夜明けのネーデルクス:介入せし騎士
翌日もアルフレッドは何事も無かったかのように振舞い精力的に槍を学んだ。
「アルフォンスお兄ちゃんすごーい」
「僕らが何年もかけて体得してきた技なのに」
「でも、本人は満足してない」
アルフォンスという偽名で通しているアルフレッドは不満げな表情で槍を振るう。近づいてはいるのだが、発勁を学んだ時と同じで一足飛びに体得とはいかない。イメージ通りに身体は動いてくれているが、そもそものイメージが完全に固まらないのだ。指先から足先まで緻密に連動して初めて神は宿る、と皆は語る。
(俺でこうなら……普通の人は大変だな。そしてこれが当たり前となっている此処はやはり異常なんだ。彼らは低いレベルを知らない。でも、そんなことあり得るか? 拾った子供全てがある程度の才能を有するなんて、いくらカリス侯爵が目利きでも百発百中ってわけにはいかないだろう)
彼らの知らぬところでアルフレッドは懸念を膨らませていた。
「集中。稽古に誤魔化しは要らぬ」
「……失礼しました」
ほんのひと時の雑念ですら見逃さない元三貴士、オリフィエル。十八番のマルチタスクですら筒抜けであり、小器用にこなそうとすることを許さない。全身全霊を傾けよ、彼の眼はそう言っている。
「イヴァン、機会あらば一度貴様は槍から離れてみろ」
その男がイヴァンに声をかけた。愕然と立ち尽くすイヴァン。
「……それほどに才能が無いということですか?」
「否。才の話ではない。凝り固まった己が槍。今のままでは早晩限界を迎える。カウンター狙いは大いに結構。だが、貴様の槍はそのために多くを削ぎ落とし過ぎた。応用が効かない。実戦向きではない。整地された地面で、正面から敵と相対することだけが戦士の仕事ではあるまい。時には泥臭く、手足砕けても戦わねばならぬ時があるのだ」
綺麗過ぎる槍。真っ直ぐ過ぎる槍。応用性を欠く、それは隣にいるアルフレッドも思っていた。熟達の戦士ほど真っ直ぐ突っ込んできてはくれないもの。ドーン・エンドでやり合った者たちも多くは敵の良い所を消そうと立ち回ってきた。
彼らは己の弱さを知り、相手の強さを知っていた。だからこそ、生き残るために自然とそういう泥臭さが身についていたのだ。それがイヴァンの槍からは匂い立ってこない。そして、恐ろしいことに実戦を経験していないはずの彼ら、特に大人連中の槍からはそういった匂いが滲み出ているのだ。
「イヴァン君は身体が少し硬いね」
「体幹も鍛えた方がいいわ。雨が降った山での稽古は最適よ」
「遠征して凍土もいいぞ。雪が良いんだ。動き回るだけで足腰に来る。で、熊狩りをするんだ。死ぬか鍛えられるぞ」
「まだイヴァンちゃんに早いわよ」
「そうかー? ま、とりあえず技だけじゃ駄目だぜ。それを支える土台作りも大事大事。どんな局面でも槍を崩さない、それが出来なきゃ実戦で神の槍なんて使えないだろ? 崩れるのは死ぬ時のみ。そう思って槍を振りな」
「……ありがとうございます」
妥協なき槍。イヴァンは未だかつて感じたことがないほどの劣等感を覚えていた。才能云々を論じていた己が恥ずかしくなる。閉じた世界の彼らの方がよほど実戦を見据えた先々まで考えていた。
しかも彼らはシャウハウゼンに成れなかった者。いわば脱落者である。イヴァンがネーデルダムで下した彼女も同じ、本物ではない。イヴァンはその偽者たちにすら届かぬ意識の違いに圧倒されてしまう。市街地で、一対一で、なおかつ彼女の槍が美しかったからイヴァンの槍がハマり、勝利できただけ。
ほんの一つでも要素が違っていたら、今頃――
○
