夜明けのネーデルクス:伝達者たち

 マールテンは青筋を浮かべながら静かに激怒する。

 少しは改心したかと思えば、結局根っこが図々しい生き物なのだ、青貴子ルドルフ・レ・ハースブルクという男は。

「ここ僕の部屋ね」

「私は同室で構いません」

「えー」

「何か文句がございますか?」

 あの別れの後で普通、即座に屋敷へ訪れて平然と居座る者がいるだろうか。常識的に考えてありえない話である。居場所がなくなって仕方なく、頭を下げてというのならばわからなくもない。マールテンも鬼ではないのだ。

「あ、どうもです」

「ガハハ! よい拠点であるな」

「あの本面白そう」

「…………」

 何故彼らは一様に、まるで仲間なんだからみたいな接し方をするのだろうか。あまつさえ騎士王はこの屋敷を拠点と言った。言ったのが騎士王でなくば吼えて叫んで追い出しているところである。

「騎士王アークとお見受けする」

「うむ、如何にも」

「……貴殿の活躍を記した蔵書があってな。署名をいただきたく」

「構わぬぞ。我如きの署名に価値があるとは思えぬがな」

「何をおっしゃるか。かのガルニアスの大進撃が憎きエスタードに大打撃を与えたのは記憶に新しい! 彗星の如くローレンシアの大地に現れ、次々とエスタード軍を蹂躙し、豪烈、烈鉄、数々の猛将を寄せ付けず王手までかけられた。偉業であろう。たとえ道半ばとはいえ、誰もが成し得ぬことをされたのだ!」

 マールテンは騎士王のファンでもあった。

「……最後に躓けば愚将であるよ」

「そんなことなどあるものか! 私は――」

 アークの偉業を熱っぽく語るマールテンに、語られている当人は困惑しつつ、周囲は引っ越し作業を粛々と進めていた。

「アークさんって凄い人だったんだ」

「結果だけが全てじゃないんだよ、この世界は。記録では敗軍の将だけどこうして記憶に残る人っていうのもいるんだ。凄い人だよ、本当に」

 驚いているイェレナにアルフレッドは静かに語りかける。

「でも、記憶の伝達は精々一世代、それすら繋いだ方。それもまた真理、だ」

 ぼそりとつぶやくアルフレッドは何を思うか――

 その様子をよそにマールテンはどんどんデッドヒートしていく。

 暗躍するための拠点に不法侵入し結果として居座るチームルドルフであった。


     ○


 時は少しずつ今に近づいていく――


 闇夜のネーデルダムにて膝を屈するは天才、イヴァン・ブルシーク。

 茫然とした顔でイヴァンは俯いていた。引き離されていく背中に天才の鼻っ柱は砕け、一から研鑽を積んだ。ティルザに土下座し、一切の手抜きなく基礎を叩き込んでもらった。出来ることは全部した。

 まだ完全に諦めたわけではない。

 いつか――そう思っていた心が今、砕け散っていた。

「これが、才能の差、か」

 ぽつりとこぼした心の声。折れた心情を吐露する。

「ノン。それはとても的外れな感想です」

 それを否定したのは敵であるシャウハウゼンの名を騙る女性であった。

「貴方のそれは努力不足です。学んだ槍が間違っていただけ、速度を求めるのは良いのですが、それで力を、曲線を捨てるのでは本末転倒。貴方の槍は妥協に満ちている。神は妥協しません。ゆえに神の槍なのです」

 金髪碧眼の女性は優しく微笑んだ。

「その不完全なる槍で神を相手にここまで食い下がった貴方は十分才人です。惜しむらくは誤った槍を、山を登ってしまったこと。残念でなりません。私たちと同じ山を目指していれば、今頃貴方がシャウハウゼンであったかもしれないのに」

 努力不足、あれだけ磨いた己が槍をしてそう言い切る彼女に、一切の嘘やおべんちゃらはなかった。だからこそイヴァンはゾッとする。彼女はいったいどれほどの修練を積み、此処まで至ったのだろうか、と。

