幕間:噂話Ⅱ

 火は当然、アルカスにも広まっていた。

「アルフレッド様がドーン・エンドって連中相手に大立ち回りをしたそうな」

「首領のガルムってのとあのレスター・フォン・ファルケをやったとか」

「しかも数百人を斬り殺してだそうだ」

「いやー、俺ぁわかってたよ。我らが白の王が王子を放逐したとか暗殺したとか、色々言われていたがね、違う違う。王子を旅に出して、成長を促すって、まー、言っちゃなんだが期待の裏返しだったのよ。かわいい子には旅をさせろってね」

「なら王子は期待に応えたってか」

「期待以上だろ!」

 やんややんやと騒ぎ立てる酒場の一角で、深々と帽子を被ったミラが「馬っ鹿じゃないの」と吐き捨てる。人の噂など全く当てにならない。その証拠に話を聞けば誰それを斬った、何人、何十人、何百人殺しただの『アルフレッド』を知る者であれば、まったく信じるに値しないことばかり。ただ、謎の失踪をした彼がゴシップのネタにうってつけだっただけである。

 本当にくだらないと干し肉をがりがりとかじる。

「まあ、あっちは与太話だろうさ。でもな、こっちは結構ガチな話だぜ」

 ミラの前に座るのは、つい先月までアルカスの闘技場で頂点に立っていた男。今はミラの父であるカイルの弟子になり仕事の手伝いをしていた。

「私さー、結構忙しいんだって。師匠は鬼だし、この前パロのやつに一発かまされてへこんでんだから。まあ、十回に一回程度だけどさあ」

 アルカディアでは知らぬ者なし。若手の出世頭であり旧オストベルグ地方の星、パロミデス・フォン・ギュンターを前に、十回に一回の負けすら許せぬミラは、傲慢と言うか天才と言うか、男は苦笑を禁じ得なかった。

「まあまあ。ちなみに、アル坊のリングネーム、覚えてるか?」

「あー、何だっけ。何かスカした名前だったような。私、興味ないこと全然覚えられないんだよねえ。駄目、思い出せない。降参」

「アレクシスだよアレクシス。まあ確かに由来も含めて格好つけすぎって思うが、その辺はアル少年のこだわりだから目を瞑ってやれ。女にはわからない世界だ。んで、此処からが重要、そのアレクシスがな、世界各地の闘技場を荒らし回ってるってネタを、この前旅の剣闘士から聞いてよ。その後も来る奴来る奴、アレクシスはやばいって言ってる」

「そんなに強いの?」

「らしいぜ。未だ負け無し」

「……相手が弱かったんじゃないの?」

「リュシュアンに始まり、レベルの高いガリアス国境伝いから中央までの快進撃。怪物リオネル・ジラルデにも勝って、しばらく落ち着いたと思ったら今度はエスタード、ネーデルクスにも現れたってよ。エスタードではクラビレノやキケを撃破。非公式ながらゼナにも勝ったとか、まああくまで噂だが。ネーデルクスでも勝ちまくってるらしく、槍術院出身の猛者もごぼう抜きときた」

「誰それって言われても私わかんないし。つーか、マジで強いんだったらアルじゃないじゃん。多少強いけど、私より全然よわっちいし」

「いやあ、ミラ嬢ちゃんも相当強い方だからね、実際。とは言え確かに強過ぎる気もするんだよなぁ。ビッグネーム何人も食ってるし……でも、ガリアスに突如現れたのが失踪して少し経ってからってのは、ちょっと気にならないか? そりゃあアレクシスなんてアルカディアだけじゃなくて世界中で有名な物語だけど、それにしたってタイミングが合致し過ぎている、と俺は思うわけよ。仮面で金髪らしいし」

「最後のをもっと早く言いなさいよ!」

「……す、すまん。時期と外見、名前まで合致してたら可能性は高いかなあって」

「……つまり、それがアルだとしたら……私ってめっちゃ強いってことじゃん!」

「いつも言ってるじゃねーかミラ嬢ちゃんは強いってさ」

「あー、何か自信湧いてきた。ちょっと、散歩行ってくるね」

 ミラは颯爽と立ち上がり酒場を後にする。

 残された男は一人ぽつんと佇み、酒をぐびっと飲む。

 ちょっぴり哀愁が漂う背中で――

「会計、俺持ちだよねやっぱ」

 ミラの注文した干し肉をかじりながら物思いにふける。

「はしゃいじゃって可愛らしいねえ。……まあ、言わんで良いこともあるよなあ」

 男は、同じ剣闘士仲間のルートから別の情報も仕入れていた。あえてミラの耳には入れなかったが、その情報の内容は――黄金騎士アレクシスは裏の剣闘にも顔を出し、そこでも常勝無敗だという噂。もちろん、何でもあり、殺しすら容認される非公認の世界。勝ち続けていると言うのなら、殺さずにはいられないだろう。

