夜明けのネーデルクス:夜明け

 荒々しくも精密なる槍、に見えるそれはシャウハウゼンを名乗る者から見ると妥協に満ちていた。先ほどまでは澱みはあれど完全を目指していたが、ここにきて完全を捨て去った形。業師として、その選択は正しくないという思いがあった。

 あったのだが――

「ウッラァ!」

 身体能力による暴力が業師の呼吸を乱す。技の精度は落ちている、それなのに強さが跳ね上がった。その事実に神の槍は明らかな苛立ちを覚えていた。

「八割ィ!」

 速さが、力が、受けを乱す。

 神の槍を学んだ彼らは、技を完全に再現し続けられる最大値で戦うことを叩き込まれていた。技が先にある戦闘スタイル。技あっての武。

 それが神の槍、それがシャウハウゼンの理念。

「……それが君の選択か? 妥協が過ぎる!」

 相手に対するリスペクトがあればこそ、彼はこの選択を許し難いものだと感じていた。あれだけ技が使えるのに、あれほどの技術を手にしながら、凡百の戦士と同じ道を征く。それがどうしても許せなかったのだ。

「悪いな、勝つためなら何でもするのが底辺の流儀だ」

「それでは進歩がない」

「勝たなきゃ先がねえんだよ」

 クロードに目に迷いはなかった。たった一度の緩みで英雄が一人の女性を取りこぼすこともある。たった一つの傷で戦士生命を断たれた者もいる。たった一度の敗北で地に墜ちた巨大なる星を見た。

 最後に立っていたのは最後まで勝ち続けた男。

 それが世界の真理なのだ。

「勝ち続けなきゃ守れねえ。それじゃあ何のために強くなったのか分からねえじゃねえか。俺ァ、二度と失わねえために強くなったんだよ!」

 守ることの難しさを知る。失うことの痛みを知る。

 それが彼の柱なれば――

「征くぜ」

 屋根の上とて完全な平面ではない。煙突もあれば窓枠などの高低差もある。路地に比べれば『足場』は少ないが、立体的な動きが不可能というほどでもない。飛び跳ね、自発的に高低を作って地の利も利用して龍に息吹を与える。

 そこに己が身体能力も加味すれば――

「ぐ、おォ、ぉお!」

 あらゆる『足場』を利用して立体的に弾む龍の槍。そもそもがネーデルクスの槍としては独特な動きであり、怪物じみた身体能力が求められる槍であった。使い手であったユーサーと使えなかったリューク、両者の違いはセンスもあるが最も大きな要素として身体能力の差があったのだ。

 技を求めたネーデルクスが軽視しがちであった部分が龍のラストピースであり、狼や獅子と同じ全身がばねのように弾む超人体質がどうしても必要になってくる。そしてクロードはその資質を十二分に兼ね備えていた。

 縦に、横に、斜めに、荒々しさを全開にしてクロードは弾む。その爆発的な加速力は美しき武とは別の意味で重力を感じさせないモノであった。

 崩れた髪が龍の尾が如く波打つ。

「これでは、ただの暴力だ!」

「暴力で結構! 俺ァ勝ちに来たんだよ!」

 狂気によって限界を超えたレスターの高さを優に超えた跳躍力が、そのまま突進力に変換され、凄まじい暴力の渦が形成される。

 これもまた積み重ね、底辺出身でありへたくそなスリを生業にしていた少年時代、死に物狂いで駆け回った過去があった。槍の歴史は浅くとも、かけっこならばこの中で誰よりも距離を走っている。文字通り必死に、磨き上げてきた。

 生きるための努力と先天的才能が結びつき――

「どーした神の槍ィ、受け切れてねえぞ!」

 狼や獅子が認める龍の素材が出来上がったのだ。

 そしてその特異なる技は暴力によって輝きを増す。

(俺が許せる限りで技を落として、そうだな、八割が限界だ。これ以上はさすがに技が保てねえ。つーか八割って何なんだよ、適当に言ったけど、あの人が聞いたら馬鹿にされそうだぜ。でも、もう一人の方なら笑ってくれるかもな)

 もう一つの焦がれた背中。黒き狼の王。

(感覚としてはピタリ、だ。これが色々考えながら維持できる限界。つーかすでに色々痛ェし、これでも十分出してるだろ。たぶん)