 その厚みに、絶対の確信に、イヴァンは憧憬の念すら覚えてしまう。

「残念ですが、終わりにしましょう。妥協なき槍にこそ神は宿る。貴方の偽物を私が破壊します。安心してください、貴方のような哀れな存在を、私たちが無くしましょう。ここに正解がある。迷うことなど、もう必要ないのです」

 槍が美しき軌跡を描く。

 イヴァンにとっては絶望のひと槍。もはや彼に抵抗の意思はなかった。

「さようなら」

 一瞬、彼女の眼に影が映った。されど彼我の距離は開いている。己が槍であれば十二分に余裕をもって仕留められる距離。ゆえに神を妨げるモノなし。

 神が雷を穿つ。

 だが――

「失敬」

「……死神の」

 神が確信を持って射抜いた槍を、死神が埒外の速力で追いつき刃を仕込んでいた杖を突き立て止めていた。

「美しき少女の願いによって助太刀いたします、イヴァン・ブルシーク」

「ラインベルカ、様。何故、いや、何でここに――」

 イヴァンが問いかけるよりも早く、神と死神が超常の打ち合いを始める。美しく万人に畏敬の念を抱かせる神の槍。澱みなく、流麗なるその槍は体感時間すら歪ませる。技に秀でているのは間違いなくシャウハウゼンを騙る女性。

 死神の槍はそれに比べて粗が目立つ。見比べてしまうと雲泥の差。澱みがあり、各所につっかえが見受けられる。が、単純に速い。そして強い。

「こんな不細工な槍に、この私が」

 それ以上に彼女を苛立たせる何かがこの槍にはあった。

 ちらちらと垣間見える何かが。

「ハンナは無事です。貴方もお逃げなさい。ここは私が受け持ちます」

「随分と余裕を見せますね」

「それなりに」

「……許し難し!」

 さらに神の槍が鋭さを増す。ラインベルカが一瞬、『目算』を誤るほどそのひと突きは筆舌に尽くしがたき速さと強さを秘める。

「その身体で、よくぞこれほどの威力を」

「これが技です。そちらこそ初見でよくも我が必殺をかわしてくれましたね」

「私は四感で視ていますので……ふふ、見えていた頃ならば今ので死んでいましたか。白騎士は私たちに贈り物ばかりくれますね」

 速さと強さを兼ね備えてこそ神の槍。四つの要素と大地を合わせた五つを極めた先に頂くシャウハウゼンが、キュクレインが残した本物。

「高き鐘の鳴るところへ赴きなさい。其処に貴方の運命がある」

「私の、運命?」

「ただの勘です。まあ、そうでないにしろ邪魔なので。きつい言い方ですが、さすがにこのレベルを相手では守りながら戦える自信がない。今をもって私は守る戦いが上手ではないのです。ご配慮願います」

「……わかりました」

 立ち上がったイヴァンは振り返らずに走り去っていく。

「追わずとも良いのですか?」

「もはや贋物に興味はありません。私が討つべき相手は目の前にいますので」

「……ふふ、やはり見えていない。終わった存在である私よりも、彼の未来の方がよほど影響力は大きい。それを解さぬならば、その槍に、強さに、何の意味もありません。唯一人の強さなど、世界にとっては一握の砂。世界は広いですよ」

「シャウハウゼンこそ超大国の礎。我らの強さが柱と成る」

「……白の王が証明したばかりでしょうに」

「その時代にシャウハウゼンはいなかったでしょう?」

「なるほど。問答に意味はなし。では、私が貴女たちに反証を突きつけましょう」

 ゴキン。ゴキン。人間の身体から発したとは思えない音。首を鳴らしただけで、目の前の怪物が人間を超えていることが理解出来てしまう。

「貴女の技に敬意を表して、私も本気で参ります」

 全身の骨が鳴る。死神の密度が増す。真紅の眼が瞳を飲み込む。

「死なないように頑張ってください」

 常軌を逸した加速。神の槍を修めた彼女ですら染み付いた技がなければ死んでいた。寸前でいなし、それでも残る衝撃。

「ぐっ!?」

 されど苦境で揺らぐようにシャウハウゼンは育てられていなかった。人外の加速も反転するためには減速せねばならない。その終点を穿つ。揺らがず、針の先ほどの勝機すら見逃さない。

