情熱の王国:真理を求めて

「俺、あの山を越えた先を見てみたいのですが」

 きりっとした表情のアルフレッド。しかし、その頬は真っ赤に腫れていた。昨夜の状況を一切覚えていないイェレナが起きると自分に抱き着いている男、アルフレッドがいたのだからびっくり仰天。反射的にぺちっと頬を可愛く打ったつもりが、咄嗟の事で本人も力加減を誤り今に至る。訳を聞いて反省中のイェレナであった。

 男アルフレッド、鯖折りの件は漏らさない男気も見せる。

「見せてやりたいのはやまやまだが、今は時期が悪い。近日中にそれなりの規模の戦がある。マイブラザーのキケも参戦予定だ。客人を連れていける状況ではない」

「客扱いされずとも構いません」

「そうはいかんさ。少年、君はどこまで行ってもアルフレッド・フォン・アルカディアなのだよ。そして白の王の眼が何処に光っているのか、君も俺も全容は知るまい。知られない確証が得られぬ以上、リスクは取れんのだ。許せ」

「……またアルカディア、ですか」

「一生ついて回る。俺が『烈鉄』の息子に生まれついたのと同様にな」

「ラロ・シド・カンペアドールですよね?」

「博識だな。飴をあげよう」

 ゼノはむさくるしい胸元から温かい飴を取り出す。包み越しでもわかる蒸れっぷり。

「いえ、全然要りません」

 アルフレッドは真顔で拒絶する。

「あの御方ならこうしただろう。彼ならきっとこうはしなかった。うっとおしいこともある。それでも向き合わねばならない。俺は父を尊敬しているよ、完成された武将、将としてならば初代様にだって……たらればには意味がないが、それぐらい尊敬しているのだ」

「俺も、です」

「ふふ、そうだろうなァ。だが、真似はせん。しても俺は父上にはなれんし、少年もまたウィリアム・リウィウスにはなれない。本物を目指すならば、いち早く模倣から脱却せねばならないぞ。尊敬が大きければ大きいほど、難しい道のりではあるが」

「…………」

 耳が痛い、とアルフレッドは思う。最近、朝夕の稽古でアークに言われていることであったから。誰かの真似事はやめよ、と。

「真似が悪いというわけではない。真似だけで終わるのがまずいという話でな。自分という器に最適な形で取り入れるなら、それは進歩であり進化だ。目指すべきところだろう。俺の槍、我が好敵手の口癖だが、的を射ている」

 どこかで聞いた言葉だなとアルフレッドの脳裏に懐かしい顔が過る。

「と、話の腰を折るのが俺の得意技だ。話を戻して南は断念、ならば北しかあるまい! 北上し、我らが王都エル・リードをお見せしよう!」

 アークはちらりとゼノに視線を向ける。が、あえてこの場では何も言わなかった。

「……わかりました。俺も楽しみです」

 少し残念そうだが、アルフレッドは納得したのか北へと前向きな視線を向ける。

「では参ろう! 善は急げだ!」

「はい!」

 ゼノの用意した馬に跨る騎士王。眠りが浅かったのか仏頂面を崩していない。アルフレッドとイェレナはウィル二世に二人で跨る。若干ギクシャクしているのは仕方ない。

「道中も楽しみにしておくといい。このゼノ、つまらぬ旅路にはさせんよ!」

(根っからのエンターテイナーなんだなぁゼノさんは。楽しみだなぁ)

 アルフレッドはまだ理解していなかった。

 ゼノの満面の笑みを。その裏に渦巻く恐るべき陰謀の数々を。

 この旅を通して彼は知る。この世界の真理を。

 大人って汚い生き物なんだ、と。


     ○


「さぁやってまいりました! 以下略」

 降り注ぐ歓声。アルフレッドは呆然と立ち尽くす。

「エスタードは戦士の国だ! 太陽の子を信じよ!」

 どこからともなく聞こえる声。群衆は誰が言ったか分からずともその声に同意する。地元のスターが謎の仮面の少年に負けるはずがない。そう、まだ情報が届いていなかったのだ。王都エルリードならばいざ知らず、南部は北部ほど商人の出入りが少なく噂の到達が遅い。全ては計算づくの事であった。

「よっしゃあ!」

 勝負が決し、うな垂れる者が多い中、ガッツポーズを決めるのはしょーもない変装をしたゼノ・シド・カンペアドールその人であった。当然のことながら勝負の前に群衆を煽って賭け率を操作していたのもこの男である。

「エル・トゥーレのおかげで南部はさらに情報が遅くなった。南北の格差は憂慮すべき事柄である。まっこと、まっこと、カンペアドールとして哀しい話だ」

「俺はそれを利用して私腹を肥やす人の方が哀しいですよ」

 闘技場でひと稼ぎしたゼノは「うひょひょ」と浮かれながら、この町一番の飲食店で豪遊する。アークとゼノは両手に華、アルフレッドとイェレナは冷めた目で大人な二人を眺めていた。金が舞う舞う、キラキラした金銀がそこかしこで弾んでいた。

