幕間:すれ違う王と影
北へ足を向けた一行はとある都市に立ち寄った。かつてネーデルクス領であったこの都市は未だその色を残している。加えて南側に比べ豊かな雰囲気も垣間見えた。住民が皆、どことなくゆとりがあって余裕が透けるのだ。
アークたちといつも通り食事を取り、明日の予定を確認してから各々の部屋へ解散する。アルフレッドは少ししてから部屋を抜け出し、夜の街へと繰り出した。
どことなくぎらついた雰囲気はアルカスを思い出してしまう。
街に揺蕩う上昇志向。胸焼けするような欲望が夜闇によく映える。
「……貴族の、屋敷? その勝手口、かな」
ゼノが記した場所を、建物の影から窺うアルフレッド。
人通りの少ない通りではない。艶やかな衣装を身にまとった淑女やパリッとした装いに身を包んだ紳士たち。談笑しながら守衛に声をかけ、そのまま中へと入っていく。通り過ぎる者も多いし、不審がる視線もない。極々自然な日常風景。
「仮面をつけている割合が多め、くらいかな、傾向としては」
素顔のまま陽気に入って行く者もいる。
彼らに後ろ暗い雰囲気はなかった。だからアルフレッドは少し安堵してしまったのだ。少し考えを張り巡らせるべきであっただろう。
その明るさ、邪気の無さこそが――
○
守衛に合言葉を伝えて仮面の騎士に扮した少年は選択の場所に至る。
「――ッ!?」
アルフレッドは絶句していた。目の前に広がる光景に。
かつて醜いと思ったエスタード南側で見た光景、あれは行き過ぎた結果殺してしまうことも容認されていただけであった。殺すことが目的ではない。無論、その結果が求められている節はあったが、今目の前に広がっている光景とは違うのだ。
これは最初から結果が、殺すことありきで興行が打たれている。
先ほどまでは片腕を喪失した剣闘士くずれが、借金のカタに取られた家族を己が手で切り殺す『ショー』が繰り広げられていた。殺せ、殺せ、殺せ、とまるで応援でもしているかのような口調で観客は囃し立てる。泣きながら妻を、子供たちを斬り捨て、呆然自失となった剣闘士に「よくやった!」「芸術だ!」「素晴らしい!」と見当違いの声をかける彼らの眼に邪気は一切なかった。
吐き気を催すほどの歪みが其処にあったのだ。
生きるために家族を殺した男。残りカスのような姿。ぎょろり。一瞬、アルフレッドとその男の視線が絡んだ。唯一、この場で正常、何をもって正常とするのかはともかくとして、一般的な感覚を持っているアルフレッドの眼に彼は過剰反応した。
『見たな? 何が悪い!? 生きたいと思って、家族を斬り捨ててでも生きたいと願って、何が悪い!? 俺は悪くない。俺は何も、腕を失ったのが悪い。あの時の対戦相手が下手糞だったから悪い。腕を喪失した俺を支えてくれなかった社会が悪い。俺を役立たずのクズとののしった家族が悪い。何もかも、俺以外が悪い!』
怨念。まさにそれだったのだろう。
自己保身、無茶な正当化が彼を狂気へと落とした。
「それでは次のショーへと移ります。家族を斬り殺し、生きる権利を手に入れた男は、次に借金返済のための戦いをすることとなります」
「……待て、待て待て待て! 話が違う! これで俺は許されたんじゃ――」
抗弁している最中、檻の奥から現れた異様に男は声を詰まらせた。
「紳士淑女の皆さま! 刮目あれ! 獰猛な人食い虎と対峙する勇気ある剣闘士に拍手を! きっと我々の心に残るスペクタクルな戦いを見せてくれることでしょう!」
血の匂いを漂わせた獣。経験を積んだアルフレッドだから分かる。あれはもう引き返せないところまで調教された、殺すための機構なのだ。
「い、いやだ、いやだいやだいやだ死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。誰か、誰か助けてェ! 誰でも良いからァ! 助けてくれよォ!」
のそりと間を詰める虎。其処から逃れるように距離を取り、必死に柵にしがみつき生を乞う男の姿にアルフレッドは思わず口を挟みそうになる。
「やめておけ。自業自得だ」
そのアルフレッドを止めたのは全身黒ずくめの仮面をした男。体型すら分からない姿であったが男であることは声色から察することが出来た。
それ以外は何一つ読み取れない。
「借金のカタに家族を売ってなお、あの男は借金を続けた。結果、落ちるべきところまで落ちただけ。どうせ生き残ったところで戻ってくる。クズは、クズでしかない」
「し、しかし、あんな風に殺されるほど――」
「助ける方策はあるのか?」
