夜明けのネーデルクス:バカばっか
満天の星空の下、ディオンは静かに空を見上げていた。
星々の煌きはあまりにも遠くて、地べたをはいずり回る蛇にはあまりにも遠い。それでも手を伸ばしてしまう業欲に我ながら笑ってしまう。
「普通、参ったとか言うじゃない? 言わないんだもんなぁ、彼女」
ディオンの視線の先には地に伏す女性がいた。全身全霊、軽い気持ちで使う輩は枚挙にいとまはないが、彼女のような攻めて攻めて攻め続け、呼吸が途切れ、肺が灼けつこうとも力の限り絞り出し、失神してなおしばらく動いていた。
文句なしの執念である。蛇も呆れて声も出ない。
「いやー、ちょっと疲れちゃったなあ。我慢比べも楽じゃないよ、ほんと」
飄々と見せていたが、彼とて余裕があったわけではない。そう見せていた方が相手を削れるからそうしていただけで、最初から徹頭徹尾厳しい攻めだったし受けるのも一苦労。針の穴を通し続けただけで、消耗は相当色濃く刻まれていた。
「さてと、そろそろ――」
一休みしたのでさくっと任務を終えますか、とばかりに立ち上がるディオン。
「……ま、待て!」
そこに数名駆け寄ってくるのは金髪碧眼の少女たち。
(いい趣味してんなあ、カリス侯爵も)
将来性込みで品定めをするディオン。女性絡みになると途端クズに成るのは義母の影響か。細い目をフルに活用し気取られぬように観察する。
「し、シャウハウゼン様に手出しはさせない」
「でも、起きたらこの子襲ってくるよね?」
「……」
「僕、そんなに甘くないんだよね、悪いけど」
ギラリと槍を見せつけてディオンは威圧する。たじろぐ少女たち。しかし、それでもシャウハウゼンになった女性を守るために必死で構えを維持していた。
なかなかいじらしい光景である。
「それじゃあ、さようなら」
ダン、と普段見せない大きな歩幅でディオンは距離を詰める。びくりとしながらも槍の構えを解かない少女たち。その眼前に立って――
「バァ!」
驚かして見た。
「ひゃっ!?」
ぺたりと尻餅をつく少女たちを見て、我ながら趣味が悪いなあと思うディオンであった。平時であればちょっとした案件である。
「冗談冗談。君たち面白い反応するよね。部下に欲しくなっちゃった」
「……眼、細くて、びっくりした」
「……やっぱり要らないかなぁ。あはは」
言葉の槍を防ぐ術は受けの達人であるディオンをもってしても存在しなかった。しかも相手はいたいけな少女と来ている。激怒して槍を振り回すのもあまりに大人げない。すでに充分大人げない行動をとっているのだが――
「殺さないよ。殺す意味がない。いいかい、今のネーデルクスには味方同士で斬った張ったしている余裕はないんだよ。使えるモノは何だって使わなきゃ勝てない時代さ。敵だろうが仇だろうがお手手つないで戦わなきゃいけない」
ディオンは苦笑する。こんなことを言っても彼女たちには理解できないだろう。それでも今、今日聞いたことがいずれ役に立つかもしれない。自分が先生や義母に教わったのも同じ、後から分かることなのだ、こういうことは。
「まして僕らは同じネーデルクスの民だ。確かにお互いの正義がぶつかって戦うことはあるけれど、白黒つけた後はわだかまりは捨てて手と手を取り合うべきさ。そのために時間と労力、幾ばくかの血を流したんだ。これでお前たちは敵だから全部絞首刑、なんて進歩がないし意味がない。色々あるのは分かるよ」
ディオンは彼女たちに向かって微笑む。
「それでも僕たちは仲間になるべきなのさ。そのための戦いだと僕は思う。かつて、僕の大好きな人を殺した連中の一人が、この国に来た。まあ、嫌いだったね。顔も嫌いだったし頭も悪そうだから嫌いだった。でも、今では親友だと思ってる」
かつて単身ネーデルクスにやってきた男がいた。アルカディアからやってきた男、勝者である白騎士から送られてきた以上、無碍には出来ないが多くの者は内心思うところがあっただろう。しかし、あの時、感情に流されず彼を幾人かが受け入れたから、ネーデルクスに一つの伝説が蘇った。三貴士の一席が埋まった。
「世界は広いよ。今日、僕は勝ったけど、僕よりも強い奴なんて世界には何人もいる。嫌になっちゃうくらい強い奴がね、いるんだよ」
その言葉に、倒れ伏す女性がピクリと反応した。
「僕は彼らに負けたくない。ってか、勝ちたい。君たちはどう?」
「……勝ちたい」
