夜明けのネーデルクス:闇、根深く

 未だ喪主であるシルヴィが放心状態のまま、葬儀はしめやかに執り行われていた。若き彼らが知る以上に彼女を慕う者、尊敬していた者は多く、想定よりも遥かに多くの参列者となっていた。悲しむ者、惜しむ者、皆沈痛な面持ちで女傑、ティルザ・ラ・グディエを見送る。力なく土をかける姿に、同僚であるクロードらはかける言葉も見つからない。

 クロードら三貴士が示した基礎の重要性。それによってグディエ家の指導を求め各地から本気で槍を学びたい者たちが集い、道場はかつての活気を取り戻しつつあった。

 これからだったのだ。

「シルヴィを家に帰しておけばこうはならなかったのかな?」

「もし、なんてらしくねえぞディオン」

「そうだね。その通りだ」

 少し離れたところでクロードとディオンは座り込んでいた。

「……傷痕、見たか?」

「ああ、綺麗に心臓を一突き。一撃だったね」

「お師匠は槍を握っていた。倒れている姿からも、おそらく十全に構えてからでああ成ったんだ。そりゃあ俺らはあの人より強くなった。でもよ、それでも一撃で仕留められるかって言ったら、答えはノン、だろ」

「……そうだね。迎撃が間に合わないほど速い刺突だったのかな?」

「そんだけ凄まじい速さの突きで、あんな綺麗な傷になるかね」

「確かに。ああ、クソ、全然頭が回らない! 今日の僕はどうかしてる」

 シルヴィやディオンは付き合いの長さもあるが、単純に大切な人との別れの経験が多くなかった。クロードは幼少時から友人知人が死ぬのが当たり前の世界で生きてきた。その上で姉代わりの女性の喪失も経験している。

 情に厚く、脆い部分はあれど、喪失からの切り替えは若き三貴士の誰よりも早かった。冷静さを保っているのも現状、彼だけであっただろう。

 ディオンの肩を叩き、彼から離れるクロード。歩きながら思考する。

(お師匠を受けも許さず一撃で仕留められる怪物。ネーデルクスには該当する人物なんていねえ。単純な速さで成したなら、それこそ黒狼とかそういうクラスだ。んで、頭に浮かんだバケモン共にそんなことしそうなのは皆無。八方塞がり、だな)

 とはいえ冷静であってもクロードは頭脳担当ではなく、手札もそう多くない。

(顔剥ぎ事件と何か関係があんのか?)

 暗雲漂うネーデルクスにまたしても暗い影を落とす事件。

 偶然か、それとも――

(あ、リュークさん)

 クロードの視線の先にはお世話になっているリントブルム家当主リューク・レ・リントブルムがいた。彼もまた沈痛な面持ちであったが、それ以外にも何か気に障ることがあったのか、隣の男と言い合いになっていた。

(隣で話してんのは……マールテン公爵!? 何でだ?)

 比較的親クンラート派であるリュークと反クンラート派の急先鋒であるマールテン。武門であるリュークはティルザとも親交もあるだろうが、政治屋であるマールテンがこの場に居ることは少し奇妙であった。

(親交があった? まあ、グディエ家も名家だしな。でも、何で口論してんだ? あ、そのまま公爵がはけてった。あの二人の関係も分かんねえな)

 どたどたと重たい足取りで去っていく公爵。その背を睨むリューク。

 そして、公爵と入れ違いにクンラート王が、その右腕である男と親クンラート派であるカリス侯爵を伴ってこの場へ現れた。

「……ふん」

 マールテンはすれ違いざまに鼻を鳴らして去っていった。

「相変わらずですね、公爵は」

「誰にでも相容れぬ主義主張はあるとも。仕方ないことだ」

 クンラートは蛇蝎を見るが如き部下をいさめ、喪主であるシルヴィへ足を向ける。王まで葬儀に駆けつけるティルザの人徳が窺える一幕であった。

「クロードさん、少しいいですか?」

 クロードと同じく葬儀に参列していたイヴァンが声をかけてきた。

「おう、イヴァンか。どうした?」

「内密でのお話が」

 イヴァンのただならぬ様子に、クロードもまた静かに頷いて会場から離れる。

 人々の喧騒から少し離れたところで二人が居並ぶ。

「……この事件、どう思われますか?」

「全然わかんねえよ。お前は何かわかったってのか?」

「いいえ、全然です。しかし、顔剥ぎ事件と今回の件、私は繋がっているのではないかと思っています」

「おいおい、ティルザさんは金髪でも碧眼でもねえぞ」

「この時期に重なった、それだけで怪しむには充分過ぎると思いますよ。ティルザ様に反撃を許さずに仕留められる手合い。それがこの混沌としたネーデルダムに現れた。そして、当然ですがこの二件、下手人は別です」

「お前がやった相手じゃあんな芸当は無理、か」

「はい。私程度と互角では不可能な芸当です」

「今のネーデルクスで四番目に強い男が随分弱気だな」

「三番までと四番目では大きな開きがありますよ。この国に四つ目の席は無いのだから」

「お前の悩みって――」

「関係ないことです。あと、誰にも言っていませんが、フェランテは私を狙うと宣言しました。おそらく早晩、私の貌を狙い襲ってくるでしょう。そちらの対処は私がやっておきます。速さは理解しました。次は仕留めてみせます」