「――槍の他にも算術、歴史、地理に文学、芸術ときた。兵法も随分高度なことを教えているみたいだし、医術についてもさすがは軍医出身。応急処置や山野で採れる薬草についても教え込んでるね。三貴士を造るための村だよここは」
「文武両道。優秀な子供たちばかりです」
「さっき大人の人にそれとなく聞いたけど、間引きはやっぱりあるらしい」
「やはり。これだけの群れを維持するためには必要なのでしょうね。田舎の農村ではよく行われていることですが、人道的に見て多少の武器には――」
「ごめんごめん。説明と言葉が悪かった。ならないよ、武器には。というよりも感心させられたんだ。この村の間引きには段階がある。幼少期、モチベーションや物覚えなどで不適格とされた者は、元の居場所に戻すか侯爵の伝手でそれなりの奉公先に売られるかを選択できる。年を経るごとに知識、教育の分、奉公先も選択肢が増えてくるし、青年期を越えると村の構成員になる選択肢も出てくるんだ」
「随分と、手厚いですね」
「そう? 商売としても理に適っているよ。高度な教育を受けた人材だ。年を経るごとに価値は増大していく。最初期に不適格となった場合の回収は厳しいけど、育てた人材を各業界へ斡旋するのは父上が有用だと証明した。いや、そうか、だから力を入れたのか。いつからやっているんだろう? 真似なのか、先なのか、どちらにしても面白いや。高等教育が医療分野に若干偏りを見せているのも面白い。奉公先、この場合は斡旋先、か。用意できる場所次第でカタチが変わる」
カリスが用意できる専門分野は医であろう。ゆえに青年期の教育は医療分野を重点的にやるのだ。そこになら高度な人材を適材適所に回すことができるから。ウィリアムが育てた子供たちを軍部に、商会に回したのと同じ理由である。
「マーシアにも、エル・トゥーレにも、当然、ネーデルクス本国にも大勢のドロップアウト、シャウハウゼンに成れなかった者たちが潜んでいるはずだ。侯爵が運営する病院なんて巣窟かもしれないね。でも、腕は確かなんだろうなぁ」
「……そう言えば金髪碧眼の医者が多かったような」
「まあ、情報は充分だ。そろそろ戻るとしよう。今日一日、諦めたかのように普通に過ごしてたでしょ? いい臭い消しになったと思うんだよね」
「さ、さすがです。そこまで考えられていたとは」
「えへへ。でも、そうだなあ。あの人相手だとちょっと分が悪いかな」
「あの人?」
「嘘、見抜かれてそうなんだよなあ」
アルフレッドは苦笑する。自分が何らかの作業を行っている間、並行して考え事をしていても今までほとんどの者に指摘されたことは無い。様々なことを別々に区切って考えるのは特技であり得意分野。
ゆえにほとんど違いは無かったはず。それが見抜かれた。
ならば――
○
ウィル二世とイヴァンの愛馬の前にはオリフィエルが槍を抱えて座り込んでいた。左右には昨日今日と槍を教えてくれた村人たちもいる。
「残念だ、少年たちよ」
「ええ、本当に。筋が良くていい子たちだったのに」
「今からでも遅くねえ。手を引け。ママなら大丈夫だ。俺たちからも執りなすし、それがなくてもママならきっと理解してくれる」
彼らは一様に心配そうに、頼むから村へ戻ってくれと願うような眼で二人を見つめていた。敵として見做されていない。
二人はまだ達していないと彼らは考えているのだ。
「カリス殿は何らかの妨害に在っているな。予定通り事が運んでいない。そうであろう?」
「……何故、そう思ったんですか?」
「昨夜の問答。動揺が少な過ぎた。仮面の分厚さも考え物だな、少年よ」
「……本当に、戦争経験者は怖いなぁ」
オリフィエルの眼が細くなる。
「貴様の眼もそれなりに潜ったモノであるがな」
