夜明けのネーデルクス:強さとは

 クロードとシャウハウゼンに似た男の戦いは傍目には互角であった。一進一退の攻防、勝敗の見えない拮抗した戦い、手に汗握る、あまりにも長い死闘。

 だが――

(くそったれ)

 当の本人だけが気付いていた。優勢なのは神の槍なのだ。互いに技を深めれば深めるほどに浮き出てくる差。

 僅かに、神が勝る。

「ひゅ」

 緩やかに流れる映像。あまりにも美しくて、あまりにも流麗で、怖気が奔るほどに滑らかで、流れに澱みが微塵もない。

 比較すると嫌でも見えてくる。己の未熟さが。

「ぐっ!?」

 技として龍が劣るわけではない。ただ、クロード・リウィウスの技術が劣るだけ。誰にも弱音を吐かぬ男ではあるが、密かに持ち続けてきたコンプレックス。

 彼らの中で圧倒的に劣る、槍にかけてきた時間。

 時間をかければいいモノではない。クロード自身階段を何段飛ばしで駆け上がってきた自覚はある。だが、ことここに極まればその飛ばしてきた階段、細やかな積み重ねが問われてくるのだ。努力家で天才、自分でもそれは認めている。

 その上でクロードは技に関して、槍に関して足りてないと感じていた。ネーデルクスで槍を学んでから誰よりも槍を振ってきた自負はあるが――

(そりゃあこいつらも努力家だ。何年、十年くらい差、あるか? それを埋めようたってそりゃあ通らねえわな。くそったれ、何で俺は、下手くそなんだよ)

 集中している。その深さでは負けていない。

 されどその引き出し、槍での深さでは負けていた。かけてきた年月、才能が容易く踏み越えられるのは天才と凡人を比較した場合である。

 天才同士であれば――

「あはは、いいね、こんなに楽しいのは久しぶりだ!」

 その差は重くのしかかってくる。

 分厚い紙一重、この紙一枚が遠いのだ。

 ディオンにも感じていた。シルヴィならばなおのこと。彼女はきっと生まれてすぐに槍を握っていたのだろう。人槍一体、こんな言葉は彼女のことを言うのだ。

 彼の中に在った小さなコンプレックス。ここに来て、突き付けられたことで、どんどん膨張していた。天才同士だからこそ分かってしまう差。

 積み重ねた今だからこそ重い。

「どこまで征ける? 俺の槍は!」

 蒼く、高く、そびえるは輝ける素材を長き時間を賭して熟成させた神の槍。彼をもってカリスは完成を確信した。世に出すべき時が来たと動いた。

 彼こそがシャウハウゼン、当代最高の槍使いである。

 そうカリスは確信していた。そしてその確信はある意味で正しい。


     ○


「……圧されておるな」

「技の完成度は相手が上でしょう。俺であっても、その点に関してはあまり変わらない。達人です。見紛うこと無き、至高の槍。ですが――」

「卿であれば負けぬと」

「ええ。そしてそれもまた同じ……まったく、技に傾倒するのは構わないが、自分の持ち味を忘れている。もっと執着しろ、命に、戦いに、小奇麗に戦おうとするな。いつまで業師の真似事に終始するつもりだ? お前は、戦士だぞ」

 天獅子が歯噛みしながら睥睨する中、龍は神の前にて劣勢であった。

 技を修め、身に沁みつき、ローレンシアの中では頂点に近い業師と成った。だからこそぼやけているのだろう。成長が全て強さに結び付くとは限らない。バランスが技に偏り過ぎることで損なわれる要素も、存在するのだ。


     ○


 アルカスで最も高き場所、建設途中の塔の上で鼻歌交じりに西の空を眺めるは白き王、ウィリアム・フォン・アルカディアその人である。

「ご機嫌だな。鼻歌など久方ぶりに聞いたぞ」

「ふっ、白龍か。今日は身体の調子がいいのでな。夜風に当たっていたところだ。熱気が心地よいぞ。戦いの匂いがする」

「報告にあったカリスが動いたのだろう。長き時間をかけて用意した業師、ふん、わざわざ報われぬ道に臨むとは理解に苦しむ」

「はっは、随分ご執心だな。同類には鼻が利くか。業師など此処にいては分かるまいが。まるで見てきたようにモノを言うので笑えてくる」

「……失言だった」

「未だに癒えぬと見えるな」

「癒えるわけがない。極まったとの確信を持って俺はこの地に来た。彼岸に至り、心身は充実の極みにあったのだ。それが、ただの暴力に蹂躙されたのだぞ。東方であれば規格外とされた俺の肉体が柔いおなごのように――」

 東方からやってきた業師。柔剛併せて天下無双、それは技に絶対の自信があればこそ。さらなる高みを求めて肉も鍛え抜き、鉄の如し身体を手に入れた。

 それを軽々とへし折る暴力を前に全てが蹂躙されてしまったが。

「西側で技を求めるのはイバラの道ではある、な。山犬のような怪物相手に小手先の技がどこまで通じるか、通じるところまで極めるには、どれほど積み上げねばならないか、計り知れぬ。人生全てを賭しても、さて」

