夜明けのネーデルクス:チームルドルフ対神の尖兵
ルドルフ御一行はネーデルダムに張り巡らされた地下通路を駆けていた。王族やそれに近しい者しか知り得ないルートを使い、カリスやその部下に感知されることなく接近する。目標は病院、それ以外のカリス所縁の場所は全て事前にルドルフがこっそりと探りを入れていた。
直接探ったのはマールテンが雇っている暗殺者だが――
カリスは医家としてはそれなりの家に生まれたが、貴族としては叩き上げの部類。こういった裏道抜け道に関してはそれほど詳しくはなり得ない。クンラートが口を割る可能性はあるが、そもそもクンラートすら知らない道もあるのだ。
「悪いね、クンラート。リスクは分散しておかなきゃ」
外敵よりも内側の敵との戦いこそがルドルフの本筋。
味方であったクンラートにすら全てのカードは晒していない。
「とゆーわけで到着」
あまりにもあっさりと病院の裏手に彼らは到達する。
このネーデルダムにおいて最も不自由かつ最も自由であった男の裏技。
「周辺に足音はありません。病院内も適正人数がいるだけです」
「仕込みはなし、そんなことありえますか?」
「ないよ。断言して良い」
「なるほど。それでも――」
「うん、虎穴に入らずんば虎子を得ずってね」
ルドルフは躊躇うことなく病院内へと足を踏み入れる。他の者も続き、静けさが満ちる虎穴を彼らは征く。構造は事前に入手した間取り図で把握済みだが、結局索敵に関してはラインベルカに任せるしかない。
「ねえねえアルっち。あの子とやった?」
「イェレナのことですか?」
「それ以外にもいるのかい!? たまげたスケコマシだね」
「いませんしやってません!」
「え、じゃあまさか……童の貞?」
「……だったら何だって言うんですか」
「ひょええええええええええ!?」
「ちょっと、騒ぎ過ぎですよ! 状況分かってます!?」
「まあ、まだ十代か。父親よりはマシだね。このあと一発いっとく?」
「いや、だから状況を」
「ルドルフ。間取り図になかった空間があります」
ラインベルカの言葉にルドルフは苦笑いを浮かべて、
「何人?」
「三人。うち一人は以前私が交戦しかけた相手かと」
「なるほど。もう一人がカリスで、残りはクンラートだ。当たりだよ」
ラインベルカは無言で先導する。それに追従しながらルドルフは後ろのアルフレッドとイヴァン、志願したハンナに悪戯っぽい顔を向けた。
「状況なんてわかり切ってるでしょ。相手はこちらを引き込んでから動き出す。初めから後手に回るつもりなんだよ。なら、今ここでどんちゃん騒ぎしようが変わりはない。その程度で初志貫徹しない、出来ない相手なら苦労はないよ」
先ほどまでの声の大きさ、話題の場所を選ばなさはある意味で彼なりの挑発であったのだ。思惑は分かっている。乗ってやるけど物怖じする気はない、というとても分かりにくい挑発。分かりにくいが、彼ならば察知するだろう。
「本当にさ、変わりないね、カリス」
「ルドルフ様こそお変わりなく。病院内はお静かにして頂きたいものですな」
カリスの私室、その本棚の裏に隠し部屋があった。そこには鎖で繋がれたクンラートと静かに仁王立つ傷貌の槍使い、そしてカリスの姿があった。
「本当に病人が詰まっているならね」
「……相変わらずですな」
ルドルフの笑みにカリスは苦笑する。
「ラインベルカ」
「承知」
クンラートの拘束を外すために死神と呼ばれた女性は動き出す。だが、カリスも、傷貌の男も、その動きに対して何一つアクションを起こさない。
「逃げろ、ラインベルカ。奴らが来るぞ」
「ご安心を。全て承知しております」
クンラートは顔を歪めながら忠告し、された女性は苦笑しながら鎖を引き千切る。相変わらずの馬鹿げた身体能力、死神の力をコントロールできるようになった彼女を人の枠にはめていいものか分からなくなってしまう。
「貴方を相手に読み合いをするほど私は己惚れてはおりません」
「先手を取らせて後手で巻き返す、か。後手必勝は隣の国の流儀だろうに」
