夜明けのネーデルクス:神槍

 槍の穂先がクロードの頬を掠める。頬の肉が薄くぞりゅっと削ぎ跳ぶ。

「素晴らしいアジリティ。あそこからかわすとは」

 無茶なかわし方をしたせいで、不十分な体勢で着地。

 屋根の上を転がるクロード。

「ハハ、死ぬかと思ったぜ」

「俺も殺したと思ったよ。あっけないな、と」

 シャウハウゼンと名乗る男は嬉しそうにはにかむ。クロードが窮地から脱したことがそれほどに嬉しいのか、無駄に槍を回す。

 腹が立つほど、その無駄すら美しい。

「とんでもねえ槍だな」

「そりゃあ神の槍だからね」

 泰然とその男は言い切った。クロードは気持ちを落ち着けるために深呼吸をする。想像を超えた武。あまりにも自分の知る武と隔絶していた。

 一瞬、脳裏に浮かぶは自らの前に広がっている背中たち。その中にて遥か彼方でただ一人、孤高にて何かを待ち続けている金髪碧眼の男。

 視線が絡み合う。男が笑った気がした。

「単純に、速く、鋭く、強い槍、か」

「ハハ! いいね、やっぱりいいよ、君。初見でしっかり理解している。時を操るだなんて、凡人が勝手に錯覚しているだけだ」

 笑顔の男は今度は自分の番だと攻めてくる。やはり、速くは感じない。細かい所作、工夫、複雑なギミックを澱みなく、流麗に、ただの一突きでさえ違いを見せつけてくる。そんな槍が速くないわけがないのだ。

「ぐ、ォォォオ!」

 超絶技巧を当たり前にこなす。最短最善を突き詰めた結果、妥協無き合理が神の槍と呼ばれる究極の一を生んだ。

 クロードは全力全開で槍を、身体を動かす。

「よくついてきている。そんな不完全な槍でよくぞ!」

「な、ロォ!」

 自負があった。ネーデルクス最強としての。大陸中見回しても、自分の槍が劣ると思ったことはない。一番、は傲慢かもしれないが、それでも其処に近い所にいたと思っていた。その確信が揺らぐ。

「さあさあ、周回遅れになったら死んでしまうよ!」

 技のレベルが違う。刹那を削るために常人では思い浮かばない、思ってもやらない動きを取り入れる。何故そこまでやる、誰もがそう思う。

 こんなもの実戦では無理だ。その無理を、成す。

「ガァ!」

 恥も外聞も投げ捨て、クロードは大きく距離を取った。

「正解だ。あと一合でも重ねていれば、逃げる体勢すら作れなくなっていた」

 無駄を極限まで削り落とした唯一本の槍。作り方はクロードにとって憧れの男の剣に似ていた。違うのは其処にかける執念。あらゆる局面に対応するためにあえて設けていた無駄すらこの槍は削り取っている。一対一に限定すれば、白の王もその解に辿り着いたかもしれない。だが、この槍の開発者は戦場の王でもあった。

 体勢を崩した状態を考慮しない。崩さず戦え。乱戦だろうが、奇襲を受けようが、足場が悪かろうが、言い訳無用。揺らがず、ブレず、神の如く君臨せよ。

 戦場にありながら必要な妥協すら削り取る。それを言い訳にしない。

 槍の開発者、シャウハウゼンはあらゆる局面において揺らがなかった。槍を乱す要素を寄せ付けず、姿勢一つ崩さない。唯一の例外は、彼の最期。己とは別の究極に達した英雄王ウェルキンゲトリクスとの一騎打ち。

 ティグレから吸収した己と根を同じくする技と限界を超えたスペックに身体が揺らぎ、全てを賭した天からの一撃に若き日の後悔を想い、心も揺れた。

 そしてシャウハウゼンは死んだ。

「ハァハァ……くそったれ。技には自信があったのによ」

 されどクロードの眼前にはシャウハウゼンがいた。まだ若く、才気と自信に溢れ、頂点に近づいたはずのクロードを退ける技を持つ男。

(そーいや、いつか、ギルベルトさんに言われたな。僅かでも充足したならば其処止まりだって……今になって耳が痛くなってきやがった)

 強くなって、一人になって、後ろを振り返る日が増えた。早く追いついて欲しいと歩みを緩めたこともある。孤独に、孤高に、耐えられなかった。

 唯一本の槍を相手に唯一振りの剣であるギルベルトならどう戦うのか。

 ふと、クロードの頭に過る。

(馬鹿が。今戦ってんのは俺だ。今勝てないなら死ぬ気で学べ。教材が目の前にぶら下がってんだ。目ん玉見開いて全部喰らってやる!)

