夜明けのネーデルクス:『黄鶯』

 ユリシーズとオリフィエルが対峙する。

 共に戦場では名を馳せた存在。三貴士になってからの戦歴は短いが、其処に至る前の時点で歴戦の猛者。黄金時代を担う一翼であった。片やユリシーズの戦場はすでに戦乱末期。最終戦争にてヤン・フォン・ゼークトを討ったが、グスタフを盾にあえて名を隠していた男、外野から見て実力を示し切ったかと言われると微妙なところである。

 そもそもディノとの戦を経て覚醒し、心身共に成熟し切ってからは本気の戦い自体が無かった。ヴォルフによってあえて隠されていた節もあり、かつ強き者ほど彼との交戦を避けた。強者にこそ分かる。

「参る」

 言葉短く剣を抜き放ち駆け出すユリシーズ。その加速力たるや狼の王以外に比肩しうる者はいない。単純な速力と俊敏性。

「速く――」

 加えて獅子には狼に無い――

「――巧みッ!」

 技があった。膨大な数のレオンヴァーンの剣技。王道もあれば邪道もあり、玉石混交、曲芸じみた剣まである。それら全てをこの獅子は喰らい切った。

 速く、強く、そして巧みなる剣。

 オリフィエルの突きを見てからぎゅるんと捩じり、正面衝突を避け槍の柄、横っ腹を弾く。達人同士の刹那にすら獅子は曲芸を躊躇わない。

「ふはッ! やりおる!」

 しかし、オリフィエルもまた達人。そしてカリスと共に長き時を経て神の槍を復活させた男。使うはあらゆる局面に対応した最高至高の槍。

 本来、長物の弱点である至近距離、ゼロ距離ですら神の槍にとっては短所にあらず。弾かれ、獅子が懐に侵入してなお揺らがずに対応する。勢いが足りぬのであれば後ろを使う。背後でぐるりと旋回させ、そのまま体を横にして下からすくい上げるよう打つ。

 これもまた曲芸のよう。しかして最善、何より最短。

「こうくるか!?」

 人体の死角であり、根本的に人が苦手とする上下からの攻撃。此度は下段、地から美しき円を描いて槍が迫る。

「ならば失敬!」

 それを足の裏で防ぐユリシーズ。

「行儀が悪いな、小僧」

 微笑むオリフィエル。すでに、その手に槍は無し。

「ッ!?」

 手から滑らせた槍の落ちる先を、足で拾う達人。アキレス腱を支点に逆足で柄を踏み込む。テコの原理で槍が跳ね上がり、抑え込んでいたはずのユリシーズもまた宙へ舞う。信じ難き槍捌き。

 そのまま澱みなく足から手へと槍を持ち替え、その勢いのまま宙に舞う獅子を討つための攻撃と成す。妥協なき槍に攻防あやふやな時間は存在しない。

「そちらこそ」

 跳躍しながら美しき偃月を描き加速した槍。それを宙に舞うユリシーズへと叩き落とす。妥協なく、容赦なく、神の槍は十二分な殺傷力をもって――

「ッ!?」

 今度はオリフィエルが驚く番であった。空中で姿勢不安定のまま獅子の牙は雲が如く槍を受け、そのまま無感のタッチで受け流す。

 獅子の眼光が蒼く輝く。

「……怪物め。刹那に神を見る、か」

 ふわりと何事も無かったかのように着地するユリシーズ。かつて天才性を取り戻し経験まで積んだ麒麟児を沈めた機を見る眼。武はタイミングであると言い切った男のそれを上回る刹那の究極。

 これが獅子の真骨頂である。

「刹那で充分。勝敗はその一瞬が分かつのだから」

 威風堂々。獅子の姿に卒業生である村人たちは戦慄を覚えていた。神の槍にも差異はある。自分たちは体得こそしたが、シャウハウゼンと名乗れるほど強くはなかった。三人のシャウハウゼンと剥奪された男は別格。

 そしてもう一人の別格こそ大先生であるオリフィエルであったのだ。彼が勝てぬのであればおそらくネーデルダムにいる三人は勝てないだろう。最も強い男であれば話は変わってくるが、それとて大きな差はない。

「これが天獅子。これが、世界の壁、か」

 彼らは歴史を学んでいた。シャウハウゼンが、キュクレインが、神の槍が負けたことを彼らは知識として学んでいたのだ。だが、彼らは本当の意味では知らなかった。神を墜とした英雄の王を。神を燃やした天輪を。

 そして今、神を喰らわんとする獅子を。

「大先生!」

 されど彼らは動けない。立ち入ることが出来ない。恩人の窮地に、立ち尽くすことしか出来なかった。何が神の槍、何がための力。

 彼らは歯噛みする。

「征くぞ」

 刹那の攻防で、分からされてしまったから。


     ○


 攻防を重ねれば重ねるほどに生まれる差。

(片や未だ若さを残しながらも成熟し完成しつつある男。片や老いと病が身体を蝕み腐り落ちる寸前の男。勝負は見えておる。初めから)

