夜明けのネーデルクス:明日はきっと――
三人はティルザの前で四つの型を披露する。
ただ一度きり、指導は一つとして入らなかった。
「お見事。三人ともとうに私を越えています。私が教えられることはありません。きっと皆さまも草葉の陰から見物し、安堵されていることでしょう。ここも広くなりました」
「何言ってんですかお師匠。じいさんたちは亡くなっちまったけど、新しい門下生はめっちゃ増えたじゃないすか。これからですよこれから」
「そうですね。その通りです」
ティルザはクロードの檄に相好を崩す。
「最後に一つ、見せておきたいモノがありました。恥ずかしながら、最後の最後まで復元には至りませんでしたが、次のステージに臨むきっかけになれば、と」
ティルザはゆっくりと立ち上がり槍を構えた。
「名人、ティグレ・ラ・グディエが唯一文献として残さなかった己が槍、虎王ノ型。私も稽古姿を見ただけで直接教えを乞うたわけではありませんが」
「虎の、王!」
目をキラキラ輝かせるシルヴィ。それを見てディオンが苦笑する。
「興味津々だね、シルヴィ」
「もちろんです。虎の、王ですよ! 強いに決まってます!」
ティルザは大きく息を吐き、ゆっくりと吸う。
キラキラした愛娘の眼。かつてはそれを恐れた時期もあった。その信頼が己の弱さによって失望に変わるのが怖かった。愛するがゆえに。
「参ります」
だからこそ――
ほんの数分、短い間であったが三人とも黙ってそれを見つめていた。
苦心したのであろう。嫌と言うほどそれが伝わってくる。過去の記憶だけを頼りに名人芸を世に取り戻す。その難解さは余人の知るところではない。普段見せぬ渋面、それがこうじゃない、こんなものではないと言っていた。
未完成、不完全、ティルザは辿り着けなかったのだ。
「……醜態を見せましたね」
型を終え、たった一度の演武で疲弊したティルザは情けなく首を振る。
「そんなことはありません!」
シルヴィの眼に浮かぶのは――
「難しいな。すげえ複雑な動きだぜ」
「細かい工夫をさらりとこなさないと形に成らない、うん、難しい」
三人の眼に浮かぶのは――
「新しい学びがありました! 面白いです!」
「おう、それだ。面白いんだわ。昔の型なのに、新しいっつーか」
「だね。特盛ゆえ習得がそれなりに難しいはずの虎ノ型、それをさらに深めた、細分化した感じかな? 勢いを損ねずにどう扱うか、それが問題だね」
ティルザは驚いていた。三人とも彼女の醜態ではなく、無駄な努力を哀れむのでもなく、その中に在った新しい何かを必死で拾い集めていたのだ。白熱する議論を見て彼女はとうとう本当の意味で己の役目が終わったのだと知る。
新しい時代、きっと彼らならば自分の残したものを高め、次に繋げてくれる。
「こんな感じでしょうか?」
早速、シルヴィが見たばかりの型を披露する。
「あー、全然だわ。指に力入り過ぎなんじゃねえの?」
「それにもっとここは腰で回す感じじゃない?」
「なるほど、腕ではなく腰で振る、と」
「んで、動きとしては全体をコンパクトにしないと次の工夫に間に合わねえ。これを実戦で用いるなんて本物の化けもんだな、お前のご先祖様」
「ふふん、当然でしょう! 名人ですよ名人!」
議論と実践、加速度的に己の完成度に近づいてくる三人の天才。
「こう、とか?」
「お、ちょびっと近づいた」
「でももっと――」
そして――
「こう、では!?」
あっさりと己を越えていく愛娘。
「おお、いい感じじゃねえ?」
「そうだね。だけど、此処はまだ途上だと思うんだよ」
「もちろんです! 技に終わり無し! 我が家の家訓です!」
「本当かよ」
「たくさんある内の一つですけどね」
不思議と嫉妬心は湧いてこなかった。ようやくこの歳になって素直に、心の底から娘の成長を嬉しく思うことが出来た。それはきっと、武人ティルザの死でもある。そうなったこともまた彼女にとって本当の喜びとなった。
「ここは手首をこう返すべきかと思うんですが、母上はどう思いますか?」
「……シルヴィ」
「ふぁい!」
シルヴィは何か粗相をしたのではとおろおろする。ティルザが近づいてくる間も挙動不審にちらちらと二人を見て助けを求めていた。が、二人ともそれを華麗にスルー。ティルザ師匠への恐怖心は中々根深いモノであったのだ。
「貴女は、本当に、私の自慢です」
そんな彼女が娘を抱きしめた。心の底から、愛を示す。
シルヴィは信じられないのか疑問符を浮かべながら顔を紅潮させていた。
「これからも精進なさい。誰の真似でもなく、貴女自身の道を」
「は、はい母上」
ティルザは抱きしめていた腕をほどき、二人に向き直る。
「貴方たちも私の誇りです。高き才能、高き理想、一層の努力と研鑽を求めます。その背を見て私たちもまた奮い立つのです。それが、三貴士」
「「はい!」」
三人にティルザは明日を見る。
「最後に名人ティグレ様が偉大なる三貴士シャウハウゼン様より伝え聞いた槍の極意、三人に伝えておきます」
ごくりと喉を鳴らす三人。
「神は細部に宿る、です。私には何のことかわかりませんでしたが」
「……わ、わからねえ。細部ってなんだ?」
「そっち!? いや、でも、何だろ、格言みたいなものかな」
「……日々精進です!」
