夜明けのネーデルクス:明日の行方
傷貌の槍使いは槍を握る手にじわりと汗がにじむ感覚を覚えた。
常在戦場。複雑極まる神の槍を、あらゆる状況が想定される戦場で行使するために彼らは自らを尋常ならざる状況へ追い込んだ。海辺、山間、果ては凍土。自らよりも巨大な獣とも交戦した。そうやって選りすぐられた彼らの中で、元々己は一番であったのだ。
若き三人に抜き去られ、栄光に彩られるはずだった己の経歴、そして貌に傷を刻まれるまでは――
それでも強者であることには変わりない。未だ、諦めているつもりもなかった。壁は見えている。乗り越えんとして何度も弾かれている才能と言う厚き壁。いつかは乗り越えて見せる。そう願い続けてきたそれが今日、今、更新されたのだ。
「やりますか?」
二度目の問い。返答など決まっている。己が振るうは神の槍。目指す山巓は最強唯一つ。なれば戦わぬという選択などあり得ない。
あり得ないのだ。
そんな生き方、彼は教わってすらいない。
「ああ! やってやる!」
威勢よく言い切った、つもりであった。
声が出ていない。言葉が発することが出来ない。そんな己を、見えていないはずの眼が全てを見透かしているかのような憐憫の色で見据える。
「……今は、その時ではない」
大局的に見て、ここは撤退して情報を持ち帰るが吉。ラインベルカが現れた。ならばあの男もいる。その危険性は国内の上層部であれば誰もが知っている。
それら多数の、耳触りの良い言い訳が、彼にそれをこぼさせた。
騎士王を、おそらく暗殺者としては頂点に近い男を相手取り、圧倒した槍使いが戦う前に折られてしまった。こぼれてしまった言の葉が、彼という人間の底を暴く。彼はきっととっくに折れていたのだ。
シャウハウゼンに成れぬと知った時から――
「ならばその時は生涯来ないでしょう」
ラインベルカの言葉が、刃のように男を刻む。
「……狂った死神が、武の何を知る!?」
「弱さを。唯一つを守る難しさを」
これほどの強さを持ちながら、彼女は強さを、武を信じていなかった。それを利用しつつも、最終的には見限った男が頂点を掴んだことを彼女たちは知っている。唯一人の強さなど世界の前では無為、白騎士の温情がなければ全てを取りこぼしていた、彼女たちだからこそ言い切れる。
一個の強さにさほど意味はない、と。
「無力を知りなさい。噛み締め、なお立てるのであれば本物です」
仕込みの槍を構えるラインベルカ。死神が槍を使えるなど聞いたことがない。狂気下であれば大鎌、平常時は剣、それが三貴士ラインベルカであったはず。
だが、構えは妙に堂に入っていた。
「やりますか?」
三度目の問い。答えを出さねば、彼女から動くだろう。
男は血を滲ませながら、無言で踵を返した。屈辱の、敵前逃亡。神を目指したはずなのに、神に成れぬどころか彼ら以外を前に無様な姿をさらしてしまう。
醜態であった。生き恥以外の何物でもない。
「それでいい。何事も生きてこそ、です。敵であっても、私はもう殺したくないのだから。今更であっても……そう思います」
ラインベルカもまた構えを解いた。勝負、成立せず。
されど誰が見ても結果は明らかであった。
「……死神の小娘、あの小僧の差し金か?」
襲われていたところを救ってもらったマールテンだが、歯切れも悪ければ表情も芳しくなかった。かつての敵対勢力と相見えればこうなるのも仕方がないやもしれない。ルドルフの政敵として対立し続けた男、彼の革新を認めなかった男が彼女と対峙する。
「元気? 相変わらず太ってるね。奥さんの趣味?」
「相変わらずふざけた物言いだな。人を小ばかにしたような目、腹が立つ」
「あっはっは。まあ、仲良しこよしにはなれないよね」
「当然だ。逃げる前の貴様なら言葉の一つでもかわす意義もあろうが、逃げた貴様に用などない。私は忙しいのだ、貴様と違ってな」
虫けらを見る目であった。マールテンは政敵として信条は重ならずとも、ある程度ルドルフを認めていた節もあった。だが、彼がネーデルクスを捨てたことでそれも消え、残ったのは気に食わないクズ、その一点のみ。
「力を貸して欲しい。過去の亡霊を断ち切るために」
「過去の亡霊、か。やはり貴様はカリスをそう評すか。知っていたとも。ゆえに私は貴様の敵であったのだ。未来だけを見据え、過去を断ち切らんとする姿勢。相容れぬよ、そんなことは初めからわかっていたろうに」
そう言ってマールテンもまたその場を去ろうとする。
その背にルドルフは――
「ならばマールテン、君とカリスは、相容れるのかい? 同じ過去を見ても、重ならぬから君はこうしてカリスに狙われた。少なくとも彼はそう思っている」
「……」
「君が三貴士『たち』の心棒者であるのと同様にカリスはシャウハウゼンの心棒者だ。相容れぬさ。僕が急ぎ過ぎていたのは認める。過去をないがしろにしていたのも、事実だ。それでも今は大局的に物事を見るべきだろう?」
「大局で負けた男が偉そうに」
「だから言っている。今の世界は乱世のように甘くない。それは現役の君が一番よく理解しているだろう? 頼む、君にしかできない役なんだ」
ネーデルクスの黄金時代。常に戦と共に在った。勝利して奪う。シンプルで、だからこそ強者に大きな価値があったのだ。
今は違うとルドルフは言っている。全てを肯定する気はないが――
