ドーン・エンド:新時代の旗手

 お手製のハンモック、難解な哲学の本に偽装されたオー・パイ画伯の最新木炭デッサン集(贋作)を片手にゆらゆらむらむらする。ご機嫌なお昼休みであった。

(……大量生産できるようあえて木炭での表現に終始しているのが素晴らしい。オー・パイ画伯にしか描けないライン、ふくよかで、しなやかで、どこかはかない。複製でこれなんだから本物ってやつを一度は見てみたい。出来れば色のついたやつを)

 ちなみに哲学書への偽装も画伯のアイデアである。世界中の紳士に家族から隠れて愛読して欲しい。その一心から生み出された最高につまらなそうな装丁もまた愛に溢れている。この装丁を見て読んでみようと思う者はいないだろう。

(嗚呼、今日も穏やかで良い一日だなあ)

 男は神にありがとうと感謝をし、そろそろお昼寝の時間なので、ただでさえ開いているのか閉じているのかわからない瞼を――

「スコール様! エル・トゥーレが動き出しました!」

 閉じることは出来なかった。

「……そうなの、ふーん。じゃあおやすみ」

「スコール様!」

「大きな声だねえオットリーノ君は」

「暢気に構えている場合ですか! エル・トゥーレの戦力は以前お話した通り、ドーン・エンドの三倍です。攻城戦における有利は数で消えています。その上――」

「わかってるようるさいなあ。まあ順当にいけばエル・トゥーレが勝つ。それはわかっている。で、何で俺らが騒がにゃならんのよ? エル・トゥーレが勝って問題ある?」

「かの地はかつて鉄の国と謳われたほどの鉱脈と、この特許時代にすら漏れ出なかった独自の製鉄技術があります。それをエル・トゥーレに奪われでもしたら」

「だから、エル・トゥーレなら良いんだって。建前上あそこは、国じゃない。加盟国全ての共同体だ。製鉄技術だって、エル・トゥーレが手にしたら共有のモノになるだろ? 悪い話じゃないさ。頑張ってベストを取るよりも、楽してベターの方が良くない?」

「そ、それはそうですが、あくまでそれは建前の話で」

「もしそこを踏み外すなら、エル・トゥーレはすぐさまローレンシア全体を敵に回す。今、その愚を犯すほど彼らは馬鹿じゃないよ。俺は彼らを信じるね。じゃあおやすみ」

 早速横になるスコールを見てうな垂れる部下。薄く片目でその様子を見て、ちょっぴり可哀そうだなあと思ったスコールは「ごほん」と咳払いをして、再度上体を起こした。

「ま、良い報告だったよ。一度盤面が動き出したのなら、もう止まらんだろう。此処からは戦局を注視するよう皆に伝えろ。エル・トゥーレが勝った場合、報告はゆっくりでいい。ゆるゆると撤収しよう。だが、もし、エル・トゥーレが負けた場合は――」

 スコールは薄く目を開ける。本人としてはぱっちりさせたつもりである。

「俺も本気を出す。皆に伝えておけ」

「は、はい! 伝えておきます! 将帥閣下がようやくやる気を見せたと!」

「……失敬だな君」

「失礼します!」

 どたどたと駆けていく部下の背を眺めてため息をつくスコール。ごろりと横になって本は手近なところに置いておく。もう、読書をする気分ではなくなっていた。

(あの人は、ちゃらい見た目と軽い言動に反して堅実な用兵に徹するタイプ。勝ちにしろ負けにしろ戦力差通りの結果を作れる指揮者だ。戦力、兵站、最新の兵器、どれを取ってもエル・トゥーレに負けはない。あの人だけなら、想定通りになる)

 膠着状態ゆえに無視できていた予感。動き出してしまえば嫌でも浮かんでくる。

(それでも負けた場合。ドーン・エンドには結果を覆すことの出来るスペシャルがいるってことになる。んで、負けた場合は俺らがそいつも含めて戦馬鹿の先輩方と戦わなきゃいかんわけだ。気も滅入るさ。しかも、エスタードの動きも見なきゃいかんわけで)

 面倒くさそうに頭を掻くスコール。

(こんな時に陛下がいてくれたらなあ。せめてユリシーズさん。フェンリスは……ややこしくなるから良いか。部下だけ分けて欲しい。優秀なのばかり海軍に引っこ抜きやがって)

 どいつもこいつも放浪、放蕩ばかりの穴抜け状態。これを国として成立させている王妃の手腕とそれに付随する苦労を思うとスコールは泣き出しそうになる。ただ、彼も面倒くさがりなので片棒を担ぎたいとは思っていないが。