 それは伏せるしかない。

 その話を聞いたミラが、どういう表情になるか想像に難くないから。 


     ○


 パロミデスとランベルトがガードナー邸の近くでばったり出会った。知り合いの女性陣が慰めに行っているとの情報を入手し今が好機とばかりに馳せ参じたランベルト。暇があれば遠目で見守っていたパロミデス。硬派、軟派の違いはあれど、結構気持ち悪い二人であった。お互いの行動を「ないわー」「理解出来ん」と切り捨てているのもあれである。

「で、何の用だよ」

「別に。通りかかっただけだ」

 特に思うところがあるわけではないが、何となく気まずい二人組。

「お忙しいようで」

「ただ方々へ付き添っているだけだ。何もしていない」

 パロミデスはエル・トゥーレや他国への国家間の会合があれば、護衛と称する顔見せで世界中を飛び回っていた。対するランベルトは国内の紛争や警備隊の指揮などが主な仕事で、仕事面での差が少しずつ広がっていると感じていた。

 そのズレがこのギクシャク感を生んでいるのは間違いない。

「なーにしてんのよ、そこの二人。道の真ん中で邪魔なんだけど?」

 その空気を裂いて現れたのがほんのり上機嫌のミラであった。

「いやさ、レオニーたちがイーリスのとこに行くってさ。ほら、例の噂あんだろ? あれを優しく要約して元気づける作戦だそうだ」

 空気を壊してくれたミラに内心感謝しつつランベルトは普段よりも若干明るめに受け答えをする。その内心などお構いなしで――

「じゃああんた関係ないじゃん」

 ばっさりとランベルトの存在理由を切り捨てた。

「つーか、あんなの嘘に決まってるでしょ。あのドへたれが人を斬った張ったなんて……逆に笑っちゃうって。猫といい勝負、たぶん犬には勝てないわね」

「だよなー。俺もそう言ったんだけどさ。嘘でも元気になった方が良いでしょって、まあそれもその通りだよなあと思った次第で」

「だからあんた関係ないじゃんって」

「冷たいこと言うなよ……同期じゃん」

「ってか本気じゃないでしょあんた。頭の中喧嘩の事しかないくせに色気づくな」

「……刺さるわぁ」

 ランベルトを圧倒するミラはいつも以上にキレッキレ。

「で、あんたは何の用? まさか、お忙しい身分なのに、様子を見に来ただけ? ちょっと気持ち悪いよ。いい男が台無しじゃん」

「用ならある」

「俺にはないって言ったよね!?」

「エル・トゥーレで昔の学友に会った。彼は、自警団の一員としてドーン・エンド討伐に参加していたそうだ。エスタード出身で、信頼のおける男だ」

「……それ、何か関係あるの?」

「いや、大ありだろ! 噂の一番中心にいたってことじゃねえかその友達」

「だからさ、そんな噂嘘に決まって――」

「会ったそうだ。アルフレッドと名乗る金髪の少年に。二百人以上、推定三百近くを斬り殺し、オストベルグ重装騎兵の生き残り、『黒鷹』レスター・フォン・ファルケ、相打ちにも近い形で倒した男は、確かに自分の名はアルフレッド・フォン・アルカディアと名乗ったと言っていた。躯の上で笑いながら、な」

 ミラの顔に浮かぶのは嘲笑。彼は嘘を掴んできた、そうに違いないと言う防衛本能による情報のシャットアウト。

「いくらなんでも、そりゃあ盛り過ぎじゃねえか?」

「俺もそう思った。だが、嘘を言うやつではないし、他にも大勢が同じ光景を見たと言っていた。それだけの人間が嘘をつく理由などない。だから、俺は別人なのだと思う。アルフレッドの名を騙る別人だと」

「何の理由でよ。皆目見当もつかんぜ、自分の成した功績を他者に擦り付ける奴なんか」

「影武者として名を上げ、それを理由にこの国に戻ってくる。王家としての箔をつけさせて。その辺りの意見が主流だった。俺にもそれくらいしか思いつかん」

「あー、なるほどな。それなら筋も通る。陛下の手配かな?」

「かもしれん。だが、それ以上に問題なのは……俺たちと同世代に、それだけ出来る奴が存在しているってことだ。アルフレッドの生死は依然としてわからんが、その男の存在だけは確かだ。お前に出来るかランベルト、それほどの大事が」

「…………」

 ランベルトとてそれなりの武人である。腕には自信があるし、それなりに戦場でも戦えるつもりであった。しかし、それほどの偉業を成せるかと問われれば、とてもではないが首肯など出来ない。遠過ぎる、あまりにも、何もかもが――

