ドーン・エンド:翡翠の剣士

 エル・トゥーレの野営地は惨憺たる有様であった。城攻めをするにあたって犠牲はつきものである。決してこの怪我人の量は多くないのだろう。ただ、それ以上にひどいのは士気であった。若く血気盛んな彼らがこうも消沈するほどのことがあったのだろう。

「私の知り合いがいるはずなのですが」

「あー、この前言っていた喧嘩友達?」

「ちょっとしたボタンのかけ違いでしたが、良い勝負でした」

(オルフェといい勝負、か。強いな、その人)

 アルフレッドも少し手合わせした程度であるが、オルフェと言う人物はこのような場末にいるのが不思議なくらいの達人であった。特に視界に頼らない彼だけの『眼』、その広さと正確さは思考の先読みよりも上位に来る。

 その彼が良い勝負ともなれば、勝敗こそ語っていないが強さは期待しても良いだろう。

「ふむ、歩いてはいないようですね」

「なんでわかるの?」

 イェレナが首を傾げる。首と一緒にくちばしもこくりと傾いた。

「人の足音には皆個性があるんです。私が人を判断する際は、まず足音を聞くほどに。そして彼は、特に個性が強い。と言うよりも私たちと違う、と言った方が近いでしょうか。とにかく、彼が歩いているならこの野営地程度の広さであれば認識できますし、聞こえないと言うことは歩いていないということです」

「「……すごい」」

 アルフレッドとイェレナは感嘆の言葉を漏らした。

「いえいえ、その代わりに私は空の蒼さを知らないのです。これでは割に合いません」

 困ったような顔でオルフェは言った。彼はきっと途方もない努力の果てに今の自分を得た。今の自分を得る前にどれほどの苦労があったかなど、余人には理解できるものではないだろう。理解した気になるのはそれこそ傲慢である。

 彼は眼の代替物として超感覚を得たが、本当の望みはそんなものよりも空が、海が、世界に溢れる色が見たい。そう感じるのもまた見える者の傲慢なのであろうか――

「……おや、どうやら声がしました。こちらです」

「あ、声も広範囲で拾えるんだ」

「……それは、普通に考えたら声の方が特徴も音も大きいでしょう?」

 何を当たり前のことを言ってるんだこいつ、みたいな表情でオルフェは首を傾げる。確かに当たり前の話であるが、超感覚の世界は特別なのではと言う想いが色々と曇らせてしまった。少し恥ずかしい気持ちになるアルフレッド少年であった。


     ○


「……えーと、この人がオルフェの知り合い?」

 愕然とするアルフレッドとイェレナ。二人の視線の先には、顔面が原形を留めないほどに腫れ上がっている男が敷物の上で寝転んでいた。どう見ても怪我人である。これ以上ないほどに大怪我を負っている。

「おふふぇふぁ?」

「え、ええ。お久しぶりですラウルさん」

「おふぃふぁひふり」

 会話が成立しないほど活舌に難があった。口が開かないのだろう。

「ボロボロなんだけど」

「そ、そのようですね」

「この人強いの?」

 イェレナの確信を突くひと言がオルフェと目の前のラウルに突き刺さった。がくりと首を垂れるラウルは思いっきり自信を喪失しているようであった。それと好い勝負であったオルフェも間接的にボコボコになった気分である。

「強いよ、そこの二人と同じ程度にはね」

 三人の背後に突如現れたのは翡翠色の長い髪をひとまとめにした青年であった。少しつり目で険のある顔つきであったが、元の造型が非常に柔らかく、優しく出来ているため、相殺した上で見る者に安心感を与えていた。

「ふふぇふ!」

「クレスだ。よろしく風変わりなお三方」

 握手を求める姿はとても好印象。にこやかにオルフェ、イェレナと握手を交わし、次はアルフレッドの番と思ったところでさくっと手を引く。

(あれ?)