「いいモノであれば取り入れる、貴方の流儀だったと思いますが?」
「にゃろう。口が回るようになったね、カリス」
「これでも政治屋ですので。では、参りましょう。鳴らせ」
カリスは壁に這うよう設置されていた金属の配管、その先端に命令する。その口は音を拾うためかすかに広がり、金属管は言葉を漏らすことなく配管の先、上へと伝わっていく。その命令を受け取った者は粛々と己が任務を実行した。
鐘が鳴る。病院内に響く、鐘の音。
「ルドルフ!」
「何人だ!?」
「半分近くです。数えますか?」
「……いや、いいよ。貌剥ぎの被害者全部、差し替えたな? カリス」
静かなる病院内に仕込まれたカリスの刃。想定の最大値である。
「相手は大国ネーデルクス、もしものための備えは必要かと思いまして」
「その要であるクンラートを押さえといてぬけぬけと」
「本当の要であれば備えも必要なかったのですがね」
カリスのクンラートを見る眼には冷たい色しかなかった。必要に迫られて道化を演じるのは百歩譲って認めるが、それが染み付いた者を彼は主と認めない。
彼の眼には今もって道化の姿しか見えていなかった。
「クンラートは確保した! 全速力で逃げるぞ!」
「逃がさぬよ」
ここで傷貌の男が動く。ゆらりと槍を構える。
「戦術ラインベルカさんは維持してください。殿は俺が務めます!」
その前に進み出るは同じく金髪碧眼の少年、アルフレッド。
「ヤバくなったら顔出しで命乞いしなよ」
「そうならないように頑張りますよ」
ハンナがクンラートを背負い一気に駆け出す。そうはさせぬと傷貌の男はすさまじい速さで距離を詰め、槍の長所である射程を活かし――
「破ッ!」
その槍の横っ腹を掌底で弾くアルフレッド。
「……この小僧。見た目ほどヤワではないか」
イヴァンは自発的に残る。
「出来れば君には皆の守り手になって欲しかったんだけどね」
「申し訳ありません。ですが、貴方を一人置き去りにすることを私は」
アルフレッドはため息をついて「人の想いはままならない」と内心哂う。
「頼むぞ」
「心得ました」
傷貌の男にこの場を任せてカリスもまた離脱する。アルフレッドはそれに一瞥もせずただ一人、傷貌の槍使いだけを見つめていた。
余裕があればカリスを相手取りたいところであったが、傷貌の男一人で持て余すとアルフレッドは判断し見逃したのだ。三対一でも気負いがない相手。敵と見做されてすらいない感じがする。
「俺が前衛で捌く。イヴァンは隙を見つけたら、攻撃してくれ」
此度も無手。対魔人用の備えと同じもの。リーチを捨てて回転数を上げ、何とか相手に食らいつくための苦肉の策。それが必要な相手である。
(この人を自由にさせたら駄目だ。一対一ならばともかく、乱戦になっている状況下で後背を突けばラインベルカさんでもやられる可能性がある)
アルフレッドは嫌な汗をかきながら格上を相手取る。
魔人の時のようなゆとりは――
「さっさと終わらせるぞ」
「さあ、お仕事だ!」
――ない。
○
「ハンナさん、陛下をお任せいたします」
ラインベルカたちが病院の外に飛び出した頃には、すでに患者に扮した金髪碧眼の槍使いたちが五十、いや下手をすると百人近く。年齢もまちまち、幼い少年少女から青年、果ては『初期型』なのだろう壮年までいる始末。
カリスの本気。ルドルフらが黒子に徹していたおかげで今まで打つ必要が無かった強引な手。もし、下手に刺激をして彼らが動いていれば、動かし方次第ではあるが王都は血の海に沈んでいた可能性もあった。
練度が高く、個々の能力も一兵卒を遥かに凌ぐ。
神の尖兵たち。
「さすがに時間がかかりますね」
「クンラートや僕らを守りながらじゃ無理っしょ?」
「ええ」
「なら、戦術変更だ。ここで蓋をしろ、ラインベルカ」
「承知」
「死んだら許さない。その上で、極力生かせ。彼らのためじゃなく――」
「己のために、ですね? それも、承知しておりますよ」
「ならいい。行くぞ顔無しちゃん!」
