夜明けのネーデルクス:隠れ里

 アルフレッドとイヴァンはネーデルダムから脱出し北へと針路を向けていた。

 愛馬ウィル二世の快速が光る。最小限の荷姿というのも相まって幾度かイヴァンらを引き離してしまったほどである。よほど普段の旅路が堪えていたらしい。

 今度から荷物を減らしてあげようとアルフレッドは思う。

 準備大好きイェレナをどう説得しようかというのが悩みの種である。

「いい馬ですね」

「あはは。元の飼い主が大事に育てていたのが良かったんですかね」

「私のも足には自信があったのですが、まさか足を引っ張ることになろうとは」

「大丈夫ですよ。マールテン公爵は結構曲者ですから、往復する時間くらいは稼いでくれますよ。まあ、候補は二、三箇所当たるのが限界でしょうけど」

「……神の槍の学び舎。本当にあるのでしょうか?」

「それを確かめに来たんですよ。マールテン公爵やルドルフさんたちにとっては、フェランテのような魔人を量産するような、薬臭い現場だとありがたいのでしょうが。さて、どんな裏の貌が隠れているのやら」

「糾弾するための材料が隠れていれば、王を奪還する武器となる、ですね」

「うん。ただ、俺はそんなに単純じゃないとは思いますけどね」

 アルフレッドはかつて外遊でアルカスに訪れていたクンラートを見ている。道化を演じているが其処に、今思えば幼いながらに『美しさ』を見た。マールテンもまた同じ、短気で尊大、しかしやはり『美しさ』がある。

 ならばそれに対峙する存在に『それ』がないと言い切れるだろうか。


     ○


「まさか第一候補で当たりだとは」

 マーシアの横を通り抜け、さらに北上した丘陵地帯。

 その一角にそれは在った。

「凍土調査団、その活動拠点である小さな村。本当に面白いね。ガリアスは多重に入り組み、エスタードは北と南で真っ二つ、そしてネーデルクスは明日と昨日が割れているようで、入り組んでいるように見えて、本当に、どこまでも真っ直ぐだ」

 最低限の搦め手は使っていたが、それでも真っ直ぐと最短を直走る者だからこそ、最初で当てられた。それもそのはず、その隠れ里は決して後ろ暗いものではない。住人のほとんどが金髪碧眼で若者が多い点を除けば、普通の村であった。

 畑があって、牧畜もしている。子供が鶏の世話をして、馬に乗って狩りに出かけた年長者たちがその成果物を皆に配る。

 其処には普通の村があった。普通の営みがあった。

 ただ一つ――

「型稽古、始め」

 住人のほとんどが凄まじい技量の槍を使うことを除けば。

「……神の、槍」

 イヴァンは戦慄する。あれほど難しい動きを難なくこなす者たちに。型だからこなせる、そんな次元を彼らはゆうに超えていた。槍は腕の延長線、真綿のように優しく握り、膝は雲が如し。あまりにも基礎のレベルが違う。

 槍に対する認識が、熱量が違う。

 クロードにも感じた生命力。特に若い世代ほど垣間見える槍への執念。

「素晴らしいね。何が素晴らしいってさ、届かなかった先生役の彼ら、世話役の大人たちだ。出来なかったこと、届かなかったこと、それをちゃんと理解して丁寧に教えている。本当に丁寧だ。遠目で見ても分かる。妥協がない」

「……全員化け物だ」

「違うよイヴァン。化け物じゃない彼らが此処まで達しているのが素晴らしいんだ。敬服に値する。ここを造った者たちの執念、そしてそれを繋ぐ彼らの執着、若き彼らの熱量、極めて高いモチベーションと理想を体現せんとする鉄の意志。それが在って初めて成る。美し過ぎるよ、眩しいほど、真っ直ぐだ」

 アルフレッドの貌を見て、イヴァンは畏怖を覚える。美しさに魅せられた怪物。彼もまた理想とせんのは此処に在るような美しき群れ。だが、彼は知っている。これは閉じられた美しき、あの北方のような世界だから在る幻想なのだと。

 それでも創り上げた者への敬意は高まるばかり。

「カリス殿も喜ばれるだろう。若いのによく見えている」

 突如背後から聞こえた第三者の声。

 アルフレッドとイヴァンは即座に振り返り武器を――

「動くな、若き才能よ。踏み躙る真似は、させてくれるな」

 構える前にアルフレッドの眼前に槍が突き付けられていた。声が聞こえた距離感と槍の到達点にあまりにも齟齬があった。あえて距離を潰すために押さえた声で語り掛けたのか、もしくは槍が速過ぎたために認識を追い越されてしまったのか。

