ドーン・エンド:喜劇の王

 始まりは――幸せに満たされていた。

 親子三人、閉じた世界。気高く格好良い父、優しく温かい母、大好きだった。今だって変わらず愛している。たまにやってくる人も、皆本当に優しくて、世界はとても良いところで、不満なんて何もなかった。ずっとこの幸せが続くのだと、信じて疑わなかった。

 最初の分岐点は――北方から王都へ、そして母の死。

 のんびりとした田舎の北方とは時間感覚が異なる世界。価値観も違えば人間関係も変わってくる。父は忙しくなり遠くなっていく。そんな中で同じ時間感覚を共有する母が死んだ。この世界には幸せ以外があることを、知った。

 次の分岐点は――テイラー商会。

 学校での座学だけでは満足できず、学んだ知識を実地で試してみたかった。それだけの理由でテイラー商会に入った。知識と知恵、点を結び付けて金を産むのは楽しかった。優秀な先輩たちの様々な手法を吸収して、半年でトップクラスの収益を叩き出した時の全能感と言ったら、未だに忘れられない。

 商権を奪った相手が呪詛と共に自ら命を絶った。台帳に記載された数字だけを見ていた僕は、その時初めて生の憎悪と絶望に触れて、逃げた。力を行使することが怖くなった。今思えば、傷つきたくないから理論武装して小さくまとまっていたのだと思う。

 次からは――この物語で語られている。今までの、全てが僕を変えた。

 そして今――僕は俺のやるべきことに辿り着いた。

 限られたリソース。誰かを選ぶと誰かを切り捨てなければならない世界。小さくまとまっていては見えなかった。汚いモノから眼をそらしていては見つからなかった。

 父が選んだのは発展。そのために戦争を終わらせ戦士を切り捨てた。百を救い十を切り、未来の千を、万を育む道。壊して、育み、壊して、育む。無限の繰り返しの果てに父は何を見たのだろうか。

 可能性か、希望か、絶望か――

「僕にはまだ、何も見えないよ」

 見えない。でも選ばねばならないとしたら、正しい道を選びたい。自分の骨子はあの北方での日々。押し付けになるかもしれないが、ああいう世界を全ての人間が享受できる世界を作りたい。そのためであれば、自分も選ぼう。

 見知らぬ誰かのために見知らぬ誰かを切り捨てる。視野を広げれば広げるほどに罪の大きさに気づく。王とは、頂点とは、世界で最も罪深く、世界で最も孤独で、何の見返りもなく、人を殺し、人を救う。選択者、導く者、それが王。

 天地を知らぬ者が王に成るよりも、天地を知る己が王に成った方が良い。

 世界を回り、世界を喰らい、世界を導く者など自分にしか出来ないだろう。だって、他の者は知らないのだ。世界がこんなにも不公平で、度し難く、優しくないことを。目をそらしているのだ。誰かにその歪を押し付けて。

 知っている自分が成るしかない。

 知っている中で、最も優秀な自分が成るしかない。

「嗚呼、俺は本当に、傲慢だなァ」

 もし、自分よりも適格者がいればすぐにでも席を譲ろう。その人の補佐に回って支える方が性質的には向いている。だが、それを待ち続けるほど世界に時間はない。待っている間にも世界は動いており、流動的な『流れ』の中にあるのだから。

 本当の僕は弱い。たった一度の失敗で逃げ出してしまうほど、弱い。でも、王は強くあらねばならない。強く曲がらず、折れず、世界を貫く柱たるべき。

 ならば強くあろう。弱い自分を強き力でまとい、何人も寄せ付けぬ最強の存在となろう。自分よりも優秀で、世界を導くに足る資質に出会うまでは――

「さあ、笑おう。誰にも気取らせぬために。弱さを隠すために」

 アルフレッド・フォン・アルカディアは仮面をまとう。

 王者の笑みと言う世界で最も哀しい仮面を。

 彼の物語は――まさに喜劇である。


     ○


 スコールたちが現場に到着した時には、恐ろしい光景が広がっていた。何故こうなったのか、誰にも理解できないのだ。ただ、現実はそこで起こっていることであり、彼らはそれを飲み込むしかない。