 アークの眼には未来が映る。

 煌々と燃え盛る大炎。揺らぐ風前の灯火。

「何をしておる。何故、剣を仕舞うか、小僧!」

「これ以上は無意味だ。貴殿の技には敬服するしかない。だが、老いか病か、それとも別の原因かは知らぬが、戦闘時間が伸びるほどに冴えが鈍っていた。ご自身が一番理解されているだろう? もう、貴殿は戦士ではない」

 ユリシーズの言葉を否定することは、片膝をつき呼吸困難に陥っているオリフィエルは持ち合わせていなかった。分かっていたことなのだ。互角では勝てない。圧倒せねば自分は一騎打ちですら勝てない身体となっていた。

 そこに追い打ちをかけるよう老いと病が全てを奪い尽くす。最近、教師役をかつての教え子に任せているのもその役すら果たせなくなりつつあったから。自分は壊れてしまった。とうの昔に、今もなお崩壊は続いている。

「役目は果たした。俺は手を引かせてもらう」

「うむ。助力感謝する、天獅子」

「合縁奇縁、またお会いしましょう、祖国の英雄よ」

 決着はついた。これ以上は無意味。

 これ以上が無ければ――

「……許せ。子供たちよ。この年になってなお、拭えぬ度し難きプライド。ちっぽけな、矮小な、これで俺は全てを失ったというのに、それでもなお、縋るしかない。俺を許せ。所詮、先生など、人を導くなど、俺の器ではなかった!」

 騎士王が目を剥く。天獅子もまた咄嗟に臨戦態勢を取った。

「気づくのが遅過ぎたのだ。いや、気づいていたのに気づかないふりをしていた。あれが正解なのだと決めつけ、蓋をした。カリス殿は悪くない。あの御方は一流だがその先に至る者ではなかった。彼は知り得なかっただけ。全ては俺の罪だ。俺が『先』を閉ざした。嗚呼、そうだ。それが俺の罪だ!」

 咳き込んでいた呼吸を、無理やり男は深く、深く、深淵に至るが如く深呼吸をして上書きした。呼吸が蒼みを帯びる。

「あの『若造』に出会わなければ俺は生涯、気づかぬふりをしていただろう。そして気づいてなお言い出す勇気がなかった。どうして言えようか!? 正解だと教えてきたモノに対する認識を違えていたなどと」

 オリフィエルは立ち上がる。風が逆巻く。雷の煌きが何かを象った。

「正解は、一つでは、無いのだとッ!」

 天獅子の前に突如現れた巨大なる敵、『黄鶯』がゆったりと槍を構えた。

 その圧、先ほどまでの比ではない。


     ○


 あの日、あの出会いが、『黄鶯』に気づきを与えてしまった。

 隠れ里から少し離れた小国、その王都にマーシアを経由してネーデルクスから書物は必要物資などが送られてくる。その受け取り手に珍しく大先生、オリフィエルも同行していた。特に深い意味があったわけではない。

 それでも今思えばそれは運命であったのだろう。

「……何だ、この異人は?」

 路傍に倒れ伏す異国の少年。そう、人種のせいかより若く見えるが、それでも明らかに若い。どれだけ高く見積もっても二十代前半、見た目だけならば十代にも見えるだろう。しかし、それはありえないのだ。

 黄色味を帯びた肌、のっぺりした顔。東方からの旅人である。

 つまり、無間砂漠を越えてきたということ。

(見た目通りの年齢であれば越えられまい。いや、どうあっても同じか。西方にいる以上、かの地を渡ってきた以上、これもまた怪物か)

 だが、無間砂漠を渡ってきた旅人もこんな辺境で行き倒れていた。病か、野犬にでも襲われたのか、理由は分からないが――

「ご老人、哀れに想うのであれば一飯頂けないだろうか?」

 流暢な言葉を操る異人。ごろりと姿勢を変えてオリフィエルだけを見つめるその眼はあまりにも澄み切っており、清流の如し穏やかさも秘めていた。

 世界そのもの、一瞬、妙な妄想がオリフィエルの脳裏に過る。

「何故、これだけ人がいる場所で、俺だけを見る?」

「不思議な問いだ。同類に声をかけるのは当然だろう?」

 不思議な出会いであった。

 名も知らぬ異国の男にオリフィエルは呑まれてしまう。

 気づけば食事をご馳走し、様々な話を聞いていた。

 食うに困り仕官先を探していたが、平和な時代ゆえ中々雇ってくれる国はなく、流浪の果てにうっかり食糧を切らし倒れていたそうである。

 何故、無間砂漠を渡ってきたかの問いに関しては――

「未知がある。ならば行く。西方諸国、ローレンシアの武を学ぶため」

 やはり武人、とオリフィエルは納得する。

「なるほど。勉強になったかな?」

 若き男は苦笑しながら――

「児戯」

 ただ一言で切り捨てる。その眼に宿るは穏やかなる清流。一点の曇りもなく、邪気も無く、唯々彼にとっての真実を言の葉に乗せただけ。

「獣が鉄器を振り回しているだけ。不細工だ。武を、技を、侮辱している。俺は哀しい。我が彼岸にとって何の価値もない、肉体への信仰を捨てられぬ獣の群れ。いっそ哀れに思う。技を育む土壌がないのだから」