「戦乱の世、その名残に触れただけですよ」
ふつり、沸き立つ雰囲気に全員が身構えた。怖気がするほどの殺意。熱情とは真逆、必要であるから殺すというシンプルなそれに味方であるイヴァンすら震える。殺した数、それが雰囲気に乗っている。
「伊達ではないが真でもない。仮面の一つ、か」
それを吹き飛ばすほどの鮮烈な雰囲気。アルフレッドの顔が歪む。
「勝てぬよ、それでは」
ただ槍を構えて立つだけで分からされてしまう。
(他の人たち相手なら工夫の余地はあるが、この人は無理だ。隙が無い)
アルフレッドは剣を抜くことに躊躇する。抜かば戦う以外の選択肢を失ってしまう。抜かねば脱出の手段は失うが生存の可能性は極めて高い。
「イヴァン。すまない。ここは皆さんが上手だったよ」
「……いいえ。仕方ないでしょう」
「よかったわ。これで皆仲良くできるわね」
皆の空気が弛緩する。アルフレッドもイヴァンも両手を上げて――
「好い月である!」
少し高所で腕を組み仁王立つ男、騎士王アークが燦然と登場する。
だが、オリフィエルの眼は唯一人を射抜いていた。
「我参上! そしてこちらは助っ人の――」
「ユリシーズ・オブ・レオンヴァーンだ。縁あって敵対させてもらう」
「なっ、天獅子だと!?」
ざわつく村民たち。揺らいでいないのはオリフィエルのみ。
「……大先生」
「ここで引き寄せる天運、か。いや、アーク・オブ・ガルニアスの力か。どちらにせよ、騎士王と天獅子が絡んでいる以上、見逃すわけにはいかん」
オリフィエルが槍を構える。
「あの時の、財布の人」
「その覚えられ方は業腹だがな。いい経験を積んでいる。雰囲気で分かる」
「あの天獅子と知り合いなのですか!?」
「知り合いというか――」
「世間話はそこまでだ。アーク王の背後に馬を用意してある。交換だ」
「……オリフィエルさんは元三貴士です。お気を付けを」
「ふっ、相手にとって不足なし!」
二人は躊躇なく逃げ出す。
「皆、逃がすな」
「承知!」
散開して二人を追おうと村人たちが動き出す。
だが――
「させぬよ」
彼らの想定を超える機動力で天獅子もまた動き出す。オリフィエルの想定を、この場全員の想定を超えた一歩目。狼仕込みの初速に、それを知らぬオリフィエルは一歩目を違えた。そしてその一歩で天獅子は遥か彼方。
「なっ!?」
一瞬で距離を詰められ、動揺してなお青年を越えて村にいる選択肢を与えられた男は神の槍を振るう。相手の時を乱す槍。体感を――
「初見であるが、すでに聞いている」
さらに加速。槍を掻い潜り、獅子の拳は敵の顎をかすめる。何も出来ずに呆然と崩れ落ちる村人。シャウハウゼンにはなれずともそんじょそこらの相手に後れを取るとは思っていなかった。戦場でも通用すると思っていたのだ。
いや、実際に通用するだろう。上位層に食い込める力はある。
「許せ、技秀でし民よ」
だが、この男は天獅子。
「俺が守ると決めた。ならば、誰も越えさせぬよ」
ヴォルフが唯一己に比肩しうると漏らした男の実力。限りなく頂点に近い男。世界はその男の真価の未だ断片しか知らない。
そして世界の片隅で獅子の牙が神に突き立つ。
「俺は強いぞ」
村民たちの足が止まる。絶対の自信、槍に対するそれがあってなお、天獅子という山巓へ挑戦する気概は湧かなかった。
未だ剣は抜かず、されど成らず者たちの心はへし折った。
「そのようだ」
唯一人を除いて。
元三貴士、『黄鶯』のオリフィエルは凄絶な笑みを浮かべていた。
待ち望んでいた戦場がやってきたのだから。
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