「ふっ、これには深い事情があるのだヤングボゥイ」

「何ですか?」

「あれはいつだったか、おだて上手な女性がたくさんいる店に行った時のことだ」

 この時点でアルフレッドは聞く意味ないな、と視線を外した。

 だが、ゼノという男は話好きであり相手が聞いていようといまいとあまり関係がなかった。口を開いたが最後、とにかくぺちゃくちゃ煩いのである。

「俺も若かった。おだてられるとつい調子に乗ってしまう。あれが飲みたい、これが飲みたい。レディが望むのだ。男ならば叶えてやりたいのが紳士的本能。当然、望み通りにぱーっとやった。翌朝、エルリードの片隅でパンツ一丁の俺が見つかってな。俺自身びっくりしたものだ。まさかあれだけの軍資金が一夜にして――」

 アルフレッドはイェレナの眼に不必要かつふしだらな景色が入らぬように全力で防衛に勤しんでいた。イェレナは「……ぐぅ」と、またも睡魔に敗れていたので少年の努力は無意味であったが。病人がいれば三日三晩起きていることも容易だが、何もなければさっさと次の日を迎えようとする合理的な生き方である。

「見つかった相手が悪かった。王宮に引き摺られ、パンツ一丁のまま牢屋に入れられた。一週間ほど反省し、ようやく娑婆に出ると、なんと家長である俺の財産が全てマイブラザーであるキケの管理するところとなっていた。この歳で俺、おこづかい制なのだ」

「…………」

 必死で突っ込みたい気持ちを抑えつけるアルフレッド。

「夢も希望もない毎日。たまの息抜き、悪いことではないだろう、兄弟?」

 アルフレッドの肩を抱こうとするゼノ。それをぴしりと払うアルフレッド。

「触らないでください。深い事情が聞いて呆れますよ。浅過ぎてびっくりしました」

「ふふ、若さだな」

「歳は関係ないでしょうに。俺は歳をとっても貴方みたいにはなりませんよ」

「どうかなァ? 意外とすけこましの相が見えるぞォ」

「一緒にしないでください!」

 憤慨したアルフレッドはイェレナを颯爽と回収して去っていく。ナチュラルムーブなお姫様抱っこで去っていく背中に、ゼノは確信を抱いた。

「女泣かせの色男、ふっ、骨の髄まで王子様だなァ」

 そしてすぐさま久方ぶりの豪遊を再開、満喫する。


     ○


「エルサラはレベルが高いぞ。南部最大の都市にしてかつての王都だ」

「また賭け事の道具にする気ですか?」

「ふっ、そんなことはせんさ。あれは一夜限りの夢、泡沫の幻想だ」

「それ二回目ですけど」

「……男が細かいことを気にするな、ということだ。今日の相手は俺の権限で少し面白い手合いを用意した。この試練を突破せしめたならば、俺がこの世界の真理を教えよう」

「真理?」

「少年の王道にも必ず、役に立つはずだ」

「なるほど、確かに今回はいつもと違いそうですね」

「見せてもらおう、黄金騎士アレクシスの力を」

 ゼノの試練、アルフレッドは必ず越えてみせると意気込む。


「ぐっ、強いッ!?」

「ほう、この美しき攻撃をしのぐか。久方ぶりに血が騒ぐ」

 歴戦の猛者、『美烈』クラビレノ・アラニスが大きな鎖鎌を振り回しアルフレッドもとい黄金騎士アレクシスを追い詰めていた。とにかく今まで見たことがないほど変幻自在な攻撃の数々。巧い、と唸ってしまうような攻撃が雨あられと降り注ぐのだ。

「逃げてばかりでは勝負にならんよ」

(今は見に徹しろ。トリッキーだけど隙が無い。迂闊に踏み込めば相手の思うつぼだ。耐えて耐えて観察し続ける。見つけろ、突破口を!)

