ドーン・エンド:喜劇へ――
踏み出し、一歩、二歩――あと一歩と言うところで眼前の敵は、
「はい降参」
剣を遠くへ放り投げた。
さしものアルフレッドもこの状況は想定しておらず、下段に構えた剣の行く先を決めかねてしまう。ガルムはにやりと笑みを浮かべ、そのまま悠々とアルフレッドから見て机を挟んだ椅子に腰かけた。
「お前、馬鹿真面目って言われね? どっかのライオンちゃんと同じで直線的過ぎ。少し考えりゃわかるでしょーが。まともにやり合ったら秒も持たないって」
「……実力差は気力でカバーするものかと」
「いや、だって俺それほどやる気ねーもの。嘘の動機で壁が崩せるなら世の中に苦労はねえでしょって。しかも俺凡人だし。多少小器用な方だけど」
あっけらかんとするガルム。その態度にアルフレッドは呆気に取られた後、今までの経験から怒りがふつふつと湧き出してくる。この程度の覚悟であれば――
「勘違いするなよ。この戦いの前に俺の役目は終わっている。怒りを向けるのは至極真っ当。でもな、少し時間をくれよ。話してみたかったんだ、俺たちの、団長を負かした、夢を破った男の息子と。そしたら好きにしろよ。煮るなり焼くなり」
役目が終わっている。役目、荒くれ者を集める意味など何があると言うのか。考えてもいなかった視点。狂った者たちの王は狂っているとごく自然に決めつけていた。だが、もしそこに意味があるとすれば――
「いいでしょう。援軍を待っていたとしても、近づく前に斬れば良いだけ」
「だろ? 剣は拾わねーですよっと。これで一安心、か?」
アルフレッドはガルムの対面に腰掛ける。警戒は怠らない。出入り口付近に気配が現れた瞬間、机を飛び越えて首を刎ねる。いつでもその動きが取れるように座りながらも構えは解かない。
「そう気構えるなよ。ま、良いか。それじゃ質問、ドーン・エンドのことをお前はどう思った?」
「……この一帯を根城とする野党の集まり」
「ひゅー、言うねえ。だからお前は潰しに来たんだな」
「ええ、客観的に見て、取り除かない理由がない」
「なるほど。なら悪だな。んじゃ、俺ら、いや、お前が殺してきたやつらはどうだ?」
ドーン・エンドと言う集合は悪。しかし、個人がどうかと問われてアルフレッドは口ごもる。個人が寄り添ってできたのが組織であれば、組織が悪なら当然個人も悪。リクツではそうなるだろう。間違った方向に向いているのだから。
世間一般的に言えば悪。それは間違いない。そう思っているのだが――言葉が出てこない。そう断じることを心が否定している。
「答えられないか。んー、まあそれも良いだろう。迷いながらも結果としてお前はここに来て、終わらせようとしている。そこは評価ポイントだ。そしたら逆にお前さんが聞きたいことはあるか? 何でも答えますぜ?」
ガルムが何を考えているのか、それがわからない。このまま話し続けるべきなのかもわからない。そもそも何故こんな敵地のど真ん中で椅子に座って話し合っているのだろうか。わからないことだらけであるが――聞きたいことは山ほどあった。
「役目とは何だ? この戦いにやる気がないと言った。此処に居る者たちは、多かれ少なかれこの戦場で果てることを望んでいる。当然、この大一番こそが本番のはずだ」
「いきなり本題とは遊びがないねえ。ま、役目ってのは勝手に気負っているだけだし、もしかすると一人で空回っていただけかもしれんから、話半分に聞いてくれ」
ガルムは一度天を仰ぎ、空など見えるはずもないのに薄汚れた天井を見る。
「戦士ってのは戦うのが仕事だ。乱世じゃ俺程度の腕でも食い扶持に困ることはなかったし、それなりに周りからもちやほやされた。他も、まあそんな感じで生きてきた。剣一本で、槍一振りで、人生を駆け抜けてきた連中ばかり。そんな奴らの前に、ある日突然それらの価値が暴落したと告げられる。剣は要らないから鍬を持て。槍は要らないから銛を突け。そりゃあ生きなきゃならんから、俺らだってそうしてきたさ。何とか折り合いをつけて、それで上手くいってるやつもいる。上手くいかなかった奴も、いる」
ガルムは苦笑しながらアルフレッドに視線を合わせた。
「若い奴にはわからないかもしれないが、生き方を変えるのって年寄りになればなるほどきついんだ。新しいことに対する吸収力もそうだし、長く生きてる分関係ない場面でも変なプライドが出てきてしまう。周りだって、五十代の新人は扱いづらいだろ? しかも強面のおっさんときたらさ。不協和音まみれだ。自分も、周りも、な」
正直、アルフレッドにはあまり共感できる話ではなかった。平時に人を殺めて、奪うくらいなら新しい生き方をした方が良い。それが彼の理屈だから。
