情熱の王国:騎士王の問いかけ

 エルリード王宮付近に軒を連ねる武家、カンペアドールの血族たち。その一角にかつて『烈華』テオ・シド・カンペアドールが家長であった屋敷があった。現在、この屋敷の家長はゼナ・シド・カンペアドールであり、広大な屋敷の中央にその住処はあった。

 アルフレッドはゼナの部下たちの案内により彼女の屋敷に到達する。

 したのだが――

「なんだ、これは?」

 その異様に言葉を失っていた。

「お気を確かに。我らとてテオ様との思い出が詰まったお屋敷、このような姿に変貌してしまうのは耐えがたいことであります。しかし、家長はゼナ様、我々にそれを咎める術は」

 悔しげな言葉を吐く部下の眼に力は無かった。

「薄い赤、いや、もっと何か、桃、そうか、桃だ。東方から伝わったりんごみたいな果実。食べたことはないけど、絵で見たことがある」

「はい。ゼナ様の好物であり、桃色こそ、ゼナ様のフェイバリットカラーなのです」

「なんてこった」

 絵画で見た桃の淡く美しい色彩。美しいからこそ記憶していたのだが、それを壁一面に塗りたくるとこれほどおぞましい光景となるのか、とアルフレッドは戦慄する。

「二代目様に掛け合って何とか我々の兵装にこの色を盛り込むことは阻止出来ましたが、日常生活ともなれば二代目様も止めること能わず――」

「苦労、されてるんですね」

「仕え甲斐のあるよい御方なのですが、独特なセンスをお持ちなので」

 アルフレッドはかつて見たトゥラーンよりも威圧感のある建造物を前に生唾を飲む。リュシュアンよりも、リオネルよりも、ある意味でレスターよりも凶悪なプレッシャー。感性そのものを破壊せんとする光景に震えが止まらなかった。

「入ります!」

「……どうぞ」

 アルフレッドは気合を入れて一歩、桃色の魔窟へ足を踏み入れる。

 その先に何が待ち受けるのか――


     ○


「おいしい」

「でしょー。ゼナが作ったんだよ」

「お菓子、じょうず」

「むふふ。小鳥ちゃんにいい子いい子されちゃった」

 アルフレッドが目撃した光景はある意味で衝撃的なものであった。

「あ、アル」

「や、やあ」

 必死に言葉を捻り出したアルフレッドの視線の先には、巨大な体躯を誇るゼナを膝枕しつつお菓子を頬張るイェレナの姿であった。膝に乗っかるゼナの頭をよしよしと撫でつけており、ゼナもまた気持ちよさそうに寝転んでいた。

「アルも食べる?」

「い、いいのかな?」

「ゼナが作ったんだよ! 褒めて褒めて」

「す、すごいね」

「小鳥ちゃんのお友達はこっち」

 ゼナが指し示す場所に座り。お菓子を一口。

「ん、美味しい」

「でしょでしょー」

 木乃伊取りが木乃伊になる。そういう話ではないが一瞬で彼女の世界観に取り込まれてしまうアルフレッド。体躯に見合わぬ趣味趣向。桃色の部屋に可愛らしいフォルムのぬいぐるみがずらり。彼女が可愛いと思うモノを集めに集めた空間が此処である。

 とかく独特であった。


     ○


 パンツ一丁で牢屋に繋がれている男、ゼノの元へアークが現れた。

「……話がある」

「アーク殿。ここはあまり内緒話に適した場所ではありませんぞ。何しろ王宮、どこにどんな耳があるかわかったものではない」

「構わん。あの子に聞かれねば良い」

 アークの眼にいつものおふざけめいた色はなかった。

 ゼノもそれに気づき視線を細める。

「何ゆえ北に針路を取らせた?」

「んん、それは時期が悪いと前に――」

「社会勉強という意味であればむしろ絶好の好機であろう。手前側のこちらとは様式が違おうが生の戦争、太平の世では得難い経験となったはず。ドーン・エンドのあれはあくまで疑似的な戦場、本物とはまた質感が異なる。ゆえに、意義はあった」

「白の王の眼がありましょう」

「あったとしてもエスタードに何か言える筋合いなど無かろうが。勝手にいなくなった王子が勝手に志願し、命を散らす。それを観測できるかもわからんし、観測したとしてエスタードを咎める理屈はない。王子であったなど知らぬ、そう言い切ってしまえば話は仕舞い。地理的にも離れたエスタードにそれほどの損はなかろう?」

「だが、ゼロではない」

「ゼロではないがあの戦力を使わぬほどではあるまい。ここまでの道のりで十分理解したはず。あの子は強く成った。躊躇を捨てた以上、実戦でも過不足なく実力を発揮することであろう。自軍の損耗を僅かでも軽減できるなら、取るに足らぬリスクなど勘定に入れる理由もあるまい。我ならば考えるまでもなく味方に引き入れ、利用する」

