情熱の王国:霊峰エル・ブラン越え

「エスタード、ですか?」

「不服か?」

「いえ、アークさんなら暖かいヴァルホールへ向かうのかと」

「我のことを馬鹿か何かかと思うとらんか? ん?」

「……エスタード、ですか」

「否定せんのか……太々しくなりよって。まあ、よい」

 イェレナによる治療を終え、ようやく立ち歩けるまで回復したアルフレッド。

 その間、例の如くアークは狩りによって食糧を調達し、全力で恩を着せながらアルフレッドたちに食事を振舞っていた。イェレナは食べられる木の実などを調達してきたため、それほど大きくマウントは取られていないが、病床のアルフレッドは如何ともし難く、甘んじて恩を着せられる羽目になった。

 そのことを後悔するのはそう遠くない未来である。

「ヴァルホールでも構わんのだが少し色々あってな」

「色々、ですか?」

 アルフレッドの脳裏に何故かアクィタニアの王都を横切った際の記憶が浮かぶ。

「うむ。先々のことを考え船を購入しようと考えてな。当時の懐事情では苦しく、一獲千金を目論んだのだ。ヴァルホールには大きな賭場があるからの。しかし、現実は優しくなかった。大負けした。びっくりするほど負けた。我史上最大の大敗である」

「……それ、俺が稼いだお金ですよね? 預けたはずの」

「ふっ、小さいことを気にするでない。誰のおかげで動けぬ中、食事にありつけたと思うておる? んん?」

 遠くない未来が早速やってきた。早過ぎである。

「安心せい。路銀はきちんと残しておる。たぶんイカサマであったからな。最後にひと暴れして路銀だけは守り抜いたのだ。ゆえにヴァルホールはまずい」

「イカサマの確証は?」

「悪魔の証明というやつであるな」

「くっそ、この爺全然へこたれない!」

「ガッハッハ! まあほとぼりが冷めるまではヴァルホールは出禁であろうよ。ゆえにエスタードである。すでにルートは決めておる。万事我に任せよ」

「とても不安」

「それ、正解だよイェレナ」

 アルフレッドとイェレナは大きくため息をついた。出会って間もない彼女ですらアーク・オブ・ガルニアスという色んな意味で常識外れの男が選択したルートに不安を覚えていたのだ。アルフレッドが肯定した通り、その不安は的中する。


     ○


「もう夏ですよ!?」

「寒い」

「ガハハ、残雪であるな!」

 アーク・オブ・ガルニアスの選択したルートは常人であれば絶対に選択しない愚者の道、霊峰エル・ブラン越えであった。ヴァルホールを抜けてエスタード入りが出来ないのは仕方がない。誰かさんが指名手配されているから難しいのは分かる。

 しかし、エル・トゥーレを抜ける道でも、同じ山越えでももっと易しい道はいくらでもあった。それなのにアークはこの辺りで一番高く、ローレンシア全土で見ても二位の高さの山を踏破する道のりを選んでいたのだ。

 しかも路銀不足により厚着できず寒さに震える二人。アークはちゃっかり着込んでいる。

 イェレナの衣装は見た目温かそうだが夏仕様であったらしく、風がガンガン通り抜けてきて寒いと震えていた。アルフレッドもまさかこの季節で凍えそうになるとは思っておらず、雪国生まれの二人組でさえ泣き出しそうなほど過酷な環境であった。