 暴力が止まらない。膂力こそ狼や獅子に劣れども、加速力であれば狼に比肩し獅子をも超える。止まらず駆け抜け、重力を振り切り誰よりも自由に空間を支配する。彼のスペックであれば八割も出せばほとんどの者の上限を超えられるだろう。

 これが才能の暴力。天性と努力が噛み合った時、ヒトはそこに理不尽を見る。

「ぐ、あ」

 龍の槍が肉を抉る。とうとう受けが、崩れた。


     ○


「ふん、それでいいのです。まったく、彼女が言わねば私が言っているところでした。ガツンと、こう、虎のように、グァーっと」

 シルヴィは一人誰に聞かせるわけでもなく言い訳をしていた。感覚では分かっていた。言うべきことも頭にはあったのだ。それなのに言えなかった。

 彼女のように。

 立場はある。三貴士である自分が口を出せば、助言をした、助け船を出したという汚点が残るだろう。彼女の中に、その考えは確かにあったのだ。

 それでも、何故だろう、負けた、と思ってしまうのは。

「……むう」

 今まで感じたことのない不可思議なモヤモヤ。それを振り切って彼女は戦いを注視する。あの才能こそが彼の恐ろしさであり、真の武器。

 三貴士筆頭である理由なのだから。


「技でクロードに勝てないって思ったことはないよ。でも、これを見せられると、折れそうになるのも事実だ。持つ者と持たざる者、積み上げた技を一瞬で塗り潰す暴力。ほら、嫌な顔が出てきた。戦士の、貌や」

 ディオンは気絶していると思しき女性を軽く卑猥な感じに絞め上げて空き地に放置し、観戦のため此処まで来ていた。

 エスタードとの戦場で初めて見た、戦士としての貌。幾度となく獅子に挑み、跳ね返され、その度に強さを増していった男。あの貌で彼らは知ったのだ。槍使いとしては先輩であっても戦場においては適性、経験共に遥か高みであったと。

 戦場無き今、あの勝負強さを彼らが埋める方法はなかなか考え付かない。

 あの暴力を非才なる身で超える方法が受けに特化することしか思いつかなかったが、それでも実戦のクロードを止めるには少し、足りない気がしていた。

「この、バケモンが」

 蛇は悔しげな顔で最大の賛辞を投げかけた。


 獅子は満足げに微笑む。

「俺も継戦を考えたらそれぐらいに行きつく。陛下の言葉を借りれば、七割五分から八割の間。それで十分だ。俺たちならば、それでほぼ無敵と化す。天井に達する者も多くない世界だ。多少増えてきたとはいえ、技と両立できる者など皆無。それが出来る俺たちが次の時代の先端だ。陛下には悪いが、確信している」

 新たなる時代に達するは心技体を兼ね備える武人。同じ技を使うなら体が強い方が勝つ。シンプルな話なのだ。シンプル故に目を背けたくなる点を除けば。

「技だけで勝ちたいのなら人を捨てる覚悟が必要だ。深く、深く、刹那に活路を掴むのならば可能性はある。ある、が、深さに差がない以上、在るのは分厚い紙数枚の差と龍と人の差。勝負など見え透いている」

「技では人が勝ろうて」

「技の差は引き出しの差。深さではむしろ龍が勝っていますよ。あれだけの暴力にさらされてなお崩れない引き出しの量は認めますが、その程度で埋まる差ならば規格外の怪物である巨星たちは半世紀君臨していません」

「……そうであったな」

「まだ技で怪物を超える術はなく、それを得たとしても今度は怪物がそれを身に着けてくる。弱きを強くする武が、強きをさらなる怪物にする」

「それが武、か」

「ええ。それが武です」

 獅子は断言する。自らが歩む道、到達せんとする山巓に疑いはない。


 カリスは信じ難い光景を目の当たりにする。

 完成したはずの神が龍に蹂躙され征く光景であった。かつての御前試合とはまるで違う、彼らの戦場。クロード・リウィウスという暴力。

「これが陛下の槍、ですか」

「ネーデルクスの槍、だ。この強さを否定するために我らは抗っていたが、同時に我らはずっとこれを求めてきた。ジレンマであるのは余も理解している。それでも、これの否定はかつての繰り返しになるだけ」

「受け入れろ、と?」

「受け止めねば真実が歪む。が、受け止めた上でどうするかは各人の判断であろう? 技を捨てる気はない。余はこう見えて強欲な男の親友だ。ゆえにどちらも欲する。余の部下には余と同じ強欲なるモノを求めるぞ」