 クロードの表情を見て、初めて男は笑みを薄める。

「何故笑う?」

「俺はまだまだだ。それが分かったからな」

「笑う理由ではないね」

「笑うだろ。其処にぶち抜けと言わんばかりの背中があればよォ!」

 この窮地、あえてクロードは攻めに転じた。

「こうか!?」

 今までの自分を破壊するために。

「こう!」

 傲慢を捨て去り、勝手に蓋をしていた先へと至るために。

「勢いだけでは」

 転がされ、殺されかけながら、それでも息つく間もなく全力で動き回る。下手くそな自分に、今出来ることは身体能力の優位を活かして出来る限り、神の槍を引き出すこと。今は勝てない。勝つとしても技でなくスペックで押し潰すしかない。

「ウォォォォォオ!」

「まるで獣だね」

 あしらい方までエレガント。無駄なく捌かれる。

「ウォラァッ!」

「だが、獣と戯れるのも悪くない」

 本当に見れば見るほど美しく、その槍は工夫に満ちていた。神の槍を失った後、多くの型が生まれた。技術は進歩している。平均値はかつての比ではない。

 だからこそ恐ろしい。あの時代に単身、こんな技を生んでいたのだから。

「ぐ、ハァ! ハァ!」

「それでは持たないだろうに」

 クロードは窮地に立たされながらも相手の槍を見つめる。

「ハッ、いざとなったらケツ捲るまでよ。足は俺の方が速いだろ」

「……ええ。潔くないなあ」

「底辺出身でね。生き汚いのが自慢だぜ」

「胸を張って言うことじゃないだろうに。そうか、それじゃあ仕方ないね」

「あ?」

「間違ったネーデルクスを正すため、始末すべき最優先の対象が君だ。残念ながら、逃がす気はないんだよ。最初から、ね」

 クロードの背後に別の気配が現れた。ずっと段差の陰で息を潜めていたのだろう。気配なく音もなく、眼前の男よりも幾分かガタイがいい男が現れていた。男と同じく金髪碧眼、一目でクロードは理解する。

 この男もまたシャウハウゼンなのだと。

「ひでえじゃねえか」

「楽しいひと時をありがとうクロード。君との戦いで確信が持てたよ。やはり君たちは不完全で不揃い。俺たちが立つべきなのだと」

 哀しげに微笑む男。

「遊び過ぎだ。神たる者、無駄は省け」

「分かってる分かってる。少し試しただけさ」

 絶体絶命。前門の神、後門の神。

(くそ、どーなってんだよ。もう一人もほぼ同じ力量だ。何でこんな奴らが今まで出てこなかったんだ? ってそれは置いといて、ちょっちまずいぜ、これ)

 二人の神が同じ構えでゆっくりと距離を詰めてくる。

(全力で跳ぶしかねえ。足が折れたら……死ぬよかマシか)