「シィ!」

 ゆえに神の槍。

「お見事」

 だが、死神はそれを見切っていた。否、見ていないのにかわしてのけたのだ。初めから来るのが分かっていたかのように。

 四感で視ているから、では説明しきれない違和感。それは初めからあった。荒く、未完成、されど、その槍は間違いなく神を見据えていた。

「化け物が! どこでその槍を学んだ!?」

「私は槍を学んでおりません。ただ、見ていました」

「どういう、こと――」

 凄まじい攻防。明らかに人間を超えた死神が人並みの技を得るとこうなる、とばかりに圧巻の武力。神を信じ、己が道に一切の迷いすらなかった少女に初めて懸念が生まれた。この怪物ですら端役にすらなれなかった世界とは何なのか、と。

「ありえな、い。この、私が、ママのシャウハウゼン、が――」

「強さに意味はありません。それをもって何を成すか、そのための強さです。貴女は、はき違えている。それを私はもったいなく、思います」

「私はァ――!」

 死神が神を飲み込んだ。


     ○


『……厭いた。重い』

 槍を放り投げる子供の姿に、男は人の愚を見る。

 男は最初の作品であり、最大の失敗作である子供を思い出していた。

 飲み込みが早く、素晴らしい才能があった。キュクレイン様の見立て通り、あの子は神の子、器として十二分な素養を持ち合わせていた。

『私では閣下の槍を継ぐにふさわしくないと』

『人には分があるのだ、カリス。私ではあの御方に成れない。残念ながらお前もそうだろう。誰が見ても超越している、孤高の頂に立つ者こそが我が神なのだ』

 かつての己がどれほど欲しても手に入れられなかった『それ』を持つ子。腐らせたのは甘やかし、必要なことすら学ばせぬ国家そのもの。

 男はそれに絶望していた。

 本物を創ろう。ヘルマなど不純物。それを用いたがゆえにくだらぬ天運に目がくらみ、最も大事なモノを継承させることが出来なかった。

 未だ完全ではない。されどあの御方と共に戦場を駆けた熱き記憶、言語化の天才であるキュクレインが残した絶えたとされる神の槍の教本も己が手にある。

 言語化の天才キュクレインは、シャウハウゼンが己が槍を分割し、基礎として残そうとした際も、腹心であった彼が大きな役割を果たしたのは一部にしか知られていないが事実である。伝わっていないのはシャウハウゼンが残したことに意味があるのだと頑として彼自身が秘匿することを固辞したためである。

 そんな男をもってしても神の槍は難し過ぎた。何とか凡人にもわかるよう噛み砕いているが、そもそも極みとは凄まじい執念の果てに辿り着くもの。

 これを基に幾人かの才人に教えたが、全くモノにならなかったのも仕方がない。

 ならば幼少期から徹底的に教え込もう。最も大事なものは槍への執念、貪欲さを持つ人材を集めよう。美しければなおよい。自分の国で、ネーデルクスとマーシアの狭間にて神を生む楽園を創り上げよう。時間はかかる。

 だが、そんなこと何の問題にもならない。

『申し訳ございません。シャウハウゼン様。私は、偽物です』

 シャウハウゼンよりも長く、歴代の三貴士の中でティグレに次いで二番目の在位期間。偉大なのだ。胸を張ってしかるべきなのだ。

 それが出来なかった悲哀。それに比べればどんな辛酸苦難も意味をなさない。

 唯邁進するのみ。

 あの御方が残した唯一こそ『本物』であったと証明するために。

 カリスという男の生涯は唯その証明の為だけにあった。

「哀れだな、カリス」

 巨大な絵を前に想いに耽っているカリスを見て、鎖に縛られたネーデルクス王クンラートがぽつりとこぼした。

「ご安心ください、陛下。ネーデルクスはようやく正しき柱を得るのです」

 その男の眼は哀しいほど過去だけを見ていた。

「余の三貴士を侮るってくれるなよ」

「答えはすぐに出ますとも。間違いは正されるべきなのだから」

 巨大な絵に描かれし英雄、キュクレインと同じ眼で世界を見つめる。

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