「割に合わん。十年、二十年を、奴らは平気で踏破してくる」

「そうだな。技を極めるのに時間をかけるよりも、メシに時間と手間を割いて身体を無理やりにでも大きくした方が強くなる。どちらも積んでおいて損はないが」

「ふん、今回もその証明が為されるだけだ」

「くっく、そうだな。紙一枚、あれにとっては大した障害ではない。あの狼が引き抜こうとした、同類であると認めた男だ。一枚では足りぬよ」

「……貴様こそご執心だな。まるで見てきたようにモノを言う」

「義理でも父親だからな」

「よく言う。貴様とて見えているのだろうが。彼岸など、大層に言っても所詮は集中力の話だ。ならば貴様に踏み込めぬ道理はない」

「踏み込めぬよ。俺はこの世界が大嫌いだからな。奴らと僅かでも繋がるなど反吐が出る。俺は俺だ。俺の中には俺だけがあるべきだ」

「……くく、悟りを目指している高僧どもが聞けば卒倒しそうな発言だな。確かに貴様は秩序の守り手ではない。魔法使いとはかけ離れた人種だ。それは剣聖も同じ、か。世界を憎み、己を憎み、それでも深みを求める矛盾」

「褒めているのか貶しているのか、東方の話は難しくて困る」

「その矛盾が絶対の個の形成に一役買っているのだとすれば、さて、本当に人が目指すべき頂きはどこにあるのやら、だ」

「それは個の中には無い。断言してやる。俺の目指す世界に超人は不要だ」

「どんな群れも個の集合体だ。個はあるとも。何であろうと必ず」

「……これは一本取られたな。随分饒舌じゃないか。どうやらアルカディア最高の暗殺者も熱気に当てられてしまったらしい」

「かもしれぬ。さて、西方の戦い、どちらが勝つと思う?」

「決まっている。強い方が勝つ」

 身も蓋もない解答。されどそれが全てであった。技を極めた者が勝つわけでも、肉体の頂点に君臨する者が勝つわけでもない。全てを交えた総合力、すなわち強き者こそが勝者と成るのだ。

 それだけのこと。そして、実の息子が生まれるよりも前から、その考え方は多くの子供たちに伝えてある。

 リウィウスの名を引き継いだ男にも当然――


     ○


 劣勢に立つクロード。自慢の髪型も度重なる攻撃、それを回避するために動き回り完全に崩れていた。とうとう、誰の目にも明らかになってき始めていた。

 自分たちの三貴士が負けそうな状況が。

「……何を、しているのですか」

 シルヴィは憤慨していた。自分が恐れていた男が技に傾倒するあまり恐さを失っていたから。喉の手前まで出かかった叫び。

 様々な言葉が脳裏を駆け巡る。

 何と声をかけるべきか、そもそもかけるべきなのか、正当な一騎打ちなのだ。外野である自分が何かを言う筋合いなど。しかし言わねば――

 堂々巡りの最中にもクロードは劣勢のまま。

 紙一重の差が大きい。それはそうだとシルヴィは思う。基礎でハッとさせられたことはあるが、そもそも技全般においてクロードに勝てないと思ったことは彼女には無いのだ。それだけならば三番目である。

 新たなる彼らが現れた以上、たぶん六番目、五番目の男は先ほど散ったが。

 それでも悔しながら彼が一番なのだ。

 ゆえに口惜しい。

 何かを――


「このクソダサ野郎! 格好つけてんじゃねえ三枚目の分際で! 綺麗に勝とうとしてんじゃねえぞ貧乏生まれの貧乏育ちが!」


 シルヴィが迷っている最中、壮絶な罵倒が良く通る声で放たれた。

 誰もが驚く、戦闘中の二人すら唖然と声の主に目を向けていた。

「不細工には不細工の戦い方があんだろうが! テメエ、化粧覚えたくらいでお高く留まってんじゃねえぞ! 才能ねえんだから死に物狂いでやれ! 誰の息子だコラ! 石に噛り付いてでも勝つのがにいちゃん流だぞ馬鹿野郎!」

 あまりにも汚い罵倒に「言い過ぎだろ」と顔を向けるも、向けた全員がひよこのような顔で言葉を失っていた。とんでもない美人が其処にいたから。

 そのとんでもない美人から雨あられと言葉の暴力が降り注いでいるのだから大衆も混乱してひよこになってしまう。頭ピヨピヨである。

「この、馬鹿! 自分の立場考えなさい!」

 颯爽と姉に回収されていく美女。姉も美女である。尚更ひよこが極まる。

「……え、と、知ってる人?」

「おう。ま、あれだ。腐れ縁ってやつだな」

「結構、あれだね、口悪い子だね。凄く美人だったけど」

「口は悪いけど、すげえ良い奴だよ。今度、芝居に連れてってやるよ」

「あんまり興味ないなぁ」

「皆最初はそう言うんだ。でも、終わったら全員度肝抜かれてんだな、これが。忘れてたぜ、すっかり天才気分だった。くく、そうだったな。俺、あいつに勝ったことねえんだわ。凡人が背伸びしても、駄目だな」

「……君が凡人? それはないよ」

「背伸びした凡人さ。つーわけで、あれだ、死に物狂いで足掻かせてもらうぜ。技はテメエの勝ちでいい。だから、勝負は、俺にくれ」

 剥き出しのクロード・リウィウスが動き出す。

 突きの軌道、出の速さ、何もかもが先ほどまでと同じ。だが、単純な速力だけが跳ね上がった。神の槍はそれを受け流すも、変化に多少の戸惑いを見せる。

「七割、三分ってとこか?」

 神を宿したまま、その眼光に獣が混じる。

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