夜明けのネーデルクス:勝利への執念

 アルフレッド・フォン・アルカディアは天才である。肉体の天井が低いことを除けばおよそ人が望みうるすべてを兼ね備えていると言っても過言ではない。そのただ一点だけで彼は自分を凡人だとのたまうのだが。

 凄まじい速度と威力を兼ね備えた槍。されど――

(この小僧、俺の槍を先読みしている。槍を知っているのは数手で理解したが、極めたはずの俺よりも明らかに読みどころが速い、か)

 アルフレッドはそれを受け流す。鉄の籠手、すでに黒き外套はズタズタに引き裂かれ抜き身の状態であるが、とにかく堅牢な守りであった。腕に装着して支障がない程度の厚み、神の槍を正面から受けるほどの硬さはない。

 ゆえに彼はそらし、弾く。極めて精確にそれをこなし続ける。

「貴様の眼には何が見えている!?」

「……ただ必死なだけですよ!」

 傷貌の男の踏み込みを察知し、半歩後退。間合いを保ち続ける。槍の間合いであり最も威力が出る場所をアルフレッドは陣取り続ける。死線、その上に立ち僅かでも緩めば即死の場所で緩まない。鉄の精神力、それに応えるボディバランス。

 全てにおいてアルフレッドの読みが早いのは父と同じ、人体に精通したがゆえであった。技の起こりよりも先に肉の起こりを読む。骨の、関節の駆動を解し、靭帯の軋みを聞いて次の行動を予測する。

 その眼は獅子よりも遥か浅瀬、彼の刹那には遠く及ばないが、始まりが先んじていれば結果を同じくすることは出来る。

 父がガリアスの武人たちにかけた魔法を今、アルフレッドは同じく戦いに生きる者にかけていた。彼には獅子並みの眼を持つ怪物に見えているだろう。本当は違う、ただ知っているだけだとこの親子は言ってのける。

「俺の、槍が、何故、このような!」

 その無自覚さこそ天才たる所以。医界の重鎮であるカリスですら子供たちに肉体を開き、その中身を教え込もうとはしなかった。それが武の肥やしになるとさえ考えていないだろう。武は武、医は医。普通は混ぜない。混ざらない。

「ふっ、ふっ、ふっ」

 知識に境界はない。智にて天を掴んだ男の息子は父の背中を見てそれを自然と理解していた。ゆえに成長が早い。天井が低く設定されていようと、誰よりも早く其処に辿り着いた上で別の分野から知識を繋げ誤魔化せば――

 世界すら騙すことができる。

 事実、イヴァンはこの高次元の攻防に割り込める気がしなかった。それはアルフレッドとイヴァンに差があるわけではない。あらゆる工夫で一時的に傷貌の男に近づいているだけであり、武の実力的にはむしろほとんど変わらないだろう。

 少なくとも目の前の二人は騙せている。

「俺はシャウハウゼンだった男だぞッ!」

 男の傷が疼く。天を掴んだと思った日々。筋がいいと思っていた妹弟子に抜き去られ、身体の大きさゆえに細部が甘いとよく叱っていた弟弟子にも抜かれた。崖っぷち、三番目にしがみつかんとする男を最後に現れた天才がぶち抜いていった。

 寄る辺なく、資格なしと刻まれた傷。

 それだけが彼の目標であり、其処に辿り着いたことだけが男の――

「綺麗な槍だ」

「……当たり前だ! 俺は――」

「褒めてないよ?」

 アルフレッドが見せた攻め気。男の想定を越えてきた。だが、男にとってはありがたい攻めでもあったのだ。あの距離を保ち続けられ崩しに難儀していたところ。あらゆるフェイントの類が通じず、真だけを弾き落とされるのも辛かった。

 されどこうして自ら攻め込んでくれたのだ。

 無論――

「速い!?」

 容易くはない。滑り込むように最短距離を詰めてくるアルフレッドの足運び。其処から放たれてくる拳もまた速い。拳を縦にした最短を突く拳打。

「――が、神の槍は揺るがぬッ!」

 ゼロ距離にも対応し初めて神の槍。

「コォ!」

 槍の石突で拳を突き上げ、攻撃を殺す。その勢いのまま槍を後ろ手で旋回させ、身体を入れ替えながら半歩後退。間を作ってすかさず射抜く。

 槍使いの急所を突いたと思った相手を殺す神のカウンター。

 絶死の突きが奔る。傷貌を歪め男は嗤った。

 俺の勝ちだ。俺は強い、と。

「本当に綺麗な槍だね。惚れ惚れするほど美しい」

 綺麗なカウンターであったが身体を入れ替える際、僅かに視線が切れる瞬間があった。其処を見逃さずにアルフレッドは震脚にて力を溜め、予測していた場所目掛けて拳を放っていた。

