夜明けのネーデルクス:シャウハウゼン

 数合の交戦の後、イヴァンもまた窓から飛び出す。まったく同じ槍を扱い、混戦にも迷いを持たない優秀な槍使い複数名では、いくらイヴァンでも勝てる見込みはなかった。ハンナがどう逃げたのか分からないが、こうなった以上、とにかく今は逃げ延びて情報を伝えるのが最大の役目と心得る。

 逃がしたハンナを囮としてでも、情報は持ち帰ると彼は決めていた。

「一人はママに連絡を。少し早いですが漏れる前に決行すべきと進言願います」

「心得た」

「他は追撃しましょう」

「心得た」

 仮面をつけた貌の無い槍使いたちは一斉に追撃を開始する。

 体格や性別は異なれど、皆一様に金髪碧眼。歪なる彼らがイヴァンを狙う。

 目的は口封じ。

 期せず彼は答えに辿り着いてしまったのだから――


     ○


 逃走を続けるイヴァンはその間にも不自然な点を見出していた。

 一つは彼らがネーデルダムの地理に異常に明るいこと。それこそイヴァンたちすら知らないルートを用いて先回りしてくるなどザラであった。一般人ではないのは明白。高位の、それこそ最高会議のメンバークラスでないと知り得ない情報を持っている事実。

 もう一つは彼らが統率の取れた群れであること。同じ教育の下、相当長い期間の練兵を経てあの群れは完成する。一朝一夕の代物ではない。

 ならばこの状況、相当前から計画されていたものと推測できる。

「見つけましたよ、イヴァン・ブルシーク」

「……随分と容易く見つけられたものですね」

「新たなるネーデルクスとやらの行動指針は全て頭に入っております。白騎士と黒騎士、そして早逝の天才レノーの行動原理を取り入れた最新最鋭、の猿真似でしたか」

「……先んじた者の真似は合理的だと思いますがね」

「上っ面だけなぞっても真には成りませんよ」

 最初に遭遇した仮面の女性。スペアも用意していたのかすでに貌は隠していた。夜とはいえ人通りがゼロではない以上、貌の無い顔で歩き回るわけもなかったが。

「君一人であれば……問題なく倒せるよ」

「ええ、そうでしょうね。貴方は容姿才能ともども実にもったいない素体です。私たちと同じ教育を受けていれば、貴方もシャウハウゼンになれたはず。上っ面だけの槍を教える槍術院、基礎の重要性を説きながら完全を追い求めぬグディエ家、全てが誤り、本当にもったいない。ネーデルクスにとって大いなる損失です」

「ぐだぐだと語りますね。さっさと終わらせましょう」

 イヴァンが先んじて動き出す。後の先を取る『閃雷』以外、基本的にイヴァンのスタイルは前陣速攻。前へ前へと手数で押し込み相手を圧殺する。

「いいえ、少しは付き合って頂きます」

 ゆらり、あまりに遅過ぎるその槍を見て、イヴァンは顔を歪めた。

(遅い! が、それほど遅くない。むしろ、槍としては相当速い部類だ)

 体感との誤差。初見かつ油断していれば対応不可能な槍である。

「シィッ!」

 だが、イヴァンはすでに見ている。そして神の槍であるとの情報も持っていた。ならば対応してみせると天才は槍を捌く。常人であれば一戦でアジャストするのは不可能とされていた至高の槍。それでも彼もまた天才と呼ばれた男。

「……実にもったいない」

「私程度でその言葉が出るのなら、底が見えていますよ!」

 イヴァンの凄まじい手数、それを苦心しながらも捌き切る仮面の女。卓越した技術、そして神の槍の何たるかがようやくイヴァンにも見えてきた。

「速く、鋭く、強い、槍」

「本当に、もったいない」

 彼女はまるで自分がクロードを見るような眼で己を見つめていた。

「私如きのその言葉は、それこそもったいない、ですよ」

 イヴァンはあえて隙を作り突かせたところを紙一重でかわす。

 そして、すれ違いざまに射抜く超絶技巧、ネーデルクスが誇る雷、『閃雷』によって女の心臓は射抜かれていた。

「貴方が私であったなら、どれほど、よかった、か」

 そう言って崩れ落ちる彼女の姿に、イヴァンは己を幻視してしまった。本物を目指し、成れぬと知りながらもそれしか知らず、最後には本物によって敗れる。それが本物であったならまだ救いもあっただろう。

「……だから、私は違うのだと言っているでしょうに」

 これではあまりにも救いがない、とイヴァンは思う。

「さて、これで――」

 逃げられる。そう思った矢先――

「ノン。貴方は逃げられない」

 イヴァンの眼前に倒れ伏した彼女に似た金髪碧眼の女性がいた。ただし、彼女は仮面をしておらず、貌もある。

「……無様ね、御姉様。神に成れなかった哀れな人」

 倒れ伏す屍に一瞥しただけで女は視線をイヴァンに再度向けた。

「……君が彼女の言っていたシャウハウゼン、ですか」

「ウィ。美しい人」

 彼女がただ槍を旋回させるだけで、肌がざわつく。

「私たちがシャウハウゼン。三つの席を抱く者。真の三貴士として作られた武人。キュクレイン様の残した教本を基に我らは再誕した」

 イヴァンは顔を歪める。凍る背筋を奮い立たせんと身震いしながら。

「何故、それを、私に言う」

 彼女は上質な、とても美しい笑顔で言い放つ。

「決まっているでしょう? 死人に口なし、冥途の土産です」

 時が止まる。彼女は動いているのに、自分はまるで石のように体が動かない。見惚れているのが分かる。あまりに技術の次元が違う。足先から指先、嗚呼、頭のてっぺんまで全てが違って、そして全てが五つの要素を宿していた。