「……我らをどうされるおつもりですか?」

「ふ、愚問だろう」

 その槍が動き出す。アルフレッドの眼が見開かれた。


     ○


「何故、こうなってしまったのだ?」

「…………」

「何故――」

「……諦めなよ、イヴァンさん。過ぎたことをくよくよしても仕方がないよ」

「いや、しかし――」

「私語厳禁」

 老いた槍使いがびしりと槍を地面に叩きつける。びくりとするイヴァン。アルフレッドは無心に槍を振るっていた。

「ふむ、素人ながら筋がいい。槍に触れたことは?」

「少し触った程度です、大先生」

「大したものだ。それに比べてイヴァン・ブルシーク、何だ貴様の槍は。心の弱さが槍に透けている。子供たち、駄目な点を挙げてやれ」

「左がよわーい」

「全体的に右に寄り過ぎです」

「逆スタンスがヘタクソ。順スタンスが綺麗な分、目立つ」

「……ぐ、ぐぬう」

「苦手を無駄と削ぎ落とす。結果、残った妥協の産物は必ず粗を残す」

 槍を構えている天才イヴァンの意識の外から大先生と呼ばれる男の槍が伸びる。閃雷と謳われるイヴァンの槍を上回る速度域。

「槍に近道はない。最速もだ」

 男の圧力がイヴァン達を気圧す。この村で得たにしてはあまりにも真に迫った殺気。集中していたアルフレッドすら手を止めるほどに――

「手を止めるな。敵の圧如きで戦場で手を止める馬鹿が何処にいる?」

 このような世界の片隅で、何故これほどの怪物が存在しているのか。

「随分と変わった体重移動だ。何処で学んだ?」

「……我流です」

「尚更大したものだ。ゆえにもったいない。武を道具としか思っていない。『あの男』と同じ眼だ。それほどの才を有しながら、執着が無さ過ぎる」

「必要ですか? その執着と言うものは」

「極めた先、それが己の色となる。……いや、これは忘れよ」

 全てを見通すような眼。其処に一瞬、惑いが生じたのをアルフレッドは見逃さなかった。されどその意味を解するほどの情報はない。

 式を組むには至れない。

「……『黄鶯』、まさか、そんなことが」

 そんなアルフレッドを他所に何かを察したイヴァン。

「子供たちも始めよ。卒業生たちも構えよ。今日は俺が見よう」

「大先生が!?」

「やったー!」

「平常心平常心。ありがとう旅人のお二人。今日は良き日になりそうです」

「槍、教えてあげる。変な癖ついてるみたいだから」

「ど、どうも」

「あはは、よーし、とりあえず全部放って、神の槍、見極めてやるぞー」

「よき覇気だ。貪欲に学べ。我らが槍、学ぶ意欲のあるモノには常に開かれている。ただし、妥協は持ち込ませぬ。教える以上、徹底的にやらせてもらう」

 大先生と呼ばれた老人が前に立つだけで空気が引き締まる。

「神は細部に宿る。肝に銘じよ」

 そして男の号令と共に妥協無き時間が始まった。


     ○


「ぐはー。超難しい。完璧に身体を動かしているつもりなのになあ」

「……アルフレッド殿はいいですよ。私は、本当にボロクソでした」

「あはは、ああいうのは癖っていうか個性だと思うけど。彼らの理屈では妥協で、矯正すべき悪癖なんだろうね。全員手足両利きなのは驚いたなあ」

「いえ、悪癖ですよ。左手が鈍いのは利き腕じゃないので仕方ないと割り切っていましたし、スタンスを固定していたのも同じ理由です」

「どちらかだけだと応用が利かなくなる、か。耳が痛いねえ」

「本当に、全部が正論で、きついですよ」

「そう? 改善の余地があるなら良くない? 直すだけでいいんだよ?」

 アルフレッドの言葉がイヴァンに刺さる。彼は簡単に改善と言う。実際に彼は皆からの指摘、その全てを次の動作には改善してのけていた。その呑み込みの早さは達人である彼らですら目を剥くほどであった。

『本当に似ている。あの男に』

 そのボディコントロールを見て大先生の圧がかすかに増したのを彼らも気づいていたが、指摘する勇気はなかった。怖かったのだ。

「それにしてもさすがネーデルクス。人材の宝庫だ。他の大人たちは元生徒、カリス侯爵の作品。年長者は初期型ってところか。でも、あの人は別だ。白髪交じりだけど明らかに金髪碧眼じゃない。何者なんだろう?」

「確信は無いのですが……一人、心当たりが。ありえない話、なのですが」

「聞かせて、イヴァン」

「……『黄鶯』オリフィエル様。天才と謳われた、三貴士です」

「俺の記憶では、三貴士はマルサスさんたちの世代以前は全員戦場で――」

「はい、戦死されています。記録上では。しかし、カリス侯爵は、軍医です。キュクレイン様の死後も数年、戦場に出られていた。その期間に三貴士であり、残された絵に似た人物。早逝の天才、『黄鶯』が浮かびます。『双黒』の副将にも匹敵するほどの才能とカンペアドールとも渡り合った武人で、己のパーソナルカラーである『黄』を自軍に持ち込んだことでも有名です。あと、最短の、就任期間でもありました」

