夜明けのネーデルクス:忘れ物

 カリスは自分と槍を合わせる男を見てかつての未練を思い浮かべていた。キュクレインが選別し、見事ヘルマに適合した神の子。あの御方が父であり、そして彼亡き後も自分がそう、母のように育て上げんとする夢。

「随分力をつけられましたな。筆しか持てぬと聞き及んでおりましたが」

「ド底辺の借金王をなめるなって話さ。身体が資本だぜ? 嫌でも体力がつくっての。あいつ、おんぶもしてくれなくなったしさぁ」

「……ようやく人並み、ですな」

「お褒め預かり光栄だよっと」

 泡沫の夢であった。死んだ目で槍を放った少年。キュクレイン様は死の間際ですら槍を放らなかった。ネーデルクス、それを支えるべき者が何かを放り出すなどあってはならないことである。夢は弾け、残ったモノをかき集めて立ち上がった。

 その彼が目の前にいる。未完成だった神の槍を振るって――

「見事な槍捌き。ゆえに惜しい。貴方はあの時放り出すべきではなかった。一度犯したことは癖になる。案の定貴方は国家を捨てた。それが貴方です」

 長過ぎるブランクを感じさせない槍捌き。

「うへへ。耳が痛いぜこんちきしょう!」

 だが、あの時点では憧れの人の猿真似でしかなかった。オリフィエルという同志を得て、多くの失敗を、思索の日々を重ねて辿り着いた槍の前ではかつての槍など偽者ですらない。カリスには余裕があった。クンラートの位置を確認し、逃げ出せぬ位置取りで戦い続けられるほどの余裕が。

「貴方は何故今日動かれた? そこに何の意味がある?」

「そりゃあ隙あらば動くでしょーよ」

「今の状況を見てまだ戯言を放たれるか」

「おいおい、アルっちを舐め過ぎだって。あの子は勝つぜ、そういう風に育てられてんだ。ラインベルカに関しちゃ相手の心配しかしてねえっての」

「そんな話はしていない!」

 カリスの強振に受けたルドルフはのけぞる。

「どうあっても今日、この国の趨勢は三貴士の勝敗に委ねられている。わざわざそういう舞台を作ってやった。マールテンの意地に応えてやったというのに、この期に及んで無意味な足掻きを何故、今日ここでする必要がある!?」

 カリスはルドルフという男を理想とはかけ離れているものの、大局観と情勢に対するバランス感覚、為政者としての才覚は認めていた。ゆえにこそ今、彼が動いたことを信じたくなかったのだ。

 全ては選ばれし者、三貴士に委ねられたというのに――

「ったく、三貴士、三貴士ってお前らほんと、好きだよなあ」

 ルドルフの顔からお茶らけた空気が消える。

 仮面の下にあった熱情が零れだす。

「今、世界の舞台で戦えるのは武の象徴じゃねーだろうが! いい加減未来見ろっつってんだよお前『ら』! アルカディアが飢饉やなんだってボロカスになってる今、此処で叩かないでいつ叩くんだよ! エスタードとお手手つないで、必要ならガリアスとも組んで、覇者を引き摺り下ろす絶好の機会を、内輪もめで消費して、馬鹿か!?」

「る、ルドルフ」

「テメエもだクンラート。いつまでも人の背中に熱い視線送ってんじゃねえ! 気持ち悪いんだよ、ホモかテメエ。王様なんだぞ、お前の上には誰もいないんだ。さっさと理解して駆け上がれ、僕って枷はとっくに外れてんだ」

「ッ!?」

 ルドルフは掌に唾を吐いて髪をかき上げる。その所作を見て、カリスは目を剥いた。かつて、本気になった時にある三貴士が同じ所作をしていたから。

「柱が要るのは分かってる。人ってのは支えを求めるもんだ。それが三貴士で、腕っぷしが大事なのも良いさ。武の象徴、あっていい。でも、それは民が求めるモノであってお前らが求めるもんじゃねえだろ。お前らは支配者だ! 本当の柱はお前らだぞ。お前らがシャンとしねえから全部抱え込んだ連中が潰れちまったんだろうが! 押し付けてんじゃねえ、その荷物はお前らの荷物だ。そして――」

 僕が担うべきだった荷物、その言葉をルドルフは飲み込んだ。その資格はない。どの面下げてここで大口を叩けるというのか。それでも言わねばならない。

 この国が本当の間違いを犯してしまった日を教えるために。伝え忘れてしまったことを彼らに伝えるために、彼は戻ってきたのだから。

 ルドルフは突貫する。この場で覚醒して強くなってカリスに勝つ、それは積み上げてきた者の特権である。積み上げてない者がいきなり飛翔することは無い。ゆえにルドルフは気合と根性、泥にまみれながら戦う。