「若いのだから気合で乗り切れィ!」

「若くたって寒いんですよ!」

「右に同じ」

「我も寒いぞ」

「その毛皮剥ぎ取ってやる」

「右に同じ」

「年寄りは労わらんといかんぞ。誰のおかげで飯が食えたと思うておる? んんん?」

「くっそ、いつか泣かしてやる!」

「我泣いたことないもん」

「お爺さんのもんはきつい」

 断崖絶壁、幅一人分の身長すらない道を震えながら歩む三人と一匹。意外と図太いのかちゃっかりアークが拾っていたウィル二世は平然と山道を踏破する。

 山道案内のスペシャリストであるオルフェが見たら卒倒するであろう山を舐め切った装備に行程。そもそも素人が登るような山ではないと後にオルフェは語る。

「さて、これより上はウィル二世ではきつかろう。我が荷物番としてここに残っておる。卿らはしゃしゃーっと頂上まで行ってくるがいい」

「……そうやって簡単に言う」

「なに、冬に比べれば容易い容易い。かの『烈日』エル・シド・カンペアドールは兄と共に冬のエル・ブランを踏破したそうだ。それに比べれば児戯であろう?」

「まあ、折角なので見てきますよ。行こう、イェレナ」

「うん。荷物お願いします」

「うむ、任せよ。ぐぬっ!? おっもッ! ちょ、待、我騎士王ぞ!?」

「いってきます」

 騎士王アーク・オブ・ガルニアス。颯爽と頂上へとつながる道を歩み始めた二人を見つめながら、寄る年波には勝てぬと荷物を放りだす。戦乱渦巻くガルニアを制覇した偉大なる王なのだが、いたいけな少女が背負う荷物にすら負けてしまったのだ。

「……泣きそうである」

 ほろり、泣いたことなどないと豪語した男は静かに泣く。

 何度でも言うがこの男、騎士王アーク・オブ・ガルニアスである。


     ○


「……うわぁ」

「わぁ」

 雲一つない高所からの眺め。まるで世界を独り占め、もとい二人占めしているような気分であった。霊峰エル・ブランからの絶景。三百六十度、何も遮ることなく世界が一望できた。遠くには世界最大の峰、エスタードと小国群を隔てる山々も見える。

 都市が豆粒のよう。人など見えるはずもない。

「凄いねイェレナ」

「うん」

「山道を歩いていた時、何をやってるんだろうって思っていたけど、俺、来てよかったよ。この景色は見る価値がある。こんないい天気、滅多にないんだろうけどさ」

「私も来てよかった。びっくりぎょうてん」

「だね。きっと、王様の景色ってこんな感じなんだろうね」

「なら王様は最高の職業」

「うん。でもね、一人だと、ちょっと寂しい気がするよ」

「そう?」

「二人だから、君とだから綺麗に見える気がするんだ」

「……友達」

 イェレナがはにかみながら手を差し出してくる。

「ああ、友達、だ」

 アルフレッドもまた笑顔でその手を取った。

 アルフレッドとイェレナは手を繋ぎながら霊峰エル・ブランの絶景を一望する。この日、頂上からの景色はとても綺麗に見えた。隣に誰かがいて、誰かと並び立ってみる世界はとても美しく、安心感があった。

 アルフレッドは思う。

(嗚呼、そうか、だから父上は――)

 素敵な景色だった。生涯、アルフレッドはこの日を忘れない。

 絶景と掌のぬくもりを。


     ○


 三人は再び合流しゆるりと下山する。

 霊峰エル・ブランを越えた先、其処はすでにエスタードの領土である。

「つっかれたー」

「若いのにだらしがない。しゃんとせいしゃんと」

「ウィル二世に乗りながらじゃ説得力がないですよ、お爺ちゃん」

「ムキー! 爺扱いするでない! 其処に直れ、稽古をつけてやる!」

「望むところです!」

「早く人里で休みたい」

 山々を越え、彼ら三人と一匹は辿り着く。

 赤茶けた大地。広大なる太陽の王国。

 七王国エスタード王国へと。

 そして――

「なっ!?」

「ほう! これまた随分と仰々しい歓迎であるな」

 彼らは出会う。

「ゼナの報告通り、かつ、俺の読み通りであったなァ」

 突如現れた騎馬隊。その中心で笑う濃い顔のダンディズムの塊。

「オラ! ようこそ我らがエスタードへ。歓迎しようアルフレッド・フォン・アルカディアと騎士王殿、そして小鳥ちゃん。俺の名はゼノ・シド・カンペアドール、以後、よろしくゥ」

 暑苦しい挨拶と共にゼノ・シド・カンペアドールが颯爽と現れた。

 アルフレッドのエスタードでの旅が始まる。

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