ドーン・エンド:終わりを求めし者

 クレスは勘違いをしていた。レスター・フォン・ファルケはストラクレスと同じステージに立つ者だと。ストラクレスのように恵まれた体躯こそないが、狂気によって得た膂力とそもそも持ち合わせていたオストベルグ随一の技術。合わされば頂点にも届き得る、と。

 それは大きな勘違いであった。レスターと言う男の器を測り違えていた。

「この程度か、であれば貴様らに先はない!」

 完全に狂気と言う殻が破れた今、彼は明らかに完成していた。狂気で得た力はそのままに、歪んだ身体すら巧みに使いこなし、何よりもオストベルグ随一であった技術は、狂気の中で培われた体捌きとも相まって空前絶後の域に達していた。

 クレスは、間違っていた。真の鷹は、時間さえあれば狼の王にすら比肩していたのだ。世界最強、もはや彼はその域である。そして――

「フー! フー! フー!」

「音を、超えろッ!」

「アハハハハ! 死にそう、楽しい!」

 そこに三人がかりとはいえ喰らいついている若き三戦士もまた飛躍的な速度で階段を駆け上がっていく。鷹が導く武の極みへ、ついて来いとばかりに槍を、剣を交える。

 当然――

「刹那とて気を抜くな」

「あ、ぎ!」

 槍の逆端、石突によってゼナの正中線、水月へ捩じり込むような突きが入った。血の入り混じった吐しゃ物を撒き散らすゼナ。しかし、体勢を崩しはしない。レスターは彼らにとって無二の教育者であったが、彼のレッスンは死と隣り合わせ。

 負傷は増えていく。生傷の無いモノなどこの場にいない。

「ウォラッ!」

 反りのある刃がレスターの背を捉えた。浅いが、確かな傷。

「そこッ!」

 わき腹をかすめるオルフェの槍。如何に鷹とて三人をすべて捌き切ることなど不可能。彼らはただの三人ではない。頂点を目指すことの出来る三つの星なのだから。

「お返しだ」

 その反撃のたびにレスターの笑みは深まった。ただの殺戮ではない。れっきとした闘争なのだと身体が、心が叫んでいるから。楽しくて仕方がないのはレスターの方。

 無動作での跳躍。そこから放たれた鷹の突き。異様な伸びを見せるそれは飛翔する鷹の如し。逃げの場のない空に舞ったレスターは三つの星を最速最高の突き三発で射抜く。

「「「がは!」」」

 同時、彼ら三人でさえそう感じてしまうほどの速さ。突く速度だけではない。引く速度も同じ、それ以上に速くなければこの光景は生まれない。

「「「お返しだ!」」」

 それでも怯まず彼らは叫んだ。逃げ場のない空中、窮地にこそ活路有り。痛みや失血など度外視して彼らは迷いなく反撃を敢行する。

 その胆力にレスターは微笑んだ。

 狼の牙が、音の刃が、太陽の熱線が、鷹を貫く。

 羽根が舞った気がした。深く、確かな感触が三人の手に残る。

「まだ、満足するには早い」

 レスターは満面の笑みを浮かべながら三人を吹き飛ばした。剛の槍、柔の槍、どちらも使えるからこその最強。地に降り立ったレスターにはダメージなど全く見受けられなかった。気取らせる様子が一切なかったのだ。人である以上、そんなはずはないのだが――

「くそ、まだだオラァ!」

 完全に頭に血が昇っているスコール。血が昇っている方が強いと言うのは少し変わった性質であった。オルフェもまた「屈する気はありません」と立ち上がる。ゼナは「ガハハ」と血を吐きながら笑って槍を支えに立つ。

 まだ、終わっていない。

 レスターは手招く。さあ、続きをしよう、と。三人も動き出す。絶対に勝って見せる。三人がかりで負ける気はない、と。この戦いの先に、彼らが何を見たのか――それを知る者はいない。彼らもまたそれを知る機会は永遠に失われた。


 この、瞼を焼くほどの黄金によって――全てが止まってしまったから。


 レスターは恐ろしいほどの速度で振り返った。鳥肌が立つ。異常な、異様な雰囲気。離れているのに目が離せない。この引力を、レスターは知っていた。今思えばあれはこれと同種のものであったのだろう。もう少し、冷たい気もしたが、それは些末な差。性質の差でしかない。

 少しずつ、黄金の光は強まっていく。

「――ンだ、これは」

 スコール、オルフェ、ゼナ、その他の者も強まっていくたびに、気づく者が増えてきた。まるで吸い込まれそうなほど美しい輝き。そこには巨大な引力があった。引かれ、惹かれ、魅かれ――自然と、何も考えずにそちらへ足を向けそうな、そんな気分になってしまう。

 だからこそ、その奥を覗かんとする者は恐れた。

「……この感覚の、真逆を俺は知っている。あの時の、絶望的な、真逆なのに、どこか似ているこれは――」

 オストベルグの亡霊たちも同じ気持ちであったのだろう。幽鬼のような面持ちであったはずが、憤怒や後悔、絶望などが入り混じった複雑な貌になっていた。

「……落ち着け。これはあの男ではない」

 レスターは血を拭い光を眺める。強いとか弱いとか、そういう次元とは異なる。自分では測れぬ輝き。泥沼のような絶望のモノよりも大きく、まばゆい。

「なるほど。また、時代が変わるのか」

 レスターは哀しげに微笑んだ。先の時代、最初に滅びた七王国の一員として、最後に抗ったゲハイムの一角として、戦いの時代を生きてきた。それらが霞む。憎しみも、悲しみも、怒りも、苦しみも、これほど大きな光であれば飲み込んでしまうのかもしれない。

