情熱の王国:さらばエルリード

「これお弁当でしょ。こっちは日持ちする保存食で、こっちは間食用のおつまみ。それでこっちは明日の朝ごはんだよ」

「……食べ物ばっかり」

「え、ゼナは小鳥ちゃん用に少なくしたつもりだったんだけど」

「……ないすばでーへの道は遠い」

 長い朝食の後、ゼナとイェレナも桃色の屋敷で旅支度を整えていた。

「旅かー、ゼナも行きたいなー」

「ついてくればいい。アルは断らないと思う」

 イェレナの何気ない返事にゼナは頬をほころばせる。カンペアドール、しかもそれらの上澄みであった『烈華』の血統というだけでこの国では特別扱い。同世代に友人と呼べる相手はほとんどいなかった。同じカンペアドールの血統の中ですら。

 彼らは、特に彼女は、そういった線引きを理解していないのもあるが、そもそも線自体を設けていない節がある。患者か健常者か、本当にそれだけ。あとはパーソナルな部分だけを見てくれる。

 そのことがゼナにとっては堪らなく、だからこそ――

「ゼナはカンペアドールだからね。エスタードから離れちゃいけないんだ」

「そっか。残念」

「むふふ。小鳥ちゃん大好きー」

「ふんが、小鳥ちゃんじゃなくてイェレナ」

 抱擁を防ごうと期せず掌同士で握り合う力比べの様相を呈する。これも滞在中、幾度となく見られたゼナ対イェレナの盤外戦。主に二人っきりの時に発動するため誰にも見られていないが、見る者が見ればぞっとする光景でもあった。

 あのゼナと謎の少女が力比べにて互角なのだから。

「むー」

「むふふー、今日はゼナの勝ちー」

「……花を持たせてあげただけ」

 均衡が崩れ、ゼナはイェレナをぎゅっと抱きしめた。

「小鳥ちゃんはお医者さんになるんだよね」

「うん」

「ずっとアルちゃんと一緒? 専属医になるの?」

 アルフレッドの専属医、その甘美なる響きにイェレナは一瞬揺らぐ。その道はきっと素晴らしく幸福な旅路となる。だからこそイェレナは静かに首を振った。

「ならない。私は、全部の病気を治すお医者さんになるから」

 大望があった。身の丈に合わぬ大望が。

 物心ついた時から旅の中、人を救い続けてきた父の背中を見てぽつりと湧いた思い付き。今はアルフレッドとの旅でより強くそうなりたいと思えた。悲劇の根絶、その一端を担いたい。それがきっと一番、彼の『近く』に立つ方法だから。

「そっか。なら、旅が終わったらエル・トゥーレに行くといいよ。ゼナはお勉強が得意じゃないけど、結構偉い立場だから色々情報が入ってくるんだ。今はマーシアよりもエル・トゥーレに集まった医家の方が進んでるんだって。禁忌も恐れない、人を切るのも厭わない、むしろ切りたいからあそこに集う、らしいよ」

「……物知り博士」

「ふふーん、ゼナちゃんは意外と顔が広いのだ」

 大きな胸を張ったゼナ。それを見てイェレナは相好を崩す。

 彼女が医療分野について知っているはずがないのだ。武と食以外に興味のない彼女は聞いていたとしても覚えない。それぐらい付き合いの短い中でもイェレナは理解していた。だからこそ感謝するのだ。

 彼女はきっと自分のために調べてきてくれたのだから。

「私、いつかエル・トゥーレに行く。もう少し世界をこの目で見た後で」

「それがいいよ。その間にゼナちゃんも最強になってるから」

「アルがいるよ」

「次は負けないもん! で、ゼナが勝ったらアルちゃんの身柄を拘束してエル・トゥーレに送り付けてあげる。んでんで、近くだからゼナは何度も遊びに行くんだ。きっと楽しいよ!」

「アルはそうしないと思う」

「ゼナがするんだよ。ゼナはカンペアドールだからね!」

 満面の笑み。欲しいモノは力ずくで手に入れる。闘争の獣ゆえ相手の理想を、信念を砕くことに躊躇いはない。厄介なのはそれが全員にとってある種、大望とは別の望みに寄り添っている点であった。