「……冷静、か」

 ちらりとクラビレノは観客席にいるゼノに目配せした。本物との戦いでこそその物の真価が分かる。苦境でこそ本物は輝くのだから。ここで我慢が出来るのであれば少なくとも才に溺れた偽者ではないということになる。

「出来れば戦場で会いたかった、よ!」

 クラビレノのド派手な連撃。アレクシスは気合の叫びと共にそれをしのぐ。

 闘いの結果は――


「お見事。さすがは無敗の黄金騎士、見事なものだ」

 ゼノの誉め言葉に対してアルフレッドは顔を歪めたままであった。

「どうした? 納得いかなかったか?」

 勝負の結果はアルフレッドの勝利であった。それは揺るがない。だが、もしここが戦場であったら、集団戦の中、初見でクラビレノと遭遇していたならば、勝敗はおそらく覆っていたはず。初見殺しであり、戦争は殺して初見で終わらせることができる。

 次がある闘技場とは違う。誰の妨害も入らず逃げに、見に徹することができる環境は闘技場ならでは。戦場ではおそらくそんなシチュエーション自体があり得ないだろう。純粋な一騎打ちでなければ勝てなかった。

「…………」

 ゼノの思惑通りの気持ち悪さ。勝ったのに勝った気がしない。

「あの人は初見の相手に滅法強い。本人は一騎打ちや正々堂々とした戦いを好むが、真価は少年の感じている通り、敵の戦力が見えていない状況下での遭遇戦。あれを奇襲でやられてみろ、対応できる奴などローレンシア全土で十指もいない」

 加えて遮蔽物が多ければ多いほど、クラビレノは自在に死角から攻め立てることができる、独特な武。勝てる状況下での戦いだったから勝てた。状況次第では本当に何も出来ない可能性すらあったのだ。ゆえに、アルフレッドの顔は険しいまま。

「あの人の中身がサンスさんだったら、戦場においてまさに死神であっただろうよ」

「サンスさん?」

「ん、ああ、気にするな。名乗りもあげず、影の如く熱を持たず、冷徹にことを運ぶ性格であったなら、と誰もが思う。しかし、本人だけがそう思っていない。やる気がない。一対一が大好きで、多くのカンペアドール、初代様のような熱源になりたいのだ」

「……もったいないな」

「曲げられぬ者もいれば、曲げる気が無い者もいる。死と隣り合わせの戦場でも、数多の死線でも曲げなかったのだ。あの人は曲がらんよ。殺しても、曲がらん。堂々と正面からあの厄介な技を繰り出し続けるさ。死ぬまで、なァ」

 理解出来ない存在。しかし同時にその在り様を美しいと思う。

「いい勉強になりました」

「戦場と闘技場は違う。また、これに関してはこの先で深める機会もあろうよ」

 ゼノはアルフレッドの肩をぽんぽんと叩く。

「では、本題だ」

「真理、ですね」

 ごくりとアルフレッドはつばを飲み込んだ。クラビレノという教材、それを超える何かを彼は教えてくれるというのだ。途方もない価値である。

「ああ、少しだが今日も俺は賭けに勝った」

「……いつもは全額なのに。負けると思ってましたね?」

「小さいことだぞ、少年。で、だ。この都市は結構盛んでな、とある産業が。俺も若かりし頃は先達とよく来たものだ。嗚呼、懐かしきわが青春」

 アルフレッドの脳裏に嫌な予感が迸る。

「征くぞ、色街!」

「い、行きませんよ!」

 信じた己が馬鹿だった、とアルフレッドはまたも後悔する。

「馬鹿者!」

 だが、ゼノの一喝で空気が変わる。

「女を知らぬ王がいるか? 潔癖な王が女に篭絡される歴史など枚挙にいとまがないのだ。権力者にとって女は毒ともなる。名君がたった一人の女人に壊されることもある。その対策を打たずして何が王道、何が覇道か。兄弟、俺はお前が心配なのだ」

 優しく、柔らかく、雄々しくゼノはアルフレッドの肩を抱いた。

 その眼は誰よりも優しく、温かな色を宿す。

「学びだ。無駄なことなど何もない。未知に挑戦せずして明日はないぞ」

「……り、理に適っている」

「そうだろう?」

「え、ええ。そんな気がしてきました」

「さあ、共に往こう。俺がいい店を紹介してやる。嘘でもいいから慣れない内は初めてです、とフレッシュに言うとサービスが向上するぞ。ヤングな者にしか許されぬ裏技だ」

「な、なるほど」

「いざ参らん、新世界へ!」

「お、おー!」

 アルフレッドは高々と腕を掲げた。

 その瞬間――

「ぬおッ!?」

「えっ!?」

 物凄い力で密着していたアルフレッドとゼノが引き離された。その間には一切の感情も浮かんでいない冷徹な瞳を湛えしイェレナの姿が。アルフレッドの脳が急速に熱を失っていく。ゼノは半笑いで「知ーらない」と即座に逃げを打った。

 戦術的撤退はゼノが最も得意とする兵法であった。

「……違うんだイェレナ。ゼノさんの口車で」

「行こうとしていた」

「いや、そんなつもりはなくて、聞いてよイェレナ。待って、話を」

「耳が穢れる」

「待ってー!」

 アルフレッドは今日、真理を知った。

 浮気は悪いこと。信頼は積み上げるに難く、崩すのは易いことを。

 この学びは後々、とっても役立つことになることをアルフレッドは知らない。

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