夜明けのネーデルクス:星空

「お腹が空きましたね」

「……マジで現れやがった」

「一時休戦です。まったく、芝居のような見世物を見に来るような状況ではないでしょうに。恥を知りなさい恥を」

「お前そのセリフ全部自分に跳ね返ってるからな」

「……?」

 小首をかしげるシルヴィ。とにかく都合の悪いことは全く受け付けないのが馬鹿の強みであった。「ふん!」と跳ね返してくるのがベアトリクスならば、そもそも認識しない、出来ないのが彼女の特徴である。

 有体に馬鹿、しかも天然ものである。

「でも、ネーデルクス、しかもネーデルダムで芝居を見せるってのは相当な勇気だね。芸術の都だよ、ここは。目が肥えた批評家ばかりさ」

「その通りです。ゲージュツの都ですよ。ふふん、異人には難しいですか?」

「いや、全然難しくねえよ」

「……ゲージュツですよ?」

 自身に理解出来ぬものをクロードが理解している事実にシルヴィは震えた。彼女の中ではクロードは自分よりも馬鹿であると認識があったらしい。

「俺も芸術ってやつの良し悪しは分かんねえよ。でも、面白いどうかは見てりゃ分かる。まあ見とけって、損はさせねえよ。少なくともあいつは、本物だ」

 クロードの自信満々な笑みを見てディオンはかすかに驚き、シルヴィは――どうにも面白くなさそうな顔になる。だが、即座にお腹が鳴ったので、早く会食にならないかなと思考が切り替わった。

 そして、舞台の幕が上がった。

 目の肥えた芸術の都、その市民たちが目を剥く。

 たった一人の本物に目を奪われて――


     ○


 幕が下り――

「あ、あああ、ああああああああああ」

 シルヴィ、号泣。

「……嗚呼」

 ディオン、ほろりと涙を流し、隣のクロードの服でそれを拭く。

「おいこら、自分の服で拭けや」

 そう言うクロードも親友のスーパースタァっぷりに相好を崩していた。

 全ての演目に登場し、まったく異なる役柄をこなす器用さ。最初は絶世の美姫で会場を圧倒し、次はコミカルな恋に恋する空回り女を演じ笑いを取る。締めはまさかの男装、悲恋の王子を熱演、この場全員の涙を誘った。

 これぞアルカディアが誇るスーパースタァ。

 千の貌を持つ役者(自称)、マリアンネ・フォン・ベルンバッハである。

「あ、シルちゃんも来てくれてたんだ。こんばんはー」

「あああああああああああああああ」

「まだ泣いてるよ」

「泣きながら肉食ってんな、頭湧いてんのか?」

 ネーデルクスにおける『白き翼』の初公演は大成功に終わった。これでもかと看板娘を押し出した劇団の思惑通り、彼女に魅了されたものが会場を移したこのパーティに集う。彼女を引き抜こうと視察に来ていたネーデルダムの劇団、その経営者たちが押し寄せたかと思えば、パトロンになりたいと金貨を背負い現れた豪の者もいる。

 そんな中、『三貴士』は彼女にとっていい風よけであったのだ。

「おお、シルヴィ殿か。相変わらず肉を食べてるな」

「ディオン様もいらっしゃいますわ。相変わらずの細目、いや、塩顔っぷりですわ」

「あっ、クロード様だ」

「抱っこして欲しい」

 三者三様の人気っぷり。さすがは三貴士といったところ。一番人気はさすが名家の貫禄、馬鹿でも強いシルヴィ・ラ・グディエ。二番目は知的な雰囲気と整った顔立ちで婦女子に大人気、ディオン・ラングレー。そして三番人気はちびっこに人気の蝙蝠男、クロード・レ・リウィウス(ネーデルクス風)であった。

「く、三貴士相手では分が悪い」

「出直すしかないか」

 風よけによって囲いが消滅する様にマリアンネはにやりとほくそ笑む。

「ぐすん、ええ、いい芝居でした。お肉あげます」

「あ、ありがとう」

 シルヴィの中ではパーティなどで、お肉をくれるいい人という印象しかなかったマリアンネにスーパースタァと言う属性が追加された記念すべき日となった。

「いや、本当に素晴らしかったよ。筋書き自体はありきたりだけど、だからこそ君の魅力が引き立ったというか……とにかく素晴らしかった。門外漢の僕でも君は別格に映ったよ」

