ドーン・エンド:愚か者たちの王
目まぐるしく変わる情勢は、アルフレッドたちにも伝わってきていた。
「とりあえず歌でもどうですか?」
「さ、さすがにそんな場合では」
「冗談ですよ」
「オルフェは感情表現が下手。わかり辛い」
「……イェレナさんにそれを指摘されるとは思っていませんでした」
とはいえ情報は入ってきても彼らに何かが出来るわけではなかった。どうにも周辺で暴れ回っていた戦力も本拠地に戻り、決戦に備え始めているようで、そのおかげと言うわけではないがこの一週間は平穏無事に過ごせていた。
「このままいけば、ドーン・エンドも終わりでしょう。一網打尽ともなればしばらくはこの辺りにも平和が戻ってくる。ようやく私も仕事が出来るというもの」
険しい山道を案内するのがオルフェの仕事である。一帯が落ち着けば本業に勤しむことが出来る。しかしそのためには――
「でも、エル・トゥーレは負けた」
「彼らとエスタード、ヴァルホールの軍勢では練度が違います。本物の軍隊です」
「もし、それでも負けたら……それこそ大惨事だ」
「……まさか、戦争に参加するおつもりですか?」
「アル、それは反対。皆を助けるのは大事だけど、それは行き過ぎだと思う」
「今更だよイェレナ。それに、僕は結末を見ておきたいんだ。どう転ぼうとも、僕は彼らの顛末を見る必要がある。これは、確信だ」
アルフレッドの眼には、最近不思議なモノが宿りつつあった。イェレナはそれを見て少しだけ不安になってしまう。まるで、手の届かない遠くへ行ってしまいそうな気がして。オルフェにも別の形でそれが見えていた。
一週間、気持ちを整理する時間があったおかげで、彼らに似た邪気がさらなる変質を遂げた。良し悪しはわからないが、間違いなく変わりつつある。だからこそ不穏な音には出来るだけ近づけさせたくないというのがオルフェの本音。このまま悪いモノに触れさせないことが一番の薬だと思っていた。
「僕は行くよ。必要があれば戦う」
止められない。それが雰囲気から如実に伝わってくる。なれば――
「であれば私が案内しましょう。彼らの本拠地に向かうには険しい山道を通ります。案内が必要でしょう? 私は役に立ちますよ」
一緒にいて見届ける必要がある。もしそれが悪しきモノだと確信できたなら、それを断つのが自分の仕事であるとオルフェは考えていた。大きな器を持つ者が邪悪な音に染まれば、それは世界中に悪影響を与えることになるだろう。
「アルが行くなら私も行く」
「いや、それはあまりにも危険だし」
「行かせたくないなら足を止めて。行くなら、何があってもついて行く」
アルフレッドは困ったような表情で頭を掻いた。この少女はとても頑固なのだ。一度決めたらすぐさま親元を離れるほどに。あまりに遠い夢なのに、それが一切ブレないほどに。彼女は揺らがない。
「僕の背中から離れちゃ駄目だよ」
「私も守りましょう」
「わかった。頼りにしてる」
そうと決まればと早速荷造りを開始するイェレナ。旅であれば彼女の経験が生きる。必要なものを取捨選択し、旅の準備を進めていく。何よりも彼女の凄いところは、生来力が強いため、人よりも取の幅が広いのだ。
「よっこいしょ。じゃあ、いこ」
「……相変わらず、すごいね」
「……何が?」
「君は力持ちだねって言ったんだよ」
「……嬉しいような嬉しくないような……不思議な気分」
巨大な荷を軽々と背負い、イェレナは旅支度を終えた。
「では向かいましょうか。目指すはエル・トゥーレの野営地です。彼らから話を聞いた方が、手っ取り早いでしょう? 何故、負けたのか。しかもこれほどの早さで」
「うん、その通りだ。まずは知らないとね。相手の戦力を」
アルフレッドの表情が戦う者の貌になる。
これから向かう先は、戦場ゆえに。
○
鉄の国、小さいながらも各国に上質な鉄を供給し続けることで上手く立ち回り続けていた小国であったが、聖ローレンスが瓦解しアークランドが聖都を占領したことで状況が急変した。エスタードもサンバルト改めヴァルホールも、上手く使うことよりも力で奪う方を選択し、アークランドもそれに倣った。
幾度となく小さな国そのものが戦場と化し、民は逃げ、王族もいなくなった。おそらく、どこかの勢力に殺されたのだろうが、激動の中ではそれすら些事。誰にも知られず国の命運は断たれ、今をもって『無人』の亡国として扱われている。
技術者も散り散りになった今では炉に火を入れることすらなくなり、かの地の製鉄所は過去の遺物として埃を被っている。そういう建前があった。
「ほー、これまた懐かしい光景だな」
赤々とした火がそこかしこに灯る。鳴り響く鉄と鉄が爆ぜる音。流れる灼熱、流体と化した鉄があちこちに行きかう。上から下へ右から左へ――