「ああ、すまない。どうしても俺は仮面で顔を隠している人間が好きになれないんだ」

「私も顔は隠れている」

「……んー、そう言われると俺自身明確な答えがあるわけじゃないんだけど、何となく鼻が、ね。君のことは好きになれないと言っている」

 アルフレッドは初対面での拒絶にショックを隠し切れない様子。

「気にしないでくれ。俺は気分屋なんだ」

 気にしないわけにもいかないのが繊細なアルフレッド君のサガである。

「ラウルさんがどうしてこうなったのか、クレスさんはご存じなのですか?」

 オルフェの問いにクレスと名乗る男は首肯する。

「彼はこの集団の中で唯一、正解に辿り着いた。皆、まんまと秘匿された一本の筋に執着し、きっちり嵌められた。でもね、彼だけはそこに気づいて単身、彼らドーン・エンドが見落としていた抜け道から侵入し、撃退された」

 三人は首を傾げる。ドーン・エンドが見逃していた道であるのに、何故彼が撃退されたのかが理解できない。

「疑問は最も。俺も驚いたよ。彼なら、裏さえ取れたならドーン・エンドの首領、元黒の傭兵団幹部のガルムを仕留めることが出来ると踏んでいた。しかし、彼の征く手には本体とは別の壁があった。彼と同じ武術の使い手、発勁使いの男が」

 アルフレッドは驚愕の表情を浮かべていた。敵の一人に発勁使いがいること、その発勁使いに心当たりがあること、そして目の前の顔を腫らした男が発勁使いであるということ、とどめにクレスが発勁を知っているということ、多重の意味で驚く。

「昔、知り合いが発勁使いと戦ったらしくてね。話だけは聞いていたんだ。と言うよりも、それだけ驚いているってことは、君もそれを知っている。ないしは使えるってことかい?」

 クレスの瞳が薄く細まる。

「君も独特の足音がするからね」

 オルフェに似た超感覚の持ち主。ただの優男ではない。

「まあ俺は君らが何をしようと関係ないさ。俺の目的はただ一つ、もう一人の怪物を止めることだから」

「もう一人の怪物、本隊を嵌めた敵がクレスさんの相手、と言うことですか」

「そうなるね。彼とは戦わぬことだ。狂気っていうのは伝染するものさ。どんなに優しい人間でも、感染した狂気には抗えない。一度狂えば、死ぬまで狂気の虜。そうなりたくなければ近づかぬ方が良い。オストベルグの亡霊、堕ちた鷹には、ね」

 クレスの顔には強い覚悟が浮かんでいた。腰に備えた剣、そこに触れる手に力が入る。

「堕ちた鷹、レスター・フォン・ファルケ」

 武人なら誰もが知っている狂気の騎士。誰もが将来を嘱望し、七王国の一角の未来を担うとされていた男。祖国の崩壊と共に狂気に呑まれ人の道を外れた悪魔。打ち砕かれるたびに異形と成り、力を増し、今に至る。

「それを囲む者がいるとすれば……同じように堕ちた騎士がいる」

 アルフレッドは旅立ちの日を思い出す。最後に遭遇した亡霊たち。オストベルグが誇る漆黒の重装騎兵。彼らもまたかの地で鷹と共に轡を並べているのかもしれない。

「なるほど、ヴァルホール、エスタード、世界各国から集った戦争が生きがいの腕自慢の戦士たち。加えてオストベルグの亡霊ともなれば、確かに多くが初陣のここの方々には手に余る相手であったかもしれません」

 腕は立つが実際の殺し合いは未経験。その落差はアルフレッドも良く知っていた。其処に長けた者たちを相手にするには、確かに此処に居る者たちでは不足があるかもしれない。単純な戦力差では測れないし、策に踊らされてしまったなら大敗も頷ける。

「ああ、それと、悠長に構えている時間はないぞ」

 クレスが思い出したかのように三人へ向けて言葉を放つ。

「エスタードとヴァルホールが同時に動き出した。どちらも数日中にはドーン・エンドに攻め入るだろう。そうなれば、まあ、さすがに終わり、だ」

 とうとう動き出した大国。

「クレスさんはどうされるおつもりですか?」

「それを聞いてどうする?」

「お役に立てることがあればお手伝いがしたいと思いまして」

 そしてアルフレッドたちも動き出す。にこやかな笑み、笑みと言う仮面を張り付けてアルフレッドは微笑む。商人の時に覚えた処世術。いつからだろうか、建前ばかり、仮面ばかりで生きるようになったのは。それでもこれは有用なのだ。

 人の世で生きる者たちは皆、仮面をまとっているのだから。その扱いが上手い者ほど上に行くのは笑い話か、哀しい話か。悲劇か、喜劇か。

「強いですよ、僕たち」

 自らを売り込む。知らず、父譲りの生き方。

「わかった。少し場所を変えて話そうか」

「ありがとうございます」

「それはそれとしてさ、やっぱり俺、君のことが好きになれそうにない」

「それは、残念です」

 一度仮面を被ればちょっとやそっとでは揺らがない。先程、ショックを受けていたのが嘘のようにアルフレッドはにこやかにそれを受け流していた。そういう部分がクレスの脳裏に嫌な記憶を思い起こさせる。自らにとって災厄でしかなかった存在。