「うん。なら、一緒に頑張ろう。君たちの槍はこの国にとって宝物だ。君たちの神と僕らの全部を合わせて追いかけよう。で、追い越そう」
ディオンは少女の頭を撫でてやった。
「そうしたら僕たちが一等賞だ」
いつかの夢。其処に手を伸ばす愚者たる蛇。されど諦めない。諦めずに突き進む。その泥臭く、醜い足掻きは、見る者によっては別の輝きを映すこともある。
蛇の在り方を美しいと思う者もいるのだ。
一番にはなれず、諦めきれない者にとっては――
○
マールテンはじっとその戦いを見つめていた。隣に立つリュークも同じ、マルサスもそうであったが、彼と二人では観方が少し違ってくる。
神対龍。かつて御前にて行われた当時のネーデルクスにおける頂上決戦である。筆頭の座をかけた戦いは予想に反して互角の勝負であった。その日、覚悟ゆえかユーサーの技は冴えに冴え、キュクレインを圧す場面すら見受けられた。
だが、結果はキュクレインの勝利。ユーサーは命を落とした。素晴らしい激闘であったとマールテンは思っている。その点ではリュークも同じ意見であった。仇であるキュクレインの技を褒め称え、父の武威も誇りに思っていた。
惜しむらくはユーサーが散ってしまったこと。其処からキュクレインも討ち取られ、『双黒』も瓦解し、暗黒の時代を迎えてしまったのは悲運であった。皆、口には出さないがあの日の御前試合こそが凋落の切っ掛けであると思っていた。
現にあの日以来、御前試合という形式は一度として取られていない。
されど、マールテンは政治の世界に身を置き知った。この国はとっくの昔に腐り果てていたし、それにもかかわらず超大国のプライドだけは一丁前な連中が蔓延る魔窟が彼の世界には広がっていたのだ。
誰か一人が足掻いてもどうしようもないほど、腐り果てた化け物共は狡猾で内側には強く、この国における影響力は絶大であった。先人たちの築いた財産を食いつぶす日々。見るに堪えぬと吐き出したい毎日であった。
腐り果てたネーデルクスの象徴、神の子を見るたびに嫌悪した。離れていくカリスを見て当たり前の反応だ、と内心思っていたこともあった。
だが、結果としてその象徴が彼らを一掃した。盛大に持ち上げさせてから一気に蹴落としていったのだ。凋落の原因であった御前試合に勝利したキュクレインが残した神の子が全員の想像を超えて暴れ回った。
色々あって今がある。今になってマールテンは思うのだ。無駄なことなど何もない、と。皆の積み重ねによって、良し悪しなど関係なく、全てが繋がって今がある。あの日の御前試合にも意味があった。
そして今日、この戦いにもきっと意味がある。
「いよーっし! いいぞ、そこだ! やれ! ああ、もう下手くそ!」
「……俺は知りませんでした。公爵がこういう御方だとは」
「そりゃあそうだろ。俺も久しぶりだよ、この馬鹿がこうして馬鹿に戻ってるのを見たのは。ほんと、いつぶりだろうなぁ」
しみじみしている二人にぎょろりとマールテンが視線を向けた。
「貴様ら、声を出せ声を! 戦士が戦っているのだぞ!」
「どっちを応援すりゃあいいんだ?」
「んなもん私が知るか! したい方をしろ!」
「そりゃそうだ。おっしゃいけクロード! 飛べ! とにかく飛べ!」
「……くく」
年長者二人の童心に帰った姿を見てマルサスは微笑んだ。
周囲も似たようなもの。普段は取り繕っていても一皮剥けば馬鹿ばかり。これぞ故郷の在り様であると彼は思う。父が、そして自分が三貴士であった時には無かった空気感。馬鹿であることなど誰もが許されなかった時代。
今は違う。今ならばきっと――
「双方! 死力を尽くせ! 勝った方が三貴士だ!」
世界を裂くような咆哮。前の二人がびくりと身をかがめるほど、その声量は巨大で熱を帯びていた。民衆は「マルサス様だ」「おお、元三貴士」「肩幅半端ねえ」「筋肉の塊じゃねえか、顔はさわやかなのに」など好き放題のたまう。
「「応!」」
そう言ったかのように二人の槍が弾んだ。
最終局面、この戦いに勝った方をこの国は認めるだろう。
過去の実績など関係ない。そもそも実績を問えるほど武官としての積み重ねがあるわけではないのだ。戦争を失った時代、彼らが最も輝く今、戦場がないのなら、この場で決めるしかない。皆、馬鹿だから勝った方が良いと言うだろう。
馬鹿は皆好きなのだ、最強というモノが。
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