夜明けのネーデルクス:ブルシーク家
マールテンの屋敷に集うはこれまた風変わりな面々であった。
家主のマールテンは鋭い目つきをしている女傑、もといヘンドルクス夫人を前にびくびくしており、それを見てルドルフは爆笑しラインベルカにグーで殴られて泣く。アルフレッドはイェレナと今日一緒に読んだ本の話しをして、その様子をちらちら眺めるイヴァンとそのイヴァンをちらちら眺めるハンナ。
それら全てを見ながら、こっくりこっくりまどろみつつあるアークはさすがに御年なのか夜に弱くなっていた。本人は頑として認めないが。
「……何故増える?」
「まあまあ、旅は道連れ世は情け、だよ」
ルドルフの発言にプルプル震えるマールテンであったが、夫人の前ではどうにも歯切れが悪いのかいつもの辛辣な返しは無かった。
「申し訳ございません、マールテン公爵閣下」
「う、うむ。礼儀が成っておるのは良いことだな、良い心がけだぞ」
普段、礼儀の成っていない者(主にルドルフ)を相手取っているため、礼儀作法がきっちりしている相手に戸惑いを覚えてしまうようになっていた。
重要である。
「それで、貴様らはこれからどうするつもりだ?」
「ぐう」
「俺たちは情報収集に徹しようかと。まずは敵を知らないことには始まりませんし、フェランテと繋がりがある以上、人道的に真っ白、ではないでしょうから」
「……ぬ、なかなか賢いではないか。ところでいいのか、騎士王殿が」
「良いんですよ。もうお爺ちゃんですから」
にっこりと微笑むアルフレッド。
「ぐぬぅ。お爺ちゃんっ子とは……ええい、必要なものがあるならば言え。用意してやらんこともないぞ。出来るものだけだがな!」
自身もかつてはお爺ちゃんっ子だったことを思い出し、ほろりと涙が流れそうになるマールテンであった。郷愁にも存外弱い男なのだ。
「ありがとうございます、閣下。何か思いつきましたらご相談させて頂きます」
「うむ」
「んじゃ、アルっちは情報収集担当ね。問題はイヴァンとハンナちゃんだけど」
「ハンナさんは私が診る。患者さん」
「……イェレナさん」
医者としてハンナの貌を診るとイェレナは張り切っていた。女の子の貌を傷つけるなんて許せない。少しでも薄くして傷痕を目立たせなくしてみせる、と使命感に燃えていた。エスタード、ネーデルクスと遊んでいたわけじゃないと「ふん! ふん!」と鼻息荒く若干、患者であるハンナが引くほどのやる気を見せる。
「我は少し別行動を取らせてもらおう。万が一のために、な」
「ぬう。騎士王殿が共に戦ってくれたのであれば百人力なのですが」
「なんの、我如きでは役に立たぬ。そもそも我らが表舞台に立つこと自体、ネーデルクスにとっては望むべき道筋ではあるまい。思うが儘に進めばよい。己が正義と信念、貫き通せたならば後悔はなかろうよ」
アークはそれきりまた目を瞑る。そして数秒もしない内に「ぐご」といびきをかき始めた。最近呼吸がしづらくなったと一人ごちるアークを物陰でイェレナが聞いたそうな。いい御年である。
「んじゃ僕らは待機ね」
「宜しいのですか?」
「果報は寝て待て。動くべき時に動くさ」
「ふん、小僧に動くべき時などあるものか」
「あるさ。そのために僕は此処に戻ってきたんだから」
お茶らけた眼でなく、シリアスな光を湛えた眼を見て、マールテンは押し黙る。彼もまた己が役割を見出してここにいるのだろう。
己もまた、同じく。
「私は、どうすれば?」
「イヴァンさんは俺と一緒じゃダメですか?」
「い、一緒ですか?」
「ネーデルクスのことを俺はまだまだ知らないですし、当たり前の中にも引っ掛かりはあるかもしれませんから。イヴァンさんさえ良ければですけど」
「か、構いません。私で良ければ是非」