「……ありがとう、ゼナ」

「まだ感謝は早いよ、イェレナ」

 にししと笑うゼナを力いっぱい抱きしめるイェレナ。

「げふっ!?」

 呻くゼナ。苦しそうだが、ほんの少し嬉しそうにも見えた。


     ○


 見送りは盛大なものとなった。

 というよりもキケが主将を務めるスパルティーへの派遣部隊、その出立式の中央に旅立ちが組み込まれていたのだ。木を隠すには森の中、などとゼノが要らぬ知恵を働かせたのが運の尽き。まあ確かに集団は目立っているが誰一人、アルフレッドたちへ視線を向けている者はいなかった。

 たまにイェレナの格好を見てびっくりするぐらいである。

「エルリードを出て、少ししたら離れて良いからねえ」

「は、はい。それにしても壮大ですね、キケさん」

「腐ってもカンペアドールだからね。俺だからこんな感じだけどあんちゃんとかゼナならもっと大騒ぎになるよー。俺はカンペアドールにおんぶにだっこだから」

 群衆の「キケ! キケ! キケ!」「カンペアドール万歳!」からはそんな卑屈さなど微塵も感じ取れない。アルフレッドには困った顔を向けつつも、天高く掲げる腕からは力強いオーラのようなものが見える。

「これもお仕事だって分かってるんだけどねえ。俺は不器用だからなー」

 ゼノのように言葉ではなく、キケは身体で語る。一言も発さずとも彼の雄大な身体は彼らにカンペアドールを伝えるのだ。それを持たないアルフレッドにとってはなんて贅沢な人なのだろうと思う。だが、少し離れたところでアークと相乗りしている口下手なイェレナは「わかる」と静かに頷いていた。

 結局はないものねだりなのかもしれない。

「これ、あんちゃんから」

「羊皮紙、ですか?」

「飢えた獣の怖さと哀しさは、ドーン・エンドや南の方で学んだでしょ。でもねえ、北側でしか見れない景色ってのもあるんだよー。俺はどちらかというと、飢えた獣よりも満たされた人間の方が怖い、うん、そう思う。どう思うか、使うかは君の自由。あんちゃんが答えじゃなくて選択肢を与えるってことは信頼されてるんだねえ。少し、羨ましいよ」

 ゼノは責任を他者にゆだねることを良しとしない。幼少期から将に至るまで常に己が責任の及ぶ範囲において彼がそれを他者にゆだねたことは無かった。

「それは一人の時に見ること。どうするにしても自分の手に負える範囲だけ、男の約束だぞってさー。深入りは禁物だと思うよ。渡すこと自体直近まで迷ってたみたいだから、たぶん相当だ。だからこそ、いいモノは見れると思うよ」

「いいモノ、ですか?」

「ニンゲン」

 キケの目が鋭く細まった。自分より年長者、そして彼もまた若くしてカンペアドールとして国家の武力、その中枢に至ったのだ。色々見てきたのだろう。

「……あんちゃんの話し相手になってくれてありがとね」

「え? い、いえ、俺の方が勉強させてもらってばかりで」

「そういうことの話し相手がね、いないんだよ、この国には。二代目様も近いけど、あの人も根は武人だから。無理してるだけ。それ以外は俺も含めて武以外知りませんって馬鹿ばかり。だから、ありがとう、なんだよー」

「は、はあ、どうも」

「ほんのひと時でもあんちゃんにとっては救いだったから。だから、しんどくなったらまたおいで。外遊とか適当な理由をつけて。王宮じゃ肩ひじ張ってつまらないだろうから、あんちゃんと二人で抜け出して、息抜きにパーっとね」

「外遊って……まるで俺が王様になるみたいな」

「当然でしょ? 馬鹿の俺でもわかるよー」

 キケはいたずらっぽく笑った。


     ○


 キケたちと別れた後、アルフレッドは二人が寝静まった隙を見て羊皮紙を広げた。

「……いくつかの都市の住所と、合言葉?」

 不穏な気配を感じアルフレッドは思案する。

 行く、行かない。

「はは、ゼノさんも分かってるくせに」

 選択はきっと、行った後に在るのだ。知ってからが本当の選択。

 こんな面白いヒントをアルフレッドが無視できるとゼノは考えない。

「気を引き締めていこう。俺の見るべきものが其処にあるはずだ」

 アルフレッドはこの選択で、また、業を積むこととなる。

 同時に知る。

 ニンゲン、を。

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