夜明けのネーデルクス:夜明けの先へ

 病室の窓から一人の男が空を眺めていた。

 突き抜けるような蒼空、燦々と降り注ぐ陽光は無性に外出欲を誘う。とはいえ自分の『現状』で外出するわけにもいかず、羨ましげに眺めるしかなかった。

「おう、生きてるかー」

「生きてるよ、クロード。本当に毎日来るんだね、君は」

「まーな。むつかしいことが苦手な武人は邪魔だとさ。俺もシルヴィも何もしないのが仕事だって放っておかれてるよ」

「いいねえ、三貴士。憧れのお仕事だ」

「なっはっは、そうだろそうだろ」

 突如現れたクロードがベッドに腰かけ、二人は共に空を眺める。

「ママ、侯爵はどうされている?」

「ん? 馬車馬のように働かされているよ。この前、マーシアまでナシつけに行ったし、根回しは万全。事件は全部、失踪したフェランテに押し付ける形に収まったよ。マールテン公爵が押さえてたらしいけど、無理やり縄を引き千切って逃げたとさ。ちと後味は悪いが、最後は言ったもん勝ちってな」

「そうか。無事ならいいよ」

「本当に好きなんだな、あの爺さんのこと」

「俺たち全員の親だからね」

「そうか。ま、わからんでもねーな」

 二人の間に心地よい静寂が横たわる。一陣の風が頬を撫でた。優しく、柔らかく、温かな風。まるで違う外見だが、どこか共通した二人。

「そーいやもう一人のシャウハウゼン、リアだったか? 蛇の如くディオンの奴に張り付いて事あるごとに勝負を挑んでるそうだぜ。どっちが蛇か分からねえってあの蛇野郎が参ってたのは最高に笑えたわ」

「ああ、彼女は負けず嫌いだからね。俺や彼もよく勝負を挑まれていたよ。彼女、負けると泣くんだよね。あれは嫌だったなあ」

「しばらくはディオンの奴に付きまとうだろうから安心して怪我治せよ。って、怪我させた本人のセリフじゃねえか」

「君に生かされた、これでもう一度槍を握ることが出来る。技の研鑽が出来るんだ、こんなに幸せなことはない。感謝しているよ」

「馬鹿たれ。マジで手心加えたわけじゃねーからな。龍は全撃必殺、殺す気で撃った一撃が殺し切れなかっただけ。テメエの技が俺の必殺をずらしたんだ。勝ったのは俺だけどな、これが一番大事。ふはは、ざまーみろい」

「怪我人を労わってよ。うん、まあ、次は勝つよ。同じ人間とは思わない、勉強になった。この世界には君のような怪物がいるんだね」

「俺なんて可愛いもんだぜ? たぶん、俺がトップクラスなのはスピードだけだ。パワーならお隣のキケが桁違いだし、あれに技通すのは骨が折れる。全部兼ね備えた狼の王なんてマジで人間じゃねえ。誰も止められねえんだ、大軍を蹴散らす姿は敵でも味方でもゾッとするぜ。世界は広い。んで、俺らはそこで勝たなきゃいけねえわけだ。復活したら働いてくれよ、頼むぜ神の槍」

「ああ、任された。安心して妥協していいよ。技は俺が極めるから」

「な!? いや、捨てたわけじゃねえぞ! 俺だって極めようと思ってんだ。あの時はあれが最善だっただけで、この先も同じとは限らねえし」

「一度妥協した人間は何度でも妥協するけどね。村を去っていった子供たちを思い出すよ。大丈夫さクロード。人には向き不向きがあるから」

「……とても負けた側のセリフとは思えねえな」

「技では勝ってたし。俺は知らなかっただけだ。君のような存在を。それを超えてやるのが俺の使命なれば、生涯を賭して挑戦し続けるさ。暴を征してこその武、その考えを貫いて勝つよ。目下のところ君に勝つのが目標だね」

「最後は狼ってか?」

「もちろん。其処が頂点ならば必ず戦うことになる。避けては通れないでしょ」

「はは、そんだけデカい口叩けりゃ上等だ」

「うん。とりあえず、君に三貴士の席は預けとくよ」

「最初から俺のだ馬鹿たれが。んじゃ、俺は行くぜ」

「少しは働きなよ」

「るせー、テメエもさっさと治せよ」

 クロードが立ち上がり、男に背を向けた。本当に彼は優しくて強い。民衆が彼を認めたのもわかる。彼ならきっと全力で自分たちを守ってくれる。国の盾であり剣である。この国の流儀に倣えば国家の槍であり続けてくれる。