「ふぐッ!?」

 無様に転げても即座に立ち上がり食らいつく。

 鼻血を垂らしながら果敢に攻め立てる。

「お前らは崇めるな! お前らは祈るな! 神がこの世にいたとしても、君臨するのは王だ。神に創ったクソみてえな箱庭をニンゲン様にとって最高の環境に仕上げんのがお前らの役目だ。履き違えんな、王は神の上に立つんだよ!」

 その言葉はカリスのみならず、いや、カリスはおまけなのだろう、背中にいる男に向けられていた。最初から、ルドルフは彼に会うためだけにこの国に訪れてきていた。伝えきれなかった言葉を、理解してもらえるタイミングで伝えるために。

 今、此処にいる。

「よく見ろよ、クンラート。僕じゃ勝てねえ。なら、どうしたら勝てる? 常に考え続けろ。敵は化け物だぞ。もうすでに『次』の仕込みやってんだ。お前らが戦う相手ってのはガリアスを、ヴォルフを、アポロニアを圧倒した男だってことを忘れんな。半端じゃ勝てねえんだよ。死に物狂いで、それでも僕は、負けた」

 勝てるビジョンが湧かずにゲハイムに縋った。それによってタガを失い、あの男の逆鱗に触れ、結果として世界の趨勢を決めてしまった。

 ルドルフにとっての傷である。

「どうやって勝つ? 僕に教えてくれよ、王様」

 自分の背中を見つめる者に告げる。自分は負け犬である、と。

 そして託す。勝たせて見せろ、と。

「ネーデルクス王クンラートが命じる! ルドルフ、そのまま攻め立てろ! ハンナは常にカリスの背後を位置取れ。隙あらば突いて攪乱しろ!」

 王の言葉。ルドルフは満面の笑みを浮かべた。

「御意!」

 ようやく正しき形に成ったのだ。遅過ぎたが、それでも――

「…………」

 カリスはルドルフの攻めを受けながら、ハンナに意識を割かねばならなくなった。ハンナにとっても攻撃参加せずに位置取りだけであればプレッシャーも少ない。それでいてカリスの負担になる。いい命令であった。

 そして、何よりもカリスを揺らしていたのは――

(私は、違う。あの御方の支えになりたいと思っていた。だが、実行に移したか? あの御方が求めなかった。シャウハウゼン様の絵を前に毎夜、縋りつくように泣いていたあの御方を、私は、貴方こそ神に、押し付け、違う違う違う違う!)

 ルドルフの言葉であった。クンラートに王たる自覚を与えんとした言葉は、カリスにとっても大きな気づきを与えてしまったのだ。

 神を求め続けてきた。この国には柱が必要なのだと。キュクレインも呪詛のように語り続けてきた。自らもそのために命を燃やした。だが、今の世界、新たなる時代は一人の人間に背負えるものであろうか。

 オリフィエルがある日、カリスに語ったことを思い出す。レノーがアンゼルムを破った戦術を、そしてそのレノーを破ったウィリアムの戦略を。その先の神がかり的な布石ではなく元三貴士はその前段階にこそ驚嘆していた。

 そして同時に絶望していたのだ。

『俺が百人いようと、もはやどうにかなる戦場ではないのかもしれんな』

 戦場だけでも三貴士にまで這い上がった男が匙を投げるほどレベルが上がっていた。個の強さではなく集の強さがかつてとは段違いであったのだ。ウィリアムが、エルビラが、リディアーヌが、そしてアンゼルムにレノーが、戦場から個を消し去っていった。

 それでも足掻いたヴォルフ、アポロニアはまさに巨星であったが――

 もはや人は戦場に夢を見ることは出来ない。

 そしてそれよりも遥かな加速度で前進し続ける『世界』という舞台。

「カリスッ!」

 ルドルフはカリスの見立てとは裏腹に、腐り果てたネーデルクスの中に在って良く立ち回っていた。将として、そして王として、内外併せて全てを支配し、君臨し続けた。敗北し、去っていくまで。そしていなくなってなお、残した布石がネーデルダムに巣くう私利私欲、保身に長けた怪物たちを一掃してのけた。