難しそうな言葉に退け腰のクロード。言葉は分かれども真意が掴めないディオン。早々に考えることをやめたシルヴィ。三者三様、皆、違う。
「明日はきっと素晴らしいものになりますね」
明日はきっと――
○
「んでよ、俺思ったんだけど、持ち手の位置を気持ち長めに取るじゃん?」
「それじゃあ逆に時間が伸びてしまうよ。ただでさえ厳しいんだから」
「いやいや、しなりを活かしてこう回せば、結果として早くね? これでコンマは削れたべ? どうよ?」
「……し、しなりを活かすことで君に後れを取るとは。でも、確かに、そっちの方が正解に近い気がする。シルヴィはどう思う?」
グディエ家から帰宅する最中、何故かついてきたシルヴィは声をかけてきたディオンではなく、クロードに視線を向けていた。
「……クロード。ネーデルクスを選んでください」
その眼はいつもの血気盛んな彼女ではなく、乞うような色を宿す。
「母上の願いです。どうしても、この三人で叶えたい。私も、この三人がいいです。何か不満があるなら言ってください。私に出来ることであれば何でも――」
「シルヴィ!」
ディオンの語気は強い。その眼もまた咎めるような視線であった。
「ディオン、違う。悪いのは俺だ。ずっと待たせてる。分かってんだ。俺だって、この国の方が性に合ってる。認めてももらってる。あっちじゃお飾りでしかねえ。でも、悪い、シルヴィ。もうちょい、もうちょいだけ待ってくれ」
「分かって、います。すいません、困らせることを言って」
「いや、悪いのは全部俺だ。半端な俺が、一番悪い」
「まあ、いずれは選んでくれるんだろ? 待とうよ、シルヴィ。大丈夫だろ、あんなに憤慨していたじゃないか。あの国は何も分かっていない。あんな扱いクロードにはもったいないってさ」
「ディ、ディオン! それは言わないって約束しましたよね!?」
「あれーそうだったかなー?」
「……マジ?」
顔を真っ赤にして狼狽えるシルヴィを見てクロードも頬をぽりぽりとかく。その様子をディオンはケラケラ笑いながら見つめていた。
「三貴士筆頭なのです。重く見るのは当然でしょう!」
「正式に筆頭ってわけじゃねえけどなあ」
「そうだねえ。実際、僕とは相性の関係か戦績は五分に近いし、御前試合でも仕掛けて奪取しちゃおうかな、仮じゃなくて正式にさ」
「……上等だぜ!」
「私もやりますからね!」
この居心地の良さ、武人としてアルカディアでは孤独なクロードでも、こちら側では最低でも二人、絶対にあきらめず食らいついてくれる。
本当に救いなのだ。
「つーかどこまで付いてくるんだよ?」
「そういう気分なだけです!」
「まあまあ、夜風に当たりながら虎の王を分析するのもオツなものでしょ」
「あー、んじゃディオンの家で徹夜な」
「……なんで僕の家?」
「俺の方は家主に迷惑かけられねえだろ。間借りしてんだから」
「まあ、いいけどさ。その辺りもそろそろきっちりしなよ。家主は譲る気満々なんだし、いつまでも居候扱いじゃ締まりが悪いだろ?」
「……屋敷がデカすぎてよぉ。一人じゃ寂しいんだよ」
「家人を雇えばいいだろ? 貴族なんだし」
「俺がぁ? 何かピンと来ねえよ」
「ディオンの料理を所望します! お腹が空いてきました!」
「……さっきお師匠交えて食ったばかりじゃねえか」
「あはは、はいはい、分かりましたよ。僕の家で良いですし料理もしましょう」
「「わーい」」
「僕が結婚したら一歩も入れませんけどね」
「……? では結婚できませんね」
「だな」
人の不幸を望む二人を見て、さっさと決めてやろうと固く心に誓うディオンなのであった。まだまだ三人の夜は始まったばかり。
槍の探求、三人にとってこれに勝る喜びはないのだから。
○
道場で一人佇むティルザ。
全てを余すことなく伝えきった。満ち足りた気分であった。かつての賑わい、この道場で彼女が体験してきた過去を幻視する。良いことばかりではなかった。悲しいことの方が多かった。それでも此処まで来たのだ。
上々、自分にとってはこの上なく――
「失礼。ティルザ・ラ・グディエ」
その男は仮面を被りて音もなく道場に立ち入ってきた。手には槍を握り、足運びはティルザをしてここまで気づけないほど卓越している。
ひと目で彼女は見抜いた、達人であると。
「こんな夜更けに何用ですか?」
槍を持った武人。ならば答えは一つとティルザもまた愛用の槍を構えた。
「誤った枝葉を切り落とすために。必要な犠牲だ」
「誤った枝葉? 何の話ですか?」
「正しくない槍」
ティルザの目が鋭さを増す。
「傲慢ですね。槍の正しさなど、誰が決めたというのですか」
男は仮面の下で笑みを浮かべる。
「神が決めたのだ。神がとうに示していた。唯一の解、神なる槍を!」
ゆらりと構える男。仮面の下から零れる眼光、その蒼色と金髪。
「歴史は我らによって正される。我ら、シャウハウゼンの手によって!」
ティルザは目を見開いた。時が間延びする。
走馬燈のように、それは瞬いて――
○
「シルヴィ!」
駆け込んできたクロードが見たものは――
「はは、うえ」
力なくへたり込むシルヴィの姿と歯を食いしばるディオンの姿。
そして――
「…………」
物言わぬ躯となったティルザ・ラ・グディエの痛ましき姿であった。
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