「……槍のネーデルクスを御覧じたか?」

「あれこそ不細工の極み。児戯に虚飾を塗りたくった醜き槍。格好つけている分、獣の方が幾分かマシだろう」

「……なるほど。腹も満たされただろう? 少し、俺が稽古をつけてやろう」

 眼に嘘が、邪気が無いからこそオリフィエルは許せなかった。確かに神の槍を知った後では今のネーデルクスは物足りない。しかも、最近では個性と称して人と違う『だけ』の槍を使う者も多いと聞く。憂いてはいる。

 だが、児戯と言われて引き下がれるほど男にとって祖国は安くなかった。

「逆だご老人。一飯の恩義を果たそう」

 微笑む男の顔に覇気はなし。

 その雰囲気にオリフィエルは勝利を確信する。歴戦の経験が、強者を嗅ぎ分ける感性が、全てが己の勝利を疑わなかった。

 自分は元三貴士であり神の槍を会得した者なのだから。

「ふむ。児戯は訂正しよう。その槍は手合わせする価値があった」

 神の槍を――

「だが、肝心の使い手がそれではな。素晴らしい槍の価値を貶めている。何故、それを産んだ者の意図を解そうとしない? 明朗に語っているだろうに」

 技を技で返され、潰され、意図が全て利用され陣を、位を、取られる。特別速いわけではない。それほど力があるわけでもない。

 それなのに何もさせてもらえなかった。元三貴士が、である。

「それは基礎だ。わざわざ技を落としてまで無地に仕立て上げたモノ。空色の紙、貴殿ら流に言えばキャンバスか。何故そこに己を描かない? 他の者はともかく貴殿『は』持っているだろうに。何に遠慮している?」

 清流の如し眼をオリフィエルは恐れる。

 全てをそれは見通す。

「神の槍は至高の槍だ。これが正解なのだ!」

「愚かだな。槍はそう言っていないぞ。貴殿も気づいているのだろう? 『先』が見えている。同類だと俺は言ったぞ。カマトトぶるなよ爺ィ!」

 男が初めて見せる歪んだ笑み。

「その使い手は『先』に到達していた。己の色を見出していた。だが、それはその者自身のオリジナル。物真似出来ぬ己に最適化されたモノ。それを残さずにあえて落とした、熱意さえあれば誰もが到達できる技を残したのだ。要求レベルはローレンシアの標準から見れば求め過ぎではあるが、それもまた愛、か」

「……そんな、馬鹿な。では、俺たちがしてきたことは」

「何をうな垂れることがある? 立派な教本ではないか。我が祖国にもこれほど愛に満ちたモノはない。俺と同じ『願望』を持ちながら愛に殉じた! 俺には出来ぬ。技を極める以外どうでもいいのだ! 俺だけが極めればいい。くく、この欲望を抑え込んでよくぞ。貴殿もそうだろう? なあ、同類」

 愛国者なのだ。自分もそうだ。そうだそうだそうだそうだそうだ――

「そうだ。普通はそうやって到達するモノなのだ。己が武が五体に沁み渡り、技が極まった時、人は彼岸を超える。それが全の彼岸。そして、其処に分岐点がある。くく、やはり、同類だな、ご老人。やはり、此方に振れたか」

 オリフィエルは吼えた。

 いつからだろうか。ふと、脳裏に疑問符が過ったのは。果たしてこれは正解なのだろうか。本当に正解としていいのだろうか。正解であるならば其処に何故優劣がつく。皆が神となってもおかしくないはずなのに。

 何故違う。何故至らない。

「許せ、子供たちよ。俺は――」

 何故自分は神とかつて捨てたはずの槍を重ねる。


     ○


 ユリシーズは眼前の敵が化けたことを理解した。

「これが達人、か。まさか今の俺が陛下以外に畏怖を覚えるとは」

「子供たちよ、許せ。俺は、俺を捨てられなかったッ!」

 武人、『黄鶯』のオリフィエルは凄絶な笑みを浮かべる。

 蒼きキャンバスに彼は『黄鶯』を描く。風と雷の絵の具で己を塗りたくるオリフィエルは今までにない充足感と共に槍を構える。

 今ならば届く。かつて敗れたあの山巓にも。

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