 そう心の底から思わされたから、彼らもまた支えようと声を張り上げたのだろう。相思相愛、少し妬けるな、と男は思う。

 掛け布団の下に隠している震える手。末端にわずかだが痺れが残ったままなのだ。繊細で緻密な槍が振るえるようになるかは分からない。

 それでも諦めきれない。諦める気にも成れない。

 だから――

「レインだ。俺の、名前。いつか、君から席を奪ったら改めてシャウハウゼンと名乗るよ。それまではレインで良い。名前、あんまり好きじゃないんだけどね」

「そうか。じゃ、またな、レイン」

 好敵手に宣戦布告する。彼を超えて証明する日を誓いながら――

 まだカリスと自分の道もまた半ばであるのだから。

「嗚呼、いい空だね」

 いつか、あの日の蒼空を掴むために。レインは再起を誓う。


     ○


 マリアンネとガブリエーレはアルカスへの帰り支度を終え、ネーデルダムの玄関口へと足を向けていた。

 最終公演も大盛況、クンラート王の計らいで招かれた金髪碧眼の子供たちも活劇物には大喜び。感動物では付き添いの年長者たちが号泣し子供たちに慰められる一幕もあった。元シャウハウゼンのリアが一番咽び泣いていたことは秘密である。

 その後にもひと騒動、ディオンの誘いをひらひらとかわし、翻弄していたガブリエーレにリアが「三貴士への敬意が足りません!」と食って掛かりてんやわんやしたことも記憶に新しい。

 そんなこんなで結果として大成功、クンラートやマールテン、若き大公まで観劇に訪れるという一大旋風を巻き起こし彼女たちの舞台は幕を閉じたのだ。

「お、シルちゃんじゃん。どしたのー?」

 門の前ではシルヴィが難しそうな顔をして何かを待っていた。察したマリアンネが馬車から飛び降り、シルヴィのもとへと駆け寄る。

「うむ。言うべきか言わぬべきか、聞くべきか聞かぬべきか、迷っていたのですが、なかなか聞ける機会もないので待っていた次第です」

「なになに? 何でも聞いてよ。マリアンネとシルちゃんの仲じゃん」

 シルヴィはもごもごとどもりながら未だに迷っていた。

「クロードのこと?」

「むむ!? やはり、ですか。まさにその通りなのです。あの男は槍を使います。ネーデルクス向きです。この国では人気もあります。ですが、彼は迷っています。アルカディアとネーデルクスを」

 やっぱりそれか、とマリアンネは苦笑する。

「それは、やはり、マリアンネ殿が原因なのでしょうか!?」

 シルヴィの発言に頷こうとして、はたとマリアンネは首を傾げる。

「私?」

「はい。私はその、疎いので、その、わからないのですが、貴女がすごく美人でお芝居も上手で、頭もよく、信頼もされている風に見受けられました。あの男には釣り合っていないとは思いますが、その、恋仲、なのかと」

「私とクロードが?」

「……はい」

 マリアンネは想定外の方向から飛んできた一刺しに反応できずその場で立ち尽くす。まさか、自分とあれがそう見えているとは考えもしなかった。

「ない。ありえない」

「そ、そうなのですか!?」

 その瞬間、意図せずぱあっと華やいだ彼女の顔を見てなおさらマリアンネは複雑怪奇な表情を浮かべていた。

「女の子じゃないよ。あいつの執着は。もっとガキっぽくて、幼稚で、だからこそ、どうしようもないもの」

 シルヴィは首を傾げる。その反応に当たり前だよなあとマリアンネは嗤った。大の大人が未だに『親子』に執着しているなど、誰が考えようか。

 自分も相当度し難いから何も言えないが――

「でもさ、安心していいよ。そんなに遠くない内に、あいつはネーデルクスを選ぶと思うから。これはね、マリアンネちゃんの予言だよ」

「本当ですか!? 明日ですか!?」

「え、ちょっとシルちゃん堪え性なさ過ぎてびっくりしたわ。もうちょっと先だよ。でも、数年の内だね。それで全てが終わり。あいつの執着も、私の想いも、全部、隅っこで消し飛ぶだけ。私は、また、何もできない」