「ありがとう」
「ただ、一応ハンナともども生存の報告はしてこようかと」
「ああそうだね、それは先に――」
「あ、待って待って」
アルフレッドとイヴァンの会話を遮ったのは、ルドルフであった。
「イヴァンとハンナ、二人は行方不明のままでいてもらう。敵にとっては見えない方が怖いでしょ? それにヒントは今宵で十分出揃ったんだから、それで解いてもらおうか。折角なら今の三貴士ってのも測っておきたいからね」
クンラートが見定めた時代の柱。ルドルフは彼らを直接測ったことがない。この局面で表舞台に立つ彼らがどう動くのか、見定めたいと思ったのだ。
自分たち黒子がどう動こうと、舞台を動かすのは彼らなのだから。
「敵を見抜けるか。敵の敵に飛び込む勇気はあるか。それとも開き直って自らの槍を高める道を選ぶか。右往左往するだけってのはやめて欲しいけどね」
簡単な試練。抜けられぬようならばクンラートの見込み違いであったというだけ。マールテンを落とすぐらいの甲斐性は欲しいところ。
「さあ、楽しんでいこうか」
ルドルフ号令の下、一同動き始める。
「その前に就寝時間です。とうの昔に」
「……しっかり睡眠をとってからね」
ぐっすり寝た後で――
○
「――なるほど」
半日ぶっ通しでの質問攻めにイヴァンは目を白黒させていた。
アルフレッドの問いは多岐にわたる。名前、年齢、住所に友人関係。今までの経歴。所属していた組織の概要に、其処から派生してエル・トゥーレの自警団や槍術院のことなども詳しく掘り下げてくる。隣でイェレナの治療を受けているハンナともども、怒涛の質問攻めに圧倒されてしまう。
「面白いお話が聞けたね」
「私に同意を求めているのならごめんなさい。あんまり興味なかった」
「……治療中のイェレナは結構明け透けだからね!」
「そ、そうですか」
早朝から薬問屋を駆け回り、集めに集めた各種薬草と鯨の肝油等々。特に肝油はマーシア以北で盛んに行われている鯨漁の産物で、塗って良し、食べて良し、と万病に効くとされていた。それをキール家秘伝の配合で薬草と共にすり潰す。
これでもかとすり潰す。ゴリゴリゴリゴリすり続ける。
鬼気迫る迫力のイェレナであった。
「じゃあ俺たちもやるべきことをしましょうか」
「やるべきこと、ですか?」
「うん。今までの情報とイヴァンさんの情報で、一点、繋がったらいいなって思いまして。無理を承知でご紹介いただけたら、と」
「紹介? 私が?」
「ええ、もちろん。イヴァンさんのご実家を」
「……え?」
イヴァン、またしても目を白黒させる。
○
イヴァン・ブルシークはあまり実家が好きではなかった。誇れる仕事ではないと思っていたし、どこまでいっても付きまとう武家出身ではない、という壁も生まれのせいだと子供の頃から感じていた。
実際に槍術院でも差別はある。それ以前の町道場でも同じこと。武家かそうでないか、序列は明確にあった。イヴァンはそれを実力でねじ伏せてみせたが、それでも陰口を叩かれていたことは嫌でも耳に入っていた。
商家の出。武人としては拭えぬ汚点。
「イヴァン! 無事だったのかい!?」
「ええ」
「あはは、よかった。本当によかった」
人のよさそうな父親。実際、父は自分を愛してくれているのだろう。跡を継がないと言ってなお、イヴァンの好きにしていいと言ってくれた理解者でもある。母も同じ、いつだって自分は満たされていた。
それもまたあの三人を見るとコンプレックスになってしまうのだが。
「それで、こちらはどなたかな?」
「私はアルフォンスと申します。所属は訳あって話すことは出来ませんが、イヴァン様の部下と思って頂ければ結構です」
「なるほど。いつもイヴァンがお世話になっております。ブルシーク家当主、イーフォ・ブルシークです。息子ともどもよろしくお願い致します」