「ハンナです! 傷つきますよ、本当に」
「彼にそういうのを求めても無理だよ、基本的に人の心が分からないからね」
「なっはっは、さすが親友。分かってるねえ」
そう言ってルドルフは踵を返した。中庭からの脱出を諦め、包囲の逆、元来た場所へと逆戻りする。中庭に展開している彼らも全てではないだろうが、病院内全てのスペースを抑え切るほどの手勢はいない。
そして裏手を越えた先にある隠し通路を彼らは知らないのだ。
「お気をつけください」
「そっちこそ」
ルドルフが去っていくのを確認してからラインベルカは神の尖兵たちを見る。美しき金髪碧眼もこれだけ居並ぶと中々におぞましいモノである。
「初めから私の足止めが狙いですか」
「…………」
無言にて槍を構える者たち。尖兵に言葉は無用とばかりの振る舞い。
「殺すのは得意なのですが、殺さずは未だ不得手です。誤って死んでも恨まないで、いえ、それは虫が良過ぎますね。恨んで結構」
神の尖兵百と向き合うは死神、ラインベルカ唯一人。
されどその戦力。もはや人の秤にあらず。
紅き死のイメージがこの場を征圧する。
「その上で私たちは生を謳歌する!」
数多を奪い、殺し、それでもなお彼女たちは生きることを選択した。本当は同じ道を望む男に残酷な責務を押し付けて逃げた。今もなお逃げ続けている。
それでも唯のラインベルカは胸を張って言ってのける。
否、だからこそ彼女たちは言い切るのだ。あの男の分も。そうせねばそれこそ浮かばれない。何が為の人柱、人が人たるために彼はその代表として人を辞めたのだ。ならば自分たちは幸せな夢を見よう。羊飼いの魅せる夢を。
「ワタシ ハ ツヨイゾ!」
限界を、十割を超えて、紅き光が天を衝く。
その圧力に初めて彼らは揺らいだ。
○
(この御方は、本当に凄い)
シンプルな記憶力。平面図の上から構造を把握し実際に立ち入ったことのない場所でさえ迷わずに最短を往くことができる。咄嗟の機転。敵が待ち構えていると見るや否や、別のルートを模索し慌てずにやはり最短を往く。
それらをさらりとこなしてのけるのだ。簡単なことだとばかりに。
(本当に、相変わらずだな、ルドルフ)
青き背中への安心感。クンラートは顔を綻ばせる。
「気ィ緩めんなクンラート!」
「ぬ、ゆ、緩んでいないぞ」
何でも出来る男だった。幼き頃より学んだ全てをあっさりと習得し厭いて、習得し、厭いて、厭いて厭いて厭いて、そんな彼を見続けてきた。
そしてそんな男が必死になってなお勝てなかった時代を知る。
「カリス!」
「見つけましたぞ、ルドルフ様」
運がない遭遇。かつてのルドルフならばありえない状況。だが、ルドルフは笑みを深めて別の道を模索し、駆ける。フランデレンから帰ってきた時、英雄王との戦から帰ってきた時、彼はいつも笑っていた。それと同じ笑み。
「ちぇ、運がないね」
生まれた瞬間から勝ち続けてきた男は負けることで生を実感する歪さを得てしまった。今もなおその悪癖は治っていない。
「くそ、あの爺。腰とかいわしてさっさと寝たきりになれ!」
ルドルフの逃走にカリスもまた反応する。その動きは、老人のそれではない。
「何て健脚。カリス様っておいくつでしたか!?」
「知らねー! 興味ねー! で、顔無しちゃんいくつ? どこ住み?」
「それ今聞きます? せめて名前覚えてください」
院内から渡り廊下へ。駆ける彼らの背後から迫りくる足音。
だが、背後には誰もいない。それなのに足音は迫る。
「おい、冗談だろ!?」
天井から槍が突かれた。クンラートをかすめたそれはハンナの足を止める。
「おま、切り札を殺す気かよ!?」
「失敬。手元が狂いましたな。老人ゆえ、お許しを」
渡り廊下の簡易な屋根から飛び降りてきたいつ死んでもおかしくない高齢の男。だが、着地して立ち上がる姿に歳の隔たりは感じない。
「いつも通り厭いたことでしょう。逃げ続けるのも」
「あっはっは。悪いね、飽き性な僕だけど、絵と逃走ってライフワークは未だに飽きてないんだな、これが」