 あの怪物でさえこの光の前では偽物と化してしまう。

「往くぞ。あれが時代を変えると言うのなら、我らの戦うべき相手も其処に在る」

「ハッ!」

 レスターはオストベルグの亡霊たちを率いてこの場を去ろうとする。歩き出したレスターの足跡を見て、その傷の深さを知り、それでもなお先へ行こうとする彼らを見て――

「レスター! もう十分だ! 皆も、もう休め!」

 クレスが声をかける。切なる想いを込めて、もう、諦めていたはずの想いが、残りカスであっても消えていない。あの、穏やかなる日々の記憶。

「申し訳ございません。如何に、貴方様の命令であっても、それは聞けません」

 レスターは穏やかな表情であった。呪いに似た狂気は剥がれ落ち、残ったのは正道を邁進するはずだった哀しき一人の騎士。

「何故だ!? 正気に戻ったなら、戦う理由などないことはわかっているはず。オストベルグの民であった者たちは、アルカディアの中で精一杯生きている。この前、ギュンターの縁者が若手で一番の出世頭となったそうだ。時は流れた。多少、まだぎくしゃくしている部分はあるかもしれない。でも、いつかはそれだってなくなる。エルンストの望んだ平穏は、別の形で叶うはずだ。だから――」

「だから、我らは往くのです。エィヴィング様」

 クレスと名乗っていた青年は抗弁しようと口を開くが、彼らの穏やかな、まるで死期を悟った老人のような顔を見て何も言えなくなってしまう。

 彼らは理解していたのだ。自分たちの存在がオストベルグの民にとって、もはや足枷でしかないことを。それでも彼らには忠義を尽くすべきモノを奪われた、理解を超えた怒りがあった。止まれないのだ。彼らはそう生きてきたから。

 ゆえに、彼らは終わりを求めていた。オストベルグの騎士として、旧き時代の遺物として、正しい形での終わりを。

「貴方だけは狂気の中にあっても、陛下を正そうと動かれた。貴方は我らとは違う。新たな時代にも、きっとやるべきことが、為すべき定めがあります。どうか、生きていてください。いつかまた、共に食卓を囲みましょう。陛下や、閣下たちと共に。どこかで」

「レスター!」

 その声は騎士たちの背中に跳ね返って消えた。彼らは進む。光に吸い寄せられるかのように。その穏やかなれど頑強たる意志は、背後に迫っていたクラビレノたちを退かせるほどであった。クラビレノが彼らの意思を汲んだとも言えるが――

「エィヴィング・ダー・オストベルグ、か。この辺じゃ珍しい髪色だが、まさか最後の王の血とはな。ま、今更討ったところで何の意味もねえよ」

 暗にスコールは部下たちも他の者へも介入をやめるよう提案する。大罪人となった兄、エルンストの縁者とはいえ、今更連座で罪を被せるなどそれこそ前時代的。しかも、レスターの言葉を鵜呑みにすればと言う但し書きがつくも、彼は王の蛮行を止めようとしたらしい。それを兄弟だからと言って討つのは今の時代にそぐわない。

 何よりもスコールの考えから外れていた。

「俺らも行くかよ。見物しに」

「……将帥閣下。せめて応急処置でも」

「拠点まで下がって治療していたら全部終わってる。俺ァ――」

「五分ください。三人まとめて治療します」

 いきなり皆の前に立つ奇怪極まる鳥怪人。スコールらヴァルホール勢は触れないようにしていたが、まさか医者だとは思っていなかったのだろう。ぽかんとしている内にイェレナは巨大なリュックから必要な道具を揃えていく。

「なあおい、意外と冷静なんだなキャラ被りの糸目君」

「ええ、彼女は腕の良い医者ですよ。命を預けるなら彼女と私は決めています」

「……そもそも女だったのか」

「ちっちゃくてかわいい。持って帰って良い?」

「動かないで。無駄な時間がかかるから」

 ゼナを力づくで取り押さえ、意外と力が強いことにゼナが驚いている内に、てきぱきと治療を進める手腕を見て、スコールらは「おお」と感嘆の声を上げた。特にあとから追いついてきたエスタード勢にとってはゼナを抑えつけながら治療が出来ている時点で驚愕に値し、さらに手際まで良いのでびっくりが二倍であった。

「……速く、早く、アルは、もっと傷ついているはずだから」

 さらに速度を上げるイェレナを見て、スコールは大人しく座っていることにした。自分が戦いのプロであるとすれば、彼女は治療のプロであるらしい。ならば任せるのが筋であろう。奇怪な姿に目を瞑っても、おつりが来るほど彼女の動きは熟達していた。

 親の教育とここまでの経験が若い彼女にこれだけの腕を与えた。彼女もまた新時代に役割を持つ者なのだろう。まだまだ伸びるはず。本人がそう望む限り。

 イェレナの治療行為が行われている間も、光は少しずつ輝きを増していた。美しく、気高く、優しく、あたたかく、それでいて孤独、孤高。

 それをただ一言で表すのなら――

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