夜明けのネーデルクス:宵闇の舞台裏
マールテンだけが知っていた。権謀術数渦巻く王宮にて、私利私欲によって腐れ征くネーデルクスの中に在って、その男だけは真っ直ぐと彼方を見つめていた。
黄金の時代。それを背負うモノたち。
最後の一翼が落ちようとも、数多の犠牲の果てに得た神が神であることを自ら否定しても、あの男だけはきっと諦めない。信じ難いほど愚直に、ただ己が信ずる道を征く。人は彼を愚者と呼ぶだろう。
されどマールテンは思う。
(突き抜けた愚者を、人は英雄と呼ぶのだ)
眼前には金髪碧眼の男。
先ほどまでの敵、顔剥ぎの魔人は自分が雇った、というよりも売り込みに来た自称凄腕の暗殺者が撃退してのけた。全く強者に見えなかったが、何となくマールテンの直感が働いて雇った結果、想定以上の戦力であった。
しかし、その男が何もさせてもらえていない。
「参りましたねェ。隙が、無い」
ナイフを両手に構えるは燕尾服をまとった暗殺者。
「貴様では、勝てん」
端整な顔立ちに醜く走る三つの傷。傷貌の槍使いは中段にゆるりと構えていた。正中線に座す至高の槍。攻防のバランスがいい。左右への対応も万全。
「では、小細工をば」
ノーモーションから、躊躇いなくナイフを投擲する暗殺者。されど、そんなもので揺らぐ武人ではない。そんなことは『双方』承知している。
必要なのは刹那ほどの揺らぎ。
「これが暗殺者という人種か」
無手の暗殺者がナイフを弾いた槍使いの間合いに至る。払いがてら腕を落とすつもりで振るった槍は、まさかの腕によって阻まれる。肉を、骨を打った感覚ではない。鉄に打ち込んだ感覚、瞬時に男は判断する。
この男、無手にあらず、と。
「戦う前から勝負は決まっているってのが――」
暗殺者は仕込みのナイフを袖口から引き抜き、槍のリーチが欠点に反転するゼロ距離で最短に振るう。得物にこだわる者に勝つために、彼らはまずこだわりを捨てる。彼らにあるのは合理のみ。殺しに必要な手順だけ。
「――教えでしてね」
確実に殺した。そう思った瞬間、暗殺者の体感が引き延ばされる。
(……冗談、きついですねェ)
曲芸じみた軌道を描いて、その槍はナイフを点で捉え天へと打ち上げた。
体感時間が狂ったことなど些事。ゼロ距離に槍で対処した超絶技巧ですら些事。
真に恐るべきは、不意を突いた攻撃で一切揺らがなかったこと。
「……怪物」
暗殺者の一言に槍使いは苦笑する。くしゃりと傷貌を歪めて――
「俺はシャウハウゼンの成りそこない。俺如きで何を慄く? 真の怪物は、真のシャウハウゼンは、俺ではないのだ」
ここに来て初めて、かすかに揺らぎが見えた。無論、利用できるほど大きな揺らぎではないが、それでも奇策にすら微動だにしなかった男とは思えぬ醜態ではある。
「貴様では勝てん。そして背後の男は今日、此処で死ぬ」
「逃がすくらいならやってみせますがね」
「無理だ。貴様にはな」
暗殺者は心の中で首肯していた。攻めに転じてなお、相手に一切の揺らぎが無いのであれば、自分に勝てる目はない。
そう、自分には勝てない。自分だけでは――
「悪いな、神の槍。タッチの差だ」
ターゲットであるマールテンは、依然として立ったまま逃げ出す雰囲気はない。
そこで初めて――
「魔人の仕業とするために、かけた時間が仇となったな!」
仮面の大騎士。歴戦の、こびり付いた戦場の匂いが迸る。
「さあて、久方ぶりの戦場であるッ!」」
「なるほど。嵌められたか」
凄まじき烈気。圧力の桁が違う。
千を、万を率いた男。将として、王として、エスタード軍を蹂躙せしめた騎士の王。未だ色褪せぬ、進撃のガルニアス。
「ヌゥン!」
力任せのスイング。「轟!」という怪音と共に剛剣が袈裟懸けに奔る。
踏み込みも雑。
「……理合いに走らぬ分、やり辛い」
だが、槍使いの男は顔をしかめながら後退し槍の間合いを保つ。
ゼナやキケなどの規格外を除けば、この男も一般的に見て巨躯に分類される。当然手足も長く、膂力ゆえ得物も相応のサイズ。射程距離こそ槍が勝るも、パワーはまさに桁違い。最大リーチでの打ち合いは力が伝わり辛い分、存外難しい立ち回りを要求される。下手を打てば槍をへし折ってきそうな力があった。
「ガッハッハ!」
老体とは思えない力。巨躯の割りに動きも俊敏。
そして、突出しているバトルセンス。思考を介さず正答に辿り着く経験の蓄積と天性。そのかけ合わせが理合いを容易く超えてくる。
この理不尽ゆえに、体格に優れる西方にて『技』は軽視されてきた。
「ぬ!?」
「…………」