「俺はまあ、黒の傭兵団副団長補佐で、小器用だから軍に残れた。でも、やっぱ大半は削られてしまう。王も、王妃も頑張ってくれたけど、それでもでかい軍を保持し続けるのは大変だ。だから削るしかない。道理だ。新たな生き方を斡旋してくれた。温情だ。だけど、適応できなかった。そういうかつての同僚を、俺は何人も斬ってきたよ。裁く側として」
ガルムの眼に光はなかった。きっと、それは彼にとって地獄の苦しみだったのだろう。かつての仲間、道を外した者たちを裁くと言うのは――
「乱世が終わればでかい軍は要らない。なくすわけにもいかんから、優秀な奴は残る。つまり、此処に居る連中はそっちになれなかった側。得てしてそういう連中は不器用だ。哀しいことにな。そして俺は、そういう連中が嫌いじゃなかった。そういう連中に剣を習った。悪知恵も教えてもらった。小汚い小僧に、自分らは不器用なくせにさ。大半が死んだけど、今思えばそいつらはまだ幸せだった。全てを奪われ、馬鹿で不器用だから、悪いと分かっていながら前と同じことをして、裁かれるのを待つ。あの顔は、きついぜ」
顔を歪めるガルム。
「だから俺は軍を抜けてドーン・エンドを作った。馬鹿で阿呆な連中に死に花咲かせてやるために。そして、これ以上長引かせないってのも理由の一つ。わかるか、見方を変えてみろ。ドーン・エンドがある世界とない世界。ローレンシア全体で、どっちのが綺麗になる? 最後に片が付くのはどっちだ?」
ガルムの言葉に今度はアルフレッドが顔を歪めた。とても承服しかねる答えに辿り着いたから。ここまでくれば誰でもわかるだろう。彼の書いた絵図の意味を。これは、視野の問題でしかなかった。どれだけ広く視野が持てるか、それだけのこと。
もっと言えば、誰が割を食うか、という話であった。
「汚いモノは一か所に集めて、蓋をして捨てるんだ。新しい時代にこいつらの居場所はない。俺の甲斐性じゃ、居場所を作ることも出来なかった。自分の居場所を守るので精いっぱい。どうしようもない。そう判断した。その答えがドーン・エンドだ。この好立地と好条件、加えて元黒の傭兵団副団長クラスってネームバリューもフル活用して集めに集めた旧時代。わかっただろ? 集めるまでが、この状況を作るまでが俺の仕事で、俺が自身で定めた役目だった。あとは新時代に潰されるだけ。それで良い」
この一帯の者たちにとっては「ふざけるな!」といった理屈。しかし、世界全体を見れば各地にあった火種を一か所に集めてまとめて処理できる状況なのだ。視野を広く持ち、世界全体で見れば百のために一を切り捨てると言った話で――
「正しい行いだとでもいうのか」
「そう言い張る気はない。俺は、裁く側にいるのが耐えられなかったってのが本音だし、あいつらには死に場所を作ってやって、馬鹿笑いしながら散って欲しかった。それだけだ。正義を騙る気はない。気取る気も無い。だが、そういう理屈もあるって話さ」
「それは、あまりにも――」
「お前の親父がやったことも同じだろ? 奴隷を解放して、社会が一気に機能不全に陥りかけるほどの大戦争を撒き散らかして、最後は戦争ってやつを終わらせた。結果としては最善。一番時間効率も良く、犠牲者も少ない道だったかもしれない。でも、当事者にとっちゃたまったもんじゃねえよな」
アルフレッドは何も言い返せなかった。見方を変える。拡げる。わかっていたはずなのに、自分は何もわかっていなかった。上辺だけを見て結論を出そうとしていたのだ。出ない結論に頭を悩ませながら、答えを出すための数字を入れずに検算を続ける愚行。
「見方は広く、深く、多方面から。そのためには色々見て回った方が良いぜ。お前さんは若いのに良い経験をしている。もっと、色々見て回れ。見聞を広めれば広めるほどに、色んなもんが見えてくる。時にはそういうモノのせいで雁字搦めになることもあるだろうが、その時はその時。今日みたいに迷いながらも進めばいい」
ガルムは微笑みながら机の下から手を上げる。そこには小型のクロスボウが握られていた。木の板程度小型でもぶち抜ける。殺気もなく、そんな気配など微塵もなかったはずなのに、眼前の男はずっとアルフレッドの生殺与奪の権利を握っていたのだ。
「な、こういう手もある。剣振り回すだけが戦いじゃない。気を付けとけ。俺ら傭兵なんてこんな無骨なやり方しか知らんが、貴族連中はそりゃあえげつない。まあ坊ちゃんには神に説法を聞かせるようなもんだろうが……こんなところかな」
ガルムはクロスボウもぽいと床に投げ捨てた。