 この槍をイヴァンは知っている。ネーデルクスの者ならば誰もが知っている。知っているのに知らなかった。全てを極めた先が――

「さようなら」

 神に行き着くなどと。


     ○


 クロードは都市内警備についての会議で遅くなる予定であった。だが、シルヴィを欠いた現状と普段冷静なディオンが精彩を欠き、結果として今日は早く解散することになっていたのだ。

 明かりのついたリントブルム家を眺めクロードは思い出し笑いをする。リューク自体、家人をほとんど雇わず荒れ放題となっていた屋敷。世話になっている間、気を利かせて掃除しているとリュークが家人を雇い、今の状態となった。

「綺麗になったもんだぜ」

 ことあるごとにリュークはこの屋敷をクロードに譲ろうとしてくる。屋敷だけならばいざ知らず名前や領地も譲ると言って聞かないのだ。

 クロード自身としては龍を継がせてもらったという認識。貰ってばかりで恐縮してしまう側面もあった。なかなか互いに平行線をたどっている。

「今日は早めに寝とく、か――」

 門を潜るとまず目に入ったのは扉が開いていること。普段であれば杞憂であると気にも留めないが、連日の怪人騒ぎと先日のティルザ殺害、これだけ重なるとちょっとしたことでも気になってしまう。

「……まさか、な」

 そして、嫌な予感が過った瞬間――

 リュークの部屋の明かりが消えた。

「冗談は、やめてくれよッ!」

 まだ彼の就寝時間ではない。今頃はちびちび酒でも飲んでいるはず。

 クロードは怒られることを覚悟して駆け出した。龍を会得する前から跳躍力には自信がある。加えて今は槍もあるのだ。ならば、たかが二階程度、非礼であるという点を除けば何の問題も無く到達できる。

「ただいまァ! あとごめんなさいッ!」

 窓を蹴り破りながらクロードはド派手な入室をした。

「……クロード!?」

 驚きに目を見開くリュークの二の腕には血が滲んでいた。突かれた痕、どんな状況かは分からない。文脈も何も掴めない。

「おうコラ。とりあえずぶっ殺してやんよ」

 リュークと槍を持つ男の間に割って入るクロード。

「随分早いお帰りだ。リューク殿も引退されて随分日が経っているにもかかわらず、なかなかにしぶとい。参った、少し遊びが過ぎたか」

「遊びで血ィ流させてんじゃねえよ」

 槍を構えるクロードに金髪碧眼の男は微笑む。

「ここじゃ君に勝ち目はないよ」

 ゆらり、緩やかな動きでクロードとリュークの横を通り過ぎる男。

「なっ!?」

 あっさりと抜かれた事実にクロードの顔が歪む。

「上でやろう。龍なんだろ? 君は」

 クロードが蹴破った窓枠から、男は悠然と壁の引っ掛かりを掴み「よいしょ、よいしょ」と登っていった。クロードの背中に嫌な汗が流れる。

 異質な動き。ただ歩くだけで分かってしまう。

「……逃げろクロード。俺はついでだ。おそらく、ティルザ殿もそう」

「狙いはシルヴィだったって言うんすか?」

「少なくとも俺を殺そうとはしていたが執着はなかった。本気ならとうに俺は死んでいる。あれは神の槍、時を操る失われし無双の槍だ。強いぞ」

「……だとしても三貴士が退けるわけないでしょうに」

 そう言ってクロードもまたひょいひょいと器用に屋根の上まで登っていく。

「気を付けろよ、クロード」

 邪魔にならぬようにリュークは屋敷から脱出する。傷はそれほど深くない。押さえておけば充分。遊び心がある相手で助かった。ティルザを仕留めた男と同じであれば、おそらく初手でリュークは殺されている。

 ゆえにリュークは槍の詳細まで語らなかった。

 意味がないと理解させられたから。

 あの槍を知っている己でさえ、まともに対応できなかった。そんな己の言葉を伝えることが正解とは思えなかったのだ。


     ○


「良い夜だね、クロード・リウィウス」

「単刀直入に聞くぜ。テメエがお師匠を、ティルザさんを殺したのか?」

 問いかけを無視されたことで男は残念そうな表情になった。

「違うよ。あれは別のシャウハウゼンだ。俺じゃない」

「……へえ、別の奴がいるのか」

「ああ、三人いる。新しい三貴士だよ」

「お呼びじゃねえな」

「君の意志は関係ない。ネーデルクスが神を求める限り、俺たちはそこに在る」

 当たり前のようにその男は語る。理解不能な価値観。

「問答に意味はねえな」

「そうだね。君は外側の人間だ。ゆえに分からない」

「俺ァ三貴士だ!」

「俺に負けるまではね」

 クロードは槍を構える。その威容、龍が如し。

「うん、強い。でも、神には敵わない。我が名はシャウハウゼン――」

 口上が終わる前にクロードは飛んだ。

 夜闇を切り裂き、全撃必殺の突きが降り注ぐ。

「――神を統べる者。俺が三貴士筆頭だよ」

 時が、止まる。そう錯覚してしまいそうなほど、その槍だけが優雅に時の中を舞うのだ。理解が追い付かない。だが、美しいとは思ってしまった。

「意味は、分かるね?」

 極上の笑顔を浮かべながら、クロードの必殺をゆっくりとそらし、空中で身動きが取れぬクロード目掛けてゆったりと突く。

 体感速度と現実のズレ。緩やかな時間の檻に龍は囚われる。

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