 たった一人対数百人。ただし、名乗りを上げた者が順番に戦っていく構図。皆は嬉々として挑み、首を、胴を、腹を、胸を、断たれ、刺され散っていく。

「次! さあ、挑んでくるがいい。我が名はアルフレッド・フォン・アルカディア! 偉大なる白の王の嫡子にして次代の王である! 貴様ら戦士にとっては不倶戴天の敵、その息子が此処に居るぞ!」

 そこら中に散らばる躯の数に、エル・トゥーレの若い者などは嘔吐してしまう者もいた。いったい、彼は何人殺したのだろうか。

「我が名はパウリノ・シガンダ! 戦士である!」

「俺の名はフェデーレ・カカーチェ! 右に同じ!」

 正面から堂々と彼らは攻めてきた。実力差は承知の上。ゆえに二人がかり。間合いに入った瞬間、左右に展開し、二方向から――

「パウリノ、フェデーレ、悪くない攻めであった!」

 片方の首を刎ね、もう片方には発勁を込めた蹴りで内臓を破壊する。痛みに悶え、崩れ落ちるパウリノの首もまるで抵抗を感じぬ太刀筋で切り捨てた。隙が無く、無駄がなく、それでいて美しい。

「次!」

「応ッ! 我が名は――」

 幾度も、幾人も、挑み、散っていく。その度に積まれる躯。おぞましいほどの死臭が辺りに立ち込める。しかし、真に恐ろしいのは、その中にあって燦然と輝く一等星。

「どうした。お前たちの武はこんなものか?」

 絶えぬ清涼なる笑み。地獄にあってただ一人黄金の輝きを持つ男。笑いながら戦士を叱咤し、微笑みながら彼らを斬る。斬りに斬ったりその数数百。もはや、人間の所業ではない。そもそも彼はそれほどスタミナがあっただろうか。多少、旅をして体力がついたにしろ、未だにイェレナの方が平時ではタフだし、この中で彼を上回る者は大勢いるはず。

 だが、アルフレッド以外の誰がこの地獄を作り出せるだろうか。

「はっはっは! お前たちの敵、俺は此処に居るぞ!」

「死ねェ!」

「惜しかったな、ラッセル」

「クハッ! 無念!」

 両断され、臓腑をぶちまけ絶命する戦士。それを踏みしめ王は君臨する。

「……壮絶だな。何も言えねえ」

「確かに恐ろしい光景だが、貴殿らの方が強く見えるぞ」

 イヴァンは武人として冷静に状況を分析していた。恐ろしい光景に圧倒されてしまいそうだが、先ほどの戦いを見た者たちならば彼らには劣ると感じるだろう。

 もちろん、無尽蔵の体力は驚嘆に値するが――

「御冗談を。視れば視るほど……化け物です。そうとは見えない程度にペース配分をしながら戦い、刃こぼれに気遣いながら敵を断つ。出来ますか? 鎧の隙間を、肉の筋を、骨の可動部を、弱点を突いて、少ない体力を温存しながら紙一重を演出する。この絶技が。一対一でも出来ない。二対一など理解を超えている。三対一……笑うしかありません」

 アルフレッド・フォン・アルカディア。その名から浮かぶは一人の巨星。恵まれぬ体躯と頂点には程遠い剣才。限界まで叩き上げ、限界を超えた先の絶技。『銀冠』、『血騎士』を討ち、ガリアスが誇る武人の多くを玩んだ凡なる究極。

「よ、鎧の継ぎ目は理解できるが、肉の筋や骨など……外法の医者でもないのに何故そんなものが見える? 戦闘中だと言うことを差し引いても、ありえない!」

「んなこと言っても現実にやれてるんだから仕方ねえだろ。すでに倒れている二百近い死体、そんだけ斬って刃こぼれ一つしていない剣を見ろ。見たところ、名剣の類じゃない。多少頑丈な造りの、普通の剣だ。だったらあり得ねえっていう方が、あり得ねえだろうよ」