(……まあなるようになるか。とりあえず寝よっと)

 そのまま秒速で眠りにつくスコール。かなり肝が据わっていた。

 黒髪と金髪がまだらに入り混じる外見。加えてそれなりに身体が大きく、本人は頑として認めていないが糸目である。そんな男の名は――

 ヴァルホール王国陸軍将帥、スコール・グレイプニール。若くしてヴァルホール陸軍のトップに選ばれた男である。暢気に欠伸をして寝返りを打つ姿からは想像もつかないが。


     ○


 対ドーン・エンドのために派遣されたエスタードの軍勢は、現在最大の窮地を迎えていた。エル・トゥーレが動き出したという報告を受けて、どうしたものかと作戦会議を続けること数日、停滞が極まった時にそれは起きた。

「……く、クラビレノ様。そのお姿は」

「見ればわかるだろう……ぶっ飛ばされたんだよ」

 歴戦の勇士であり烈を名乗ることが許されている数少ない戦士であったが、間借りしている民家の壁に突っ込んで抜けなくなっている姿は、ひいき目に見ても無様であった。

「全員に伝えろ。我らがカンペアドール様がお怒りだ」

「あー、まあよく持った方ですか。ゼノ様のみならず二代目直々の頼みでしたから、やる気満々で自制心も効いていたんですが――」

「二代目が育てた連中も頭でっかちが多くてね。作戦会議の席でちょこんと座らされているだけなんて、お嬢ちゃんじゃなくても退屈で死んでしまうさ」

「ちょこんって……あの御方がですか?」

「ちょこんと座っていただろう? でかい身体を精一杯小さくして」

「なるほど。そういう意味でなら――」

 クラビレノの部下が発言している最中、爆発音と共に家が一つ崩壊していく。「あー、やったなあ」と暢気に発言するクラビレノとため息をつく部下の視線の先には――

「突撃ったら突撃するの!」

「そ、その突撃をどうするかと言うのを今話し合っております。どうかお静まりください」

「いーやーだー! ガーって行ってドーンってぶつかってばばーんと勝つ! はい完璧な作戦。とにかくゼナは戦いたいの! 戦争をしに来たの! わかるでしょ!?」

 対ドーン・エンド用に結成された軍勢を率いるのは、何を隠そうこの暴走する女性であった。身の丈は女性の枠など遥かに超え、そもそも人間の枠にすら当てはまっていないのではないかと思うほどの巨躯。初陣では小さかったが、成長期を経て怪物のように大きくなった彼女の名は、ゼナ・シド・カンペアドール。

 武人としての才能と言う意味では初代エル・シド以来の逸材であろう。

「ゼナ様。この時代の戦争と言うモノは勢いだけで成すわけではございません。ドーン・エンドの首領である男が手を加えた要塞は、闇雲に攻めても被害が大きくなるばかり。我々は二代目より可能な限り損害は避けるよう仰せつかっております。策が見出せるまで今しばらくお待ちください。それが二代目の望みでもあります」

 二代目の名前を出されてしゅんとなるゼナ。

「あー、手慣れたもので」

「二代目が言った、か。さすがに、調子に乗っているな」

 クラビレノは力づくで壁を破壊して抜け出す。部下である男はもろ手を上げながらやれやれと首を振る。結局、いつも彼はこういう役回りなのだ。

「く、クラビレノ様。何かご用ですか?」

「一つ確認させてくれ。エルビラが、損害を避けよと命令したのか?」

「いくら歴戦の勇士たる貴方でも、二代目様をその名で呼ぶのは――」

 クラビレノが言葉を遮るように鎖鎌を振るう。首に巻きつく鎖の冷たさは、本物の殺意であった。参謀として、自身より階級が上の相手に対してこの振る舞い。周囲の反応は真っ二つであった。若いホープとされる者たちは非難の視線を向け、年齢が上がるにつれてそれは称賛の視線に変わっていく。

「このクラビレノ・アラニスが問うている。答え給えよクソガキ。エルビラが、戦争を前にして、んなクソみてーなセリフを吐いたなら、私がこの手で引導を渡してやろう。それが先達の、役割ってもんさ。さあ、心して答えたまえ。君の一言で、火種が一つ破裂するぞ? 国を割る覚悟はあるかな、坊や」