「えへへ、ありがとうございます。お初にお目にかかります、白き翼の役者、マリアンネ・フォン・ベルンバッハです。以後お見知りおきを」

「おっと、これは失礼を。僕の名はディオン・ラングレー。クロードと同じ三貴士を仰せ使っております。未熟者ですが今後ともよろしくお願い致します」

「まあ、ご丁寧に」

「話し方キモ」

「あら、こちらはどなたでしたでしょうか? 貧相な顔つきで何だか場にそぐいませんわね。お帰りはあちらになりますわよ」

「うるせえ。ここで飯食って酒飲んで元を取るんだよ」

「招待客が元とか考えるなっての!」

「時は金なりって学校で教わっただろうが!」

「その辺ぶらついて飯食って酒飲んでりゃ一緒だい!」

 ガルル、睨み合う両者。学校時代を知る者であれば懐かしさで胸いっぱいになる光景であるが、此処はネーデルクス、他国である。

「な、なんだなんだ」

「喧嘩か?」

 ちょっとした騒ぎになりかけ、二人はぶすっとしながらも矛を収めた。

「で、どーだった? 少しは上手くなったでしょ、演技」

「……まあ、な。ちびっとだが、感動した。ちびっとな」

「にしし、どんなもんだい」

「ちびっとだぞ!」

 ちょっと前までいがみ合っていた二人だが、あっさりとそんな雰囲気は掻き消えていた。ご満悦のマリアンネと酒が飲みたいと不自然に連呼するクロード。

 それを横目でディオンは見つめる。

(なるほど、シルヴィも難しい戦いに臨むわけか。難儀だなあ)

 思い出し涙を流しながらお肉を頬張る我らが女傑の未来を憂うディオン。かつて愛した女性であるからこそ幸せになって欲しいと願う。

 まあ人の心配をする前に――

「御機嫌ようクロード様。お久しぶりですわ」

「ゲェ、ガブリエーレも来てたんだ」

「妹が心配で見に来てあげたのよ。他国で粗相をしないか、ベルンバッハの名を汚すことだけはさせぬよう。嗚呼、なんて家族思いなんでしょう」

「暇なだけじゃん」

「御黙りなさい」

「……さ、酒はどこだ」

 ガブリエーレが苦手なクロードはとりあえず酒で酔っ払おうとする作戦に出る。しかし、その手は意外な人物に潰されてしまう。

「クロード」

 がっちりと襟元が掴まれていた。三貴士筆頭、この国最強の男を掴むもまた三貴士であった。ディオン・ラングレーその人がじろりと同僚を睨む。

 細めの眼がバッチリと開眼していた。

「紹介、僕、オッケー?」

 片言ゆえの圧。有無を言わせぬ迫力にあっさりとこの国最強は陥落した。

「あ、あー、ガブリエーレさん」

「あら、ガブリエーレで構いませんのに」

「い、いやー、あはは。あ、こちらは同じ三貴士のディオン・ラングレーです。強いし賢いです、はい」

「ド下手くそ、下がってろ」

「あ、はい、ごめんなさい」

 ディオンが耳元でドスのきいた声を放ち、クロードはビビり倒しながら撤退する。攻守が切り替わり、ディオンが前線に立った。男には絶対に見せない柔和な笑み。

「初めまして、麗しのレディ。ディオンと申します。お名前を伺っても?」

「お初にお目にかかります。ガブリエーレ・フォン・ベルンバッハと申します」

「名は体を表す、お名前の通り美しい方だ」

「まあ、お上手」

 本気モードのディオンと社交モードのガブリエーレ。二つの矛が激突するさまを見て、クロードに倣いマリアンネも撤退を決めた。

「うう、肌がゾクゾクするぅ」

「だよなあ。よくあの場に居て平気なもんだぜ、シルヴィの奴。まあお肉に夢中なだけだけどさ。マジで腹空いてたんだな」

「可愛い人だねぇ。隅に置けないなこのこのー」

「バーカ、シルヴィに手を出してみろ。お師匠様に殺されちまうぜ」

「そりゃあ責任取らなかった場合でしょー。取っちゃえば問題ないんじゃない?」

「……『今』の俺じゃどうやっても責任は取れねえよ」

「こっちの方がいいよ。メアリーも同じこと言ってた。私も、そう思う」

「いつかは、そうなるかもな。でも、『今』はダメだ。俺はまだ何一つ恩を返していねえ。ほんの少しでも返さなきゃ、いけないんだよ」

「それ、にいちゃんが求めてると思う?」

「求めてねえから、だから、なおさらなんだよ。分かるだろ、お前なら」

「……むつかしいね」

「ああ、そうだな」

 二人にはやるべきことがあった。やるべきことを果たしている自負もある。だが、やりたいこと、その道筋が見つからなかった。ゆえの空虚、気づけば背中は遠くへ行きすぎて、自分たちの手なんて何一つ届かない。

 手伝おうにも何をして欲しいかが見えない。

「そーいえばさっきさ、演技中、私も含めた女優の胸だけ見てた人がいたんだよ」

 暗くなった雰囲気を明るい話題で切り替えるマリアンネ。

「マジかよ。胸しか見てねえの? つーかそういうの分かるもん?」

 クロードもその気遣いに乗っかった。

「女の子は意外と見てるからねえ。ま、その人の場合は本当に、一切ブレずにおっぱいだけ見てたからなあ。あ、あのお尻の大きな子だけはお尻だけガン見されてたけど。で、こっそりと女の人に出荷された豚みたいに引き摺られてった」