「まるでもう勝ったかのような物言いですな」

「白騎士が育てた息子だ。勝ち方を叩き込まれている。才能に目が眩んだわけではない。最高の素材に最高の教育が施され、其処に槍のネーデルクスを乗せた怪物がどこまで登るのか、余はそれが見たいから引き抜こうと暗躍しているのだ」

 クンラートはあの時見た『明日』が確かなものであると確信している。

 彼がこの国の、新時代の柱となるのだ、と。


     ○


「俺がシャウハウゼンだ!」

 揺らぎ、崩れかけ、それでもなお持ち直した彼もまた傑物であろう。

 恩人が見せてくれた空。もう少しで手が届くのだ。突き抜けるような空が欲しい。あの日見た笑顔をもう一度見たい。いや、させるのだと誓っている。

 龍たる彼は自らを守る者であると言った。

 それは自分もまた同じ。

「神の槍は負けない! これはネーデルクスの宝だ!」

 二度と失われてはならぬものを己は背負っている。

 自分が証明せねばならない。技の素晴らしさを、暴力を超える可能性なのだと。皆に示さねばならない。ネーデルクスが向かう『明日』を。

「来い! クロード・リウィウス!」

 深く、深く、深く、遠くで天獅子が眼を剥く。

 ここにきて、またも神が化けた。蒼き光が夜空を一瞬、蒼く染め上げる。

 まるで蒼空が其処にあるかのような錯覚。

「上等だぜ!」

 クロードが跳ぶ。煙突を『足場』に力を蓄え――

「俺が三貴士だァ!」

 龍の咆哮と共にさながら槍のひと突きが如く飛翔する。豪速で飛来する龍の牙、神はそこに『機』を見た。僅かな、それでも確かにある、可能性。ならば再現して見せる。神ならば、この土壇場でこそ証明するはずなのだ。

「勝って俺は空を――」

 蒼き眼が『機』を掴んだ。龍の飛翔を利用したカウンター。刹那しかないタイミングを見逃さずに掴み取ったのだ。

 まさに神、シャウハウゼンの名にふさわしい。

「……あ、れ?」

 だが、彼もまた神の系譜であった。技を捨てたわけではない。暴と技の両立、全神経を集中してようやく為せる境地。彼にもまた見えていたのだ。そして、相手が『見る』ことすら信じて無理やり突きを捩じっていた。

 カウンターを捻転一つで弾き、その槍は男の左胸に突き立つ。

「強かったぜ。最高の戦いだった」

 誰もが息を飲む鮮烈な決着、幕引き。

「そう、か。嗚呼、そうだね。俺も、出し切った、よ。楽しかった」

 気づけば空が白んでいた。太陽が昇る。

 雲の切れ間から伸びる光が勝者を照らした。勝者が天に高々と腕を掲げる。民衆は知らない、この戦いの意味を。久しぶりにお祭りのような騒ぎがあったから、皆と一緒にこの地に、星の離宮に集まっただけなのだ。

 ゆえに知る由もない。この勝利宣言の意味を。

 それでも彼らは歓声を上げた。意味もなく昇りゆく太陽に照らされた勝者を称えたくなった。それは同時に死力を尽くした敗者への賛辞でもある。

 クロードの名がネーデルダムに木霊する。

 強き者に、勝者に贈られる多くの歓声。それに包まれながら御前試合を、其処から続く暗黒の時代を知るモノたちは涙した。あの時のような嫌な沈黙はない。戦いの後にもどこか清涼感が漂っている。

 龍と神、勝者が逆なだけ。それだけでこうなるものなのだろうか。

「いつかテメエの名を聞かせろよ。また、やろうぜ」

 夜明けと共にクロードは民衆の中へと飛び込んだ。騒ぎが爆発する。誰の手にも収拾がつかない。つけようとする者が浮かれているのだから始末が悪い。

 そんな中、ただ一人カリスは自身の義息である彼のもとへ駆け寄っていた。どう見ても致命傷、触診する必要はない。

 それでも彼は手を伸ばし、信じられぬと目を見張る。

 新たな時代が来た。

 全てが真逆の結果を残し、龍と神の戦いは幕引きとなったのだ。

 長い夜を経て、ネーデルクスは夜明けを迎える。

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