 クラビレノの怒気を前に小便を漏らす青年。知識をこねくり回すのは得手であり、その点に関しては疑いなく優秀なのだろう。これからの時代、必要なのは彼らのような人材である。ゼナほどのスペシャルはともかく、自分のような中途半端な武人は不要と成る時代がすぐ近くまで来ていた。

 だが、まだ、まだその時代は来ていない。

 何よりもこれから一戦交える相手は、自分に輪をかけて戦いしか生き方を知らぬ馬鹿ばかり。彼ら旧時代と戦うのなら、少しは馬鹿になる必要がある。

 犠牲の無い攻城戦などありえない。ベストを模索する時間、それをかければかけるほどに周囲の被害は広がっていく。彼らは鉄鋼業での収入だけではなく、周辺地域から強奪してきた物資でやりくりしているのだから。

「も、申し訳ございません。そ、それに関しては言っていなかったと、思います」

「勘違いは誰にでもある。気にしなくていいさ、参謀殿」

 ぽかんとするゼナを尻目に状況は変化する。

「攻城戦なんてゆったり包囲して兵糧攻めか、かの穴掘りカールに倣って下から攻めるか、犠牲を厭わず梯子かけて上から落とすか、三つしかないでしょうに。まあ一番は敵さんの土地柄不可能でしょうが。あれだけ国境線が入り組んだデッドスポット、抜け道はいくらでもありますし。ならば残りは二択、時間使って犠牲を押さえるために穴掘りなどの搦め手を取るか、時間を取って一気に攻め潰すか。計算している時間、ないですよ」

 クラビレノの部下も同じ時間をかけて戦場を共にした者ばかり。その側近ともなれば馬鹿でも戦いの知恵はつく。彼らはそうして、実地で学んできた。非効率だが、重みがある。

「報告いたします! エル・トゥーレ敗走! ドーン・エンドは今なお健在!」

「……そ、そんな馬鹿な。まだ始まったばかりでは」

「これはまた、予想外ですね」

「……難儀だな」

 誰もが絶句する『結果』。ゼナのみはよくわかっておらずぽかんとし続けている。しきりにお腹をさすっているのは腹が減り始めた合図。ちなみに小一時間ほど前に豚の丸焼きを美味しくいただいたばかりである。

 子豚とはいえ――いかれている。

「ゼナ様。貴女が私たちの将、好きに采配したまえ」

「じゃあ突撃だね。ご飯の後に」

「そこで生まれた犠牲は、全て貴女の責任です。それでも宜しいか?」

「そんなの当り前でしょ。だからゼナが一番槍で突っ込むの。ゼナがやりたい戦争だからね。それに、ゼナたちが倒してあげないと……仲間が待っている」

 当たり前のように笑う彼女の顔に威厳はない。無邪気に、純粋に、彼女は戦士であった。旧時代のメンタリティを持ち、新時代においても象徴として価値を持つ極大の才能を持つゼナ・シド・カンペアドールは間違いなく、一片の疑いもなく、真の後継者である。

 烈日、エル・シド・カンペアドールの。

「じゃあみんなでご飯にしよ! その後、戦争、しよっ!」

 まるで軽食片手にピクニックへ繰り出すような気楽さで彼女は言った。

 戦争をしよう、と。


     ○


 エル・トゥーレが負けた。その情報は周辺地域にも瞬く間に広がった。

「……こんな時は悪い目が出るように出来てるもん、か」

 ヴァルホールもまた始動する。こうなった以上、エスタードも動いてくるだろう。動かぬ場合は時間をかけて単独で討つ。どちらにせよ拙速を持って動かねば機を逸する。それは国を代表する立場である以上ありえない。

「さーて、陛下の機会に応えるとしますか。それじゃ、行ってくるよ御袋」

 スコールの眼が薄く見開かれた。相手は元同志、自分に色々と教えてくれた人もいる。だからこそわかることもある。彼らが相手であれば、自分が戦術面で後れを取ることはない、と。ゆえにこそ警戒する。

 そんな彼らがエル・トゥーレを下したのだから。

(こんだけ早い決着なら、おそらくエル・トゥーレは正面から攻めるのを嫌って搦め手を使ったな。あえて隙でも作って、嵌めた。そんなところかね)

 問題はその後、嵌めて『殺した』方法である。

 それ次第で戦い方が変わる。エスタードの動きでも変わる。エル・トゥーレもこのまま引き下がりはしないだろう。いくら攻め手を潰されたとはいえ、この早さで壊滅はあり得ない。体勢を立て直せば戦える。三つ巴、四つ巴の戦いになるだろう。

 速さは強さ、狼の因子は彼にも受け継がれている。

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