 スコールはオルフェとは別の視点から同じ答えに辿り着いていた。その驚きからしたら彼が大国の王子であることなどそれこそ些末なこと。

「アルって王子様だったんだ」

 そこに驚いていたのはイェレナと、とあるエスタード出身のエル・トゥーレ兵くらいのもの。とはいえそもそも感情の起伏がそれほど大きくないイェレナなので「驚いた」の一言でまとめてしまった。

「鳥人間のお嬢ちゃんはあれと知り合いなのか?」

 スコールの問いにイェレナは首肯する。

「初めての友達」

「……そ、そうか。何か悪いこと聞いたな」

「何で?」

「いや、気にしないでくれ。で、此処からが質問なんだけど、あのアルフレッド君はいつもああやって戦うのか? あー、剣を気遣いながらって感じ?」

「戦いのことは良くわからないけど、剣は大事にしてる。友達の親が鍛冶師だから研ぐのは得意だって。あと、大したことじゃないけど――」

「あ、大したことじゃないなら別に」

 あまり役立つことは聞けそうにないとスコールが会話を打ち切ろうとするが――

「死体を解剖するたびに刃こぼれは少なくなった。最近はほとんど研いでない。無駄に刃を減らしたくないだって」

「し、死体の解剖!? 何で、ってかどこでそんなもん――」

「旅の途中で。襲ってきたドーン・エンドとか野盗さんとか、それに殺された人たちとか」

「りょ、猟奇的だな」

「何故? 私も彼も、人の中身に関して知見が少なかった。死体があって、それを開くことで救える命が、出来ることが増えるなら、有効活用すべき。それに周囲を気遣って人目のつかないところでやった。悪いことなんて何もない」

 イェレナの声に迷いも悪意も無い。彼女は、きっと彼も、死を有効活用すべきと言う理屈に疑いはないのだ。合理的であるが、道徳や倫理が邪魔をするはずのことを、容易く超えて彼らは学んでいた。

 世界の片隅で、世界の中心では容易く学べぬことを。

「何体さばいた?」

 背後から突如現れた黒い影が問う。

「五十くらい。時間に余裕のある時しか出来なかったから」

「ハッハ、やっぱり天才かよ。あの男が阿呆ほど斬って、研究目的に五百体さばいて、ようやく手に入れた境地を、十分の一でほぼ同じ場所ときた」

 ボコボコになったラウルを担いだ黒星は腹を抱えて笑う。理不尽な才能差を見た時、人は笑うしかないのだろう。それが天才と呼ばれた者であればあるほどに、偽物と本物の違いには敏感なのだ。自らもまたあれと比較して本物とは程遠いから。

「敵対する気はねえよ。ただ、折角の舞台だ。見ないのは、ナシだろって話さ」

「ふぁたふぁへた」

「また負けた。見ればわかりますよ」

 オルフェの厳しい突っ込みに消沈するラウル。

「……つーかよ、あんだけのことやって笑うって、どういう思考回路してんだ?」

「さて、私にはわかりかねます」

「……悪魔だってもう少し表情を選ぶだろうに」

「ゼナも笑うよ!」

「そりゃあお嬢ちゃんはな。でも、そーいうのとも違うだろあれは」

 疑問符を浮かべる武人たち。

 その中でイェレナだけはマスクの中で哀しげに顔を歪めていた。彼の弱さを知るから、此処までの苦悩を知るから、あの表情の意味が分かるのだ。あれは仮面。何かの決意によってまとったペルソナ。

 それが何かまではイェレナには分らないが――

 彼の『笑み』が悲しいモノだと言うことはわかる。

「次!」

 壮絶な光景。そこにとうとう――

「オストベルグ重装騎兵団、『黒金』のストラクレス旗下、ディートマー・グナイゼナウ」

「ふ、ようやくか亡国の騎士たちよ。貴様らの怒り、憎しみ、全てを込めて我が前に立て。父に届かなかった貴様らでも、俺になら届くかもしれんぞ」

「参るッ!」

 オストベルグの亡霊たちも参戦する。その殿には最強の鷹が控える中、黄金の才と妄執の黒が激突した。

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