 彼は神であったのかもしれない。自分が求めていたカタチではなかっただけで。

 そんな時、自分は何をして――

「余が、この国の王だ!」

 クンラートがカリスの腰に飛びついてきた。

「ゆえ、手出しできまい、カリスよ!」

「……ええ。ですが、そうでなくとも私の負けです、陛下」

 大事な人質に飛びつかれた程度で虚を突かれるような男ではない。そのようなタックル一つ捌けない時点で、武人カリスは負けていたのだ。

 二つの槍がカリスの喉元に突き付けられていた。ルドルフとハンナの槍。タックルと同時に距離を詰め、反撃の芽を摘んでいたのだ。

「私の負けは認めましょう。だが、私の三貴士は別。首を取られたいのであれば好きになさるといい。今更、私如きの首、如何ほどの価値もない」

 カリスは槍を手放し自身の敗北を認めた。

「ルドルフ様、私は間違えたと思われますか?」

 カリスの問いにルドルフはため息をつく。

「人に聞くな。自分に聞け。僕はその是非に答える資格すらないんだ」

 カリスは静かに天を見上げた。決して自分が間違っていたとは思っていない。それでも、もし、皆で協力して事に当たっていたならば、未完成であっても彼らを死蔵することなく戦場に出していたら、何か、変わっていたのだろうか。

 そんな疑問が胸に過っていた。

「ルドルフ。協力、感謝する」

 クンラートは頭を下げることなく胸を張って謝辞を述べる。

「頭下げなかったことは褒めてやんよ。僕は負けた。んまあド派手に負けた。責任も取らずに逃げたクソ野郎だ。だからさ、気楽にやりなよ。クソな奴の引継ぎって楽じゃん? 普通にしてるだけでポイント上がるんだぜ。ケケケ」

 先ほどまでのシリアスなルドルフはどこへやら、いつもの世界を小ばかにした遊び人の顔つきになっていた。本当に、彼は相変わらずなのだ。

「勝てよ、クンラート。一人で抱え込んでも勝てねえぜ。相手は時代最強の男だ。でも、二人なら、三人なら、分からない。僕から言えるのはそれだけさ」

 ハンナがカリスを縛り上げたのを見て、ルドルフは向かうべき方向とは逆に動き出す。槍を放り投げ、へらへらと笑いながら、彼は一度だけ振り向いた。

「けんとーをいのーる」

 ふざけた男がもう一度去っていく。もう二度と彼は表舞台に、彼らの前に現れることは無いだろう。三貴士の戦いは彼らのものであり、部外者である己が口を挟むことではない。だから手出しはしない。伝えるべきことは全て伝えた。

 もう、忘れ物はない。

「ルドルフ! いつか、また、あの店で! さらばだ親友!」

 何一つ。


     ○


 神の尖兵たちは信じ難い思いで地に伏していた。

 唯一人の怪物に彼らは負けた。信じ難いのはその超人的な力とそれを維持する持久力。限界を超えた力は身体を蝕み、本来であれば長く戦えないはずなのだ。そんなこと、理解せずとも感覚で分かってしまうことである。

 あんな無理、長く続かない、と。

 だが、彼女の先天的な体質か、それとも死神としての戦歴が後天的にギフトを与えたのか、彼女はこの世界において誰よりも長い時間限界を超え続けることができ、さらにその負荷も他者とは比較にならぬほど軽微であった。

 長期戦であれば、おそらく彼女はローレンシアにおいても最強であろう。ヴォルフですら短期決戦でなければ仕留めきれない。

 それほどに彼女の限界を超えた先での持久力は常軌を逸していた。それこそウェルキンゲトリクスよりもその点に関しては上かもしれない。

 それでも彼女は知っている。最強など最愛に比べれば何の意味もない、と。

「お、さっすが僕のマイハニー。まさに死神って感じだ」

「私の感知する限りでは死者はいませんよ。死神は廃業しました」

「なっはっは。んじゃ、今のお仕事は?」

「今は母と、妻、ですかね」

「うふふ、照れるねえ。今日、久しぶりに一発いっちゃおうか!」

「いえ、その前に……先ほど陛下がおっしゃっていた『あの店』について少々詳しく聞かせて頂こうかと。大した時間は取らせませんよ」

「聞こえて……おっと、まだ忘れ物があったぜ」

「御冗談を。さ、行きましょうか。時間は腐るほどありますから」

「嫌だー! 僕は自由に生きるんだーい!」

 かつてこの国が作った死神と神の子は今一度この国を去っていく。神として生み出された生まれながらの選ばれし者が敗れ、泥沼の中より這い上がってきた選ばれなかった者が勝った時代。どうなるのか予想もつかない。

 それでもこの二人は変わらずに人を謳歌する。

 その価値を誰よりも知るから。それを譲ってもらった男の分も、そう生きる。

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