夜明けのネーデルクス:共に山頂へ
オリフィエルの変貌にユリシーズは即座に左手の護剣を引き抜く。姉に学んだレオンヴァーンでも珍しい守勢の剣。一攻一守の構えである。
最近ではほとんど使うことのなくなった剣。他者のためならばともかく自分を『守る』必要がなくなった今、この瞬間に構えさせられた。
「俺の――」
「来るか」
ユリシーズの眼に蒼い光が宿る。機を見抜き、機を掴むための真骨頂。最速の怪物、ヴォルフに可愛がられている内に高まった見切りの力。
狼に比べれば『黄鶯』の動きなど――
「――槍だ」
伸びる槍。警戒に警戒を重ねた堅守。
この速度であればどうとでも出来る。獅子は槍の軌道上に護剣を先んじて置く。触れて、勢いそのままにいなす。相手は剣を、肉を突いたつもりだが虚空を突くこととなり、勢い余って体勢を崩し、其処を断つ。
瞬時の判断。そこまでの絵図は見えていた。
だが、独特の風切り音と共に槍は護剣をすり抜けて――
「ッ!?」
ユリシーズの首をするりと削ぐ。あと僅かに深ければ、それだけで致命。
「槍が、ブレた」
護剣との接触、その寸前に槍がブレたのだ。
「俺だけの槍」
オリフィエルが軽快な動きで間を詰めてくる。ユリシーズに思考の間は与えない。妥協なき槍、老いた人間が放つ槍とは思えないが、それは先ほどまでも同じであった。違うのは到達する瞬間、槍の切っ先が揺らぐ。
「神の槍を得るために矯正した槍だ。正しさのために削ぎ落とした、俺のオリジナル。俺が『黄鶯』と呼ばれるようになった所以よ。唯の手癖だがな」
残像、ユリシーズをして初見では真贋を掴めなかった。
「手癖と言うには、どうにも殺意が高過ぎるな」
二撃、三撃、重なるほどに零れる濃厚な死の匂い。経験を積んだ者ほど己の中に在る経験則、予測をもって戦闘に臨む。この槍はそれを逆手にとって、あざ笑うかのように外してくるのだ。天才の遊び心、それが築き上げた死体の山。
間違いなくこの男は乱世に生まれ、其処で最適化された怪物であった。
「寸前での変化。手傷なしでは受け切れぬな」
「殺し切るッ!」
英雄王に負け、先生となって以降、あの若造との遭遇以外で見せることのなかった貌。戦士としての愉悦にまみれた凄絶なる笑み。殺すことが大好きだった。殺されることすら愛した。自分が最も輝ける場所。帰ってきたのだ、故郷に。
「ならば幻影までも捌き切ってみせよう!」
獅子もまた同種の笑みを浮かべた。倦怠の中に在った。高みに登れば登るほどに消えていく競合。気づけば孤独があった。全力を出して殺し合える相手は仕えるべき主君のみ。ゆえに騎士でもある男は剣を収め続けた。
抜かば、最後まで行きついてしまう。互いに。
今、己にかけていた枷を外す。
多重に揺らぐ槍。それを獅子は二つの剣を使って全て叩き落とす。揺らぐ幻影ごと、見える全てを制圧せんと牙を剥いた。
「天、獅子ィ!」
「黄鶯ッ!」
技と技の応酬。されどその色合いは大きく異なる。
片方は神の槍という技に己の技を乗せ、凄まじい相乗効果を産む。
片方はレオンヴァーンの剣技に狼に次ぐ『力』を乗せる。
「……大先生」
「勝って、ください! ご自身のために!」
「先生!」
最後の最後でエゴを見せてしまった。そんな己をまだ彼らは先生と呼び、声をかけてくれるのだ。自分がもっと早く気づいていれば、もしかしたら彼らに別の答えを与えてあげられたかもしれないのに。
「俺は、正しさを教えてやれぬ」