「そ、それは」
「ならば黙っていた方が賢明だ」
黒ずくめの男との問答。未だ出てこないこの場を収める活路。
「たすけてたすけてたしゅけ――」
まずは足を食い千切られる。
「やめ、いだ、血、俺の、やだ」
次は別の足。ずり落ちてきた男は自らの血だまりに落ちる。
やたらめったら剣を振り回すが、虎にかすり傷を負わせただけで、お返しとばかりに爪でズタズタに引き裂かれた腕は感覚を失い剣をこぼす。唯一の、商売道具を失った男は懇願と悲鳴の入り混じった声を上げる。
だが、虎には当然響かない。
そして、この場の観衆たちにも何一つ響いていなかった。
「……そ、そんな」
「知らずに来たか。なるほど、悪戯坊主に嵌められたな、黄金騎士」
「ッ!?」
自分の正体に気づいている男に警戒をあらわにするアルフレッド。仮面は普段使っているものとは違う。かつらは用意できなかったが金髪など珍しくない。
「ここにいる連中はクズだが、馬鹿ではない。異分子が紛れ込んでいることなど最初から気づいている。奴らは奴らで同類を嗅ぎ分ける嗅覚が発達しているらしい。冗談だぞ、此処は笑うところだ」
「……人が死んでいるんですよ」
「優しいふりはやめろ。お前、自分じゃ気づいていないかもしれないが、あの男が家族を斬った瞬間、見定めを終えた眼になっていた。だからあの男はああまで反応したんだ。珍獣を見る目ではない、断罪するような視線にな」
絶叫が消えていく。
「クズの死を見ている場合か? ゼノが見せたかった景色は『周り』の方だぞ」
「ゼノさんのことまで!?」
「ゼノと一緒に多くの都市を回れば噂にもなる。あれは今のエスタードにとってはエルビラよりも重要人物だからな。そして今はそれが貴様を守る盾、だ。いいから黙って周りを見ろ。其処に浮かぶ顔を、眼の色を、記憶し、咀嚼しろ」
「周り――」
凄惨な光景。見ているのは、悲劇のはずなのだ。
それなのに彼らは笑っている。快活に、酒を酌み交わしながら、嗚呼、面白い見世物だったと満足げに笑っていたのだ。そのギャップに、アルフレッドは吐き出しそうになる。いったいどんな生き方をしたら、人はああ成れるというのだ。
「古くからある貴族の嗜み、その延長線だ。奴らは貴族以外を同種だと思っていない。心の底から見下しているから、珍獣が戯れて死んだ、それだけにしか映っていないのだ。其処に陳腐な筋書きとありきたりな悲劇も載せて、な。あそこを見ろ、美女がしずしずと泣いている。分かるな? あれは筋書きに泣いているんだ」
「あの人を、人が死んだことに対してではなく――」
「奴らにとって此処は少し過激な演劇を見る場所でしかない。役者は人間にあらず。ゆえに何をしてもいい。其処は重要ではない」
「……狂っている」
「そうか? 友人でもない他人の死を悼むことを、無条件で強いる方が俺には狂っているように感じるがな。河岸を変えるぞ、此処では目立ち過ぎる」
「えっ?」
「下手を打つとこの都市が敵になると言っている。ここの主催者は、この一帯の領主、つまりこの都市の管理者だ。意味は、分かるな」
「……出ましょう」
アルフレッドと黒ずくめの男は静かにこの場を去った。
その時、快活な笑顔、『彼ら』の視線が一瞬、二人の後姿に送られる。
次の瞬間には平常運転となって次の演目を今か今かと待っていたが。
○
「アークさんに伝えなきゃ」
「下手に動くな。盾がある以上、奴らも迂闊に手は出してこない。変に動けば間者と見做され盾が剣に変わる。お前たちは何食わぬ顔で北に向かえ。それで終わりだ」
「そ、それもそうですね」
思っていた以上にアルフレッドは混乱の只中にあった。普段であれば気づいていることや回っている頭が正常に機能していない。それほどの衝撃だった。飢えてもいない、渇いてもいない、そんな彼らが狂っているのだ。
満たされているはずの貴族が一番狂っていた。
「何故、彼らは?」
アルフレッドはぽつりとこぼす。
「いくつか理由はある。最大の理由は差別だ。疑うことなどない鉄の認識、当たり前というやつだな。次は今の世が退屈なのだろう。単なる娯楽、だ。そして最後の一つ、無意識下でのマウント行為、つまるところ最大の理由の補強、だな」
「……そういう、ことか」
「ほう、今ので理解したと?」
「彼らは現状、満たされているが本当の意味でこの時代に適応できていない。何かを生むことも出来ず、先祖の築いた地位に縋りつくことしか出来ない。だから、ああやって確認するんですね。可哀そうな珍獣を見る目で、自分は違う生き物だと」