 白騎士、ウィリアム・リウィウスを。


     ○


「失礼する。イヴァン・ブルシーク」

 クレスが連れてきた場所はエル・トゥーレの野営地、その最も奥であった。

「貴方か。嫌味の一つでも言いに来たのかな」

「エル・トゥーレの自警団、そのトップの一人である貴殿にしてはつまらぬ物言いですね」

「……では何の用だ? 貴方の忠告を無視して攻め入り、まんまと撃退された我々と、何を交わすと言う?」

「献策をば」

「……素性の分からぬ者の策が採れると思うか?」

「無理でしょうね。だが、聞いて頂き貴殿の案として採用してもらうことは、出来る」

「そこまでして貴方に何の利がある?」

「負の連鎖を終わらせたい。それだけです、イヴァン殿」

 クレスの視線は真っ直ぐであった。一切の揺らぎも無い。イヴァンとてネーデルクスで将来を嘱望されている俊英の一人。貴族以外では入ることすら難しい槍術院をその年の首席で卒業。特例(クロードなど)を除けば市井から初の首席、頭もキレるとの話から、最新の兵法を学ばせるためにエル・トゥーレに派遣された英才でもある。

 そのエル・トゥーレでも頭角を現し今の立場、六つある自警団の団長にまで上り詰めた。いずれは本国に戻り三貴士の一角を任されるのではとも噂されている。

 だからこそ、そのまなざしに濁りがあったとしても、聞かねばならぬのだ。光の見えないこの状況で、自らがどう動くべきか。それを選び取るためにも選択肢はいくらあっても困ることはない。

「私が採用するかどうかまでは約束できない」

「無論、そうでしょう」

 イヴァンが押し黙ったことで、策を聞いてくれると判断しクレスは語り始めた。軍の配置、どこを攻めるか、話は長くならなかった。何故ならば――

「……敗走した前回と、まったく同じ、だと。ふざけているのか貴方は」

「いいえ。時機がまるで違う。エスタード、ヴァルホールが動き出し、其処に合わせて同じように攻め込む。あえて、負けた時と同じように。前回の敗北を利用し、周囲の状況を利用し、全て利用し機を征するが戦の勝ち方です」

 クレスの献策に誰よりも驚いていたのは後ろで静かにたたずむアルフレッドであった。自分が考えていた最善とはまるで違うが、おそらく彼のやり方の方が虚を突ける。上手く機を突ければ、手がかかり遅くなる最善よりも強いかもしれない。

 ただし、機を逸すれば――

「機を外せば全てが水泡と化すのでは?」

「ご安心を。俺は、外さないから」

 クレスの眼にはやはり揺らぎがない。自信に満ち溢れたそのまなざしには得も言われぬ説得力があった。理屈を超越して信じたくなるような感覚。

 この感覚は――どこかで。

「自信満々だな。とはいえ、手がない以上、それに賭けるしかないか。大枠の攻め方はそれで良いとして、あの怪物はどう捌く? 結局あの狭いルートを使うならば、あの怪物、レスター・フォン・ファルケを倒さねば勝機はないぞ」

「……そこは俺と、こいつらが受け持つ」

「……さっきの策と違い少し自信がないようだが」

「まあ、こいつらの実力は俺の嗅覚ほど当てにしていない。それに、レスターとぶつかる可能性はそこまで高くないさ。言ったろ、機を見るって」

 クレスは嘘を言っていない。四つどもえの戦いになればレスターとぶつかる可能性はかなり低くなる。エル・トゥーレの軍勢よりも精強である二つの勢力に当てられるだろう。ただし、クレス自身はレスターをかわす気はなかった。

「……他の者とも相談させてくれ」

「当然だな。合議による決定こそエル・トゥーレだ」

 クレスはそれ以上押さなかった。押す必要がないとわかっていたのだ。

 押し引き、その駆け引きもそうだが、彼が身にまとう人を惹きつける引力のようなモノ。自らが持たぬ力にアルフレッドは興味を持った。父が持ち、多くの先人たちが持ち、まだ自分たち若手には備わっていない力。

 経験、実績、それらが基幹となる自信。

 彼もまた実戦を知るのだろう。知り、生き延びたから此処に居る。

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