「私が何を言おうと、最高会議は動かんぞ。陛下の敵であり、カリスの敵である私の言葉ではこの件に関し信ぴょう性がなさすぎる」
会話ぐらいはしてやる、とばかりに渋々と言葉を連ねるマールテン。
「クンラートならたぶん、聞くと思うけどね」
「其処に意味はない」
「まあ、そうなんだけどさあ。身もふたもないなあ」
クンラートに話を通したところで、最高会議での納得を得られなければそこで終わり。結局のところマールテンにしろクンラートにしろ、我を通せる権力はすでにないのだ。クンラートがアルカディアの助力を得て、マールテンらを削ぎ落し、それによって彼も大きな負債を背負ってしまったから。
「カリスはクンラートを押さえに来るだろう。その流れで、今の三貴士を討つはずだ。挿げ替えるためにも首は落としておくだろうからね。そして、其処を変えたいのであれば、クンラートは生かすと僕は考えている」
「何故だ?」
「そっちの方が傷は浅く済むからね。カリスが王に成りたいなら、話は別だけど。あの男に限ってそれは――」
「ないだろうな。断言できる」
「そ、だからクンラートは生かす。新しい三貴士が創られた下手人を打ち倒し、クンラートを救うってくだらない芝居さ。でも、クンラートは踊るよ」
「骨の髄まで道化だからな、奴は」
「愛国心ゆえに、だよ。誰かが踊らなきゃ今、ネーデルクスはなかったんだから」
クンラートならたとえ策謀と知っても、国家のために最善を尽くす。それを理解しているからカリスはその手を使うし、現状彼らにそれを防ぐ手立てはない。
「ならばなおさら状況は詰んでいるな。アルカディアに白で塗りつぶされるか、カリスによって青で塗りつぶされるか、どちらも同じだ。私にとってはな」
沈黙のとばり。話すことが尽きたか、と思った矢先にルドルフが口を開く。
「……クンラートがさ、一度だけ連絡をよこしたんだ。どうしても伝えたかったんだろうね。ネーデルクスがずっと望んでいた本物が現れたって。しかも同時に三人も」
「私にはあの小僧共が本物には見えんよ。かつての栄光を知らぬからああも容易く頂点などと言えるのだ。その重みも知らずに――」
「それに圧し潰された多くの英雄を僕らは知っている。焦らなければ、諦めなければ、上に立っていたかもしれない人材を。知らない? いいじゃないか。諦めるよりずっといい。それにさ、彼らは何も知らないってわけじゃないよ。乱世の最終盤、僕なんて偽物とは比較にもならない本物たちが蠢いている戦場に、彼らは末席とはいえ参加していたんだ。それでもそう言えるクソ度胸を、クンラートは信じたいんじゃないかな?」
「己を偽物と言うか、あの高慢ちきな神気取りの小僧が」
「最後の方は結構無理してたんだぜ? 自分が本物じゃないってのは、自分が一番分かっていたからね。それでも、それが役割だから踊っていただけさ」
「…………」
マールテンは神の子としか生きられなかった男の悲哀に、口をつぐむ。
「僕を信じなくていい。でもさ、未来は信じてみてくれないか? 僕も直接彼らを見たことはないけど、クンラートがあんなにも喜んでいたのは、見たことなかったからね。僕らは悲哀ばかり見てきたから、さ。君もそうだろ?」
マルスランが、ジャクリーヌが、栄光の時代を知る彼らは届かぬと知りながらも足掻いた。マルサスたちもその背を見て、彼らでさえ届かない時代を想い、己たちは器ではないと天井を見てしまった。
彼らの悲哀。マールテンとて十二分に理解していた。
「……今の私にできることなど限られているぞ」
ゆえにそれは必然である。
「わかっている。それに、ネーデルクスが、時代がカリスを選ぶなら、それを捻じ曲げる気はないんだ。ただ、イーブンな条件で決めて欲しい。今のネーデルクスが、明日のネーデルクスを決めて欲しい。それだけさ」
「ふん、好きに動け。積極的には助けぬが、雨宿りくらいはさせてやる」
「ありがとう、マールテン」
「何もしておらぬし、何もする気はない。勝手にしろと言っただけだ」
そのままずんずんと歩き去ろうとするが、ふと、マールテンは立ち止まり振り返った。
「一つだけ勘違いを正しておく。あの男が敬愛するのはシャウハウゼン様ではない。キュクレイン様だ。偉大なる『白仙』の悲哀を知るからこそ、あの男は誰よりも本物を求めているのだ。そのズレは修正しておけ」
「……なるほど、ね。参考にさせてもらうよ」
バックボーンというには微妙な間柄であるが、それでも寄る辺を得た。何よりも神の槍という情報を得たことで、もう一つの極を理解した。
されど、表舞台に立てぬ以上、暗躍以外の手は存在しない。王宮という表舞台、そこで事を起こされたなら、今の彼らには手出しが出来ないのだ。
その縛りの中、彼らは何を成すのか――
「……んー、あの暗殺者の人だけ気づいていたなぁ」
屋根の上から弓を構えていたアルフレッド。アークやラインベルカが窮地に陥った場合、援護するつもりだったのだが、結局勝負が成立せず。
残念ながら出番はなし、であった。
「怖い怖い、どこにでも厄介な人っているもんだなあ」
そう言いながらもアルフレッドは笑みを浮かべ――
様々な極が絡み合い、到達する答え。脇役であっても、脇役だからこそ、王の器たる少年は大いに興味があった。
ネーデルクスの明日はどちらか――
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