「……それは」

 言い澱んだ時点でゼノの負け。ため息をつくゼノ。

「勢いで乗り切ったつもりでしたが、さすが、見るべきところは見ておられる」

「世辞を言うても退く気はないぞ。周囲の状況は理解しておる。その上で我は今、此処を語る場所と定めた。自らの太陽、墜とす愚は冒すまいな」

 アークがちらりと視線を向けた先には何もない。だが、死角になっている場所、タペストリーの裏、他の牢屋にも刺客が潜んでいるのを騎士王は見逃さなかった。

「お転婆ガール、二代目様の命であろうが、手を引け。腹芸で百戦錬磨、未来を見通す騎士王相手では勝負にならん。少年不在の隙を狙った以上、おそらく悪い結果にはならんはずだ。相手を軽んじ下手な手を打つ方が愚策。騎士王の名が伊達でないことを、このローレンシアで誰よりも我らエスタードは知っているはずだ!」

「世辞が過ぎるな」

「我が父、ラロが、多くのカンペアドールが、何もさせてもらえなかった。どんな策も、いかなる工夫も、何一つ有効に機能せず、兵力で劣るガルニアの軍勢に国土の多くを蹂躙された。たった一つの悪手、烈日と戦う選択肢を取っていなければ、今日にエスタードはない。父が良く言い聞かせてくれたものだ。会ったことのない好敵手とガルニアに我が野望は潰された、とな」

「そのたった一つを避けられなかった以上、我は愚王であるよ。買い被りである」

 ゼノの言葉によって気配は立ち消える。これで王宮におけるゼノの味方陣営は手を引いた形となる。敵方の動きは分からないが、この場に限って言えば手を出してくる可能性は低いだろう。彼らもまた知っているのだ。ガルニアという藪は突くべきではないと。

 かつての武国、エスタードを望む者であればあるほど、騎士王は忌み名であるのだから。

「本題に入る前に、騎士王の眼、どれほどの確度で未来を見切ることができるのですか?」

「神話を知らぬと言っておきながら、存外執心であるな」

「未来を見切る目でもなければ、あの軍が俺の策を看破できるはずがない。これもまた父の言葉です。傲慢に聞こえますが――」

「事実である。あの戦場には驚かされたものだ。まったく想定していないところで多くの灯が消えかける。あれほど石橋を叩きながら歩んだ道のりは無かった」

「……では?」

「未来が見えるわけではないぞ。人の命、その炎が見えるだけだ。炎の大きさ、形、色味、長年見続けてそれなりに読めるようにはなったが、確信をもって当てられるのは天命のみ。それとて人の身には余る、過ぎたるものであるが」

「父の推測は正しかった。それでも父は納得しなかったでしょうが。もう一点、今の話を聞いた上での疑問です。何故、それほどの力を持ちながら国を去ったのですか?」

 アークはゼノの問いに苦笑する。

「本題前の疑問が多いのお。王は平等であるべきだ。誰にとっても、肉親であっても。アポロニアとメドラウトを離れさせ、本当の適性ではない剣を握らせ、あの子を生かすために盟友ヴォーティガンに道を指し示す。最後はあの者もまた望んだことであったが、それでもそのために道を曲げさせたのは事実。全ては子を長く生かすため、そのために、我は多くの道を曲げた。本当に、多くを……そんな男が王足る資格を持つと思うか?」

 アークの眼には深い悔恨があった。ゼノが目をそらしてしまうほどの絶望。

 人が先を知ってしまうということ。その眼は選択を軽くし、選択によって生まれた結果の責任を負わねばならないということでもある。


『やはり高みの見物か、アーク。馬鹿と煙は高いところが好きとはよく言ったものだ』

『……ヴォーティガンか』

『俺の命の使い道を示せ。偉大なる我が父、大ヴォーティガンを屠った憎きその眼で、俺の天命を使って未来を繋げてみせろ、腐っても騎士王であるならば!』

 かつて、その意味も知らぬ若き頃、アークは好敵手でもあり恋敵でもあり、盟友であった男に戯れで天命を伝えていた。アーク自身がとっくに忘れていたことを、ヴォーティガンは覚えていた。教えるという選択の結果、遠い未来で別の選択肢が生まれる。

『……我が指し示す方向へ、真っ直ぐ進め。それで、あの子は――』

『心得た。なぁ、アークよ。その眼がなければ、俺とお前はもう少し違う未来もあったのかもしれぬな。貴様と隣り合うなど反吐が出るが、たまに、そう思う』

 アークが言わずともヴォーティガンはあの日死んだ。だが、伝えていたからこそそれを有効活用しようとヴォーティガンはアークを探し、選択を仰いだのだ。

 嘘を教えればヴォーティガンを生かす道もあった。そんなことをすればあの男は生涯アークを許さなかったはずだが、選ぶことは出来たのだ。そう、この眼は選択肢を軽くする上で、間接的に選択の責任を強制的に押し付けてくるモノであった。

 最終戦争の裏側、アークが犯した罪の、一欠けら。


「話し過ぎであったな、忘れろとは言わぬが、続ける気はない」

 不完全な未来を知る方法。ゼノでなくとも喉から手が出るほど欲しいが、同時に恐ろしく思う。これほどの男が選択し続けることを恐れ、王であることから逃げた。群れの中に在ることも嫌い、西へ東へ、極力人と関わることなく、生きるしかなくなった。