「……そういうのは共有しとけよ」

「誰が敵か味方かもわからないのに、ですか?」

 イヴァンは背後に目を向ける。ネーデルクスの人々、悲しみに覆われた景色。

「あの中に敵が潜んでいるかもしれない」

「考え過ぎじゃねえか? ネーデルクスにあんな真似できる武人なんて――」

「それを引き入れた人物は、間違いなくネーデルクス人ですよ。今のティルザ様のポジションで殺す理由を持つ外の人間なんていないでしょう。理由は分かりませんがね」

「確かに、そうだが」

「あとは……いえ、これは確証を得てから話します」

「気になる言い方じゃねえか」

「しばしお待ちを。フェランテについてはお任せください。三貴士のお手を煩わせるまでもありません。ティルザ様の件、そちらの方が肝要かと」

「いや、そういうわけにも」

「相当な達人です。私もあの刺突痕を見ましたが、凄まじい技量が窺えます」

 クロードに背を向けて歩き出すイヴァン。

「ですが、私はクロード・リウィウスとその下手人、どちらの方が怖いかと言われたならば、私は貴方を選びますよ。これは本当に、ただの勘ですし、聞き流してくださって結構ですが」

「おい、イヴァン!」

 クロードはイヴァンの背に手を伸ばすも、振り返ることなく歩き去る彼にその手が届くことは無かった。いつからかぎくしゃくし始めた関係。イヴァンが何故、自分たちに壁を造っているのか、クロードには分からなかった。

 今もなお分からないまま――


     ○


 ネーデルクスで最も大きい病院の一室。

 フェランテと交戦し貌を奪われたハンナは包帯で巻かれた自身の顔に触れる。じくりと痛む表面にかつての美しさはない。恋人を失い、貌も失い、これからどう生きていけばいいのか、何もわからなくなっていた。

「……イヴァン、私、どうすれば」

 少女は彼らの世代、その旗手である男の名をこぼす。

 憧れであった。惹かれてもいた。しかし、他の皆がそうであったように自身の槍も、想いも、彼のような才人には届かないと蓋をしていた。

 弱った心がその蓋を外す。蝕む想い。

「どうもしなくていいわ」

 その者は音もなく病室の前に立っていた。

「私が貴女の『代わり』になるから」

 自身に似た美しき流れるような金髪。仮面の奥に宿る蒼い眼。

 そして『彼女』には貌がなかった。

「全ては正しきネーデルクスのために」

 ハンナは咄嗟に愛用の槍を掴む。眼前の敵に心が悲鳴を上げていた。お前では勝てない。太刀打ちできる相手ではない、と。

 それでも構えてしまうのは武人のサガか。

「無駄よ。成り損ないとはいえ私も神の槍を学んだ者。誤った槍に負ける道理はない。貴女では勝てないわ。どうやっても」

 仮面の女性、その槍は緩やかに動き出す。ハンナは、動けないまま。

「あっ」

 その槍はすうっと彼女の胸に伸びて――

「学んだ、ですか。実に興味深い」

 下から伸びる槍にかち上げられる。

「なっ!?」

 のそのそとベッドの下から這い出てくるのは天才、イヴァン・ブルシーク。

「イヴァン!? 何で?」

「夕方、お見舞いに来たでしょう? その際に潜り込んでおきました。意外と見回りが多く、忍び込むのも難儀に思いましたので」

「わ、私が昼寝した時に」

「昼寝と言うか夕寝ですけどね。少し調べたいことがありましたので」

「私の独り言、聞いてた?」

「……ヨナタンを失ったことで気落ちしているだけです。君は強い。大丈夫ですよ。ここは、私が受け持ちますから。君は逃げてください」

 イヴァンは槍を旋回させる。ハンナの前に立ち塞がりながら。

「窓から飛び降りてください」

「ここ、二階よ」

「何か問題がありますか?」

「……あとで色々聞くから」

 ハンナは窓から躊躇いなく飛び降りる。彼女もひとかどの武人、この場さえしのげば生きる目もあるだろう。

 イヴァンにとっての問題はすでに眼前の敵のみである。

「フェランテの縫合技術、素人のそれではありませんでした。まさか調べ物をする前に確証が転がり込んでくるとは思いませんでしたがね」

 仮面の女は歯噛みする。

「勝てると思いますか、イヴァン・ブルシーク」

「……君には勝てるんじゃないかな?」

「愚かな。我が神の前に沈め!」

 緩やかなる槍。美しく、無駄がなく、それは間延びするような――

「神の槍、なるほど。素晴らしい技術です。ですが――」

 それを裂くかのように雷光が仮面を打ち抜く。

「下手人は貴女ではない。見事な技術ですが、いくら何でも遅過ぎる」

 貌の無い金髪碧眼の女性は無い貌を悔しげに歪めた。

「当然でしょう? 彼らはシャウハウゼン。私たちは成りそこなったモノ。ええ、そうですとも。私たちは神ではない。だから――」

 彼女の背後から、包帯を巻いた金髪碧眼の槍使いが数名、現れた。

「小細工も弄します。全てはネーデルクスのために」

「……ここまで根深いか」

 イヴァンは顔を歪める。

 点と点が繋がった。だが、それを伝える手段が、無い。

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