「……?」

「安心してドンと待ってなってこと」

「よくわかりませんが承知いたしました」

「うん。クロードをよろしくね。あいつは馬鹿だけど、でも、馬鹿だからこそ全部守ろうとするから。死ぬよりも失うことが怖い馬鹿だから、一緒に戦ってくれる仲間がいるんだと思う。それは私にはできないことだから」

「え、と」

「とにかくよろしくってこと! またねー!」

 マリアンネは颯爽と馬車に飛び乗り、姉に蹴飛ばされて「ひーん」と泣く。泣いたと思えば馬車から身を乗り出して満面の笑みで「またねー!」と手を振っていた。百の貌を持つ女優。彼女の本当がシルヴィには見えなかった。

 でも、一つだけ分かったことがある。

 彼女はきっと嘘つきだ。

 

     ○


 王が戻ってから初めての最高会議、臨時で開かれたそれの議題は今回の騒動、どう収拾をつけるかであった。カリスの件を包み隠さず全員で共有し、その上でネーデルクスとしての最善を模索する。カリスを咎める者はいなかった。

 そんなことは無駄だと彼らは全員分かっていたから。つまらぬ責任逃れで時間を浪費してきた先人を知るが故、自分たちはそうあらぬと誰もが思う。

 だからこそ――

「人面収集家フェランテ。少し知的な印象をつけ、国家転覆をはかった大罪人として指名手配する、と。懸賞金も『それなり』を設定し、生死問わず身柄はネーデルクスに送られるように手配すれば、取り急ぎの準備としては上々でしょう」

「問題は彼をどう捕らえるか、ですな」

「それは些事では? 出自不明とすることでマーシアとも手を打ったわけで、ネーデルクス産でないのなら必ずしも優先順位は高くない。言い訳を設けたならば狂人など放っておけばいい。それよりもエスタードに対する備えの方が優先されましょう。ゼノの小僧が相当、間者を放っている様子。筒抜けですぞ」

「それはアルカディアも同じこと。何故アルカディアに言及なされない?」

「私は優先順位の話をしているのです」

「エスタードとアルカディアの違いが分かりませんな、私には」

「貴殿の見識の浅さが透けて見えますぞ」

「落ち着け。くだらぬ諍いで無駄に時間を浪費するでない。どっちも叩き出すに決まっておろうが。アルカディアもエスタードも敵ぞ。時には手を取ることもあろうが、仲間ではないのだ。そして此度の議題は、奴らに綻びを見せぬためのアリバイ作りよ。僅かな綻びも見せぬためにフェランテの確保は必要であろう」

 マールテンの言葉に頷く者、首を傾げる者、反応は様々である。すり合わせたとしても意見が合致することなどない。そもそも合致しない者が集まり、合致しない議題を深めることにこそ会議の意味があるのだ。

 答えが決まっている議題であれば雁首並べる意味はない。

「公爵の言う通り、綻びは少ないに越したことはない。そのために何が出来るか、皆には改めて考えてもらう。全ては祖国のため、そのために話し合おうではないか。余はしばらく暇を頂いておったゆえ、些か元気が余っておる。幾晩でも話し合おうぞ」

 クンラートの言葉に大勢が苦笑を漏らす。だが、以前までとはどことなく雰囲気が違っていた。堂々と冗談を抜かし、締めるべきところは締める。

 話し合いの方向性を整備し、今一度皆に示した。

 祖国のため、幾何の綻びも許さない、と。

「陛下のおっしゃる通りでしょう。相手はローレンシア全土、どこに何が潜んでいるかもわからぬ以上、考え過ぎなどありえない」

 若き大公が賛同し、場の流れが決定する。

 マールテンだけはこわごわと大公に視線を移し、目が合った瞬間、ウィンクを敢行され即座に目をそらす。震えるは未知への恐怖か。

 いたずらっぽく微笑む若き大公をよそに会議は熱を帯びる。

 彼らが国家の道標。戦うは世界を跋扈する曲者たち。自分たちの時代とばかりに躍動する彼らとどう渡り合うか、そのために彼らは知恵を結集する。

 今度こそ間違えない。全員で勝つのだ、と彼らは誓う。


     ○


 アルフレッドとアークたちはそそくさと荷造りを終えて次の目的地を目指していた。痛々しい左手の怪我を抱えながら、脇役に徹した王の器は晴れやかな顔でネーデルダムを後にする。エルリードと同じく心地よい出立。