 クロードは意を決して屋根の上から飛び降りる決意をする。それもゆっくり下りるのではなく、強者二人が追い付けない速さ、つまり全力疾走で跳ぶ。

 そこそこ自殺行為であったが――

「勇気があるなあ」

「愚行」

 重心移動をしただけで二人は同時に左右へずれた。クロードの『次』を読み取り、それに対応するためにどちらへ飛ばれてもギリギリ間に合う立ち位置。

 挙動一つで動きも思考すらも読み取られてしまう。ただの戦闘狂ではなく、高等な教育が施され、より戦士としての性能を底上げしていた。

「それで龍を閉じ込めたつもりかよ!」

 クロードは大柄な男目掛けて駆け出す。さほど実力に開きが無いことは分かっているが、それでもこちらの方が僅かに、弱い。

 そこを力ずくで突破する。そして跳ぶ。

「舐めてくれる」

 それを迎え撃たんとする男。

 神なる槍を旋回させ龍を迎え――

「ッ!?」

「なっ!?」

「お?」

 三者三様、されど一様に驚愕の色を浮かべる。

 それもそのはず――

「ぐぬ、何奴!?」

 突如、大柄な男に向かって矢が襲来してきたのだ。男がギリギリで気づいたから槍での受けが間に合ったが、気づかなければその矢はこめかみを射抜いていた。

 鋭い殺意の一矢。

「誰だ、あいつ?」

 その矢が飛来した方向に目を向けると、鐘が備え付けられた高き尖塔に一人の男がいた。金髪碧眼、仮面をつけた男はともすると彼らの仲間にも見える。

 されど、その矢は彼らに向けられていた。

「へえ、君たちのネーデルクスじゃないのか」

 クロードの様子を見て首をかしげる優男。つまり彼らの仲間ではなく誤射でもないということ。困惑している相手を見てクロードの困惑も深まる。

 さらに一射。それは見てなお――

「強い!」

 大柄な男の手に痺れを残す。

「不敵に笑っているね。神が恐ろしくないと見える」

 二人の意識がそちらへ向いた瞬間、クロードは逆向きに走り出す。

「しまっ、くっ!?」

 それを追おうとした男に向けて、さらに矢が放たれる。

「敵が知らない敵。第三勢力か。世界は複雑だなあ」

 屋根から飛び降り、転がりながら着地して脱兎の如く逃げ去るクロードをのんびりと男は眺めていた。追う気は欠片もない様子。

「暢気に構えている場合か」

「あの弓手が現れた時点で、クロード君レベルを逃がさず殺すのは不可能さ。それに、俺たちにとっては最重要人物だけど、今宵にとってはそうじゃないだろ?」

「神は失敗しない」

「シャウハウゼン様は英雄王に殺されたけどね」

「……シャウハウゼンでなければ貴様を殺しているところだ」

「おお、怖い怖い」

 彼らの筆頭である男は尖塔に目を向けた。

(もう姿をくらましているか……報告くらいはしておかないとね)

 謎の第三勢力。自分たちと同じ金髪碧眼の男。

 何らかの異分子がこのネーデルダムに潜んでいる。計画にとって出来れば排除しておきたい未知。それを面白いと思う自分はやはり三貴士、シャウハウゼン失格なのだろうかと男はふわふわと考える。


      ○


 ネーデルダムの街を疾駆するクロードは先ほどの邂逅を考えていた。

 二つの衝撃、一つは神の槍を振るう者との邂逅。自分が様々な理由で妥協していた、目を背けていた理想を何一つ妥協せず実戦形にまで高め上げたモノ。未だに衝撃は拭えない。頭にこびりついた彼らの槍を想うと胸が高鳴る。

 彼らの槍に根を見た。ネーデルクスの槍、四つの型に見たそれをくっきりと見た。クロードにはそれが無限の未来に見えたのだ。

 おそらくそれは変化の、否、進化の兆し。

 そしてもう一つ、もう一人の金髪碧眼、仮面の弓手。窮地を救ってもらった形ではあるが、言い知れぬ不安が胸に渦巻く。

 もしあの一矢に殺意がなければ、威嚇の矢であったならクロードには一人心当たりがあった。確信をもって弟分だと断言しただろう。

 それほどにあの矢は白騎士の弓に、それを嬉々として真似していた息子、アルフレッド・フォン・アルカディアの弓に似ていた。

(アル坊なわけがねえ。あれは、完全に殺すつもりで射った矢だ。あいつにゃそんなことできない。優し過ぎるし、繊細な奴なんだ)

 そう考えながらも焼き付いているのは美しき軌跡。ただの矢であれば彼らは一顧だにしなかったであろう。嫌でも目を引く、雰囲気がその矢にはあった。

 それを射った男から迸る本物の気配。

 目を引いたのは、彼らに隙を生んだのは、彼が放つ黄金の雰囲気であった。

(……いや、今は考えるな。やるべきことだけ考えろ)

 クロードは無理やり頭を切り替える。新たなる三貴士を自称する彼らの存在。どれほどの規模かわからないが、これだけ堂々と仕掛けてきた以上、それなりの後ろ盾があっての行動であろう。

 さすがのクロードもこの状況がまずいことは理解していた。

「まずはディオンと合流して……そっからだな」

 しかし、状況は危機感を抱き始めたクロードの想定を越える。

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