が王に成るのであれば必要な手順があった。功績と知名度、何よりも力を示すこと。どんな舞台でも構わない。下流に、中流に、上流に、全ての者たちに有無を言わせぬ結果さえ示せば、白の王がそうであったように当たり前は覆る。

「伝説になぞらえるならば、正しく締めの舞台を用意すべきでしょう」

 アンゼルムはウィリアムの前に立ち羊皮紙を広げた。そこにはエル・トゥーレの地図が描かれており、その中心には巨大な円形上の建物の図面も描かれている。

「ほう、二人して何を企む?」

「長年聖地とされてきたこの地で、勇者アレクシスは一つの奇跡を成しました。最後の魔王と謳われた魔人を討ち取り、滅びに呑まれたかの地に黄金の花を咲かせたと言われております。この奇跡を最後に物語は幕を下ろし、奇跡によって彼は勇者と成ったのです」

「まあ、奇跡なんて大それた話じゃない。陛下が行った児戯、それを世界規模に拡大した催し物をエル・トゥーレにて開きたいと思っているんだ」

「世界中から猛者を集め、頂点を決める武芸大会です」

 ウィリアムは自らを先回りしてきた二人の優秀さに自然と笑みがこぼれる。厄介な敵程、味方にすると安心できるのだ。

「面白い。一切をお前たちに任せる。どうせやるなら出し惜しみはなし、世界最大の催しとせよ」

「「御意」」

 彼らに任せて間違いはないだろう。

 締めの舞台として十二分なモノを作ってくるはず。

「一点、条件を設けても良いか?」

「何なりと我が王」

「参加資格は三十歳より下。理由は、それより上の世代の頂点はすでに決まり切っているからだ。あの狼に出張られても困る。見たいのは若き力なのだから」

「……二十代前半にしようと考えていたのですが」

「ギリギリの世代が出るかどうかは各自の判断に任せればよい。そこまで甘やかせるわけにもいくまいよ。彼らにも機会は与えてやらねばな」

「承知致しました。早速、あちらに戻り手配を進めます」

「うむ、委細任せた」

 白の王に深く一礼をして、二人は退室していった。

 残されたウィリアムは一人彼らの残した地図を見て自分ならどうするかを考えていた。自分なら、どうやって面白く作るか、彼ら二人ならどうのような催しとするか。そんな取り留めのないことを考えている間に――

「草の者が入手した情報によれば、ドーン・エンド以降、エスタード、シュバルツバルト、ネーデルクスを股にかけ、のびのびと旅をしている様子だ。次にルシタニア、此処でおそらくある程度の真実に辿り着いただろう。そして、ガルニア。おそらく今頃は海の上だ」

 背後にゆらりと現れたのは暗殺者たちの頭領、白龍であった。

「くく、本当にアレクシスの足跡を辿る旅、か。あの男らしいやり口だ。勇者アレクシスの冒険にて、ガルニアは大きな意味を持つ。アレクシスが幼少期を過ごした土地であり、父代わりに剣を教えていた男と、物語後半にて互いの信ずる道の相違から決闘をしてアレクシスは勝利する。その結果、アレクシスは未来を見通す眼を手に入れた」

「そんなものが本当にあるのか?」

「さて、どうだろうな。所詮は物語だ。だが、ニュクスのように、この世界にはまだ神秘の残滓が現存している。そこにそんな眼があっても、俺は驚かんよ」

「そんなものを手に入れたなら、それこそそいつは完全無欠の存在になるだろうな。未来が見えるなら、負けようがない」

「どれだけ先の未来が見えるのか、精度はどれほどのものか、未来が見えるとしてどんな形で見えるのか、固定されたモノか、不定形なモノか、それ次第で穴はいくらでもある。そもそも八方塞がりであれば未来視など何の意味もない」

 しばしの沈黙。ウィリアムにしろアークにしろ、余人にはわからぬ、視えぬ道理の上で動いている。彼らにはこの先が見えているのだろうか、だとしたらその先に何が待っているのだろうか。