オリフィエルの口の端から血が零れだす。とうの昔に限界は超えた。もう二度と立てぬはずだった戦場に戻ってきたのだ。『先』は捨てている。
「だが、三貴士は教えてやれる」
彼らは背中に偉大なる三貴士、『黄鶯』を見る。
「俺を見ろ」
最後の授業。あれほど丁寧に、根気強く教えてきた男が、最後の最後で見せた不器用な見取り稽古。見て、覚えろ。見て、真似ろ。見て、盗め。結局自分も古い人間であった。連綿と続いてきたネーデルクスの槍、その継承に使われてきた古い言葉。正しくはないだろう。遠回りでもある。されど、死の淵に立ち思う。
遠回りも悪くないのだと。
「決着をつけよう」
「勝って死ぬ。出来た生徒に囲まれて、くく、最高の贅沢だ」
短い戦闘であった。瞬く間であっただろう。
それでも最高のひと時であった。
「俺の生涯、全てをこの一突きに!」
戦場を失って長い時を得た。長き時によって神の槍を得た。神の槍によって俺の槍はさらなる高みへと達した。何も失っていない。全てが『今』に繋がっている。ならばきっと、この『今』は『明日』に繋がっているのだろう。
「俺も最高にて応えよう!」
獅子の戦歴は輝かしいものではなかった。挫折と苦難の連続、高みに立った時には乱世は終焉。最後の牙は届かなかった。
それでも獅子は悔いていない。全てが自分を高めてくれた。自分は恵まれている。昨日のおかげで『今』、強くなれた。『今』、この瞬間によって『明日』はさらに強くなる。何処までも、凛として在れ。
あの美しい人のように。
「来い。これが俺の最強だ!」
熱き血潮を真紅に燃やせ。
獅子の腰には三振りの剣が提げられている。一振りは兄の遺品。もう一つは先ほども抜いていた左手の護剣である。そして三振り目、最近得た新たなる牙。彼が知る最高の名工に頼み込み手に入れた最初で最後、一度きりの戦争で用いられた剣。
封じられていたリウィウスによるリウィウスのための剣である。
それら全てを納め、獅子は低く構えた。手をクロスさせ、柄を握りしめる。
「……居合い術、か。くく、懐かしいな。身の程知らずにも太陽に向かっていった男を思い出す。あれも俺も、心底戦場が好きなのだろうな」
オリフィエルもまた死力を注ぎ込み――
「今、貴様を超えるぞ、英雄王ッ!」
その槍を放った。
天才、その重圧と祖国への愛によって英雄王に仕掛け、彼の領域に踏み込み逆鱗に触れた。戦場で見る英雄王が全てであると思っていたからこそ、あの日は見誤った。だが、今日は見誤らない。まさに今、あの日を超えて――
槍がブレる。神の槍によって得た最短最速。其処に己の色を乗せ、新たなるカタチを産む。天才の生涯最高の一撃は、一撃にあらず。
殺意を乗せた三つの突き。手癖とフェイント、それが真を帯びた幻影を生み出す。究極の三連撃。手癖が生み出す幻影、その時間差が奇跡的な軌跡を産んだ。
同時三連。『黄鶯』の頂。
「見事」
獅子は見た。技の究極を。戦士の到達点を。
あの男が自らの山を登り切った瞬間を、見た。
ならば、己も示そう。己が到達点を。
(誰よりも深く、何処よりも遠く。彼岸の、先へ!)
究極の集中状態。その薄皮一枚、浅瀬でさえ人はゾーンと呼び普段以上のパフォーマンスを発揮することができる。全の彼岸とはさらなる深みへと至るモノ。深く、深く、個の深淵に至りて知る。全と一は極端であり、同一なのだと。
知らば戻れない。世界と繋がってしまえばそれはもう人ではない。ゆえに獅子は一歩手前で足を止める。これでも充分過ぎるほど深みに至った。
(見えたッ!)