「へえ、三貴士って赤、白、黒じゃないんだね」

「気になるのはそこですか。ええ、白虎、白神、白仙の影響で『白』は誕生以降一度として途切れたことはありませんし、『赤』も黎明期の達人『赤槍』がいるので歴史は長いです。それでも幾度か途切れています。『黒』に至っては『双黒』以前は一人くらいしかいなかったはずです。そもそも最も古い軍はネーデルクス軍のカラーである『青』ですし。まあ、黄金世代に倣って最近では固定ですが」

「興味深いね!」

「今興味を持つべきは其処じゃないと思いますが」

「あはは、ごめんごめん。それで、『黄鶯』の死因は?」

 アルフレッドの問いにイヴァンは答える。

「聖ローレンスに踏み込み、英雄王を前に散りました。いえ、散ったと思われていた、ですか。これは武器になりますよ。明確な国家への背信行為で――」

 その言い終わりの前に――

「背信行為には当たらぬ。俺は『あの男』に敗れ、戦士として致命傷を負った。カリス殿がいなければ死んでいたし、生き永らえても、後遺症が残ったのだ。傷ついた臓腑は完全に回復せず、長時間の戦闘行為に身体が耐えぬ。死んだのだ、驕り高ぶった愚者、『黄鶯』は聖ローレンスで、あの男の領域で」

 大先生、『黄鶯』オリフィエルが明確な否を突き付ける。

 言い回しこそ軽いが、全身が悲鳴を上げるほどに男は己を責めていた。黄金世代の名残、無理やり取り戻さんとした結果、さらに崩壊を加速させてしまったのだ。現人神をかの地から、英雄王から取り戻すため。

 届かぬ天に手を伸ばし、墜ちた。

「カリス殿を貴様らは誤解している。医家でありながら軍医として従軍し、自らも一流の槍使いとして黄金時代を、その終焉を見た御仁だ。俺に第二の道を与えてくれたのも、この村を創ったのも、全ては愛国心の為せる業。私心などない。人生全てをネーデルクスのために捧げたお人だ。若き君たちにも理解して欲しい」

「フェランテの件はどう説明しますか?」

「マーシアの連中が我らを理解せぬまま、助力と称して愚行に走った結果の産物。それを引き取り、何とか制御しようとしているが、それも叶わぬ」

「違う。金髪碧眼の民草を襲わせている理由だ」

「大事の前の小事、と言っても納得は出来まい。それでも敵がいるのだ。首を挿げ替えるために、憎しみを集め、それを討つことで皆の信を得る」

「その段取り、果たしてどれだけの人が納得しますかね?」

「我々は戦争無き世に戦争をしているのだ、若き理想家よ。戦争があれば正攻法で登り詰めたとも。それが出来る神を育てた。だが、今の世に戦はない」

「だから火種を熾した」

「そうだ。そこに関しては我らにとっても苦渋の決断。責められる道理はあろう。だが、それを民草に教える意義はない。今頃は計画を終えた頃合い。わかるな? 挿げ替わったばかりの首が揺らげば、ことはネーデルクスだけでは済まん」

「世界も、揺らぐ」

「一度燃えたなら、燃え尽きるまで立ち上るのが炎というもの。燃やしてみるかな? 君たちの手で世界を。出来まいよ、陛下もせぬ」

 計画が成った以上、世界の安定を望む限り進むべき道は一つ。ゆえにオリフィエルは、この村は、彼らを仕留めず、拘束もせず、あまつさえ槍を教える丁寧さで接した。もう彼らにとって自分たちは敵ではないのだ。

 そう、計画が成っているのならば――

(認識の齟齬、か。マールテン公爵のおかげだね、俺たちが生きているのは)

 しかし、未達だと彼らが理解すれば、全ては反転する。

(敵で無い内に――)

 情報は得た。アルフレッドは武器を求めたわけではない。全てを知りたかっただけなのだ。知って、そして彼らが出す答えを見定める。

 情報は出揃った。アルフレッドは客観的に結論を出す。

(感情論抜きであれば、どちらでもいい、かな。少し、気が楽になったよ)

 下手に弄繰り回さねば大局に影響はない。最終的には好き嫌いの話になってくるだろう。ならば其処は部外者の介在する領域にあらず。

「今日は休むといい。若者よ、明日、友として、同じ方向を向いて、同じ速度で歩けることを願おう。きっと良き明日だとも」

 この男は信じていた。黄金の夜明けが来ることを。

 それがネーデルクスのためであることを。

 彼もまた愛国者。私心なく今もって国家への愛が彼に槍を握らせるのだ。

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