「それは上々。槍もそうであれば良かったのですが」
槍を旋回させる姿にも年齢は感じない。それどころか現役バリバリの雰囲気を見せる。立ち上るは強者のオーラ。積み上げた戦歴と人生が、滲む。
「私がお二人を守ります! どうかお逃げを!」
「未熟が透けて見えるぞ、少女よ」
実戦経験の有無。黄金時代を駆け抜けた自負。
それらにハンナは気圧されてしまう。あの三人はもとよりイヴァンにも当然及ばずヨナタンにも差をつけられ始め、自信を喪失し女であること、言い訳が頭をよぎり始めていた今の彼女に勝てる相手ではなかった。
迷いなく勝利を掴まんとする男の熱量を前に。
「余とて槍のネーデルクスの王だ! ハンナよ、二人ならば――」
「女の子に背負われていた王様が粋がっちゃダメでしょ」
「え?」
王もハンナも信じ難い者を見る眼でその男を見た。
その男が槍を握る姿など誰も知らない。筆よりも重い物は持てないと豪語していた男なのだ。少女にとっては空前絶後の事。そしてクンラートにとっても驚愕の光景である。厭いた、と槍を手放した時から彼は一度として握っていないはず。
「ここは神の子が出陣でしょ。真打見参ってね」
唖然とする二人にルドルフは馬鹿にした目で彼らを見る。
「ずっと背負ってたじゃん? 何のためだと思っていたのよ」
「だ、伊達かと思っていました」
「……空洞の模造品で格好つけのために背負っていたのかと」
「僕ちゃん馬鹿にされてなーい?」
ルドルフが槍を振るう。ぽろりと手から零れる槍。唖然とする二人はそのまま硬直するしかなかった。「なっはっは、失敗失敗」と照れる神の子。
何とも言えぬ空気感が満ちる。
「馬鹿にされているのは私でしょうな。ルドルフ様」
「馬鹿にはしてないさ。クンラートを取り戻すのが僕らの目的なわけよ」
「ゆえに私と戦い逃がす、と?」
「しょーゆーこと」
「舐められたものだ、この私も」
「師匠越えは弟子の孝行ってね」
「挑発と分かっているのに、それは笑えませぬなッ!」
最初にして最大の失敗作。それが言い放った言葉の刃はカリスの逆鱗に触れた。敬愛するキュクレインが見出した子供が周囲のせいで歪んでいく様、堕落していく姿が脳裏を駆け巡り、気づけばカリスは突貫していた。
怒りのままに。
「悪いね、カリス」
静かにこぼすルドルフ。顔は滑稽な、挑発の笑みに満ちていたが、瞳の奥だけは笑っていなかった。格上相手、ならばやるべきことなど一つだけ。
「シィ!」
先ほどまでの素人臭い手つきとは裏腹な、正統派な鋭い槍。
「ぐっ!?」
踏み込み過ぎたカリスにそれが襲い掛かる。
「「なっ!?」」
驚く二人を他所に勝負の初手が決ま――
「ぬん!」
上体を無理やり捻り回避し切るカリス。地面を転がるが、無傷。
「今のは冥途に逝く流れでしょー」
「挑発の前の手つきが良くありませんでしたな。貴方に槍を教えたのは私だ。腐り果ててなお、一度身についたモノは容易くは落ちませぬ」
分かっていてもなお、あの言葉だけは思考を焼いた。厭いたと言ったあの子が自らを師匠と言った。キュクレインから託された可能性の子。それが堕落し、制御不能としてしまった己が未熟と――大きな未練。
一呼吸をしてカリスは密かに無理やり落ち着きを取り戻そうとする。
「ちぇ、芝居が下手糞だったかあ」
ルドルフとカリスが無言で対峙する。
静寂の時――
「仕方ないにゃあ。ま、やるしかないってことか」
「稽古をつけてあげましょう、ルドルフ様」
ふわりと二人は同じ構えを取る。そして同時に同じ足を踏み出し、同じ軌跡を描いて槍が中空で爆ぜる。されど槍は澱みなく次の軌跡を描き、またも同着。
「カリス!」
「まずまずですな」
戦場でも見せることのなかったルドルフ・レ・ハースブルクの可能性。歴戦の勇士であり神の槍を蘇らせた男を前に時代の敗北者は勝てるのか。
またも同じ軌跡。同じ槍が華麗に舞う。
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