夜明けのネーデルクス:それぞれの道Ⅲ

 クロードは感性の赴くままに遮二無二槍を振るう。

 シルヴィは静かに唯一人槍を見出さんと瞑想を続ける。が、たまに腹が鳴る。

 そしてディオンは――蛇を観察していた。

(……我ながら意味ない気がするなあ)

 苦笑しながらも思い浮かべるは義母との思い出。基本的に半裸、時折全裸。ケラケラ笑いながら男を囲っただのの自慢話に花を咲かせ、好きなものを好きなだけ食べて、好きな時間に寝る。本当に自由な人だった。

『お前、蛇の観察日誌なんかつけてんのか?』

『おか、フェンケさんがつけろって』

『……あたしは優しいから聞き流してやんよ。今度お母さんなんつったら百叩きだからな。つーかそんな話したっけ? 全然覚えてねえわ』

『槍の勉強になるって』

『なるわけねーじゃん』

 大股を広げてはしたなさ全開の義母、フェンケ・ラングレーは悪戯っぽく笑う。馬鹿にされているのは分かるのだが、幼心にどうにも憎めない。

『動物を模した槍なんて言っても槍は虎にも蛇にもならねえよ。そんなもん追い求めたって仕方ねえじゃん。動物になりたいわけじゃねえだろ? 強くなるためにそれっぽく取り入れてんのさ』

『……だまされた』

『ケケケ、騙される奴が悪い。覚えときな。ま、蛇は好きだぜ。あたしも』

『僕も。フェンケさんはどこが好き?』

『滑稽なところが、かな』

『こっけい?』

『格好悪いってこと』

『好きなんだよね?』

『ああ、好きだよ。地を這う怪物。翼も無ければ手足も無い、ないない尽くしで、超カッコ悪い。でもね、不器用で、出来ないことばっかりだけど、自分の領域では滅法強いってのが結構、ね。嫌いじゃない』

 彼女の眼は遠くを見つめていた。決して届かない空を見上げて、来るはずの無い獲物を見据えて哀しげに微笑んでいる。

 そんな眼が好きだった。

「お前の眼もそんな感じだね。うん、嫌いじゃない」

 ディオンを見つめる蛇の眼、どこか郷愁を思い起こさせるものであった。

「さて、いつも通りの稽古をしようか」

 ディオンはクロードのように遮二無二槍は振らない。シルヴィのように槍を振らないという極端な方にもいかない。いつも通り、決められた時間に自分で定めた分の稽古をこなす。ただ、それだけ。


     ○


 元三貴士であるマルサスとアメリアは差し入れを届けに、後輩である現三貴士の各家に赴いていた。だが、クロードのところにはマリアンネが、シルヴィの領域には侵しがたき静寂が横たわり、彼らの差し入れは未遂に終わっている。

 かつての同期であり、亡き戦友の実家であるラングレー家に顔を出そうと二人は通りを歩く。ディオンと彼らはディエースのところにいた時からの付き合いである。『蛇』として育てられていた少年はにこりともせず蛇の長である男のそばにあった。

 蛇としての教育以外、少年に関知しなかったディエースの代わりに部下であったフェンケが面倒くさそうに世話をしていたのを彼らは覚えていた。

「……ディエースさんが討たれて、名実ともに親代わり。頑として母親とは呼ばせなかったが、手を引いて歩く姿はあいつが否定するそれだった」

「ひねくれ者ですね。本当に」

「それはそうとアメリア」

「何ですか?」

「あれは、何だ?」

「……何でしょうか?」

 彼らの視線の先、ディオンを監視する不審者の姿があった。

 真昼間っから燕尾服、シルクハットを被る完全無欠の変質者である。


     ○


「手をあげてください」

「おや、これはこれは御機嫌よう元三貴士のお二方」

 アメリアに槍を突き付けられてなお、悠然と両手をひょいと上げて笑顔で振り向く。胡散臭そうな表情は誰かに、似ていた。

「気づいているのになぜ逃げなかった?」

 マルサスの問いに燕尾服の男ははにかむ。

「お腹にお子さんがいる淑女と片足が死んでいる紳士、逃げる理由はないでしょう? それに、逃げて変に警戒されるよりも腹を割った方がいいじゃないですか」

「……一見するだけで随分と」

「ネーデルクス対エスタードは意外と有名ですから。マルサスとサンス、片方は足の腱を断たれ、片方は戦場全体に轟くほどの音で相手を沈めた。現在は裏で元気にやっているようですがね。何故か最近活発になられたようで」

「怪しげな……一線を退いたとはいえ、私とて――」

「思っている以上に現役と、退いた者では差が生まれますよ」

 一瞬で、僅かな間隙を縫って男のナイフがアメリアの喉元にまで伸びていた。

「例外もいますがね」

 その切っ先を無造作にマルサスが掴む。

「貴殿はネーデルクスに仇名す者か?」

 そして、答えを待たずにナイフを握りつぶす。握力だけで刃物を制圧してのけたのだ。血の一滴も流さずに。しかも底はまるで見せていない。

「いいえ、私はどちらかと言えば、貴方たち側ですよ」

 アメリアもまた小動もしていない以上、おそらくマルサス抜きでもこれぐらいの攻撃は対処可能なのだろう。虚を突いた良い攻撃だったのに、と男は肩を落とす。

「ディオンを何故見張る?」

「雇い主が己の戦場で戦っているので、まあ、暇なんですよ」

「答えになっていない」

「……暇つぶし、そう言い訳せねば私は『見る』資格すら、ない。それだけのことです。いい親に巡り合えたようだ。とても歪んで、それなのに芯がある。ただの蛇で終わらない。あの子は成る者だ。私は成らず者、今更――」

 そう言いながら男は二人の間を通り抜ける。無造作に、彼らの虚を突いて、あっさりと警戒を潜り抜けたのだ。

「貴方は、元『蛇』、か」

「かつてはそうでした。今はフリーのしがない暗殺者ですよ」

 そう言って去る彼の背からはとても強者には見えなかった。

「……なるほど。彼が『蛇ノ牙』、単独戦力では『蛇』最強の存在でしたか」

「そのようだ。かつてアルカスでの潜入任務で没したと聞いていたが」

「生きていたのですね。寄る辺を失い、ただ世界を放浪するだけの存在。それでもなお、いえ、だからこそ、ですか。邪魔をしてしまいました」

「ああ、そうだな。今日の俺たちは本当に空回ってばかりだ」

 マルサスとアメリアはため息をつく。

 かつてこの国には『蛇蝎』と呼ばれる男がいた。彼は幾人かの部下を引き連れてネーデルクスにやってきた。この国に多くをくれた策士の駒、ガリアスのサロモンによって生み出された純粋培養の草の者、『蛇』。その出身者であるアダン、アドンと同世代であり、武力では最優の男もまたこの国にいた。

 多くの情報と引き換えに、その男はアルカスで散ったはずだったのだ。最強の暗殺者である白龍によって討たれたことで。

 彼らは多くをこの国にもたらしてくれた。

 その一つは今も此処に在る。

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