 速さも、力も、何もかも劣る少年が勝つためにはリスクを負わねばならない。差し出すのは身一つである以上、命そのもの。

 それを差し出して勝利をもぎ取る。

「でも、それだけだ」

 絶死の突きに合わせるは逆の手。鉄の籠手が吹き飛び、あまりの衝撃に拳がひしゃげ骨が飛び出ていた。さしものアルフレッドも引き攣った笑み。

「それだけじゃあ勝てないッ!」

 だが、アルフレッドは止まらない。痛みに揺らぐ前に、血が噴き出るよりも早く、アルフレッドは無事な方の手を槍の柄目掛けて打ち下ろした。衝突の衝撃で緩くなった握り、揺らがぬはずの神を腕一つ犠牲にして無理やり揺らがせた。

 そんな攻防、傷貌の男の辞書には存在しなかった。

 揺らがば死ぬ。死する時まで戦場では槍を手放すな。神の教えをしみこませ、一時は最強になった男は実際に一度としてそれを落としたことは無かった。

「あっ」

「イヴァンッ!」

 間隙を割いて閃雷と謳われた槍が神であった男を貫いた。圧倒的格上であったはず。戦力差は間違いなく在ったのだ。二対一が成立せぬほどに。

 それなのに――

「な、ぜ、だ?」

 男は問う。分からないことが一つだけあったから。

「……神の槍は完璧を目指したものだ。とどめも完璧を求める。相手を必ず仕留められる部位は頭部、もしくは心臓。頭部には頭蓋があるし動かしやすい。神の槍であれば骨の隙間を抜いて心臓を狙う、俺はそれを知っていたから」

 ゆえにアルフレッドは心臓の手前に拳を放っていたのだ。事前に、始めから来ると分かっていたかのように、放たれたそれは確信と共に在った。

 この男であれば、神に忠実であろうとする男であれば、こうする、と。

「……そ、うか」

 男は崩れ落ちる。イヴァンの槍はきっちり心臓を貫いていた。

 生存は――無い。

「何のために、おれは、うまれ、し、ぬ」

 シャウハウゼンを目指し、シャウハウゼンになって、それを剥奪された男。全てを失い命もまた此処で失ってしまった。もう、何もない。

 この手には槍すらないのだから。

「速くて、力もあって、技も凄かった。でも、強さが無かったんだ。勝利への渇望、シャウハウゼンに成るための努力は見えたけど、勝つための努力は見えなかった。巧いけど強くない、もったいないね」

 アルフレッドは脂汗を流しながら手の止血をしていた。固定も急がねばならない。歯を食いしばってでも正常な状態に復元し固めねば、今後に差し障りが出る。

 ゆえにアルフレッドは服を噛み締めながら引っ張り、押し込み、ハメて、指の骨を元通りの形に修復していく。凄絶な痛みが彼を襲っているだろう。見ているイヴァンが目をそらしたくなるほどの光景。

「ぐ、ぶぅ、ぎぃ!」

 噛み締める口の端から血が零れ落ちる。

「……アルフレッド様」

 この光景をイヴァンは目に焼き付ける。勝利への執念がジャイアントキリングを産んだ。彼は聡明であるからこそ、此処までの絵図が見えていたはず。痛みにもだえ苦しみながら復元し応急処置をすることになる、それを覚悟して勝ちに行った。

 その強さがイヴァンには眩しく映る。自分に最も欠けているモノを彼は持っている。レスター相手に勝利した時もそう、普通ならば差し出せぬギリギリを彼は平気でベットする。勝利を掴むために其処までやる。

 これもまた父の背から学んだこと。彼も父も己を凡人だと認識している。天井が低いから、当然自分たちは凡人だと、そう考えている。凡人が勝利に手を伸ばす、その強欲の対価は安くないという考え方。だから平気で身を削れる。

「ぐ、は、とりあえずは、これで、いいか。あとは、イェレナに頼もう。気絶しておけば綺麗にしてくれるはず、だ。さ、行こうかイヴァン」

 応急手当と呼ぶにはあまりにも凄絶な光景であったが、それを乗り越えてアルフレッドは笑う。笑みという仮面をつけ、痛みを覆い隠していた。

「勝つというのはかくも覚悟のいることなのですね」

「ふふ、当たり前だよ。皆、勝ちたいんだ。勝利を得るってことは勝利を他者から奪うってこと。どんな形であれ、安くないさ。特に今日は格上相手に命のやり取り、腕一本、しかも再起の可能性があるなら、充分儲けたよ、俺はね」

 その強さをもっと知りたい、見たい、学びたい。

 イヴァンの確信は死闘を経てより強固なものになった。

 自分の明日は彼の中に在る、と。

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