「俺らは夢を見ていた。辛いことも、苦しい時も、夢があったから楽しかった。団長がいて、アナトールのおっさんがいて、ニーカさんがいて、子獅子ちゃんがいて、今考えればぼやけているが、でも、確かにあの時は見えていたんだ。あの人の背中越しに、頂点ってやつが。嗚呼、本当に楽しかった。あの日々が、俺の望みだ」
歩きながら、本当に幸せそうな笑みを浮かべるガルムに、アルフレッドは何も言えない。何も出来なかった。自分の言葉など彼には届かないと理解していたから。
「お前、たった数カ月でよくもまあそんな雰囲気を身に着けたもんだ。実戦なんてほとんど経験したことなかったろうに。今じゃ立派な戦士だよ。でもま、お前さんは戦士って柄じゃないでしょーが。力のある者は責任が生まれる。ヴォルフ・ガンク・ストライダーがそうであるように、アポロニア・オブ・アークランドがそうであったように、お前の親父が今頂点に君臨しているのと同じ。で、そいつらを生で見たことある俺が断言しよう。お前はそっち側だ。迷いながらも、背中にそれを伝えることなく人を引っ張る、羊飼いの側に生まれた。いい加減羊のふりをするのはやめとけ。似合わねえですよ、王子様」
そう言いながらガルムは自らの剣を拾い上げ――
「世の中を変えたいなら、一番になるしかねえぜ。俺らの団長は成れなかった。お前の親父のように。全てがあの男の掌の上だった。頂点のみが世界を操ることが出来る。気に食わないが、それが結果だ。それだけは、覚えておいた方が良いぜ。敗北者の助言だ」
何の気負いもなくそれを自らの腹に突き刺した。
「なっ!?」
「あと、もう一個あったな。嗚呼、あの男には当てはまらんかもしれんが……とにかく、笑っとけ。どんな苦境を前にしても、王様なら笑って乗り越えてみせろ。格好つけてなんぼだろ? 王様なんてよ」
「そんな場合じゃ! すぐに止血を」
「わりーが、煮ても焼いても良いのは俺の死体だ。俺の全部は団長と、夢と共にある。俺はもう一度あっちで夢を見るのさ。夢は良いぜ、あの人の背中は、たまに振り返って見せる笑顔は、不可能を可能にするって、本気で思えるほどだった。あっちで少し待つだけの価値はある。あの人が、来るまで、みんなと、待って――」
言葉を紡ぎながら、腹を真一文字に裂き、臓物をぶちまけながらも笑うガルム。その狂気の原因が王の引力であるならば、何と恐ろしい力であろうか。
「羊にとって良い羊飼いであることを祈るぜ、憎き仇敵の息子よ」
凄絶な笑みと捨て台詞と共にガルムは崩れ落ちた。自分の命は一片すらアルフレッドに譲る気はないと、彼は自害を選んだのだ。あるかもわからない次のステージを目指して、夢を追って彼は死出の旅に向かう。
「……変えるなら、一番、か」
この地に来て、多くの悲劇に見舞われた。多くの悲しみに触れた。絶望があった。希望など垣間見ることすら出来ぬほどの景色。だが、世界にとっては片隅での出来事であり、世界全体にとってはこれが良いことに成り得るのだと言う。
その矛盾、許せるだろうか。それを是とするほど、妥協出来る性格であれば、この天才はもっと楽に生きていた。有り余る才能の欠片でも発揮して、アルカディアの王子として、テイラー商会のエースとして、ウルテリオルで美しい令嬢と共に歩む事も出来たはず。
幾重にも枝分かれした道。どうしても一歩が踏み出せなかった。彼は感覚でわかっていたのだ。妥協した道を選べば楽になる。でも、戻ることも出来ないのだと。
「本当に、知れば知るほど許し難い。守られてばかりの僕が憎い」
違和感はあった。ミラと遊ぶ時、ふと通りを外れようとすると割って入られたことが何度もあった。急ぐから寄り道しないと怒られていたが、あれは見せないようにしていたのではないだろうか。アルカスの暗部を、本当にどうしようもない底辺を。ウルテリオルでも教会の人に案内してもらった時も同じようなことがあったか。
周囲の優しさがアルフレッドから気づきの機会を奪っていた。
「未だ、覚悟の定まらぬ俺が嫌いだ」
優柔不断。自信の無さから生まれる弱さが嫌いであった。徹したつもりでも残っている弱さ。こびりついている。消そうとしても消えない。見せかけのやさしさ、穏やかさ、物腰柔らかな処世術、全部弱さの裏返し。嫌いであった。それを振りかざす自分が。
「でも、それ以上に、この世界が――」
アルフレッドは一人の少女を思い出した。小さな体で、世界から病を根絶したいと大望を抱く少女。格好いいと思った。ああなりたいと思った。
ならば、そうなれば良い。
アルフレッドは指で無理やり口角を持ち上げた。歪んだ笑み。
「さあ、征こうか。舞台が待っている」
今、幾重にも分かたれていた道が一つに集束する。
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