幻影が幻影を産み、無数と化した突きの真贋を見切る。今までにない深み。それが究極の一点を獅子に見せる。
その刹那に獅子は一人の美しい女性を見る。凛として咲いた一輪の彼岸花。気高く、美しく、愛に溢れ、その技に見惚れた。その愛が自分に向けられることはなかったが、淡く、苦い初恋として今も胸の中に在る。
自分の始まり。
凛。
そして今日、獅子は一つの終着点に至る。
「……くく、これが、天獅子か」
蒼く、そして紅き刹那の斬撃。誰もがオリフィエルの勝利を確信した瞬間、全てが覆っていた。咲くは美しき十字の華。『黄鶯』珠玉の槍、その速度と獅子の見切り、何よりも獅子の双牙、見よう見まねで辿り着いた『彼女の技』が、この異様を産んだ。
獅子の居合い、腕をクロスさせバツ印に沿って槍が綺麗な断面を見せる。槍の華、古今東西誰も見たことがない、誰も再現しようがない絶景。
「絶技也」
オリフィエルは満足げに微笑み――
赤き花弁が舞い乱れる。
「感謝する。今日、初めて俺は自分の到達点を知った」
これを主君に向けるわけにはいかない。刹那ですら凄まじい負担を強いる究極、容易く試すわけにもいかない。そもそも試す相手がいなかったのだ。
今、この時を除いて。
「嗚呼、俺にも見えるぞ。別の山を登り、俺より高みに立つ若造の姿が。されど、俺は俺が間違った山を登ったとは思っていない。胸を張って言えるとも。これが俺の槍だ、と」
崩れ落ちた黄金時代の名残、早過ぎた天才は遅過ぎる終わりと共に戦場にて散る。ずっともやもやがあった。ベッドの上で死ぬ、終わる自分に。
「大先生!」
「オリフィエル様!」
駆け寄ってくる生徒たちを見てオリフィエルは微笑みを深めた。
本当に自分は恵まれている。小さくとも充足した戦場で、自分には出来過ぎた子供たちに囲まれて終わりを迎えられる。これほど幸せはことがあるだろうか。
間に合った。今はその感慨だけが胸に沁みる。
「子供たちよ、俺の真似はするな。分かるな、意味は」
「はい。分かっています」
「なら、いい。偉大なる神が残した基礎、その上にお前たちだけの絵を描け。遅過ぎることなど、ない。俺で間に合ったのだ。お前たちならば早過ぎるくらい、だ」
「……はいッ」
「満ち足りた。俺は、充分だ。ユリシーズ殿、無理を承知で、願う。ネーデルクスには手出し無用。どう転んでも、きっと悪くない答えが出る。世界にとっても、ネーデルクスにとっても、ゆえに、頼む」
「もとよりそのつもりだ」
「感謝する。俺は、強かったか?」
「過去、全ての敵の中で最強であった」
「そ、う、か――」
充足の中、黄金時代の名残が逝く。生徒たちに抱かれながら、戦場に散った彼は幸せそうな笑みを浮かべていた。
心の底から求めていた終わりを迎えられたのだ。
「大局に差し障り無い以上、あの子にはこの光景を見せるべきであったかな」
「否だ、騎士王。この戦場はどこまで行っても個でしかない。世界の分岐点である、中心の観測者である方が少年には有意義であろうよ」
「謙虚であるな」
「謙虚なものか。我が王があの男に敗れた時点で、英雄の時代はとうに終わっている。これは、嗚呼、まさに名残なのだろう。心地よいからこそ、そう思う」
ユリシーズは苦笑して天を仰いだ。獅子の金髪、そのひと房が蒼く染まっていた。それがどういう意味を持つのか。
今、その答えを持つ者はこの地上に存在しない。
「好き、戦いであった」
世界の片隅にて行われた小さな戦争、勝者はユリシーズ・オブ・レオンヴァーン。天獅子の双牙が黄鶯を断ち切った。世界には何の影響もなく、大局には何ら作用しない戦いであったが、観測者がいて繋ぐ者がいる限り無意味ではないだろう。
そこにどんな意味が生まれるかは、随分と『先』の話であるが。
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