夜明けのネーデルクス:北へ
「……地下へ案内しよう」
イヴァンの私室で待機していた二人にイーフォは声をかける。
おそらく、本当に知られてはまずい情報は今の間に隠匿したのだろう。どの商会にもグレーゾーン、ないしブラックな側面は存在する。完全にホワイトな商会など存在しない。だが、在るのと知られるのでは天地の差。
それらは隠した、もしくは見えなくした。
(おそらく、俺たちが知りたい取引記録に危うい部分はないはず。カリス侯爵の人となりは聞いているし、完璧主義者であるとするならこんな部分で下手な手は打たないはず。無駄に悪意を撒き散らす獣に長年暗躍し続けるのは無理だ)
アルフレッドはその部分に興味はなかった。ブルシーク商会が人買いのどこからどこまでの部分を担っているかで、黒い部分は変容してくるだろうが、たとえ真っ黒であったとしても売り手がいて買い手がいる以上、咎めるべきは社会そのもの。
「こちらに帳簿は保管してあります。埃っぽいのでお気を付けを」
イーフォが開いた扉の先、其処には大量の書物が保管されていた。
情報の山、商会そのものを表す夥しい数の記録。
「ネーデルクスにおいて金髪碧眼の少年少女は人気が高い。それなりの量になることは覚悟して頂きたい。目的の情報まで辿り着けるかどうかは――」
「ありがとうございます。こちらの並びは年代別、でいいんですよね」
「え、ええ」
「充分です」
そこからはまさにアルフレッドの独壇場であった。本当に読んでいるのか怪しく思えるほどの速読。ななめ読みと言っても限度があろう。それでも彼は一冊、二冊と読破していき、その中でピックアップすべき金髪碧眼の商品、取引記録を暗記していく。それもまた怪物的所業。普通ならばピックアップして書き出していくところを、彼は時間の無駄と切り捨てて全て脳内で処理することとした。
「……イヴァン、私はね、長いことこの業界でやってきて、多少なりとは人を見る目がついたつもりだったよ。自信もあった。だが、彼は見抜けなかったよ。笑顔の下にある怪物性を。彼は知識の獣だ」
好きこそものの上手なれ。彼は自然といつもの笑みではなく、時折戦闘中にも零れる歪んだ笑みを浮かべていた。知識という点を収集し、今持っている別の点と繋げていく。そして生まれた形に彼は快感を得るのだ。
「いったいどういう育て方をしたら、あんな子が生まれるのだろうね」
イーフォの口調、その響きは決して肯定の色ばかりではなかった。彼を造った人間はきっと彼を溺愛していたのだろう。自分の持てる全てを、思考する基礎を幼少の頃から生きる術として教え込んだ。愛ゆえに徹底的に、愛ゆえに疑問を抱かせぬよう自然と、彼は他の者とは違う視点を得てしまった。
箱庭が産んだ怪物。閉じられた環境で人とは違う『当たり前』を染み付かせてしまった。不器用なのだろう。そして、親子そろって怪物なのだろう。
イーフォは記録というつまらない情報を貪り喰らう少年を見て、恐ろしく思うと同時に少し哀れに感じてしまった。彼はもう、引き返せないところまで来ている。彼の思考回路はもはや余人の理解できる範疇にない。
人と違う視点を確立させてしまった以上、彼にはもう普通の生き方という道は残されていないのかもしれない。
「完璧主義、ゆえに足跡は残る」
怪物は静かに笑みを浮かべる。
ぼんやりと形が見えてきたから――
○
まる半日近く、気づけば皆が就寝している時間まで飲み食いせず彼は情報を凄まじい速度で踏破してみせた。この商会の歴史がぺろりと飲み込まれた形。
イーフォは苦笑するしかない。
「彼にはいくつかのルートがあるみたいだね。でも、北へ送られているのは見て取れた。時折、別の方面へ送ってもいるけど、金髪碧眼じゃない子での匂い消しや、彼の意に沿わなかった子だったんだろうね」