 知ることの、見えることの絶望をゼノは想像するしかない。だが、知ってなお欲する気持ちはある。それを言えば好々爺のアークを見ることは無くなるだろう。欲するほど愚かではないと、手を引くと信ずるからこその告白であった。

 そうでなければ――

「では、話を戻すとしましょうか」

「うむ。ならば単刀直入に問う。南に見せたくないモノがあるか、北に足を向けさせたい理由があるか、どちらか?」

「……腹芸は、される気はないのでしょうな」

 アークの眼、普段隠している冷たさを覗き、ゼノは煙に巻くことを諦めた。

「後者です。今、ヴァイクとヴァルホールの騒動から、かの地に火種が燻りつつあるのはご存じでしょう」

「ヴァルホールの王子が、ヴァイクが吹っ掛けた喧嘩を買った件であるな」

「ええ、船を沈め追われに追われガルニアへ逃亡。その火種を揉み消しに天獅子が駆り出される始末。それとてヴァイク本隊と接触できるかも未知数。もう少し揉み消しには時間がかかると考えております」

「それにあの子を当てるか?」

「いいえ。そこではありません。ヴァイクの件は、時間はかかるが最終的には収まるべきところに収まるでしょう。陸を完全に封鎖してしまえば、いずれ彼らも音を上げるしかないですし、どこまで行っても規模として脅威になり得ない」

「……ならば?」

「ヴァイクの騒動、その影に隠れてネーデルクスの雲行きが怪しいのです。かの国が潜在的に抱えていた闇、混乱に乗じて動き出すのでは、と二代目様は考えております」

「ネーデルクスの闇……そうか、なるほどのお」

 アークは合点がいったという風に頷く。

「双方、愛国者。ゆえに問題は根深く、溝は埋まりがたい」

「アルカディアが相当掃除したと聞いておったが?」

「それで全てが処理できるほど、あの国の歴史は薄くないでしょう。むしろ残った最後の一角こそ、最も厄介かつ狡猾な敵である可能性が高い」

「……何故エスタードが其処に関与する? 内輪もめは望むところであろう」

 ゼノは苦い笑みを浮かべつつも、真っ直ぐにアークを見つめる。

「戦乱の世、多くの戦士たちが必要とされ生まれた。太平の世、多くの戦士たちが必要なくなったため切り捨てられた。切り捨てるしかなかった。その犠牲の上で今の太平の世は成り立っている。ならば、せめてそれを守らねば彼らは何のために死んだのかわからない。火種は揉み消すさ、どんな手を使ってでも、犠牲に報いてみせる!」

 武人であり戦士として、将として育った彼だからこそ、戦士たちに対する愛情は深い。それでも時勢に、世界の流れに逆らって活かす道は取れない。初代が二代目を選定した時に、二代目が今の方針を定めた時に、エスタードは舵を切った。

 今更、戦乱の世が来ても彼らは還ってこない。世界を後退してでも救うならとっくにやっている。それをしないと決めたのが新生エスタードなのだ。

「今ならば、火が広がる前段階であれば、少数でも助力となるでしょう。しかし、エスタードである我らが手を出すわけにはいかない。むしろそれが敵に利する可能性すら――」

「ゆえに我ら、か」

「そうなります」

 ゼノはごくりとつばを飲む。

 アルフレッドの思考パターン、バランス感覚であれば旧時代の考えを受け入れることは無いと確信がある。彼ならば説得できるのだ。北へ向かう理由を授けることは可能。だが、アークは読めない。此処に至るまで真意の一つすら見せていないのだ。

 ゆえにこの暴露は賭けに近い。

「ならばよい」

「へ? 軽くないですか?」

「北へ仕向ける理由が知りたかっただけよ。我は最初からどちらでもいいと思っておった。どちらでも火の勢いは変わらぬ。別の学びであろうが、同レベルの試練が用意されておるのであれば、我は何でも構わんよ。むしろ内実を聞いて、そちらの方がいいと思ったほどである。卿の仕掛け、我は乗ろう。あの子がどう選択をするかは知らぬが」

「……全部、掌の上、ですなァ」

「亀の甲より年の功、である。ガッハッハ」

 颯爽と去っていくアーク。檻の中ゆえ背中は見えぬが、見れば大きく見えるのだろうな、とゼノは思った。父を、先達を苦しめた怪物。その大きさにゼノは微笑む。

「同じ規模、か。ネーデルクスを巣食う闇すら、あの少年にとっては踏み台でしかない、と。なるほど、くく、確かに、知りたくないものだなァ、未来など」

 ただの一端、されどゼノは知ってしまった。

 昨今、ゼノの頭を悩ませていたもう一つのネーデルクス。それすらもアルフレッドにとっては試練であり、学びでしかないのであれば、彼の到達点は自分の想定を遥かに上回ることになりかねない。いや、そうなるのだと未来を突き付けられた気分なのだ。

 この暴力、果たして自分に耐えられるか、そう思った時点でゼノは背負うべきではないと考える。これもまた騎士王によって与えられた学びだな、とゼノは思い、まだまだ自分は蒼いと気持ちを改め、苦い笑みを浮かべた。

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