 どちらも彼に多くを与えてくれた。直接、間接、違いはあれど学んだことは多く、見るべきものは枚挙にいとまがない。

「フェランテの件は失態でした。完全に動けないよう縛ったつもりでしたが、まさか力ずくで千切られるとは思いもせず……取り逃がしてしまいました」

「ふむ、卿の人体への知識に関して疑う気はない。それでダメならば鉄格子が必要であっただろう。私邸にそれを求めるは酷というものよ」

「ここで討つべきではありました。彼も被害者、時間をかければ真人間に戻る道もあったかもしれぬと首を繋げていたのですが、どうにも最後に会った際、あらぬ方へ振り切れてしまった風に見受けられまして」

「……魔人は魔人のまま、か」

「残念ながら。今は後悔しています。甘かった、と」

 アルフレッドは笑みを浮かべながらも、その奥では冷たい色が揺蕩っていた。彼の中では間引きの対象であると認識を固めたのだろう。おそらく、次に会った時は一切の容赦はしないはず。枠の外に関してはどこまでも冷徹に成れるから。

 だが、枠の内側にはどうか、最も重要な王の資質を問う試練は近い。騎士王は最初から決めていたのだ。そのためにこの命を使おう、と。

 最後に意味を、何かの礎と成ろう、と。

「さて――」

 そのために――


     ○


 魔人は一人、世界に飛び出した。薬無しで拘束を引き千切り、自己暗示で限界を超える術を見出した。もう薬は必要ない、自分は無敵になった。

 そう思い、敵である男を殺そうと扉を開け――

「ふ、ぎい、あ、アレ、アレクシスゥ。お、俺は、負けてない」

 漲る殺意と共にあの男を見た。治療中であり手負いの男。勝てない理由を探す方が難しい。二人まとめて殺せる、そう思った瞬間、目が合った。

『殺すぞ、ゴミ』

 目は口程に物を言う。一切揺らぐことなく治療を受けながら、視線だけで魔人の万能感を破壊してしまった。魔人は知らない。彼だけであればもう少し余裕を持った雰囲気を向けていただろう。交戦する選択肢も持てたかもしれない。

 だが、最大の過ちであり、ある意味で最善であった、もう一人を巻き込もうとしたことで少年の逆鱗に触れてしまったのだ。

「俺は、おれは、オレハ――」

 あの眼は己のすべてを否定していた。お前のすべてを否定し尽くして殺す。芸術も、狂人なりの理屈も、何もかもがあの眼に塗り潰されてしまった。

 魔人は無意識に逃げ去っていた。今ならば追われない、その考えだけが彼の頭にあり、逃げ切った後で自分は手負いの少年一人を恐れたのだと気づいた。

「アァァァレクシスゥ!」

 脳裏に刻み込まれた視線。それを払しょくせねば自分が求める芸術、神になどどうして辿り着けようか。彼なりの、狂人なりの矜持がフェランテに行動原理を与えてしまった。必ずあの男の貌を剥いで、目玉を刳り貫き、最高の作品に仕上げてみせる、と。そのために何が必要か、そう考え魔人は笑みを浮かべた。

 貌の無い怪物はこうして野に放たれてしまった。

 酷く身勝手な憎しみを胸に。


     ○


「――次の目的地は天獅子の勧める通り、ルシタニアにしようと思う」

「腕のいい剣鍛冶がいるんですよね」

「うむ。我も知っている男だ。その剣を直すのに、これ以上ない人材であろう。あやつの為にも行かねばならぬ。こればかりは宿命よ」

 アークの意味深な発言にアルフレッドはため息をつく。ユリシーズも同じようにぼかしていたのだ。剣を見て、彼はルシタニアへ行くべきだ、と言い切った。何か意図があることは明白、それなのに二人とも語ろうとしなかった。

『語るも語らぬもあの人次第、だ。腕は天下一品、間違いない。俺も彼がかつて戦場で振るっていた剣を打ち直し譲り受けたのだが、控えめに最高だ』

 獅子の牙となった剣を生み出した男に興味はある。だが、どうにもいい予感はしなかった。彼らの眼がそう言っている。

 そのまま意味深な様子で獅子は去っていった。やはりいい予感はしない。

 それでも旅立ちの日に折れた剣を、父に貰った絆であるこの剣を直せるというのならば、行かない選択肢はなかった。

 そう、次の目的地はルシタニア。因果は時を越え、世代を超え、再び巡る。

 一路、宿命の地へ。

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