「やはりブルシーク商会が――」
「窓口の一つだよ。たぶん。三十年は遡ったけれど、彼が関わったとみられる案件は四十二件。内、四件が不成立。七件ほど匂い消しがあったし、時代もまちまち。いくら何でもこの試行回数じゃ少な過ぎるよ」
「……驚いた。私の見立てとほぼ同じ、か」
「やっぱり知っていたんですね。埃っぽい空間でしたが、その割りに帳簿が綺麗でしたので、おそらく最近閲覧したのかな、と思ってました」
「顔剥ぎの魔人、息子が条件に適合している以上、調べないわけにはいかなかった。私の大事な息子を私の生業が元で傷つけてしまったら、本末転倒だからね」
イーフォの言葉にイヴァンは複雑な表情で俯いてしまう。愛されるということもまた彼のコンプレックス。恵まれているから勝てない、などと理由を探してしまう自分も嫌で、だから寄り付かないようにしていたのだ。
「直接買い付けに来ていたのですか? 意外と不用心というか」
「違いますよイヴァンさん。さすがに其処まで抜けていない。でも、一度も目を通さずに、ということはしなかった。ブルシーク商会が扱っているのは高級品だ。商品によっては健康状態が良好であるという保証書も必要、ですよね?」
「本当に君は、あの速度でちゃんと見ていたんだねえ」
「健康であるという証明書、関わっていると思しき案件には全てカリス侯爵が運営する病院の名があった。医師はまちまちだったけど、当然その裏には彼がいるはずだ。あくまで推論の域は出ない。確証を残すほど彼は愚かではないから」
それでも推論を基に式を組み上げ、解き明かすことは出来る。
「そ、それでどうされるのですか? カリス侯爵が動いていたという形跡は見つかりましたが、それだけで摘発するには少し心もとないかと」
「え? 嫌だなあイヴァンさん。確かめに行けばいいじゃないですか」
「確かめに? まさか」
「はい。北へ向かいましょう。いくつかのルートでも最も件数が多かった『凍土調査財団』とやら、その活動拠点が怪しいかなって俺は見ています」
「……ネーデルダムを離れると? 今この状況で?」
「ええ。急がば回れ、ですよ」
イヴァンは少年の腰の軽さに改めて衝撃を受けた。この激動する局面で、盤面から離れる勇気。ともすれば状況が最悪な方向で収束してしまう可能性もあるというのに、彼は熟考しない。否、すでに並列して済ませている。
今ある情報で出来ることをやる。精査は済ませた。ならば迷う時間は無駄以外の何物でもない。徹底して合理、ゆえに無駄はなし。
○
「へえ、一日で其処まで辿り着いたんだ。偉い偉い」
「あはは、つきましては北方へ行く許可を頂きたいと思います」
「好きにしたらいいじゃん」
「一応我らのリーダーはルドルフ様なので」
「んへえ。底意地悪いなあもう。そーいうの僕嫌いって分かってて言ってるでしょ」
「情報、掴んでいるのに教えてくれないリーダーよりマシです」
鉄壁の笑顔を浮かべるアルフレッドに「べえ」と舌を出して威嚇するルドルフ。どちらが年上なのかわかったものではない。
「ルドルフが何年もかけて掴んだ情報を一日で到達されて拗ねているんです」
「ハァ? この馬鹿、あほ、間抜け、垂れパ――」
豪速でラインベルカの拳がルドルフの頬に突き立った。真っ直ぐに吹き飛び壁に叩きつけられるルドルフ。いつからだろうか、主従がこうなってしまったのは。時は怖い、そして子供を得た母は強い。
「き、気絶してますが」
「日常茶飯事です」
「……少しだけ同情しそう」
「言葉にはお気を付けを。アルカディアの王子」
絶対に聞こえないと思ってつぶやいた言葉であったが、少年はラインベルカの聴力が普通ではないことを失念していた。揺らぐと意外にうっかりさんなアルフレッドである。そのうっかりのせいで鋭い殺意が向けられた気がするが――