「全然気づかなかったぜ」

 今度から気を付けようとクロードもまた意識を改める。

「あんな人でも奥さんがいるんだなぁとしみじみ思うマリアンネちゃんでした」

「お前なら選び放題だろ?」

「そっちだってそうじゃん?」

「……まあ、そういうことじゃねえわな」

「しょーゆーこと」

 クロードとマリアンネは静かに並び立つ。視線はいつも同じであった。ゆえにぶつかったこともあった。そして二人とも置いてけぼり。背中はとっくに遥か彼方、未だ彼ら二人は道筋を見出せていない。

 そんな半端さが嫌いだった。二人とも、己が嫌いだった。

 だからこそ少しだけ安堵する。同類が隣にいることで。

 傍目には分からない不思議な関係性が二人の間にはあったのだ。


     ○


「いやー、キープ君の位置は確保したよ」

「それ、喜ぶことか?」

「三貴士でよかったー!」

「ぐぅ」

 パーティがお開きになっての帰り道。多くが馬車で帰る中、三貴士である三人は歩いて帰宅する。シルヴィはグディエの実家へ。ディオンは義母の残したラングレー家へ。そしてクロードは一部を借り受けるリントブルム家へと。

「打算的な女性って素敵だね。一挙手一投足が品定めされていて気合が入ったなあ。こりゃあプレイボーイの腕が鳴るってもんだよ」

「あんま変なことすんなよ。ベルンバッハのポジションを考えたら軽々に手を出していい女性じゃねえぜ。理想が高いってのもあるけど、あの人が残ってるのはエルネスタ様の妹ってのがでかいからな」

「大丈夫大丈夫、僕、三貴士だし。でも、彼女に見合う男になるなら領地くらいはもっといた方がいいよね。面倒だから固辞してたけど貰えるものは貰っとこうかな。リかレか、でもなあ、響きがしっくりこないんだよなあ」

「どーでもいいだろ。どうせ三貴士じゃそっちの運営は代理立てるしかねえんだし。俺なんて数えるほどしか行ったことねえぜ。タイミングがなくて」

「いや、響きの話だけど」

「もっとどうでもいいっつーの!」

「ぐぅ」

「歩きながら寝てるのな、相変わらず本能のままに生きてやがる」

「槍とご飯の事だけ。シンプルだからこそ強度が高い」

「……複雑なのは脆い、か」

「でも、上手く回れば、無限の可能性があるよ。シンプルなものはどこまでいってもそのままだ。発展性はない。彼女はそれで良しとしてる。ただ槍使いとして生きるのみ。そんな馬鹿は一人で充分だ。僕も君も、許されない」

「だな」

「すぴー」

「会場にマールテン公爵がいた。要注意人物だ」

「反クンラートの急先鋒か。お仲間へのあいさつ回りってとこか」

「可能性は高いね。この怪物騒動、僕は意外と根が深いと見てる。騒動に乗じて何が動き出すのか、見極めなきゃいけない。頼りにしてるよ、クロード」

「お前の口からそれが出るかよ」

「誰が何と言っても君が筆頭だ。僕もシルヴィも認めてる」

「……ありがとよ」

「あとは正式にネーデルクス入りするだけなんだけどなぁ」

「わるうございましたね。いつか、ちゃんとする。もう少し待ってくれ」

「待つさ。君が三貴士入りする際、全員でそう決めただろ」

「ほんとに、ありがとな、ディオン」

「それはいつかネーデルクスの民に言ってやれ」

「ああ、そうだな」

 心地よい夜風が彼らの頬を撫でる。

 クロードは思う。本当にネーデルクスは心地よい、と。お綺麗に飾っているが中身はシルヴィのような馬鹿ばかり。そんな彼らが好きだった。

 そんなネーデルクスが好きになってしまった。

「ぐう、ふふ、クロードに勝ちました。十連勝です」

「おいこら都合の良い夢見てんじゃねえ。逆だ逆、この前俺が十タテしたんだよ」

「その後、僕に負けましたけどね」

「お前はその後、シルヴィに負けてたけどな」

「「…………」」

 先ほどまでの心地よい風はどこへやら、槍が絡むと彼らは豹変してしまう。

「上等だ。明日ケリつけてやる」

「ふっ、別に構わないよ。僕は逃げも隠れもしないから」

「お師匠の用件が済んだらガチでやるぜ」

「ああ、望むところだ」

 三人は明日、珍しく揃って師匠であるティルザに呼び出されていた。何が待ち受けるのか少し怖くもあったが、三人そろって道場でみっちり稽古が出来るというのも最近では珍しく、楽しみでもあったのだ。

 明日はきっといい日になる。そんな予感があった。

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