剣聖が、そして槍のネーデルクスが台頭するまでは。
「力を、征したか」
「力に勝てずして何が技か」
ニィ、と笑みを浮かべる槍使いの貌に何かが浮かぶ。技への執念、執着、其処には何かが顕れる。神か悪魔か、槍に宿る異なるモノ。
「これが神の槍、だ」
時が凍る。
凍れる時の中、仮面の大騎士は其処に『神』を見た。
「ッオォ!?」
頭蓋を射抜かんとする槍は仮面の大騎士、アークの仮面を打ち砕きこめかみを抉りながら、虚空を打ち抜く。
「さすがはアーク・オブ・ガルニアス、か」
「存外有名であったか」
「武人であれば知らぬ方が可笑しかろうよ」
燕尾服の暗殺者は驚きの目でアークの回避を見ていた。初見では対応が難しいあの槍を、アークは踏み込みながらかわして見せたのだ。大きく体勢を崩しながら、それでも最初の一手をしのいで見せた。
後退を常に念頭に置く暗殺者が生還するのとはわけが違う。
「だが、増援には成らぬな」
「……のど元過ぎれば、である!」
体感の狂いをアークは頭に入れたまま、さらに前進する。あの決死があってなお、容易く死地に赴くは騎士王の矜持。あえて自ら踏み込むことで、選択の余地を消す。自らの炎が消えた時、それを是正する余裕は己に与えない。
剣と槍が絡み合う。力任せでは勝てぬと、それを絞りながらコンパクトに、騎士の最短最善を遂行する。正道、騎士道の剣。
打ち合い、互角、に見える攻防。
「ぐぬッ!?」
「初見殺しの槍とでも思ったか? 騎士王よ」
力をいなされ、機先を征される。素早い攻防、己に出せる最速を行使してなお、広がる格差。力も、速さですら、自分が上なのだ。積んでいるスペックに開きがあるはずなのに、差をつけられているのは騎士王の方。
(利き腕がない。左右どちらでも同じ動作が出来る。幼少からそう育てられなければ、こんな芸当出来るはずがない。同様に利き足もない。長所はそのままに短所を許さない妥協なき槍。最短であるならば戦闘中に左右持ち替えることも厭わず、当たり前のような顔をして曲芸を完遂する。嗚呼、まさに神の槍)
暗殺者の眼前に、神が甦っていた。
ネーデルクスの民であれば感動でむせび泣く光景。
「……強い」
「これが技だ。ガルニアの王よ」
積み重ねるほどに、途方もなく広がっていく。力を越えるために磨き抜いた、積み重ねた槍の極致。ネーデルクスという厚みが天才に神を与えた。
そして天才が残したモノを、今、ここで彼が繋げてみせた。
「二対一、文句はあるまいね、神の槍」
「お前たちに二対一が務まるのであれば、な」
付け焼刃のコンビネーション。倍増にはなり得ない。むしろ、其処に生まれる歪みを、揺れを利用して、神の槍を用いる男は優勢を崩さない。
「無為だ」
「もうちっと上手くやれぬか?」
「暗殺者でして」
噛み合わぬスタイル。あっさりと二人は後退する。
完全無欠の槍を相手に、不完全なコンビネーションでは逆効果でしかなかった。
「むう。悔しいが、まあすでに一線を退いた我の勝てる相手ではなかったか。最期の燃焼は、燃やす場所は決めておるのだ。ここは、退こう」
「退いてどうする?」
「見ておれば分かる」
アークはあっさりと槍使いの男に背を向けた。
「ふざけているのか?」
数歩で射抜ける距離。背を向けるなど愚行の極み。
「あれを前にして踏み込めるのであれば……本物であるよ」
苦い笑みを浮かべるアーク。
その歩みが向かう方向に――
「……ッ!?」
死神がいた。
フルフェイスではない。威圧的な黒き鎧を纏っているわけではない。だが、その盲目の女は間違いなく、誰が見ても死神であった。
杖を振るい、仕込みの刃を出す。男が振るうものと比較しても、あまりにも貧弱な装備。槍としての性能差は別物と言ってもいいほど。
「上手く戦えるかは分かりませんが、久方ぶりに、やりますか」
「ラ、インベルカァ」
ようやくこの状況の仕掛人を男は把握する。
このネーデルダムにあの男が帰ってきたのだ。彼らがママと呼ぶ男の最初の作品にして最大の失敗作。彼らにとって何よりもの忌み名。
ルドルフ・レ・ハースブルク。
その番であるラインベルカ・リ・パリツィーダ。
光を失った朱色の眼が闇夜に揺らぐ。おぞましいほどの獣臭がする。それなのにこの場の誰よりも平静。揺らがない。揺らぎようがない。
この場の支配者、最強は彼女なのだから。
「やりますか?」
「………」
光を失いて完成に至った『死神』――降臨。
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