「ただ、辿り着いたとしても動けるかどうかは別の話です。かつてのネーデルクスは、いえ、世界全体は、小石一つの動きで破裂寸前の状況でした。東方の雄アルカディアが動けば西のエスタードまで連動する始末。白騎士、蒼の盾率いるアルカディア、同盟国とは言え歴史上険悪であるエスタード、そして四方で暴れ回る戦女神率いるアークランド、三方が睨みを利かせる状況下では青貴子をネーデルダムから動かすわけにはいかなかった。国内の問題もありますので尚更です」
「でしょうね。だからこそ、俺たちみたいな動ける駒が動かなきゃ、ですね」
「よろしくお願い致します」
恭しく頭を下げるラインベルカ。この姿を主に見せたくなかったから意識を刈り取ったのではないかと思ったが、それにしてはやり過ぎだろ、と少年は内心思った。子を持つ女性は怖いのだなあとしみじみアルフレッドは思う。
それを真に理解するのはもう少し先の話であるが。
○
「……楽しそうだねぇ」
アルフレッドたちが去っていき、残された片割れがむくりと起き上がる。
「そう振舞っていますね。終わりが近いことは常に頭の片隅にあります。そういう歪な心音がしますから、彼の中には。覚悟と揺らぎが共存している」
「嗚呼、本当に頭が上がらないね。あの親子にはさ。王なんて人柱だ。誰だって其処に至った者は後悔する。頂点には、本当に何もないんだ。何をも無い所を切り拓いていくのが王の役目だからね。地獄だよ、一番の地獄は、誰もそれを理解してくれないことだ。美味いものが喰える、いい女が抱ける、酒が、金銀財宝が、ハハ、何の慰めにもならねえよ。孤高の、孤独の、その冷たさの前には」
「……後悔していますか?」
「投げ出したこと? いや、微塵も。ウィリアムっちだってアルっちだってさ、投げ出せるもんなら投げ出したいはずさ。僕が本物だったなら、ヴォルフっちの時代だったなら、アポロニアが矜持を捨てられたなら、何度も繰り返し考えているって。当然なんだ。それは当然の思考さ。だから、尊敬する」
「頂点に立ち続けることを」
「損な役回りをやってもらっている。そのおかげで僕たちは人を謳歌できるんだ。足を引っ張らせる気はないよ。それぐらいはさ」
「その割りに介入が手緩いようですが?」
「馬鹿たれ。カリスの件で僕が大きく手を貸したら、それこそ終わり、だ。何のためにマールテンっていう劇薬を残したと思っている? 僕が見逃がし、ウィリアムっちも残した。マールテンも、カリスも、だ」
「どちらも必要だと?」
「僕はそう思っているよ。敵ってのは必要で、信念を持つ者は強い。敵にも味方にもならない足を引っ張るカスに比べれば、利用価値は桁外れだ」
「利用できるかどうかは別として、でしょう?」
「利用できないならそこまでさ」
「であれば何をされますか?」
「だからやり残しって言ってるじゃん」
ルドルフは夜空を眺めながらへらへらと笑う。
「その槍を使って?」
「使わなければそれに越したことは無いけどねえ」
部屋の隅に立てかけられた無骨な槍。何の装飾も施されていないシンプルな造り。それでもかつての己であれば振るうことも出来なかった。重たいし『筆よりも重いものは持てない』とは己の格言である。
「地に墜ちて大変だったけど得たものはあるんだ」
二人で旅をして、山野を駆け巡り、賭けに負けて全裸、無一文で街を逃げ回った。好きな時に寝起きして、お金が欲しくなったら絵を描いてその場を凌ぎ、喉の渇きをいやすため澱んだ川の水を飲んだら当たり前の如く腹を壊した。
そんな泥にまみれた幸せな時間を得られた。
「ええ、そうですね」
天地知る男はあの日から一度も感謝を忘れたことは無い。
○
そして時は今へと至る。
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