「……ゼノがお気に召すわけだ」
アルフレッドは薄ら寒い思いで雲に遮られた星空を見る。
満たせばいいと思っていた。飢えが、渇きがあるから、世界は歪んでいるのだと。
だが、ただ満たせばいいというものでもないらしい。
途端に『道』が遠のいた気がした。
「結局のところ、奴らは弱者なのだ。偽者ゆえにああ成る。偽の灯に群がる羽虫だな」
「あれが灯、か。太陽に手を伸ばす度量も無く、手近な外灯で己を慰めるだけ。彼らにとっては差別が不変である、その確信こそが希望の灯、なんですね」
「クズだろう?」
「ええ、本当に。自らに与えられたアドバンテージを活かさず、停滞するだけの寄生虫。この世界には無駄が多過ぎる。美しくない」
歯ぎしりするアルフレッドを見て黒ずくめの男は少し微笑んだ。
「ああいう連中はどの国にもいる。こうした『娯楽』はどの国にもある」
「今が良くても潜在的に不安があれば、人は狂う」
「それが漫然と生きた結果の自業自得であってもな」
社会を底上げして弱者を救済するのが王道だと思っていた。皆がパンを食べられる世界になれば、きっとあの北方での暮らしのような未来が待っていると。
だが、現実は満たされてなお明日に怯えている。
父が王位についた際に語ったセリフが今になって浮かんでくる。
『この世を楽園とする。いつか世界に平等を与えてみせる。誰もが狂わず、誰もが満たされている世界を。奴隷も貴族も関係ない。全てが幸福を享受する世界を目指す。民たちよ、諦める必要などない。甘んじることもない。この私が導こう。今、私たちが享受する幸福など、満足など、通過点でしかない。より高みへ、王が喰らい切れぬほどの幸福を、貴族が吐き出すほどの満足を、市民が、農民が、奴隷が、享受し切れぬほどに私が満たして見せる。千年後、世界は知るだろう。万年後、それが当たり前となっている。私の目指す先に妥協はない。妥協などさせない。このローレンシア、全てを満たすのが我が覇道だ!』
ここまでせねば人間は救われないのだ。
ここまでせねばならないと父は理解していたのだ。
人間はかくも愚かで醜い生き物であるから。
(今だけじゃない。未来まで保証する世界……なんて遠くて、なんて不健全。それは、生きていると言えるのだろうか? 僕には分からないよ、父上。そこまでしてこいつらクズは救済に値するのかな? 俺は、そう思わない。俺は其処まで優しくない)
黒ずくめの男は横目で見ていた。
新たなる視点を得て一人の王がさらなる変化を遂げる様を。
(俺なら、美しいモノを活かすために彼らを利用するよ。そういう仕組みを作る。そこまでやって利用価値すらないクズは、間引けばいい。最低限の努力すら出来ない奴に席を与えておくのは無駄でしかないから)
基本的な道は白と黄金、どちらも同じ。人の地位をある程度流動的な状態に保つこと。出来る者が上へ行き、出来ない者が落ちていく。零れ落ちた者を救わないのも同じ。
おそらく二人の王道はほぼ重なっているのだろう。
違うのは根。贖罪のため未来に希望を託す道と、エゴによって今をより高次へと引き上げるための道。結果として彼らの治世において等しい結末を迎えるかもしれない。だが、それでも違うのだ。ウィリアムとアルフレッドは。
「……おっと、どうやらつけられてしまったみたいだな」
きっとウィリアムはアルフレッドの変化を知れば王として喜ぶだろう。
「盾があるんじゃなかったですかね」
同じ人間ではない。ならば同じ道を見出すはずもない。
「気まぐれな敵なのだろう」
ただのコピーが欲しいわけではない。未来に積み上げるモノであればどんな形でも、むしろ違うモノであればあるほど、積む価値があるとウィリアムなら考える。
「俺だけが狙いとは思えないですけど」
アルフレッドはようやく白の王の正解から離れ始めた。
「この場は共に切り抜けよう、黄金騎士。なに、一人十殺。大したことではない」
その上で彼もまた彼の道によって発展を、革新を望んでいる。
「都市を敵に回しますか?」
その道は今を通って明日へと繋がるだろう。
「そちらは俺が受け持とう。切り札がある。この場さえ切り抜ければ宿で一休みして、優雅な朝食と共に旅立つまでは保証しよう」
ならば十二分。
「信じ切れないところはありますが、まあ、いいでしょう。やることは変わりませんし、ちょっと暴れたい気分でもあったので」
アルフレッドの選択は白の王にとって歓迎すべきこと。
「それでこそ――」
ようやく己に次ぐ本物の王道が現れたのだから。
「何か言いましたか?」