「何よ、驚かせないでよ! つまり偽者が色々やったってことでしょ。あーもー、変な汗出た。そもそもアルは今剣闘士やってるみたいだし、別人別人」

「剣闘士? 初耳だが」

「そりゃあ私もさっき知ったし。イーリスにも教えてあげようかなあって」

「んだよ、びびったあ。でも王子様が剣闘士かぁ、結構強くなってるかね」

「再会が楽しみだ」

 勝手に盛り上がるランベルトとパロミデス。何だかんだと武人二人、気が合う。

「結構強いみたいよ。未だ無敗だってさ」

「無敗とは、凄いな」

「まあ金を稼ぐ手段ってなら格下狩れば良いだけだし、何とかなるか」

 称賛するパロミデス、邪推するランベルト。彼らの和らいだ表情は――

「何て名前でやってんだ? まさか本名ってわけじゃねえだろ」

 次の一言で――

「んー、あー、確か、アレクシス、だったかな。ほら、物語であるらしいじゃん。私読んだことないけど。仮面被って……どうしたの二人とも」

 冷たい驚愕へと変貌する。

「黄金騎士アレクシス。それが、アルフレッドだと言うのか?」

「うん、だってこっちでも同じ名前使ってたし」

「ハァ!? それこそ初耳だって。でも確かに、アレクシスの始まりはアルカスからって言われてる。こっちで九十九勝、ガリアスで一気に勝ち星を増やし、消えたと思ったらエスタードやネーデルクス、各地の闘技場にまた現れ、未だ無敗」

「世界中で話題になっている。曰く、最強の剣闘士、だと」

「剣闘士で最強は剣闘王じゃん」

「そりゃあ剣闘王の話は俺らも聞いたことあるけどよ、所詮アルカスの中だけだろ。アレクシスは世界を股に掛ける剣闘士だ。知名度が違う。ってそいつがアルフレッドって大ニュースだろ。話題性としてはまだまだ酒の肴程度だろうけどよ」

「所詮アルってことも忘れないでよ。どーせ、世界なんて言っても大した奴なんていないって。世界で一番の国の王都以上なんてある? ないっしょ」

「ん、まあ、確かにな」

「とはいえ吉報だろう。イーリスに伝えてやれば喜ぶ」

「でしょ、んじゃさっさと」

「待て、ちょい待て! それは、ちと早計だ。アルフレッドがアレクシスだってことは、たぶん知らねえ方が良い」

「ハァ?」

「ミラよお、アレクシスがどんな場所で戦ってんのか、知ってるか?」

「そりゃ闘技場でしょ、剣闘士なんだし」

「闘技場なんてピンからキリまである。アルカスやウルテリオル、エルリードにある立派な国家公認の闘技場もあれば、非公認の闘技場もあるんだぜ? 何でもあり、酷いところになったら、殺しもありの場所もある。アレクシスは、そういうところにも出入りしているらしいんだわ。もちろん、積極的に殺しに行ってるわけじゃないけど、殺してないわけじゃ、ない。極悪人とか、シリアルキラーとか、色々と」

 ミラの顔色が変わる。信じ難いモノを見る目で――

「アルフレッドとアレクシス、二つが繋がれば、いつか噂が耳に入った時、必ず傷つく。それなら知らない方がマシだろ。そもそもアルフレッドの奴がそうと決まったわけでもないんだし、な。ここは三人だけの秘密ってことで」

 ミラはかすかに頷いたあと、ふらふらとこの場から去っていった。残されたランベルトとパロミデスは神妙な面持ちで、状況を整理する。

「影武者がどっちもやってると思うか?」

「いや、ミラには悪いが、おそらくアルフレッド本人だ。偶然にしても出来過ぎている。それならあの部分だけ、本名を名乗った理由も合点がいく」

「アレクシスで通さなかった理由、か。俺には皆目見当もつかんね」

「供養だ。我らオストベルグの怨嗟を、受け止めてくれたのだろう。冥途の土産として、やつは本当の名をくれたのだ。レスター様、他にも多くの勇士たちへ」

「……あー、なるほどなあ。納得したくねえけど、しちまった。あいつ、優しいもんな」

「ああ、同郷として感謝するしかない。だが、それとは別に問題なのは――」

「全部マジなら、あいつどんだけ強くなってやがるんだってことだろ」

 ランベルトとパロミデス、二人の想像よりも遥かに遠い背中。そもそも周囲は忘れがちだが、彼らは忘れたことなどなかった。彼が、北方からこちらへ現れた時の衝撃を。彼は天才なのだ。

 ミラという天才によって多少上書きされていたが、それとて――

「もっと強くならねばな。突き放されぬよう」

「だな。噂の真偽は置いといて、どっちにしてもいるってことだ。無敗の剣闘士、夜明けの王、どちらも同世代。いつかはぶち当たる壁だ」

 世界中に怪物たちが蔓延る。

 彼らは来るべき時のために強くなろうと再度心に誓う。

 そしてその時は、決して遠い未来ではない。


     ○


「久しぶりのアルカスだ」

「長旅お疲れさまでしたエアハルト様」

「何度も言っているだろう、アンゼルム。お前と私は同じ役職なのだからため口で良いと」

「そうは参りません。何事にも節度はございます」

「堅いなあ、モテないぞ」

 エル・トゥーレを任されていた二人がアルカスの王宮前に降り立った。

 数年ぶりの帰還、何もないはずがない。

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