物腰柔らか、かつ下手に出てくる感じにアルフォンス、もといアルフレッドは商人としてイーフォを分類する。スポットでの商権であれば厄介な手合いではないが、長期で見た時この手のタイプは強いのだ。
商売にも戦と同じく攻守がある。攻めるためには未知に踏み込む勇気と相手を喰らう力が要る。守るためには辛抱強く事に当たり時にはぶつかりながらも相手に信頼され続ける継続力が要る。商売は基本的に攻める方が強く、守る方が難しいとされており、彼は後者に秀でているように見えた。
同時に商権を奪い合うシチュエーションであれば怖いとは思わないが、彼が守る商権には手を出したくないな、とアルフレッドは思った。
「父上、早速で申し訳ないのですが、一つ、お願いがございます」
「イヴァンが私に、か。珍しいこともあるものだ。何でも言っておくれ。出来ることならなんでもしよう。父親としてたまには役に――」
「商品の帳簿を見せて頂きたい」
イーフォの貌が一気に曇る。
「……金髪碧眼の『商品』、のことかな?」
「……はい」
そう、イヴァンの実家、ブルシーク家の生業とは人買いであったのだ。ただし、頭に高級という文字がつく、豪商、貴族向けの商売である。
各地で高級品を買い付け、金持ちに高く売る人材屋。メインの収入は少年少女、特にブルシーク商会は少年に強いと、とある界隈で評判でありそれなりに太い客も多い。人は賤業であると言う。イヴァンもそう思っていた。
だが、アルフレッドは首をかしげる。
『そこに需要があって供給があるなら立派な仕事じゃないかな』
とても合理的で平等な見方。
『どんな仕事でも消耗するよ。身体を売るか、頭を売るかの違いさ』
こんな彼だから色々と話してしまった。普段、誰にも話すことのない家業の話も。彼の見解を聞きたくなったのだ。新しい価値観に触れられるかもしれないと思ったから。
「……イヴァン、私は父である前に商会の長だ。商品の情報には少なからず、顧客の情報も含まれている。身内であってもそれを開示することは、商人である私には出来ないんだ。これは信頼の問題、目先のお金よりも大きな話だ」
「わかっているつもりです。私も商家の出ですから」
「なら――」
「私が家を継げば問題ないですね?」
「……なっ!?」
イーフォも、そしてアルフレッドも驚愕のまなざしでイヴァンを見つめる。事前の打ち合わせでは、国家存亡の危機であること、魔人フェランテの手掛かりが、等々、ゆっくりと多方面から攻め立てるつもりであった。
しかし、イヴァンはいきなり大きく踏み込んだのだ。
「イヴァン、自分が何を言っているのかわかっているのかい?」
「ええ、もちろん。今の立場を、槍を捨てる覚悟で私は此処にいます」
イヴァン・ブルシークはずっと迷っていた。当たり前のように槍を振るい、壁の前で立ち往生している中、ずっと、これでいいのか、と自問自答していたのだ。答えは出ていない。今もって答えは見えていない。
だけど、あの日、自分は理想の王に出会った。黄金の王、気高く触れ難き存在。次に出会った彼は状況、場所の違いからかとても緩く感じられたが、其処から湧き出る自由さに惹かれたのも事実。役に立つならば槍を置いてみるのも一興。
そうしてこそ見えるモノもあるかもしれない。
何となく新しい道に踏み出したい欲求と状況が、合致した。
「……わかった。少し、待って欲しい」
「もちろんです、父上。行きましょうか、アルフォンス。私の部屋にご招待致しますよ。と言っても私自身久方ぶりですが」
その不思議な合致が、次の展開を生む。
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