それは白の王にとっても、どこかの誰かにとっても望んでいたことであった。
「いいえ、何も」
夜の帳、闇夜にて王とその従者が白刃を煌かせる。
○
「……本当に何も起きなかった、か」
アルフレッドは早めの朝食を三人で取って、さっさと旅立った。
黒ずくめの男が言っていた通り、あの場での急襲以外、何一つ手出しされることは無かった。どうにも納得できないことばかりであるが、手間がかからないのは悪いことではない。二人を巻き込まずに済んだのも僥倖。
(それにしてもあの人、凄く強かった。無駄が一切なくて、音も、気配すらない。影みたいな剣を使う。それに暗器も巧く使うし、ああいうシルエットの見えない服装も小細工としてはあり、かな。ちょっとダサいけど機能的だった)
結局、アルフレッドにとっては謎のまま道はすれ違う。
「次の町を過ぎればいよいよ黒き森、シュバルツバルトである」
「…………」
「聞いておるのか?」
「あ、いえ、聞いていました。シュバルツバルトですよね、はい」
「本当であるかー? まあよい、それを越えてネーデルクスに向かう」
「了解です!」
愛想笑いをするアルフレッド。訝しげにそれを見るアーク。
その後ろでアルフレッドと二人乗りをしているイェレナはぽつりとこぼす。
「シュバルツバルトを越えてネーデルクスなんてルート、聞いたことない」
結局いつも通り、不穏な旅路となるのであった。
○
「き、貴様、自分が何をしているのか分かっているのか!?」
「……何が?」
「わ、我らに牙を向けるということはエスタードに牙を向けるも同じ! どこの誰か知らんが七王国を敵に回して無事で済む、と――」
豪奢な服装をした男の顔が見る見ると青ざめる。
黒ずくめの男が仮面を外しただけで、あれだけ饒舌だった男の口が回らなくなってしまった。一目で理解してしまった。エスタードの人間であれば、旧きを貴ぶ彼らであればなおさら、その名はカンペアドールに並ぶ大きな意味を持つ。
「な、なぜ貴方が」
「今のエスタードに塩を送ることとなるのは癪だが、構うまい」
「お、お待ちください。我らは今のカンペアドールを認めておりません。貴方側のはずだ。そうでしょう!? サンス・ロス様! ロス家は我らにとってきぼ――」
「偽物にすら成れぬクズが囀るな」
サンス・ロス。そう呼ばれた男は豪奢な服装ごと男を両断した。この都市の管理者であった男は断末魔すら許されず散った。
「成らずモノに興味はない」
サンスは軽く剣を振って血を落とし鞘に剣を収めた。
「首尾は?」
闇夜の内にサンス『たち』はこの都市を制圧していた。住民に気取られることなく、『首』だけを断ち切ったのだ。この都市に蔓延るクズどもを。
「無事、旅立たれました」
サンスと同じ影のような男がすっと姿を現す。
「そうか」
「しかし、どうにもルートが東寄りなようで。このままでは黒き森に」
「……まだ早いと思うがな。騎士王が急いているのか、途上であっても必要なことなのか、俺には見えんが、さて――」
影が続々と集結してくる。彼らはロス家に仕える者たちであった。
「さしものゼノも騎士王の破天荒さまでは読み切れなかったか。だが、この紙切れ、俺が使わせてもらう」
ゼノの用意した羊皮紙。サンスはどさくさでそれを掠め取っていた。すでに王が選択した以上、二度目は蛇足でしかない。
されど、あの王であればいずれ間引く案件。
「今度こそ仕えるべき本物であってくれよ」
サンスは笑う。エルビラは頂点を望まなかった。白騎士の作った流れに乗ることを、その下に位置することを良しとした。本物ではなかった。剣を捧げるべき相手ではなかった。ただそれだけのことで全てを捨て彼は放浪している。
ネーデルクスとの大戦で義理は果たした。何よりも天を目指さぬ者にサンス・ロスは不要だと彼は判断した。そして、長き旅の果てようやく可能性に遭遇した。
世界中を見て回った彼が、ようやく納得できる存在。アルカディア方面で感じた気配、ドーン・エンドで近づいた何か。そしてまた、彼は昨日近づいた。
「御用命であった金髪のかつらと仮面、どうされるのですか?」
「間引きだ。完成までの時間潰しでもあるがな」
部下から用意させたそれを受け取り、身に着けるサンス。
「ゼノ、貴様の望む以上にことを成してやろう。この黄金騎士が、な」
ゼノの情報を喰らいサンス・ロスが動き出す。
これよりエスタードもまた揺れ動く。
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