「お前は息子にどうなって欲しいのだ?」

「……あれは俺の手を離れた。俺の望みなどそれこそ意味がない」

 ウィリアムは咳をする。血の混じった咳、死の足音が響く。

「俺はただ待つだけだ。最後の一戦分、それだけに全てを懸けているのさ」

 爛々と輝く王の眼。万里を超えてその瞳は何を映すのか――


     ○


 夢を見た。ガルニアでの戦いの記憶。哀しき別れ――ふと、涙が零れ堕ちる。

「何をしておる! 見えてきたぞ我が故郷ガルニアが!」

「すぐに向かいますよ」

 涙をぬぐい、アルフレッドは甲板に上がった。風通しの良いところで倒れ伏すイェレナは船酔い中である。立っていられないから寝る。最も簡単で効果的な船酔い攻略法であった。

「む、あの船、見慣れぬな」

「こっちに向かってきますね。すれ違いますか」

「うむ。しかし、随分足の速い船であるな。操船に無駄がないのもあるが、それ以上に船が良い。コンセプトはサンバルト、いや、ヴァルホールか?」

 漆黒の船はアルフレッドたちの船、その右舷をギリギリ抜けていく。

「…………」

「…………」

 たった一瞬の邂逅。

「あの者、強き眼であるな。相当出来ると見える」

「ええ、強い。とても、強い」

 目が合ったのなど刹那のこと。それでもひと目で分からされてしまう。お前とは違う素材、特別な存在であると。ただ其処にあるだけで圧倒できるオーラ。作り物の笑顔と雰囲気が武器である自分とは何と異なる生き物か。

 一瞬で充分。逸材が其処にあった。

「あの船が気になりますか?」

「全然気にならねえよ。雑魚がガン飛ばしてきたからキレそうになっただけだ」

「強がりですか?」

「強がってんのはあっちだボケ」

 フェンリス・ガンク・ストライダーとアルフレッド・フォン・アルカディア。二つの才能があいまみえるのはこれで二度目。一度目は二人とも記憶の欠片も無い幼少期の出会いで、牙が生え揃ってからは初めての目の当たりにする。

「しかし、ガルニアに何の用でしょうか? あそこには何もないと思うのですが」

「知るか。凡人アテナちゃんはいるだろ! あと、アポロニアさん。ついぞ手合わせしてくれなかったけど、まあ別に――」

 ふと、フェンリスは後にしたガルニアの地に眼を向ける。高台で紅の髪をたなびかせ、泰然と立っている女性。その奥底に宿る炎が、燻り続けてきた消えかけた火が、再燃を始めていた。

 自分がいた時にはそんなそぶり、一度として見せなかったくせに。

「所詮三番手にゃ興味ねえよ。一位以外通過点でしかない」

「まだまだ背中は遠いですよ、黒狼王は」

「あの野郎を引きずって、二人のお袋にプレゼントするのが俺の夢だ」

 フェンリスの眼には、あの少年、と呼ぶには少し精悍な顔つきと成ったアルフレッドは敵として映らなかった。身体を、立ち姿を見ればわかるのだ。大体相手がどれだけの出力をもっているか、という根本的なところが見える。

 彼は自分に届かない。

(俺すら倒す気ってか? なめんなよ雑魚が)

 届かないくせに届く気でいる。そんな視線に腹が立った。

(俺を倒せるのは、親父だけだ。その親父だっていつかは俺が超えてみせる。テメエとは戦っているステージが違うんだよ。身の程を知れよ凡才)

 フェンリスは静かに彼らから視線を切った。あの地に見るべきものは何もなかった。ゆっくりと流れる時間、平穏な安らぎ、負け犬には似合いの場所なのであろうが、あいにくフェンリスは勝者になる予定なのだ。

 であればあの地に見るべきものは何もない。

「面舵一杯!」

「アイサー!」

 去るは黒狼の子。向かうは白騎士の子。

 待ち構えるは――紅き女王、見目麗しい女性であった。

 そう、この地には何もない。アルフレッドはこの地で失うことはあっても得るものはほとんどなかった。しかし、ここで彼は知る。騎士王の悲哀を、宿願を。受け継ぐべきか継がぬべきか、笑うべきか泣くべきか――未だにアルフレッドは正しい答えを持たない。

 それでもアルフレッドは決断したのだ。

「アークさん。故郷、楽しみですね」

「うむ、里帰りもたまにはよいものであるな」

「きもちわるい」

「もう少しで陸地だから、頑張ってね」

 前へ進むことを。後ろは――振り向かない。

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