「掘り抜いた穴そのものを居住区へ、王都へ変えた。鉄の国の名に相応しい国だったさ。まあ、名前は忘れちまったがな」
「あの頃はあちこちで暴れ回って……顧みる暇もなかったっすからね」
「おう。とはいえ今は時代が違う。こうやって再利用する分には、良いことだと思うぜ。苦労しただろ、独自進化した設備を動かせる技術者を集めるのは」
「ええ、まあ」
人間の業を煮詰めたような光景である。それゆえに人は忌避し、鉄を作る者たちは皆、時代の片隅にいた。表舞台には立たぬ黒子として世界を支える土台の一つ。
その一つが動くのは良いことである。
「何でこんな集まりを作った?」
ただし、理由次第でそれは反転する。
「時代に取り残された者たち。この国もそうです。鉄の国として良質な鉄を供給していたのは昔の話。希少価値ゆえに売れてはいるんですがね、技術者に言わせるとアルカディアやガリアスの鉄とそんな差はないそうです。下手をするとアルカディアの大量生産品に質で劣る可能性もある、と。誉れ高き鉄の国も今は昔、ってね」
「質問の答えになってねえぞ、ガルム」
「時代の流れに乗れなかった半端者たちが集まった。努力して新時代に馴染もうとしたが、結局戦うしか生きる術を知らない。奪うことでしか生きられない、奪うことを誉としていた連中です。無理でしょ、適応しろなんて。団長だって、それが出来ないから時代の片隅で旅を続けているんですよね?」
「ああ、そうだ。でもよ、人様に迷惑かけんのは違うんじゃねえか?」
「奪うことしか知らない。迷惑をかけずには生きられない。わかっているんすよ。俺たちはこの時代に必要のない存在だって。わかっているから集まった。皆で、集まって、最後に一発どでかいことをして……散ってやろうって。何なら、今から団長が、ヴォルフ・ガンク・ストライダーが終わらせてくれても構わない。世界最強の戦士相手だ。俺や黒の傭兵団の連中はもちろん、他の連中もきっと喜ぶ。冥途の土産になるってね」
ヴォルフ・ガンク・ストライダーは目の前で哀しげに笑う元部下を見つめる。彼らがこうなったのは元はと言えば、彼らの代表者である己が負けたからであった。戦いで成り上がった、戦いで這い上がった。戦いだけが生きる術であった。
酸いも甘いも戦いの中で――ヴォルフには痛いほど彼らが理解できる。もし自分が、王でなければ、そういう立場に居なければ、彼らと同じ行動を取っていたかもしれない。もし自分がそれだけやけっぱちになれたら、あの男との再戦も叶ったかもしれない。
愚かな妄想である。ただ、それを愚かと断じることが出来るのは、自らが王という役割を持っているが為。もっと言えば、守るべき家族がいる身であるから、愚行を選べないだけなのだ。もし、自分にそれが無かったら、やはり望むがままに戦う道を選んでいたかもしれない。彼らと共に、最後のひと花を咲かせんと。
「すまん」
ただ一言、ヴォルフはそう言った。
「いいえ、俺の、ただの我儘なので」
わかっていると言わんばかりにガルムは笑った。彼は若いが古参メンバーの一人であった。要領よく、器用に立ち回りながらも、根っこは戦士。戦士に拾われ、戦士に育てられ、最後は戦士として死ぬ。
「本当は、俺がやるべき役なんだろうな」
「副団長が泣いちゃいますよ。それは皆、望んでいない。今、此処にいる連中も、昔、戦場で死んだ連中も、団長たちには感謝しています。夢が見れた。世界のどっかでのたれ死ぬような犬が、狼と同じ景色を見ることが出来た。それで、充分っす」
「……すまん」
「会いに来てくれて感謝しています。覚悟、出来ました」
「俺に何か出来るか?」
ガルムは、何かを言いたそうにヴォルフの顔を見る。しかし、喉元までせり上がった言葉をぐっと飲み込み、静かに首を横に振った。
ヴォルフはもう一度「すまん」とつぶやき、その場を後にする。これが今生の別れであることなど二人とも理解している。ガルムは、器用に生きることが出来る。本来、彼だけならば新時代でも適応できただろう。それをせず、彼らの取り纏め役を買って出たのは、きっとそれが出来ない狼の代わりとして、旧時代をまとめて屠るための人柱になったのだ。
「最後まで見ていてやる! 狼らしく戦え!」
檄が飛ぶ。ヴォルフの背中を眺めながら。望んだ景色ではないが、それでもガルムは静かに涙を流した。ほんの少しだけ、望みが叶ったから――
ドーン・エンドの首領、ガルムは最後の戦いに向けて牙を研ぎ終わった。
あとは戦うだけ。派手に、凄絶に、愚か者たちの王として踊り狂うのみ。
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